第65話「古の魔法③」


 レーバンが勧めてくれた本は、結界の魔法式の歴史に関するものと、彼の研究資料をまとめたものだった。保護魔法の成り立ちや、それに基づいた逆算式の予測はとても興味深い内容だった。

 選りすぐりの的確な資料のお陰で、ヴィエラの理解もよく進んだ。実験遠征のために、結界の魔法式について復習していたのも要因と思われる。この三日で、彼女自身が結界を付与ならできるという自信が持てるくらいのレベルには達したであろう。


 魔法付与の練習でよく使われる特殊加工した羊皮紙に仮の保護魔法を付与し、練習を重ねれば解除できそうなイメージも掴めている。

 けれど、ヴィエラは進捗をレーバンに伝えることに躊躇いがあった。



「レーバン様、王宮から迎えの目途について連絡は届いておりませんか?」

「それがまだ。連絡があったら、すぐにお知らせしますよ」



 連れ去られて五日目、保護されて四日目の今日、執務室を訪ねて質問した答えは昨日と同じ。



(私は下位だけれど貴族であり、王宮魔法使い。王宮で何かあったとしても、どれくらい遅れるとか連絡があっても良いのに。それとも、神獣乗りや護衛につく騎士を出せないほどの事件が? でもレーバン様は王宮を心配している感じではないわ)



 レーバンのヴィエラに対する態度はとても丁寧で、快適に過ごせるよう配慮してくれている。

 けれど、どうしても言葉では表せない違和感がずっと付きまとっていた。

 誘拐された被害者の世話を焼かなければいけない、という面倒ごとを抱えているのに、まるで滞在期間が延びることを歓迎しているかのような口振りのときがあるのだ。

 単なる研究の手伝い要因として重宝しているだけなら良いのだが……。



「ちなみにレーバン様、新聞をお借りすることはできますか?」



 王宮で起きた問題が迎えの目途がつかないほどの事件なら、何かしら外に情報が流れていても不思議ではない。

 そう思って頼んでみたが、レーバンは申し訳なさそうな笑みを浮かべた。



「実は朝一で新聞を読み終わったあと、興味のある記事だけ切り抜いて、残りの記事は捨ててしまっているのです。明日からヴィエラ殿分も用意しておきましょう」

「ありがとうございます。よろしくお願いいたします」

「それより、銅板の魔法式はだいぶ理解できるようになりましたか? 現役の王宮魔法使い、しかも遠征で例の重ね掛けされた魔物寄せの魔法式を解除できたヴィエラ殿であれば、そろそろ付与できるくらいに理解できていそうですが」

「……はい。練習をすれば、できると思います」



 結界課の元班長だけあって、王宮魔法使いの学習レベルを熟知している。

 下手に隠してはいけない――という謎めいた危機感を感じ、ヴィエラは素直に答えた。



「さすがです。どうですか? 解除できそうな感覚はありますか?」



 レーバンは目を輝かせ、満悦の表情を浮かべた。でも向けられた視線は、ヴィエラの思考を探るような鋭さがある。蛇に睨まれた、ネズミの気分だ。

 これは正直に答えてはいけない――そう直感が告げているが、同時に嘘をついたら危険だという警鐘も頭の奥から聞こえてくる。



「ヴィエラ殿?」

「今は魔法式を理解したばかりで何とも。これから解除に向けてイメージを膨らませてみます。いつも取り扱う魔道具とは違い、専門外の魔法式ですからもう少し時間が欲しいところです」



 嘘にならないよう、大げさに謙虚にして伝える。眉を下げ、いかにも苦戦しているのですと言うように。

 数秒見つめ合ったのち、レーバンが視線を外した。彼は引き出しから羊皮紙の束を取り出し、ヴィエラに差し出した。光の文字として浮かぶ魔法式が読み取りやすいよう真っ黒に染められた、練習用に特殊加工が施されたものだ。



「どうぞお使いください。後ほど、見にいきますね」

「分かりました。では失礼します」



 ヴィエラは執務室を出て研究部屋に入るなり、羊皮紙を見つめた。



(何なのだろう……これはレーバン様の研究で、私のやるべきことではない。なのに、まるで教師から与えられた課題のような、上司から命じられたノルマのような重圧がある。達成を強く求められているのは、きっと気のせいじゃない)



 ひやりと、背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。

 ヴィエラは、自分があらゆることに鈍感だという自覚を持っている。それなのに悪い予感がするのは、相当良くない兆候だ。


 そっと窓から外を眺める。誘拐の被害者であるヴィエラが再び狙われないよう、警邏隊の人員を増やしたそうだが、屋敷の裏手にも配備されている。そもそも、彼らが捕まえた誘拐犯の取り調べ内容についても知らされていない。動機も分からなければ、きちんと素直に供述しているのか、それとも黙秘しているかさえも分からない。

 他の事件と関連があって……被害者の気持ちを考慮して……理由は考えられなくはないが、情報を制限されているという感覚の方が強い。



(レーバン様に、私を引き留めたい何かがあるのかもしれないわ。この銅板の魔法式は一体……)



 百年前の結界の魔法式と聞いていたが、現在の結界を越える『最高の式』だ。自惚れているわけではないが、ヴィエラでも解除できないほどの守りの完成度があるこの式を、他の王宮魔法使いがひとりで解除できるとは思えない。


 現に、結界課の元班長すら解除できないと認めている式なのだ。

 そんな凄い魔法式が百年前にあったのも驚きだし、この鉄壁の守りを捨てて新しい劣化版の魔法式を現代に採用するのは不自然だ。



(私なら、劣化版に移行するより、解除専門のレベル上げに力を注ぐわ。それこそ百年も経っているのなら、誰かが逆算式を先に見つけ出しているはず。昔の結界石の魔法式というのは、レーバン様の嘘……?)



 ヴィエラは銅板の魔法式について、もう一度じっくりと読み込む。保護魔法同士がわざと重ねられ、同時進行で逆算の魔力を付与できる者にしか解除できない仕組みになっている。ヴィエラが結界と魔物寄せの重なっている魔法式の部分を、同時解除した技術だ。

 つまり銅板の魔法式は素材の耐久性を無視して、魔法使いふたり係で強制解除する前提の魔法式ともいえる。

 結界の効果、現代の技術をも超える完璧な構造、広い範囲、単独では不可能な解除レベル――思い当たる魔法式の正体がひとつあった。



「大結界の魔法式……」



 ヴィエラは銅板を見つめ、ゴクリと唾を飲んだ。

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