第52話「不満①」


 結界の魔法式は『完璧な式』と言われている。

 魔物が嫌う特殊な振動の式と、重ね掛けしにくいよう保護の意味を持つ式を組み合わせた複合式で成り立っていた。直接付与法のみしか用いることができず、高い技術が求められるが、一度起動すれば安定的に稼働し続ける。


 保護の式が特に複雑で、王宮魔法使いレベルの腕がないと魔法式に干渉できないようにもなっている。結界石の更新の際に解除担当の魔法使いを決めるくらいに、結界の魔法式の守りは厚いのだ。


 しかし東の地方で見つかった結界石は、結界の魔法式を解除せずに魔物寄せの魔法式が上書きされていた。犯人のレベルは、王宮魔法使い相当。

 もし二度目が、それが多くの場所で引き起こされてしまったら……と魔法局は危機感を覚え、王宮魔法使いに新しい魔法式の開発を命じた。

 その開発メンバーにヴィエラも呼ばれてしまい、彼女は魔法局の会議室で開発課の男性魔法使いフランの説明を聞きながら心の中で深いため息をついた。



(事件の解決どころか、完璧な式を越える魔法式が完成するまで、本当に退職できないんじゃ……?)



 いつもヴィエラがやっている、既存の魔法式をアレンジして小道具を開発するのとはレベルが違う。開発課が全力を挙げて取り組む世界の話だ。ゴールがいつになるのか、見当がつかない。

 そもそも、最初は事件の調査のために呼ばれたはずだ。


 魔法式には癖が出る。書き込み付与法なら筆跡、直接付与法なら式のつなぎ目に個性が出るのだ。その解読をヴィエラが手伝い、その癖から犯人候補を絞る――という話だったのに、まったくその話題は出てこない。

 あんまりだ。そんなヴィエラの心情に気付かないまま、フランは説明を続ける。



「ということで私たち開発課が新しく構築した魔法式は、他の班員でも付与可能な式でなければなりません。その前段階として結界課のクレメント班長には付与実験をしてもらい、技術課のヴィエラ様には解除しにくい式になっているか検証のご協力をお願います」



 そう、開発メンバーにはクレメントも加わっていた。

 彼と間近で顔を会わせたのは、あの謎の注意をされて以来。どう接していけば良いのか戸惑うヴィエラに対し、隣の席に座っていたクレメントは爽やかな笑みを向けた。



「ヴィエラ先輩、一緒に頑張りましょうね」

「……はい。頑張りましょう」

「事件には腹立ちましたし、本来こう思うのは不謹慎なのかもしれませんが、先輩の解除技術が間近でたくさん見られることは楽しみです」



 拍子抜けするほど、普通の態度だ。遠征前と変わらない、魔法に関心が強く人懐っこい後輩のまま。

 先輩と後輩という関係に居心地の良さを感じていたヴィエラは、それが壊れていなさそうなことに密かに安堵した。

 気分が浮上したところで、開発課のフランが質問を彼女に投げかけた。



「ヴィエラ様のその解除能力は技術課で培われたものだと思うのですが、他の職員とは何か違うことを?」

「付与に失敗した高級素材がもったいなくて、あらゆる魔道具を解除し続けてきたんです。そしたらコツを掴んできて、だいたいは感覚で解除できるようになりました。ドレッセル室長に聞いたら、こんなことしているのは私だけのようで……あはは」



 自分が辞めた後の、素材が再利用できないことによる技術課の費用が心配になる。ドレッセル室長には、解除魔法が得意な若手職員の育成を頑張ってもらいたいところだ。



「なら、ヴィエラ様に解除するのが難しいと思わせたら、犯人も諦めがつきますね」



 フランが頷いていると、クレメントが渋い表情を浮かべた。



「しかしフラン殿、結界課の解除担当者まで解除に手こずるような式だったら、安定した更新作業が難しくなります。保護魔法の解除の鍵になる、逆算の魔法式も用意できませんか?」

「逆算魔法ですか。それを用意すると、鍵の魔法式が漏洩した時に悪用される可能性があります。これまでのようにベテランが実際に解除を見せ、担当者にコツを教えていく方が良いかと。問題は、教えられそうな人物が限られそうなことですよね……」



 フランとクレメントの視線がヴィエラに向けられた。



「私、いつ辞めるか分からないんですよ。魔法使いの育成まで引き受けられるようには思えませんが……?」



 ニッコリと笑みを浮かべて、見逃してほしいと願う。

 あわせるようにフランとクレメントも笑みを浮かべる。



「まぁ、その問題は追々、魔法局内で相談しましょう。まずは新しい結界の開発です。私たち開発課はすでにいくつか候補を出していて、近いうちに実験合宿……王都の隣町に遠征をしたいと計画中です」

「遠征……?」



 ヴィエラとクレメントの声が重なる。

 フランいわく、実験では魔法付与と解除を何度も繰り返さなければいけないらしい。失敗も考え、すぐに素材が確保できる結界石の製造工場の近くに決めたようだ。たっぷりデータを記録するためにも、初回の実験遠征の期間は一週間が見込まれている。


 通常の遠征と違って、実験遠征はホテルに宿泊とのこと。食事が美味しいと評判で、ランドリーサービスも付いてくると聞いてヴィエラは目を輝かせた。



「この遠征最高じゃないですか!」

「ヴィエラ先輩、喜びすぎでは?」

「だってホテルの中でもランクが高いところですよ。食事が美味しいんですよ?」

「それはそうなんですが、僕たち結界課の地方遠征も手厚くして欲しいものですよ。立地上難しいのは分かっているのですが……差別がすぎる」



 一方でクレメントは遠くを見て、愚痴を零した。使命感たっぷりに「鍛えないと」と言っている彼も、遠征はやっぱり辛いらしい。

 それでもクレメントをはじめ結界課の魔法使いは、仕事を辞めたいとは思わないらしい。最初からそれなりの誇りと覚悟をもって試験に挑むため、合格者は怪我と年齢以外の理由で結界課を引退することがほぼない。



「クレメント様、野営の遠征じゃないことを喜びましょう!」



 そういってヴィエラは励ますが、クレメントの表情は晴れない。むしろ、呆れの色が濃くなったように見える。



「ヴィエラ先輩は、今からルカーシュさんへの遠征の説明方法を考えた方が良いですよ」

「きちんと全部説明しますよ。屋敷のお部屋も借りていますし、不在をお知らせしないと」



 そう彼女は元気よく答えるが、どうしてか後輩は「僕は、忠告しましたからね」と言って憐みの表情を向けた。


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