第57話「接待③」


 お酒が回ってくると、ヴィエラとルカーシュは互いに饒舌になるタイプだ。雑談を挟んだあと、話題は先ほどのヴィエラの行動の件へと移った。

 ルカーシュとしては、どう考えても鈍感な婚約者がひとりで計画した行動とは思えなかったらしい。誰が吹き込んだのか追求したのだが、ヴィエラは正直に上司の経験談を参考にしたと白状した。



「でも、もう安易に真似しません! こんなに恥ずかしいことだったなんて、あーもぉー!」

「ははは、俺としては大歓迎だが? 他にはどんなのがあるんだ?」

「秘密です。いざってときに残しておくのです」

「いざ?」

「喧嘩したときとか、役立ちそうじゃないですか。仲直りするきっかけとして温存です」

「ヴィエラだけその手段を隠し持っているって、少しズルくないか?」



 むっとルカーシュが軽く睨んでくるが、本気でないのはあきらかだ。すぐに眉を下げて、「わざと喧嘩を仕掛けようかな」なんて言い出した。



「駄目ですって! 私なんて勝てる気がしないですもん。速攻でご機嫌取りのために、温存していた手段を使い切る未来が見えます」



 次はヴィエラがむっとする。彼女の場合、眼差しに本気度が滲んでいる。

 けれどルカーシュはクスリと笑った。



「そんな可愛く睨まれても。これでは君から仲直りの行動をする前に、俺からこうやって許しを乞いそうだ」



 そう言いながらルカーシュはヴィエラの頬に軽い口づけをした。顔を離した彼の顔には蕩けるような笑みが浮かび、ほんのり色づいている。訓練で疲れているせいなのか、機嫌が良くて思ったよりも飲み進めてしまっているのか、いつもよりお酒の回りが早そうな様子だ。

 それはヴィエラも同じで、口づけされた頬がとても熱く感じ、頭の中もふわふわしている。



(時間も良い頃合いだし、お酒もなくなった。そろそろお開きかしらね。最後にこれだけ)



 ヴィエラは両耳からピンクダイヤモンドのイヤリングを外し、手のひらに載せた。



「ルカ様、これを素材にしても良いですか?」

「俺は問題ないが」

「良かったです。少し待っててくださいね」



 贈り主から使用の許可が下りたので、ヴィエラはイヤリングを両手で包み込み、自身の胸元に寄せた。目を閉じ、手のひらに魔力を集める。

 指の隙間から魔力の輝く粒子が漏れ出て数秒後、彼女は手のひらを広げた。

 すると、ピンクダイヤモンドは淡く発光していた。



「さすが最高級素材。たっぷり魔力を溜め込みますね」



 魔力と相性が良いと、素材カタログで読んだことがあったが想像以上だ。素材としての素晴らしさに感動したヴィエラは、手のひらに載るイヤリングを見てうっとりとした表情を浮かべた。



「ヴィエラ?」

「あ、すみません」



 ルカーシュに声をかけられ正気を取り戻す。慌てて、ポケットに入れていた小物をふたつテーブルに出した。

 ひとつは親指の先ほどの大きさのガラスの筒に銀製の蓋が付いており、蓋の輪に革製の細い紐が通されているチャーム。もう片方は革製の紐ではなく、細いチェーンが付いてネックレスになっている。ガラスの筒の中には、何も入っていない。

 ヴィエラはそれぞれのガラスの筒にイヤリングを一個ずつ入れ、チャームの方をルカーシュの手に載せた。



「こっちがルカ様のです」

「俺がチャームで、ヴィエラはネックレス?」

「はい。私の瞳と同じ色の物に、私の魔力をたっぷり込めました。遠征でいない間は、これを私だと思ってください。私も同じものを持っています。離れていても繋がっていますよ」



 ルカーシュはじっとチャームを見つめながら、じわじわと表情を緩めていった。普段は冷たく見えるブルーグレーの瞳に、大切なものを愛でるような温かみが帯びていく。



「ありがとう。俺のために用意してくれて嬉しいよ」



 彼は高めの温度を保ったまま薄紅色の瞳を覗き込み、空いている方の手をヴィエラの頬に添えた。位置を確かめるように、ゆっくりと親指で彼女の唇の下を撫でる。



「君が愛しくてたまらない」



 ルカーシュはそんな熱い言葉を告げた唇を、ヴィエラの唇に重ねた。何度も角度を変えながら、体温を分けあうような長い口付けがされる。

 こんなキスは初めてで、ヴィエラはただ与えられるままに受け入れることしかできない。強く求められている事実に酔い、頭はお酒が回っている以上にクラクラしてくる。



(ふふ、これなら遠征で私がいない間も大丈夫ね)



 自分だけでなく、きっとルカーシュも幸せのストックが溜まっただろう、とヴィエラは安堵したのだが――



「今夜、ヴィエラの部屋に泊まりたい」



 顔が離れてすぐ、ルカーシュが思いもよらない願い事を口にした。

 ヴィエラは「私って自覚している以上に酔っている?」と、まずは幻聴を疑った。



「ルカ様、今なんと?」

「ヴィエラと朝まで一緒にいたいんだ。良いだろう?」

「――ひぇっ」



 一気に酔いが吹っ飛んだ。そう思っているのは本人だけで、ヴィエラの顔は発火したように赤く、完全に冷静さを失っている。



(今の時代、貴族でも恋愛は自由でお泊り愛も悪いことではないし、婚約者同士なら何ら問題もないけど……ないけど……え? ……え!?)



 いつかは夫婦になるのだし、そうなれば一緒のベッドで眠ることになるのは理解している。そのタイミングが早まっただけのこと。重要なのはそのあとだ。ただ眠るだけで終わるのか、終わらないのか。

 ルカーシュの発言の意図を探るように、ブルーグレーの瞳を見つめた。

 相手の返事をじっと待っている彼の瞳の温度はとても高そうで、真剣みを帯びている。

 ヴィエラがゴクリと息を呑むと、ルカーシュがわずかに眉を下げた。



「あぁ、心配しているのか。大丈夫、単なる添い寝だ」

「単なる添い寝……」

「うん、手は出さないと約束する」



 なら良いかと納得しそうになるが、相手は無自覚に色気を垂れ流す美丈夫だ。今もかなり危険度が高そうな艶っぽさがある。

 じっと見ていると鼓動がどんどん加速し、そのまま喉から心臓が飛び出してしまいそうだ。

 ルカーシュは寝られても、ヴィエラが緊張で寝られない気がする。明日はホテルまでの移動で馬車に揺られるだけだが、一応は仕事の日だ。

 それを言い訳に今夜は遠慮願おうと口を開こうとしたが、相手の方が先だった。



「とりあえず聞いたけれど、ヴィエラに拒否権を与えるつもりはないから」

「なんですって!?」



 横暴だ、と訴えるように見上げるが、ルカーシュはすでに勝ち誇った笑みを浮かべていた。



「母上と君でやっていた賭けの罰があっただろう? 今、俺の願いを叶えてもらおう」

「……あ」



 一瞬で敗北を悟った。

 賭けで、ルカーシュの気持ちを読み間違えた方が彼の願いを聞くという罰。それに負けたヴィエラは従うしかない。どれだけ緊張しても、恥ずかしくても、逃げられないのだ。

 真っ赤にした顔を覆いながら、ヴィエラは白旗をあげた。



「うぅ、分かりました。一緒に寝ます」

「良い子だ」



 ルカーシュは嬉しそうな満面の笑みを浮かべて、ヴィエラの頭を撫でた。そして彼は寝間着に着替えてくると、鼻歌を歌いながら部屋を出ていった。

 その間にヴィエラも寝間着を選ぶ。チェストに入っているのは、すべてヘルミーナが選んだ高級パジャマばかり。シンプルなワンピースタイプ、フリルたっぷりの可愛いタイプ、リボンが解けたら大変なことになるタイプなど様々。その中で一番清楚で防御力の高そうなデザインを選び、シャワールームで着替えた。



「よ、よし。寝るだけ……そう、寝るだけ!」



 腹を括って部屋に戻れば、白のロングシャツにズボンというシンプルな寝間着のルカーシュがベッドに腰掛けていた。三つ編みはほどかれ、ふわぁっと欠伸をしている。完全無防備。

 目尻に滲んだ涙をこする姿が特に可愛い。

 いつになくルカーシュの酔いが早かったのは、疲れが溜まっていたかららしい。先ほどまでの妙な色気も半減し、思ったほど緊張せずに寝られそうだ。



「ルカ様、先に横になっていて良いですよ」

「わかった」



 かなり眠たいのか、躊躇なくルカーシュは布団にもぐりこんだ。ヴィエラは部屋の照明を消してからベッドへと向かうと、横向きで寝そべる先客が掛け布団を捲って出迎える。



「おいで」

「……はい」



 ヴィエラはそっとベッドに乗り、彼と接触しないギリギリの距離を保って仰向けになった。ベッドの幅広さに感謝しつつも、恥ずかしいので顔は相手に向けられない。

 それをルカーシュも分かっているのか、クスリと笑ってヴィエラに掛け布団をかけた。そして彼も天井の方へと体を向ける。ただの添い寝という約束を守るようだ。



「俺のわがままを聞いてくれてありがとう。おやすみ」

「はい。おやすみなさい」



 そうヴィエラが返事をしてから数秒後、隣から規則正しい呼吸が聞こえてくる。横目で見れば、スヤスヤと寝ているではないか。



(うそでしょ? おやすみ三秒……ううん、本当に疲れていたのね。特別な訓練日だったのかしら)



 ルカーシュの寝入りの速さに驚いたが、何より安堵で肩の力が抜けた。するとヴィエラも急に眠気が強くなってくる。



(ルカ様の寝顔を観察しようと思ったけれど……眠気が我慢できない……)



 遠征の準備にお菓子作りや晩酌の用意をしたため疲労感は否めず、お酒も飲んだ。

 彼女もまた、あっという間に夢の世界へと旅立った。

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