第45話「夜会②」


 燕尾服の紳士は、セレスティアの執事だったらしい。彼は、ヴィエラとエマが挨拶をしている間に優雅な所作でお茶を用意し、配り終えるとセレスティアの後ろに控えた。

 普段から交友がありそうなアンブロッシュ公爵夫妻はここにいない。その上でヴィエラに興味を示している。

 意図が分からないヴィエラをはじめユーベルト一家は、お茶に手を付けず相手が口を開くのを待った。

 セレスティアはお茶を一度口に含んだあと、トーマスへと視線を向けた。



「アンブロッシュ家の三男を婿入りさせると聞きました。彼と縁を結ぶだなんて、とても優秀な娘さんをお持ちのようね」

「恐れ入ります。ただ、ルカーシュ殿の器が大きいと言ったほうが正しいかもしれません」

「まぁ、ご謙遜を。わたくしはヴィエラ様を評価しておりますのよ。特に、魔法の才能について。先日は魔法局を代表して、遠征の危機を救ったらしいではありませんか。若い令嬢の中で最も才能があるのでは――とわたくし思っておりますの」



 猛禽類を彷彿とさせるアンバーの眼差しが、トーマスから娘へと移る。



「少し貴族の会話に疎いと耳にしているから、単刀直入に申し上げますわ。ルカーシュ様との婚約を取りやめて、わたくしの孫クレメントと婚約してくださらない?」

「―!?」



 何を言われたのか分からず、ヴィエラはただ目を見開き唖然とした。

 それは家族も同じで、困惑の表情を浮かべた。



「身内の欲目もあるかもしれないけれど、クレメントもルカーシュ様に負けないくらい魅力的だと思うの。魔法の能力はすでにトップクラスで、容姿もハンサムに育ったわ。そしてヴィエラ様の容姿も魔法の才能も申し分ない。クレメントとヴィエラ様の間で生まれた子はきっと、容姿だけでなく魔法の才能にも恵まれるはずよ」



 ふふふ、と気に入った人形を欲しがる少女のように、セレスティアは無邪気に微笑んだ。

 王族は優秀な子孫を残すことを重んじる一族だ。自由恋愛に比較的寛容になった現代の貴族社会の中でも王族は変わらず、名家あるいは優秀な人物の血統を求めている。

 セレスティアは元王女で、王家の直系。血統重視の意識が根強い。

 魔法の才能があるヴィエラの血が欲しくなったのだと、ユーベルト親子は察した。

 トーマスが声色を固くしながら、セレスティアに頭を下げた。



「申し訳ありませんが、ご存じの通りヴィエラはアンブロッシュ家のご子息とすでに婚約しております。セレスティア夫人のお気持ちには応えられないかと」

「子爵がバルテル家との縁を望んでくだされば、アンブロッシュ家にはわたくしから話をつけるわ。公爵家に利益がある話を用意しますし、ルカーシュ様が望む環境を与えられる、新しい令嬢を紹介しましょう」

「しかし――」

「それにヴィエラ様がバルテル家に嫁入りとなれば、アンブロッシュ家の息子を婿入りさせるより、ユーベルト家にも利益がもたらされるわ。侯爵夫人となれば多くの資産を使う権限が持てるから、ヴィエラ様自身の判断でユーベルト家に融資もできる。子爵家の当主になるより、領地の力になれると思いましてよ」



 完全な政略結婚。セレスティアの考えには、誰の気持ちも考慮されていない。

 ヴィエラとルカーシュはもちろん、自身の孫クレメントも含めて、すべて無視されている。

 セレスティアはそれが最上の選択であり、アンブロッシュ家もユーベルト家も納得すると信じている様子で「ユーベルト子爵、いかがかしら?」ともう一度投げかけた。


 窓の向こうの賑やかさが、別の世界のものに聞こえる。それくらいテラス席の空気は、重々しいものになっていた。

 トーマスは膝の上でこぶしを強く握る。



「私は変わらず、ルカーシュ殿の婿入りを望みます」

「あら、領地を治める当主として、得られる利益を見逃すのは感心いたしませんわ」

「いえ、領地も大切だからですよ。ルカーシュ殿という国で一番の血を、ユーベルト家の直系に取り込めるのですから、優秀な後継者に期待できるでしょう。きっと将来、立派に領地を治めてくれるに違いありません」

「そう、一理あるわね。でも、それならエマ様がルカーシュ様と婚約なさるのはいかがでしょう?」

「果たして、英雄のルカーシュ殿はそれを望むでしょうか? ヴィエラはあなた様が望むほどの能力を持つ娘ですよ。魔法が使えないエマで、彼も納得するでしょうかね」



 セレスティアは無邪気な笑みを消し、トーマスの目を見つめた。トーマスは顔を青くしながらも、視線を逸らさない。

 にらみ合って数秒、セレスティアが小さくため息を零した。



「話すべきはユーベルト家ではなく、アンブロッシュ家の方のようですわね。同じ高位の者として、理解を得られればよろしいけれど……そのときはヴィエラ様、わが家にいらしてね」



 セレスティアはヴィエラに微笑みを向けると、執事に支えられ立ち上がった。そして先ほどの緊張感が嘘だったかのように、柔らかい雰囲気をまとってテラスから去っていった。

 それでもヴィエラの緊張感は解けない。どちらの震えだろうか、エマと重ね合った手は小刻みに動いている。

 するとトーマスがソファから立ち上がり、ヴィエラとエマをまとめて抱きしめた。

 ハッと、姉妹の口から緊張が途切れるため息が漏れた。



「ヴィエラ、すまない。あのような断り方しかできなかった」

「いえ、あれが最善だったと思います」



 セレスティアは格上の人物で、婚約への意識がまったく異なる相手だった。こちらの持論を持ち出して説得するより、相手の望む価値観で意見を伝えた方が良い。



(お父様だって怖かったはずなのに……この婚約を守るために、思ってもいないことを言ってくれた。領地の利益よりも、私たちを優先してくれた。ルカ様もわかってくれるはずよ)



 ヴィエラは父の背に手を添えて、抱き締め返した。



「エマもすまない。あんな言葉を言ってしまったが、エマも自慢の娘だ。愛しているよ」

「大丈夫よ。お父様がどれだけ私を大切にしているか知っているわ。私もお父様が自慢よ」



 エマもトーマスをしっかりと抱き締め返す。そして父と娘ふたりをまとめて母カミラが包み込む。



「ヴィエラとエマは毅然と耐えていて偉かったわ。旦那様、あなたはとても格好良かったわよ」

「お、惚れ直したか?」

「そうね。あなたと結婚して良かったわ」

「それは夫冥利に尽きるな。さっきも私の背に手を添えてくれてありがとう。意見を言う勇気が出た。さすが私が惚れた女性だ」



 トーマスは家族と体を離すと、カミラの指先に口づけを落とした。カミラは「もうっ」と恥じらう。

 久々に見せつけられた両親の熱々っぷりに、ヴィエラとエマは顔を見合わせて苦笑した。まだ四人でユーベルト領に暮らしていたときを思い出す。



「両親のラブラブっぷりを見せられる子どもとしては複雑だけれど、理想の夫婦ではあるよね」

「次はお姉様とルカーシュ様の番かしら」

「からかわないでよ」

「ルカーシュ様がお姉様のこと大好きだって分かっているから、こうやってからかえるんだけどね」



 エマの言うとおりだ。もしルカーシュとの婚約が、当初の気持ちを伴わない契約のままなら、笑っていられなかっただろう。きっと彼は条件の良い方を選ぶのだと、ヴィエラが身を引くことまで想像できる。

 両思いだと分かったばかりで、周囲にも分かるほど彼がヴィエラに愛情を隠さないタイプだからこそ、心を強く持てている自覚があった。



「とにかく、アンブロッシュ家の皆さまにはお伝えした方が良いよね?」



 ヴィエラの確認の言葉に、家族はみな深く頷いた。

 そしてアンブロッシュ公爵邸に戻り次第、セレスティアに提案されたことを包み隠さず伝えた。



「久々にはらわたが煮えくり返っているのですが」

「ルカもかい? 奇遇だな、私もだ」

「あら、旦那様とルカもなの? 一緒で嬉しいわ」



 ルカーシュはもちろん、アンブロッシュ夫妻の憤りは想像以上で、ユーベルト一家は自分たちが悪くなくても背筋に寒気を感じた。三人とも美しい笑みなのに、絵本に出てくる魔王の姿がうしろに見えるのだ。


 これから家族会議をするからというアンブロッシュ親子に、先に休むよう促されたユーベルト親子は静かに従った。

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