第43話「平穏②」


「お父様、お母様、大丈夫ですか?」


 馬車を降り、アンブロッシュ公爵家の屋敷の前で固まるユーベルト子爵夫妻――両親の顔の前でヴィエラは手を振った。

 父親トーマスの腰が良くなったということで、以前約束した通り、アンブロッシュ公爵がヴィエラの両親を王都に招待してくれていたのだ。


 先日、ヴィエラのもとに届いた魔法速達は、領地を出発したという連絡だった。そうして予定通り一週間で到着し、数か月ぶりの親子の再会だというのに両親の意識は娘より屋敷に向いてしまっている。

 屋敷に滞在する方が家族で気軽に過ごせるだろうと、アンブロッシュ公爵は王都のホテルではなく屋敷に客室を用意してくれた。施しを断らない貧乏性な両親はもちろん喜んだのだが、屋敷が立派すぎて慄いてしまったらしい。



(確かに門の外からと、目の前で見るのとは迫力が違うものね。私も初めて連れられてきたときは腰が引けたもの)



 そう両親の気持ちに共感しつつも、屋敷の中ではアンブロッシュ公爵たちが待っている。

 ヴィエラはもう一度両親に声をかけた。

 父親トーマスがハッと意識を取り戻す。そうしてようやくヴィエラの隣にルカーシュもいることに気づいた。



「ご挨拶が遅れて申し訳ありません。ルカーシュ殿、この度はご招待してくださりありがとうございます」

「いいえ、遠いところから来てくださり感謝しています。お疲れでしょうから、まずはお茶で一息ついてください。どうぞ中へ」

「失礼いたします」



 両親は互いに目を合わせ頷くと表情を引き締め、ピーンと音が聞こえてきそうなほど背筋を伸ばした。ヴィエラの両親から、ユーベルト子爵夫妻の顔へ。少しぎこちないけれど、こうやって切り替えられるところはヴィエラも見習いたいところだ。


 こうしてアンブロッシュ公爵夫妻から歓迎のお茶会を受けたのだが、学園の授業を終えたエマが合流するころには、両親の肩から余計な力が抜けていた。

 アンブロッシュ公爵夫妻の親しみを感じさせる話術がすごいのか、それとも『貧乏、どこに行っても生き抜くべし』という両親の順応性が高いのか。エマが「公爵家と我が家って、昔から親交あったかしら?」とヴィエラに確かめるくらいには打ち解けていた。


 そしてアンブロッシュ公爵の計らいで、その日の夕食はユーベルト家の家族だけで過ごせるようにしてくれた。サロンルームで豪華な食事に感動しつつ、食後に始まったのは『闘い』に向けての予習会だ。



「お父様、少しずつ背が丸まってきているわ。お母様は肩から力をもっと抜いてお父様の腕に手を添える!」



 王立学園でマナーの授業を受けているエマの厳しい指導が、容赦なく両親へと入る。

 両親が王都に呼ばれたのは、アンブロッシュ公爵家と夜会に参加し、両家が親しいと社交界にアピールするためだ。

 年に一度だけ王家主催の夜会に参加していた両親だが、その時は必要な挨拶だけ終わらせ早々に帰っていた。

 しかし今回は、社交界の上位にいるアンブロッシュ公爵家の隣に長く立たなければならない。嫌でも比較されるだろう。


 これまでの誤魔化しながらの立ち振る舞いでは、公爵家の足を引っ張りかねない。そう危惧したエマが、付け焼刃でもないよりはマシだと急遽レッスンを提案したのだった。

 妹はすごいなぁ――と感心しながらレッスン風景を見ていたヴィエラだったが、もちろん姉もエマの指導対象者だ。



「お姉様は余裕そうだけど、大丈夫なの? 英雄のルカーシュ様にエスコートされるお姉様が、この中で一番悪目立ちしやすいのだからね。合わせ練習とかした?」



 エマの指摘に、ヴィエラは視線を逸らした。



「おーねーえーさーまぁ?」

「いつも手を繋いで歩いているけど、何もルカ様から言われたことは」

「仲が良さそうで何より! でも普段の手繋ぎとエスコートは全く別なの。一度ルカーシュ様と確認した方が良いわよ」



 正論だ。

 ルカーシュと初めて会ったのは夜会だったが、ふたりとも会場から離脱していたし、貴族の振る舞いからかけ離れた行動をとっていた。

 ルカーシュはヴィエラのレベルを知らない。もちろんヴィエラもルカーシュのレベルを知らないが、彼はアンブロッシュ公爵家の生まれだ。下手なわけがない。

 急に不安になってくる。



「エマ、今からルカ様呼んでくるからチェックして!」

「え!?」



 エマと両親がぎょっとする。

 しかしヴィエラは気にすることなく、サロンルームにルカーシュを召喚した。

 いつもはキラキラと潤んでいる可憐な妹の目が濁っている。



「婚約者とはいえ、英雄を気軽に呼び出すなんて……まぁ、お姉様だものね。ルカーシュ様すみません、姉のエスコートに付き合ってください」

「もちろん、誰かをエスコートするのは親戚のデビュタント以来数年ぶりだから、復習にちょうど良い。ではレディ、手を」



 そう言って早速ルカーシュは背筋をすっと伸ばし、ヴィエラに肘を出した。今の彼の服は軽装だというのに、立派な貴公子にしか見えない。

 改めてルカーシュが、本来であれば関わることのない雲の上の人だと感じる。

 自分から高みにできるだけ近づかなければ――とヴィエラの姿勢も自然とまっすぐに伸びる。そっと彼の腕に手を絡め、寄り添った。



「少し歩こう」

「はい」



 ルカーシュにエスコートされ、サロンルームの端をぐるっと一周する。そしてエマの前で立ち止まり、ルカーシュの腕に手を添えたままスカートを摘まんで軽く腰を折った。



「エマ、どうかしら?」

「予想していたよりずっと良いわ。礼のとき少し頭を下げすぎなくらいで、ルカーシュ様との腕の距離感も悪くないし……練習なんてしてないのに不思議ね。意外とその距離を保ちながら歩くのが難しいのに」

「もしかしたらクレメント様が結界課と技術課の間を移動するとき、エスコートしてくれるときが何度もあったからかも」



 心当たりがあるとすれば、クレメントしか考えられない。エスコートしてもらっている間の会話はたいてい魔道具の大量注文についてで、彼にとってはヴィエラが逃げ出さないための連行の意味合いが強いだろう。

 ルカーシュとクレメントはともに長身で、腕の高さも近いのが要因かもしれない。


 ヴィエラはそう納得したが、他の人はそうでもないらしい。特に隣から冷たいオーラが放たれている。そっと見上げれば、感情が籠っていない無機質な瞳で見下ろす婚約者の顔があった。

 両親は存在感を消し、会話のきっかけになったエマは「ごめん」と視線で伝えてきた。

 さすがに鈍感なヴィエラでも、ルカーシュが嫉妬していることが分かる。



「ルカ様、今はきちんと断っています」

「なら問題ないが、そうだな……両家の親密さをアピールするのも大切だが、俺たち本人の婚約が揺るぎないものだと見せる方が重要だ。立っている間はこうしよう」



 ルカーシュはヴィエラの手をほどくと、彼女の腰に手を添えて自分側に引き寄せた。自然とヴィエラの肩が、ルカーシュの胸元に頼る姿勢になった。

 気配を消していた両親とエマが「わぁ」と目を輝かせた。

 ヴィエラの全身は照れでむずむずする。少しルカーシュと隙間を開けようとするが、彼はもちろん許さない。念を押すように、腰に触れている手に力が込められた。



「良いな? ヴィエラ」

「……っ、ルカ様のご希望通りに」



 遠征の帰りに、ルカーシュに抱えられている姿を多くの神獣騎士たちに見られた。そのときよりは、ずっと密着度は少ないからマシだ。

 開き直ったヴィエラは、頬に火照りを感じながら頷いた。

 その表情を見て機嫌を直したルカーシュはヴィエラを解放し、エマに視線を向けた。



「俺たちは合格かな?」

「バッチリです! 礼の角度はこちらで直させますので、エスコートは当日も同じようにお願いします」 

「分かった。では引き続きユーベルト家の皆さんは時間を楽しんでくれ。失礼する」



 そうしてルカーシュはスマートにサロンルームから出ていった。



「さ、お父様とお母様は先ほどのルカーシュ様とお姉様を見本に、もう一周!」



 エマが両親のレッスンの再開を促す。そして両親がそばから離れると、彼女は姉の耳元に口を寄せた。



「もう私が後継者になるかも、なんて考えなくて良さそうね」



 エマは、嬉しそうに囁いた。

 彼女だけは、ヴィエラとルカーシュが数年後に離縁するかもしれない契約婚だと知っていた。離縁したら正式な後継者は妹へ――そんな未来は考えなくても良い関係になったのだと察したらしい。

 ヴィエラは満面の笑みを浮かべて、「うん、私たち本物の夫婦になれるみたい」とエマに囁き返した。

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