第42話「平穏①」


 東の地方遠征から帰還後、ヴィエラは間を開けることなく魔法局に呼び出された。


 魔物寄せの魔法式が重ね掛けされた魔法式の詳細と、解除の感覚と魔力消費量について報告が求められた。そしてヴィエラがなぜ他者より魔法式の解除が得意なのか、理由と経歴の説明も少々。

 遠征先から魔法通信で事前報告があり、同席していた上司のドレッセル室長が補足してくれたのもあって、報告会が長引くことはなかった。


 そして遠征に参加した人に与えられる一週間の特別休暇も、ヴィエラに与えられることになったのだが……。



「ヴィエラ、大丈夫か?」



 三つ編みにした艶やかな黒髪を肩から下ろし、ブルーグレーの瞳を細めた麗しい青年――ルカーシュがベッドに腰掛け、横たわる婚約者を覗き込んだ。

 枕に頭を預けていたヴィエラの心臓が、ドキッと反応する。



「熱は下がったので、もう大丈夫です。もう動けます」



 なんだか見下ろされるアングルに落ち着かず、すぐに体を起こした。今はただぼーっとしていただけ。


 実はヴィエラ、魔法局への報告後に倒れたのだ。

 魔力枯渇のあと、しばらく魔法使いは体調不良に陥りやすくなる。魔力回復のために体力を消耗するから、回復しても再び魔力が安定するまで時間を要するからなど、理由はまだ解明されていないがとにかく弱体化してしまうのだ。



「やっぱりティナ乗って帰ってきて正解だったな。結界課と移動していたら、今も馬車の中で熱に苦しんでいたかもしれない」

「そもそも熱が上がらなかったかも……」

「ん?」

「なんでもありません」



 ルカーシュに抱えられながらアルベルティナの背に乗って移動したため、確かに早く王都に帰還することはできた。

 しかし、多くの人の目がある空で、婚約者ルカーシュと丸二日密着して移動したのだ。

 好きだと自覚してから、心が落ち着かないままの後ろからのハグは非常に心臓に悪かった。


 支えるためにおなかに回された大きな手、密着する自分の背中と彼の胸元、耳元でささやかれる良質な声。ユーベルト領に行ったとき以上に意識してしまい、ヴィエラの鼓動はずっと速く、体は強張ったまま。

 王都についたときにヴィエラは、ひとりでは歩けないほどの疲労が溜まり――つまり屍状態になった。


 もちろん「屍になっても抱えていく」という宣言通り、ルカーシュはアンブロッシュ邸の私室まで大切に抱えてくれたのだが、それはそれで恥ずかしかった。


 とにかく帰還して翌日、魔法局への報告のために気を張っていたが、達成したらもう駄目だった。緊張の糸が完全に切れたヴィエラは、技術課の自分の席に座るなり気を失った。



「せっかくの貴重な休みが……はぁ」



 一週間もの予定のない大型連休なんて、魔法局に就職して以降初めてのことだ。その半分をベッドの上で消費してしまったことが惜しい。


 いや、特に予定はなかったのだが『時は金なり』、貧乏令嬢のヴィエラとしては何か有意義に時間を使いたかった。

 特に、同じく休暇のはずのルカーシュが、ヴィエラに付き合いどこにも出かけた様子がないのが申し訳ない。



「ルカ様もごめんなさい。二晩も看病ありがとうございます。」



 そう、ルカーシュは使用人に任せることなく、彼自らヴィエラに付き添ったのだ。水を飲ませ、額に載せるタオルを替えてくれた。



「ユーベルト家は、使用人ひとりだけ。何かあったら家族で看病し合うんじゃないのか?」

「その通りですが」

「なら、何も謝ることはないだろう。俺としては、ユーベルト領で暮らし始めて、君が風邪を引いたときの予行練習ができて良かった」



 ルカーシュは、ヴィエラを慰めるように柔らかく微笑んだ。



「ルカ様――っ」



 公爵家のお坊ちゃまだというのに、彼は婿入り先の貧乏な環境に順応しようとしていた。その優しさに感動する。



(未来の婿様が素敵すぎる。こんな良い人に熱の原因を押し付けるなんて、私の馬鹿。そうよね、ティナ様に乗せていくと強引に決めたのは、本当に私の体調を心配してのことよね)



 母親とエマからは、「殿方は、好きな女性に触れる機会を常に狙う獣なのよ。そして牙を隠しつつ、慣らしながら踏み込んでくるの」と聞いていたため、ルカーシュまで疑ってしまっていた。

 こんなに優しい婚約者を獣と思ってはいけない。

 ヴィエラは両手でルカーシュの手を握り、未来の婿に向けて改めて抱いた決意を伝えた。



「私、ルカ様のこと大切にしますね!」



 突然の宣言に麗しい婚約者は軽く瞠目するが、すぐに相好を崩した。



「ヴィエラに看病してもらえるのなら、風邪を引くのも案外悪くないかもしれない」



 そう言って、ルカーシュはヴィエラの頬に口づけをした。

 あまりにも自然な流れに、ヴィエラは一瞬何が起きたか分からなかった。離れた彼の満足そうな表情を見て、ようやくキスされたのだと気付く。熱はもう下がったのに、頬だけが熱い。



「するのなら、心の準備をする時間をください」

「遠征先で、事前予告もなく先にキスしてきたのは誰だったかな?」

「すみません。私です」



 ぐぅの音もでなかった。

 両思いだったから良かったものの、もしそうではなかったら、ヴィエラはただの欲求不満の痴女扱いされても文句は言えなかっただろう。



「お互い様だし、今後は好きなときにキスさせてもらうから」



 ルカーシュが不敵な笑みを浮かべてこんな宣言をしても、ヴィエラは反論できない。彼女自身も好きな人からキスされること自体は嫌ではないのだ。

 ただ恥ずかしいだけで、照れを抑えるのが大変なくらいで……ヴィエラはブルーグレーの瞳を見つめ、コクリと頷いた。


 すると、ルカーシュが再び顔をゆっくりと近づけた。互いの視線が絡み合う。

 もう一度口づけが、きっと次は唇同士で――とドキドキしながら触れる直前、扉がノックされた。


 慌ててふたりは顔を離す。そしてルカーシュはさっとベッドから、サイドチェアーに座り直した。

 空咳をしてから、ヴィエラが返事をする。

 すぐに女性の使用人が入室したが、ふたりの様子を見てわずかに頭を傾けた。



「……出直しましょうか?」

「だ、大丈夫です! それより何かありましたか?」

「ヴィエラ様宛に、魔法速達が一通届いております。どうぞこちらを」

「ありがとうございます」



 平静を装いながら使用人からカードを受け取る。そこに書かれていたメッセージを読んだヴィエラは、パッと表情を明るくさせた。


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