第48話「駆け引き②」
クレメントは遠征から帰ってきた後、事件の報告に追われて休暇入りが誰よりも遅かったと聞いている。昨日まで見かけなかったので、今日から休暇明けなのだろう。ちょうど別の魔法局の部屋から出てきたようだ。彼の手には分厚い紙の束が抱えられている。
「えっと、新しい仕事に対して気合を入れていたところです」
「調査チームの件ですか。話を受けたんですね」
「大物の存在を出されては、断れませんから」
「アンブロッシュ家が後ろにいるヴィエラ先輩が言う大物……陛下が人選に絡んでいたという噂は本当だったわけですか」
「そうなんです」
歩きながらヴィエラが小さくため息をつく一方で、クレメントは苦笑した。
「ヴィエラ先輩には申し訳ありませんが、あなたが魔法付与した装備がまだ手に入りそうで少し安心しました。あ、でも調査チームに参加するなら忙しくて全部は無理か。残念」
「――っ」
少し前なら個人指名で注文されることに負担を感じていたが、遠征後の今は心境が変わっていた。
現場に出たのはたった一日だったけれど、遠征が大変なのはとても理解できた。ヴィエラが参加した場所は馬で行けるところだったが、他の結界石は徒歩で登らければいけない険しい山道に設置されている場合もある。そしてスキアマウスより危険な魔物が生息するエリアにも足を運ばなければならない。
リスクを減らし、命を守るためには装備や魔道具にこだわるのは当然だ。
結界課の各班長が、それぞれ気に入った技術課の職員に指名を入れる切実さを、初めて理解したのだ。
けれど、調査チームに加入してしまったので、クレメントが察している通り以前のようにすべての注文を受けるのは難しいだろう。申し訳ない気持ちが出てくる。
「実は、クレメント様の指名注文は嫌がらせかと思っていたんです」
「……あぁ、はい。そう思われても仕方ない数の注文をしていたのは事実です。これまで無理をさせてしまいましたね。すみません」
「いえ、遠征があんなに大変なの、初めて身をもって知りました。個人指名は魔法技術への信頼の証だと分かった今、頼ってくれていたと実感して嬉しかったんです。私の魔法を信頼してくれて、ありがとうございました」
「……ヴィエラ先輩は、本当に優しいですね」
そう言ってクレメントは立ち止まってしまった。数歩先に進んでいたヴィエラが振り向けば、彼は彼女の薄紅色の瞳をじっと見つめてきた。
「クレメント様?」
「夜会で祖母の件もあったのに、いつも通り接してくれるのですね」
「……あ」
調査チームや国王のことで頭がいっぱいで、バルテル家のセレスティア夫人が「孫のクレメントと婚約して」と提案してきたことが頭から抜けていた。
あの場にクレメント本人はいなかったが、どこまで関わっているか、アンブロッシュ家も分からないと言っていた。
今になって緊張してしまい、体をわずかに強張らせた。
「はは、今思い出したって感じですね。驚いたでしょう? 僕も、夜会から帰宅した祖母からあなたに直接会いに行ったと聞かされたとき、非常に驚きました」
どうやらセレスティア夫人はクレメントに確認することなく、夜会で婚約の話を進めようとしていたらしい。
やはり血筋や才能が優先され、本人たちの気持ちは考慮されていなかったようだ。
「クレメント様も大変ですね。侯爵家の跡継ぎとなると、婚約者選びもなかなか自由にはいかないなんて。勝手に私を候補者にされても困るでしょうに、えへへ」
ヴィエラはそうやって笑い話で終わらそうとするが、クレメントは同じように笑ってくれない。
いや、彼の顔は微笑んではいるのだ。だけれどアンバーの瞳は、感情が一切感じられないほど凪いでいた。
「お忘れですか? 僕が一旦ユーベルト家に婿入りし、そのあとヴィエラ先輩の籍をバルテル家に移して、侯爵夫人の座をお渡しすると提案したことを」
「それは、ユーベルト家の事情を心配してくれてですよね? 父が大丈夫だと分かった今、クレメント様が無理する必要はありませんが」
「でも、あの話が冗談ではなかったのは理解していますよね? 僕は、ヴィエラ先輩が良いのなら、祖母の提案するように動くのもやぶさかではありません。実際に、魔法使いで尊敬している最も身近な女性はヴィエラ先輩ですから、理想ではあります」
コツっとわざとらしく靴底を鳴らし、クレメントがヴィエラに一歩近づいた。
ヴィエラは距離を保つように、背の高い彼を見上げながら一歩下がる。
「セレスティア夫人の言う通りに動くというのですか?」
「さぁ、僕はどうしたら良いと思います?」
また一歩クレメントが大きく踏み出そうとしたので、ヴィエラは彼を避けるように踏み出された足とは逆へと避けようと下がった。
けれど、下がった先は壁に近い方で……ヴィエラは壁とクレメントに挟まれる位置に立ってしまっていた。誘導されたと気付く。
こういう困った雰囲気のときに限って、またしても周囲に誰もいない。
ヴィエラがきょろきょろと目を泳がしていると、正面に立つ相手がクスリと笑いを零した。
「もっと嫌がらないと」
「――へ!?」
「祖母は、欲しいと思ったら物でも人でもお金でも、周囲を利用して手に入れる貪欲な方です。僕にこうして詰め寄られた程度で動揺すると知られたら、隙があると思われ狙われ続けられてしまいますよ。こういう時は『からかわないで』と、まずは目の前の僕を叱らないと」
クレメントが「ほら」と促すので、ヴィエラは意識して怒ったような表情を浮かべて彼を見上げた。
「私には婚約者がいます。お遊びはおやめください」
「…………可愛いだけですね」
「ひぇっ、ちょ、ちょっと何を言っているんですか。からかわないでください!」
「そうそう、そうやって本気で言わないと」
ようやく納得したようで、ニッコリ笑み浮かべてクレメントが後ろに下がった。そして何事もなかったように歩き始めた。
(なんだ、本当にからかってきただけみたいね。本気でセレスティア夫人の意向通りに動く気なら、こうやって注意なんてしてくれるはずないもの……自意識過剰だったわ)
クレメントがこのまま迫ってくると構えてしまったことが、今になって恥ずかしくなる。これまでの距離感と比べれば、今回は手すら握ってこなかったではないか。
反省と羞恥で、ヴィエラは顔を赤くした。
すると振り向いたクレメントと視線がぶつかった。そして彼はすぐに鼻で笑った。
「ほら、そんな顔したら駄目ですって。僕にもチャンスがあるのかと勘違いしますよ」
「――これは、違います! 自分の情けなさが恥ずかしくなっただけです!」
「そうでしたか。でも、バルテル家に取り込まれたくなかったら、僕も含めて、隙を見せちゃだめですよ。ま、アンブロッシュ家が黙ってないか。では僕は用があるので、ここで失礼しますね」
慌てふためくヴィエラを置いて、クレメントは廊下の角を曲がってあっさりと姿を消した。
「なんなのよ……」
クレメントはセレスティア夫人の支持派で提案に乗り気なのか、それとも反対派だから注意してくるのか……分かるようになったと思っていた後輩の考えていることが、また分からなくなったヴィエラだった。
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