第63話「古の魔法①」
(どこまで行くんだろう)
ヴィエラは馬車の揺れを感じながら、ため息をついた。
手足をロープに縛られ、目元と口にも布を巻かれ、抵抗できない状態で横わっていた。耳から聞こえるのは車輪の音だけで、個室の馬車に載せられていると思われる。
遠征初日の夜、ガチャリと鍵が開けられる音でヴィエラは目を覚ました。後頭部が痛くて、眠りが浅かったのだ。
そんな彼女はすぐに侵入者の存在に気付いたが、戦闘力ゼロの貧弱な魔法使い。枕や鞄を投げつけたりするのが限界で、あっという間に顔を隠した二人組に捕まってしまった。
ランクの高いホテルだからなのか部屋の防音性が高く、助けを叫んでも誰も気付いた様子はない。担ぎ上げられ、運ばれ、あっという間に馬車に乗せられ出発となった。
殺人や乱暴目的でなかっただけ幸運と思わないと――そう自分に言い聞かせ恐怖を抑え込み、小さく丸まって馬車に揺られていた。
誰かに恨まれるようなことをした覚えはないし、ユーベルト家は貧乏で多額の身代金は期待できないのは誰もが知っている。
ではルカーシュと婚約していることから、アンブロッシュ公爵家に何かしら要求したいことでもあるのか。いや、それなら単なる婚約者ではなく、血が繋がった親類を狙ったほうが効果的だ。
色々と考えてみるが、どれもピンとこない。
ヴィエラをスムーズに連れさったことから、計画的なものであり、何かしら組織的なものを感じる。それだけで目的はわからない。
(どうして私が……)
混乱と心細さで、じわりと目頭が熱くなる。
瞼の裏に大好きな婚約者の姿が浮かんだ。
(ルカ様に会いたい……助けて……っ)
婿探しでなげやりになったとき、父親の本当の体調が分からないとき、魔力切れを起こしたときなど、ルカーシュはヴィエラが困っているとき手を差し伸べてくれた。彼ならまた助けてくれるのではないかと、勝手に期待してしまう。
服の中につけていたため気付かれず、ピンクダイヤモンドのネックレスは幸いにも奪われていない。繋がっていると自分で口にしたことを心の支えにして、縋ってしまう。
そうして時間の経過の感覚がなくなってきたところ、馬車が突然停まった。
「んぐっ」
勢いで転がってしまい壁に体が当たった。痛むが、手足の自由がなく耐えるしかない。
すると外から怒号と剣がぶつかるような金属音が聞こえてきた。
(争ってる? もしかして助けが――ううん、野盗の可能性もある。お願い……助けであって……!)
身を縮ませ、ひたすら祈って外が落ち着くのを待つ。
少ししてガチャリと扉が開く音が耳に届いた。
「おい、馬車の中に女性がいるぞ!」
遠くへ呼びかけるような男の声が聞こえた。
その男の気配がヴィエラに近づいてくる。
「我々は警邏隊だ。あなたは一体……」
そう言って、丁寧な手付きでヴィエラに巻かれていた目元と口元の布を外した。
ピカッと強い光が目に入り、ヴィエラは目を瞑った。けれどこじ開けるように目を細く開けると、光の正体は魔道具のカンテラの光だったと分かる。
そしてそれを持っている男は質の良い生地の制服を纏い、髭のない清潔感ある顔、キリッと締まった表情をしていた。言っていた通り、警邏隊の人間らしい。彼の後ろから覗く他の人も揃いの制服を着ている。
どっと、ヴィエラの体から力が抜けた。
「私は王宮魔法使い、技術課に所属しているヴィエラ・ユーベルトです。その……宿泊先で寝ていたら知らない方に捕まって、運ばれて……」
「王宮魔法使いだって!? なんてことだ……今すぐ安全な場所にお連れいたします」
警邏隊の男は焦った様子でヴィエラの手足のロープを解く。ホテルで抵抗したせいか、痣になってしまっていた。
「医者も手配しておきましょう」
「ありがとうございます。私を捕まえた人たちは……?」
「馬車の御者役の男と一緒にいた男女二名の計三名を捕縛しました。こちらは応援を呼んで、のちほど警邏隊の詰め所に連行します。ですので、ヴィエラ殿は馬車に乗せたままお運びします」
「分かりました。お願いします」
ヴィエラは寝間着のままだ。この姿を外にさらさずに済む配慮に、心の中で感謝する。
警邏隊の男が御者となり、馬車を出発前させた。
小窓からは景色が見えた。ヴィエラはよく観察する。
夜を迎える時間なのだろう、空はオレンジ色を追い出すように群青色が支配し始めていた。
また揺れが少ないことから街道はよく整備されていることが窺えるが、馬車の左右どちらもよく茂った木ばかり見える森が広がっていた。
場所のヒントになるようなものが見当たらない。
馬車は緩やかな坂道を登っていき、空からオレンジ色が見えなくなった頃、馬車は二階建ての屋敷の前で停まった。
ユーベルト家の屋敷とほぼ変わらない、小さな屋敷だ。
「ヴィエラ殿、どうぞこちらに」
警邏隊の男に促され、屋敷の中へと入る。
するとひとりの男が待っていた。ヴィエラも知っている顔だ。
落ち着いた茶色の髪に緑の瞳を持つ結界課二班の元班長――レーバン・サルグレッド、とある領地にある結界石の管理者を務める人物だったはずだ。
彼は右の義足を器用に動かし、駆け寄ってきた。
「ヴィエラ殿がどうして我が家に!?」
「ここはレーバン様のお屋敷なのですね。実は宿泊先のホテルで襲われて――」
ヴィエラは自分のわかる範囲で簡単に説明した。そして警邏隊の人も補足する。
街の中にもかかわらず馬車のスピードが速かったことから、注意のために馬車を止めようとしたらしい。
しかし馬車が止まらなかったため追いかけていたところ、森の中に入ったところで相手が攻撃してきたようだ。そして相手を捕まえ、馬車の中を確認したらヴィエラがいた。
会話の中で分かったことだが、今日は遠征二日目の夜。場所は王都からふたつ隣、ホテルがあった街の隣に位置するグラニスタという街のようだ。
レーバンは痛ましそうな表情を浮かべ、ヴィエラにジャケットを羽織らせた。
「確かに、犯人もいる詰所より私の屋敷で保護するのが良いでしょう。災難でしたね。ヴィエラ殿について、私から王宮に連絡をいたします。この建物には警邏隊を追加で配備しますので、安心しておやすみください。そこの君、ヴィエラ殿に滞在中の服を貸してやってくれないか?」
使用人の女性が「もちろんです」と、躊躇うことなく頷いた。
グラニスタは馬車で移動した場合、王都から二日かかる街だ。迎えも数日後になるだろう。なのにレーバンと使用人は、迷惑そうにする素振りを一切見せない。当然のように受け入れている。
その気遣いはありがたいことだ。
「少しの間お世話になります。どうか、よろしくお願いします」
「もちろんです。若き王宮魔法使いに快適に過ごせるよう、皆にも伝えておきます」
「ありがとうございます」
それから案内された部屋は、ホテルよりも充実していた。見た目からふわふわ感が分かる寝具に、机には専用照明が備え付けられ、もちろんトイレとシャワーもある。
屋敷の大きさから見れば、ここは一等級の客室だろう。
「こんな良いところを使ってもよろしいのですか?」
「レーバン様からの許可は得ております。どうぞご遠慮なくお使いください。のちほど着替えとお食事もお持ちします」
使用人はまるで高貴な人間にするような礼をしてから、部屋を離れていった。
「……良かった」
ヴィエラは、脱力したようにベッドに倒れ込む。どうなるかと思ったが、助かったことにただ安堵した。
緊張の糸が途切れた瞬間、急激な眠気が襲ってくる。攫われたとき寝られず、ずっと強張っていた体は疲労困憊で、休息を強く求めていた。
(着替えを受け取ったり、夕食も来るのに……分かっているけど……)
抗えない眠気は、魔力が枯渇したときと似ている。あのときはルカーシュが抱えてくれた。
でも今、彼はここにいない。
ヴィエラは胸元のネックレスを服の上から握り、半ば気絶するように意識を手放した。
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