第38話「帰還①」※ルカーシュ視点


 ルカーシュは、腕の中にいるヴィエラの体から力が抜けていくのを感じた。

 横目で彼女の表情を窺えば、安心しきった表情で眠りについている。自分を信頼しきっている無防備な寝顔に、ルカーシュは口元を緩ませた。

 するとギロリと厳しい視線が刺さった。



「ルカーシュさん、一応言われた通りにしましたが、私情を待ち出しすぎではありませんか?」



 先日告げた助言を持ち出し、クレメントは不満を口にした。

 けれどルカーシュは痛くも痒くもない。あえて勝ち誇った表情を向けた。



「疲れ切った功労者は、宿泊棟のベッドで休ませるべきだろう。俺なら担架で運ぶよりも早くその環境を与えられる。担架を持つ騎士の負担もなくなる。合理的に考えても妥当じゃないか?」



 クレメントのこめかみがピクッと引きつった。けれどこれ以上文句を言っても無駄だと悟ったのか、小さく舌打ちするだけに留めた。



「ヴィエラ先輩を落としたりしたら許しませんからね。あと宿泊棟についてからも、寝ているからって変なことしないでくださいよ」

「……もちろんだ」

「なんですかその間」

「心配ならお前も早く領館に戻ってくれば良い」



 正直、髪にキスくらいは良いだろうと思ってしまったことを隠すように、ルカーシュはアルベルティナの方へと向かった。


 アルベルティナは最大限に姿勢を低くするために、地面に平伏している。

 プライドの高いグリフォンが人間のためにここまで協力するのは珍しい。それだけ相棒のルカーシュとの絆が強く、彼の腕で寝ているヴィエラを受け入れている証拠だ。


 神獣騎士たちをはじめ、出発の合図を待っていた結界課の班員もその光景に感心する。

 ルカーシュはヴィエラを抱きながら器用に乗り、ベルトを繋いだ。そして婚約者の眠りを邪魔しないように声を出さずに手だけで出発の合図を出し、空へと舞い上がった。



 宿泊棟についてすぐ、割り当てられた部屋のベッドにヴィエラを横たわらせた。

 イエローブロンドの髪が広がり、ピンクダイヤモンドのイヤリングがキラリと光った。

 きちんと肌身離さず、約束を守ってつけてくれていることが嬉しくてたまらない。


 そして遠征専属の医師に念のため見せたが、魔力が戻れば自然と起きるとの診断をもらった。ただ魔力は枯渇状態なので、完全回復には時間はかかるとのことだ。


 寝顔は可愛らしく、腕の中に収まってしまうほど華奢なのに、体を張って魔法式を解除した事実は逞しい。

 か弱い見た目と、格好いい行動のギャップが、ルカーシュの心をくすぐる。



(出会いも男顔負けの飲みっぷりに驚かされ、今回は誰よりも恰好良いとか、相変わらず目が離せない。きっかけは酒の勢いだが、ヴィエラの婚約者に収まれたことは本当に幸運だな)



 そう喜ぶ一方で、心配事も生まれる。



(この件で、ヴィエラは魔法局でさらに有名になるだろう。ドレッセル室長は大丈夫だろうが、果たして魔法局は予定通り彼女の退職を認めてくれるんだろうか。有能さを理由に、あの方が動かなければ良いが……杞憂で終わることを祈ろう。まずは、お疲れ様。改めてありがとう)



 王都へ帰還したあとの不安はあるが、まずは遠征を終えられることをヴィエラに感謝した。

 ルカーシュは褒めるようにヴィエラの頭を軽く撫でると、医者や休憩棟の使用人に任せ部屋を出る。


 エントランスに行けば結界課が戻ってきており、クレメントとゼンが魔法通信で王都の魔法局に報告をしているところだった。

 神獣騎士からは団長後継に指名している副隊長のジャクソンをルカーシュの代理として参加させており、騎士団総帥のジェラルドと並んで報告を見守っていた。

 ルカーシュはジャクソンの隣に立つ。


「待たせた。困ったことは?」

「いえ、神獣騎士に関することでは特にありません。魔物寄せの魔法式の件があるので、魔法局側には問題が山積みですが」

「だろうな。結界を無効化するだけでなく、魔物寄せの魔法式を重ね掛けするなど明らかに悪意がある。調査のため、現地滞在は延長か?」

「魔法局は王都にて直接報告を受けたいと希望しているようです。荷物をまとめて、明後日の朝にはここを発てと」

「人の疲れも知らずに」



 ヴィエラは倒れたばかりだ。早く帰りたい気持ちもあるが、ゆっくり彼女を休ませたい気持ちの方が強い。

 だが通信に割り込むわけにもいかず、苛立ちを逃すようにため息をついた。ヴィエラの状態がどのような場合でも彼女を抱えていけば問題ないと、自分を納得させる。


 そうして残りの報告は王都でする運びとなり、魔法通信は切られた。

 今夜は更新されたばかりの結界石と魔物の監視があるものの、ほとんどの者には休憩が言い渡された。



 後片付けをしながら迎えた夜、ルカーシュは寝る前にヴィエラの部屋を訪ねた。世話役の人間が着替えさせたのか、制服ではなくシャツ姿になっている。

 ベッドサイドに椅子をおき、ルカーシュはしばらくその寝顔を眺めた。

 良い夢を見ているのか、ときどきニヤニヤと笑みを浮かべる。



「ふっ、可愛いなぁ本当」



 思わず言葉に出してしまうくらいには、愛おしい。いくらでも見ていられそうだ。



「良かった……今日のことが君のトラウマになっていないようで。血は怖くなかったのか?」



 直接その手で殺していないとはいえ、魔物が絶命する瞬間に立ち会ったのだ。覚悟を持って挑んだ騎士でも、初日の夜は悪夢にうなされる場合も多い。

 ルカーシュだって、初めてのときは吐き気に悩まされたのだ。

 不思議に思っていると、疑問に答える人物が入室してきた。



「ヴィエラ先輩は貧乏だからという理由で、父親が狩ってきた動物を幼いころから解体してきた経験がありますからね。殺生にはある程度心構えができているからだと思いますよ」

「クレメントか。何しに来た」



 下世話な噂を立てられないよう扉を開けっぱなしだったが、勝手に入られるのは面白くない。



「リーダーが功労者の体調を気遣い、様子を見にくるのは当然では?」



 クレメントはいつもの爽やかそうな笑みを浮かべて、ルカーシュの隣に立った。

 真っ当なことを言っているが、相手はクレメントだ。ヴィエラの寝顔を見せたくない。

 ルカーシュが不満を隠さず睨むように見上げれば、クレメントは笑みを消した。



「ヴィエラ先輩のこと、本気なんですか?」

「何を今さら。当然だろう」

「でも、ルカーシュさんはヴィエラ先輩のこと駒って言っていたではありませんか」



 そんなことを言っていたな、と思い出したルカーシュは鼻で笑い飛ばした。



「それは、お前が再びヴィエラに怒りの矛先を向けないようにするための方便だ。手首の痣、本当に酷かったんだぞ」

「――っ、それは大変申し訳なく。では先ほどの独り言の方が本音ですか……」



 あの頃はまだ恋を自覚する前だったが、丁寧に説明する義理はない。



「分かったのなら、いい加減ヴィエラを諦めて欲しいんだが? 俺は誰にも譲る気はない」

「おふたりの様子を見るに、まだルカーシュさんの片思いですよね? ヴィエラ先輩が完全にルカーシュさんを好きになるまで、諦められそうにありませんね」

「お前……」

「だから僕はチャンスがあれば、遠慮なくヴィエラ先輩に近づくでしょう。嫌ならもっと頑張った方が良いですよ――僕以外の敵が増える前に」



 予想もしていなかった言葉に、ルカーシュはクレメントを見上げていた目を見開いた。忠告というより、まるで助言だ。



「はは、ルカーシュさんでもそんな顔することあるんですね」



 英雄の珍しい表情を引き出せたことに満足したのか、クレメントはいつもの笑みを浮かべた。



「僕は自分の部屋に戻ります。婚約しているとはいえ未婚なんですから、ルカーシュさんもあんまり先輩の部屋に長居しては駄目ですよ。世話役の人のことも考えてくださいね。では、お疲れ様です」



 そう姑のような台詞を残し、クレメントはあっさり退却していった。

 彼の背を見送っていたら、入れ替わるように世話人の女性が戻ってきた。手には洗濯物のバスケットが抱えられている。部屋に干すつもりなのだろう。

 おそらくヴィエラが着ていた物で、干すのは制服だけではない。


 ルカーシュは「良い夢を」とヴィエラに告げてから部屋を出ていった。

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