第58話「遠征①」

 

「痛てて」



 翌の遠征日、馬車の揺れで背もたれに頭を軽くぶつけてしまったヴィエラは、後頭部をさすった。

 正面席に座るクレメントが心配そうな表情を浮かべた。



「ヴィエラ先輩、大丈夫ですか?」

「はは、問題ありません。今朝、私の不注意でぶつけたところが少し響いただけです」



 ルカーシュと一緒に寝たことをすっかり忘れていたヴィエラは、目覚め一番に黒髪美人が隣で寝ていることに驚き、慌てて距離をとろうとした結果後ろ向きでベッドから落ちたのだった。

 すると婚約者の後頭部を心配しながら黒髪美人は、「遠慮せず、やっぱり抱きしめて寝れば良かった。落とさないために次はそうするから」と真剣な表情で宣告してくるなど、頭の外側も内側も痛い。



(次って、次って……!)



 自分の睡眠事情の危機を感じたヴィエラは両手で頭を抱えた。



「ヴィエラ先輩、本当に大丈夫ですか? ホテルに着いたら、医者を呼びましょうか?」



 ハッとして顔を上げたら、クレメントだけでなく、一緒に馬車に乗っている結界課の解除担当の魔法使いも心配そうな表情を浮かべていた。



「それには及びません! 結界の魔法式を変えなければいけないほどの事件を起こすなんて、本当に犯人には困ったなぁと思って」



 苦笑しながら誤魔化す。それには結界課の解除担当者が深く頷いた。

 クレメントすらアンバーの瞳を濁らせる。



「一生懸命に練習した魔法式を習得し直すなんて、なかなか辛いですよ。しかも新しい魔法式が完成したら、それをすべての班員に教え込む。その次は全部の結界石を更新するための遠征がある……どれだけ長期になることやら……はは」



 結界の魔法付与は、必ず直接付与式でなくてはならない。書き込み式のように単に書き写せば良いとはならないため、最初から最後まで長い式を暗記しつつ、内容を理解する必要がある。

 解除担当者も乾いた笑いを零す。



「クレメント班長が付与に不安を持つような高度な新しい魔法式を、私たちは解除できるのでしょうか?」

「やるしかないでしょう。幸いにも、素晴らしい手本をお持ちの方がいるので、しっかりコツを目に焼き付けましょう」



 男女二人の解除担当者が、救世主を見るような視線をヴィエラに向けた。

 何とかしてあげたいが、彼女はあらゆる魔法式を解除してきた経験があってこその技術だ。経験さえ積めれば……そう思ったところで閃いた。



「そうだ。結界課の各班長とドレッセル室長が良ければなんですが、技術課に練習しに来ませんか? 魔法付与に失敗した魔道具がたくさんあるので、それで普段は触れない魔法式の解除の経験を積むことで技術が磨けるかもしれません。私はそれで解除が得意になりましたし」



 ドレッセル室長はヴィエラが抜けた後、失敗した魔道具の廃棄による利益の損失を危惧していた。けれど練習台として結界課の魔法使いが解除してくれれば、十分にヴィエラが抜けた穴を補えるのではないだろうか。

 結界課と技術課、双方にメリットがある。

 それにはクレメントも感心した様子で、腕を組んだ。



「これまで魔法使いの技術は付与重視でしたが、魔物寄せの魔法式が上書きされたことで、解除専門の魔法使いのレベルアップが求められています。ヴィエラ先輩の技術に近づけるのであれば、他の班長も興味を示しそうです。実験遠征が終わったら僕から他の班長に話してみるので、ヴィエラ先輩はドレッセル室長にお願いします」

「分かりました。任せてください」



 ドレッセル室長に関しては、泣いて喜んでくれる姿がイメージできる。提案を前向きに考えてくれるだろう。

 そして自分と同程度の解除技術を持った魔法使いが増えれば、国王ないし魔法局の上層部はヴィエラを利用できる口実を失うはずだ。退職への道も近づくに違いない。

 あとは、これ以上の問題が起きないことを願うばかりだ。



(それにしても犯人は誰で、何が目的なのかしら)



 問題の結界石の魔法式を写した紙――転写魔紙を分析したが、とても無駄のない綺麗な式だった。結界の魔法式を熟知し、魔物寄せの魔法式を直接付与法で行使できる高いレベルの魔法使いの式。

 魔法局は『元王宮魔法使い』だけでなく、『隣国の王宮魔法使い』の関与も疑っている。


 実は例の魔物寄せの魔法式は、五年前の戦争で敵国が使っていたからだ。トレスティ王国の戦力を削ぐため魔物を誘導しようと、王国内の結界石の魔法式を解除して書き換えたことが何度かあるらしい。

 結界石を元通りに戻すために向かった結界課の魔法使いが数名ほど、魔物に襲われ犠牲になったとも聞いた。


 しかし隣国は敗戦したのを機に国王が変わり、新国王の尽力によって現在トレスティ王国との関係が改善しつつある。その努力を無にするようなことを隣国が自らするようにも思えず、関係悪化を避けるためにも調査チーム以外には箝口令が命じられている。



(ルカ様は特務騎士団長としてこの話を知っていたけれど、彼も隣国の魔法使い説には懐疑的だったわね)



 ルカーシュ曰く、規模が地味すぎるらしい。東の地方は王都からも、最寄りの街からもどちらかと言えば離れている。その街も小さく、魔物寄せでトレスティ王国を混乱に陥れるには場所が悪い。そして上書きされた結界石はひとつだけだった。



(問題になったけれど、遠征で怪我人も出るレベルじゃなかったわ。本当にトレスティ王国に困って欲しいのなら、複数の結界石に魔物寄せの魔法式を上書きしたり、大きな街や主要な貿易街道の近くを狙ったりするのが普通……どうして東の地方の結界石にひとつだけだったのかしら)



 色々と考えてみるが、ヴィエラにはちっとも分からない。早々に犯人と動機についての調査は、専門家に任せることにした。

 そうしてクレメントや解除担当者とは魔法学校の在籍期間が重なっていることもあり、学生時代について花を咲かせながら移動して夕方、ヴィエラたちは宿泊先のホテルに到着した。

 華美さはなく外装はシンプルだが、アンブロッシュ公爵邸と変わらない大きさの建物だ。一階にはレストランやゲームルーム、エステサロンなどの娯楽スペースがあり、二階以上はすべて客室になっている。急な遠征のためフロア貸し切りができなかったようで、部屋はバラバラだ。

 皆でレストランの夕食をとったあと解散となり、皆は各々の部屋に向かうことになったのだが――



「ヴィエラ先輩は二階なんですね」



 隣で歩き始めたクレメントが、鍵を握っているヴィエラの手元を覗き込んだ。



「はい。階段の上り下りが少なくてラッキーです。クレメント様は?」

「最上階の五階です」

「……大変ですね」



 王宮と違って、自動昇降機という魔道具がこのホテルにはない。これから一週間ずっと上り下りしなければいけない後輩魔法使いに同情した。

 けれどクレメントの表情は明るい。



「でも街の夜景がきれいに見えるらしいんです。滞在中のどこかで見に来ます? 僕は歓迎しますよ」



 興味を引かれ頷きそうになるが、ぐっと耐えた。何度も言い聞かされたルカーシュの忠言が頭をよぎる。



「……遠慮しておきます」

「はは、しっかり躾けられているようですね。おっと、もう二階か」



 ヴィエラはこの階、クレメントは五階なのでここでお別れだ。

 彼女は後輩に笑みを向けた。



「明日から実験一緒に頑張りましょう! クレメント様、おやすみなさい」

「……」



 なぜかクレメントは真顔でヴィエラを見つめ、そのまま固まってしまった。

 首を傾けながら彼女が「クレメント様?」と声をかけると、彼はハッとしたように笑顔に戻り「頑張りましょう。おやすみなさい」と言って階段を上っていった。


 後輩の笑みがどこか寂し気に見えたのを不思議に思いつつ、ヴィエラは部屋に入る。

 ベッドに小さな机、シャワールーム付きだけでなく、髪を乾かす温風装置も完備。部屋は小さいが設備は充実している。ここなら一週間、快適に過ごせそうだ。


 ルカーシュの言いつけ通り、扉も窓も戸締りを確認してから、パッと寝る準備を整えてベッドに横になった。

 後頭部がまだ痛む。

 苦笑しながら、胸元のネックレスを寝間着越しに押さえた。

 通信ができるものではないが、ピンクダイヤモンドに魔力を込めて「繋がっていますよ」と言って自分から渡したものだ。



「ルカ様、おやすみなさい」



 ルカーシュに届いていることを願って、ヴィエラは囁く。

 次会えるまで七日間――残り滞在日数をカウントしながら、ネックレスにおやすみを言おうと決めて眠りについた。

 しかし翌日からされることはなかった。


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