第37話「才能③」
大地に両膝をつき、石の下部に書かれている魔物寄せの魔法式の最後から攻めていく。不安定な状況に持ち込み、石から剥がすようにぐっと魔力を込めた。
「――っ」
予想通り、結界石に残っている魔力が多いため簡単には魔法式に干渉できない。
ヴィエラはさらに魔力を込めた。ぐらりと魔法式が揺れ、干渉に成功した手ごたえを感じる。押し込むように魔力を流し、掌握していく。
そして魔物寄せの魔法式を解除するため、分解するための魔力を込めながら浮かび上がった文字をなぞり始めた。
サラリと、魔法式が消え始めた。
(いける。ただ、魔力の消耗が想像以上に激しい……っ、周囲から魔道具を排除してもらって正解だったわ。あとは私の魔力の残量と、効率次第!)
魔法式への集中をさらに高める。魔物寄せに流れる魔力を見極めながら、必要最低限の力で解除する。
文字を浮かせ、魔法式を乗っ取り、必死にペンを動かし、また解除――先ほどまで聞こえていたグリフォンの鳴き声や戦闘の音は、もうヴィエラの耳には入ってこない。
逃げる備えは不要。ルカーシュが、神獣騎士が必ず守ってくれると信じ、結界石にのみ意識を集約した。
まもなく魔物寄せと結界の魔法式が混ざりあった箇所に入る。ここまで解除したのは魔物寄せの魔法式を『安定』させるための補助式の部分。
本当に魔物寄せの効果を消すにはここからが勝負だ。
(結界と魔物寄せの魔法式を片方ずつ分析しながらゆっくり消すのが一般的だけれど、このペースの魔力消費のまま進め、時間がかかれば魔力が足りなくなりそう。あとが大変だけれど、やるしかないわね)
そしてヴィエラは頭に供給する魔力を倍にして、結界と魔物寄せのふたつの式を同時に消し始めた。
ズキンと、頭に痛みが走る。次第にオーバーヒートしかけていることを自覚するほど、熱さを感じ始めた。
魔法式をなぞるペンの動きも加速した分、結界石から光になって風に流れる輝きが増す。
(あと少し……っ)
頭が限界を訴えるように、魔力を拒絶し始めるのを感じる。
けれど頭痛と目眩を耐えるように、ヴィエラは作業を強行する。ゆっくり上を目指すように徐々に膝を伸ばし、腕を上げ、つま先で立つ。
そして魔法解除を始めてから十五分――結界石に浮かぶ魔法式の文字は消え去った。
「解除完了です!」
ヴィエラは大声で叫んだ。そして体がぐらりと後ろに傾く。
彼女の体は、護衛にあたっていた王宮騎士が受け止めた。挟み込まれるように脇の下と膝の下を抱えられ、結界石から後退するように運ばれる。
入れ替わるように、クレメントたち結界課が結界石に向かって坂を駆け上がる。見送る彼らの横顔は使命感に満ちており、とても頼もしい。
先頭組は結界石より前に出ると、再び結界課の皆を守るように臨時の結界装置を起動させた。
魔物寄せの効力が消えたため、スキアマウスが正気を取り戻し、戸惑いを見せた。
その隙を逃さず、ルカーシュの指揮に従ってグリフォンは横に並ぶよう列を作り、スキアマウスの集団を囲うように森へと追い立て始めた。
結界石と神獣騎士たちの距離が広がっていく。
四人の結界課の班員が、自動起動のエネルギーとなる魔力を結界石に注ぎ込む。そしてクレメントが見たこともない速さで結界の魔法式を構築し、石碑に刻んでいった。
王宮騎士に抱えられたヴィエラのところにも、小刻みに震える波動が届く。結界石が正しく機能し始めたのだ。
クレメントの杖が下ろされる。
「結界石の更新は完了した! 魔物の動きの報告を!」
そう彼が叫ぶと、伝令役の神獣騎士がグリフォンの集団から上空にやってきて返答する。
「魔物が森の奥へと逃げていくのを確認。襲撃の危険性はなし! 神獣騎士も撤退行動にいつでも移れるとのこと!」
「では念のため結界課二名、神獣騎士二名を監視として一晩この場に残り、他は退却。ヘリング卿にもそう伝えよ」
「了解!」
伝令役が再び神獣騎士が集まる場所へ戻っていく。そうして結界課は速やかに退却へと行動を移し始めた。
無事に終わったのだと、ヴィエラは霞む視界でその光景を眺めながら肩の力を抜いた。
そこへ、指示がひと段落したクレメントが駆け寄ってくる。
「ヴィエラ先輩、本当にありがとうございます」
「えへへ、できると大口叩いた割にはギリギリでしたけどね。魔力が枯渇して、ちょっと動けません。どうしたら良いでしょうか?」
往路のように、自分ひとりでは馬に乗って移動することはできなさそうだ。
誰かの力を借りるため、リーダーであるクレメントに相談する。
「座ることはできますか? できるなら僕の馬で相乗りし、ヴィエラ先輩を支えて山を下りますが」
「あぁ……座るのも無理そうです。魔力枯渇だけでなく、頭を使いすぎて体の動かし方も忘れてしまっている感じです」
足も腕も多少は動かせるが力が入らず、踏ん張りがきかない。揺れに耐えきれず落馬する未来が見える。
そこで、王宮騎士が緊急時に用意している担架にヴィエラを乗せ、歩いて移動すると提案してくれる。
苦労を掛けてしまうと、申し訳なく思っているとルカーシュを乗せたアルベルティナが駆け付けた。
「俺がアルベルティナに乗せて、ヴィエラを運ぼう」
「ルカーシュさん? 馬でも危ないのに、グリフォンの背に乗せて飛ぶつもりですか?」
「クレメント、俺を誰だと思っている。小柄な女性ぐらい難なく支えられるし、ティナもそれを望んでいる」
ルカーシュは相棒の背から飛び降り、片膝をついてヴィエラの顔を覗き込んだ。
少しだけ細められたブルーグレーの瞳は不安げで、彼が案じてくれていることが分かる。
大切に思ってくれていることが伝わり、彼女の心は温かくなる。
「ルカ様……」
「よく頑張った。疲れているなら、寝れば良い。俺がきちんと抱えていくから」
彼はそう言ってくれるが、今はアルベルティナを自分で跨げる力も残されていない。寝るなんて、さらに危険だ。
「無理ではありませんか?」
「いや、こうすれば良いだけだ」
「――え?」
ルカーシュは制服のジャケットを脱ぎ、クレメントに押し付けるとヴィエラに覆いかぶさった。
端正な顔が近づき、ヴィエラの心臓はドキンと強く脈打つ。
彼女が動揺していると彼は右腕を背中に、左腕を膝裏に回した。そして力を込めて抱き締めると、重さを感じていないかのように上体を起こしてひょいと持ち上げる。彼女が軽く浮いている間にギリギリお尻に触れない位置ーー太ももを抱えるように彼の逞しい腕が回され、ヴィエラの全体重を支えた。
彼が立ち上がれば、親が子どもを抱っこするスタイルになっていた。
「クレメント、ヴィエラを下から支えるように、俺と彼女をジャケットで結べ」
「――っ、分かりました」
そうして不服そうな表情を隠していないクレメントがルカーシュの後ろに回り、ふたりを制服の袖で結んだ。まるで赤子の簡易抱っこ紐だ。
「これなら大丈夫そうだろ?」
恥ずかしい。
赤子扱いなのも、ルカーシュと密着しているのも、耳元でやたらと良い声が響くのも。
けれど懐かしさも感じ、疲れ切っていたヴィエラの体は安らぎを求めて抱っこを受け入れる。もっと安定した姿勢を探すように腕はルカーシュの首に回し、甘えるように頭を彼の肩に完全に預けた。
信頼できる人の腕の中は、守られているという安心感を与えてくれた。
「ごめんなさい……本当に寝ちゃいそうです」
「かまわない。おやすみ、ヴィエラ」
「……はい、おやすみなさい」
引っ張られるように意識が眠りの世界へ向かっていく。ルカーシュの三つ編みの先に結ばれたリボンが、ぼんやりとヴィエラの視界に入った。
(そういえば、ずっとつけてくれていたんだ……嬉しいなぁ)
こうしてヴィエラは顔を緩ませながら、夢の世界に意識を沈ませた。
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