第51話「買い物③」


 気に入った系統の家具のデザイン見本を屋敷に届けてもらえるよう依頼したあと、ヴィエラはルカーシュに誘われ、近くにある老舗のカフェに足を運んだ。

 案内された席は二階の個室で、誰かに見られたり、会話を聞かれたりする心配はない。小さめの丸テーブルに、向かい合って座る。夕食の時間が近いためケーキは頼まず、おすすめされた日替わりの紅茶だけ口にした。



「わ、美味しい」



 桃の甘い香りが鼻腔を通り抜ける。けれども味わいは甘さ控えめで、すっきりとした口当たりだ。

 家具店で人の視線を受け、緊張で強張っていたヴィエラの体から力が抜ける。

 ルカーシュは、ヴィエラと同じ紅茶を口にしながら苦笑した。



「今日は疲れたみたいだな」

「人に注目されるとドキドキしちゃいますね。引きこもりにはハードでした。いつも堂々しているルカ様はやっぱり凄いですよ」

「慣れだな。顔が知られているから、王宮内のどこに行っても注目されるし、相手も堂々と見てくるから……まぁ、誰かさんは例外だったようだが」

「うっ」



 痛いところを突かれ、ヴィエラは紅茶を吹き出しそうになる。

 初対面の夜会、国の英雄相手にとんでもないことをしたと改めて思う。ルカーシュは生まれも、彼個人の地位を見ても圧倒的な格上。

 そんな人に対し、酔っ払いながら求婚をしたのだ。無礼を働いたとして、怒られてもおかしくなかった。ルカーシュの人の良さと器の大きさに救われたと言えるだろう。



「あのときは、大変失礼をいたしました。ルカ様は神様です」

「大袈裟な。俺としては初めて遭遇したタイプの令嬢でかなり面白く、楽しませてもらったよ」

「なるほど、面白い女枠! 物語の世界だけの話かと思っていました」



 ルカーシュが何故、自分のことを好きになってくれたのか気になっていたが謎が解けた。

 ここ最近彼は「可愛い」と言ってくれて、それを嬉しいとは思っていたが、好きになってくれた理由とは思えなかった。

 しかし『面白い女』と言われると腑に落ちた。麗しい殿方の前なのに恥じらうことなくウィスキーをストレートで煽り、愚痴を言いながら絡み、やけくそでプロポーズする令嬢は他にいないと自負できる。

 納得したヴィエラは「うん、うん」と頷く。



「ヴィエラは、面白い女だから俺が惚れたと思っているだろうが、違うからな?」

「えぇ!? 他に私に魅力ってあります?」



 腕を組んで考えてみるが、何もない。貧乏でお金はないし、童顔で美人でもない。仕草はお淑やかさから遠く、おしゃれにも疎い。

 答えが見つからず、皺が寄ったヴィエラの眉間に、ルカーシュの人差し指がトンと当たった。



「可愛いからだよ」



 納得できない答えが返ってきた。いつもなら恥ずかしくなるのだが、今回はわけの分からなさから眉間の皺が取れそうにもない。

 ルカーシュは小さく笑いを零してから、指先を彼女の眉間から頬に滑らせる。そしてブルーグレーの瞳を細め、口元に美しい弧を描いた。余裕ある笑みに、ほんのり熱を帯びた眼差しが、妙な色気を感じさせる。



「君の容姿も性格も、俺はとびきり可愛いと思う」

「――な、なななななな」

「その初々しい反応も可愛くて仕方ない」



 容赦なく降りかかった砂糖に生き埋めになったヴィエラは窒息しそうになる。頬に添えられていたルカーシュの手から逃れるように、背を反らした。心臓が痛いほど強く鼓動している。


 異性からこんなに熱が込められた眼差しを向けられ、「可愛い」と言われたのは人生初めて。しかも、好きな人から言われる「可愛い」の強さは衝撃が強すぎる。



「これくらいストレートに言わないと、ヴィエラは本気に思ってくれないだろう?」



 婚約者の鈍感さを知った上での、狙った行動らしい。

 ヴィエラは自分の鈍さには自覚があるため、はっきりと文句は言えない。できるとしたら……。



「あの、もう少々色気を控えてくれませんか? 家具店での令嬢たちのように眩暈を起こしそうです」

「色気? 特に意識してないが……倒れてしまったら困るな」



 本当に無意識だったらしく、彼は眉を寄せて困惑の表情を浮かべた。



「まさかの標準装備。その顔、厄介ですね」

「俺の顔は嫌か?」

「逆ですよ。ルカ様の容姿は最高水準ですからね。私が会ったことのある人の中でも、一番格好良いです。かなり好きな顔です。だからそんな顔で色気を出されたら困るんですよ」



 有名な劇団の舞台俳優でも、ルカーシュ程の容姿の男性はなかなか存在しないだろう。素直に称賛すれば、予想外の反応が返ってきた。



「この顔が、君の好みのようで何よりだ」



 顔が良いと言われ慣れているはずのルカーシュが、ティーカップへと視線を落とし、ほんの少しだけ耳の先を赤くした。そして誤魔化すように、紅茶を飲んだ。

 いつも余裕の態度で翻弄してくる彼の珍しく照れた姿に、ヴィエラの胸はきゅんと高鳴った。



(ルカ様が……可愛い! すごく可愛い。可愛いと思うと相手を抱き締めたくなる気持ちが、今ようやく分かったわ)



 ルカーシュがやたらとヴィエラの肩や腰を抱き寄せて腕の中に収めたり、遠征の帰還で抱き締めて帰ることにこだわったりした理由が、今なら理解できる。

 なお、自分のどこが可愛いかはいまだに分からない。



(いつか私からルカ様を抱き締めてみよっと。そして恥ずかしくても、ルカ様から抱き締めてもらったとき逃げないように頑張ろう)



 ヴィエラは、残りの紅茶を口にしながら決意した。空になったカップをソーサーに置いて窓を見れば、空がオレンジ色から紺色の世界へと姿を変えようとしていた。



「ヴィエラ、帰ろうか」



 ルカーシュが立ち上がり、ヴィエラに手のひらを向けた。彼女が手を重ねると、大きな手が包み込んだ。

 肘に手を添えるエスコートより、相手が近い存在に感じられる。ヴィエラの口からは、無意識に「ふふ」と笑みが零れた。



「どうした?」

「恋人と一緒に買い物をして、お茶を飲んで、手を繋いで帰る――疲れたけれどデートみたいで、楽しかったなって」

「俺はそのつもりで喫茶店に誘ったんだけどな。今度は作戦とか関係なく、純粋なデートをしよう」

「はい! あ、でもルカ様、忍べます?」



 王宮でも、この高級商店街でも、すぐに周囲はルカーシュの登場に気付いて注目した。気付かれてしまったらヴィエラは緊張してしまうし、ルカーシュも素で楽しめなさそうだ。

「もちろん変装するさ。カツラに眼鏡、地味な服を用意すればどうにかなる……と思う」

「眼鏡のルカ様、素直に見たいです。窓向けだったかな? 表と裏でガラスの色が変わって見える魔法式があったはずなので、眼鏡に応用できないか調べてみますね。瞳の色が違えば、印象も変わるでしょうし」

「面白そうだな。頼めるか?」

「はい!」



 ふたりは手を繋いだまま馬車に乗り、変装の打ち合わせをしながら屋敷に向かった。

 屋敷に帰れば、家具店はすでに木材サンプルとカタログを届け終わった後だった。食後、アンブロッシュ公爵夫妻に今日の作戦の報告を兼ねて、サロンでそれらを皆で見る。

 すると公爵夫人ヘルミーナが、ふと思い出したようにカタログのページを捲る手を止めた。



「すっかり新婚生活の準備を進めているけれど……ヴィエラさん、ルカにご褒美はプレゼントしたの?」

「プレゼント、ですか……?」

「ふふふ、サロンで約束したじゃない。勝敗が知りたいわ」

「はっ!」



 ヴィエラが遠征に行く直前の夜、ヘルミーナと賭けをしていたことを思い出した。

 頑張ったルカーシュへのご褒美に、ヴィエラからキスを贈るというものだ。その上で、ルカーシュが喜べば「ヴィエラのことが好き」と予想したヘルミーナの勝ちで、彼が嫌がればヴィエラの勝ちになるという内容。

 他のことで頭がいっぱいで、報告するのをすっかり忘れていた。



「ヘルミーナ様の勝ちでした」

「ふふふ、やっぱりそうでしょう?」



 ヴィエラは負けを悔しがるように項垂れ、ヘルミーナは自身の両手を合わせて喜んだ。アンブロッシュ公爵ヴィクトルも、小さく肩を揺らしながらブランデーのグラスを傾ける。

 ただ、分かってない人物が一名だけいた。



「俺のご褒美と勝ち負けって?」

「あら、ルカったらヴィエラさんから教えてもらってないの? 実はね――」



 そして母親から説明を受けたルカーシュは「へぇ」と言って、不敵な笑みをヴィエラに向けた。

 ヴィエラの背筋に、寒気が走った。



「ル、ルカ様? 怒ってます?」

「怒ってないさ。君からキスしてくれるほど、俺のことを好きになってくれたのだと喜んだのに、自発的なものではなかったのが少々残念だっただけだ」



『少々』というレベルでないくらい、彼の眼差しは冷たい。だが瞳の奥はギラギラと、何かしらの感情を燃やしているのが窺える。怖いのに視線を逸らすことができない。ヴィエラはプルプルと小さく震えながら、「ごめんなさい」と謝った。



「だから怒ってないって。ただどんな願いを叶えてもらうかなって、考えているだけだから」



 負けた方が、ルカーシュの気持ちを読み間違えた罰として、彼の願いを聞くことになっている。その願いがどんなものか聞くのが怖いが、約束は守らなければいけないだろう。



「私は何をすれば良いでしょうか」

「今は保留だ。一番有効なときに権限を使わせもらう。タイミングくらい選んでも良いよな?」



 つまり、軽い願いをするつもりはないということだ。

 だが敗者が逃げることは許されない。苦し気にヴィエラが頷けば、ルカーシュは「楽しみだ」と、とても無邪気な笑みを浮かべたのだった。

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