第39話「帰還②」


 ヴィエラが目を覚ましたのは、翌日の昼過ぎだった。若干の体の怠さと頭痛を感じるが、空腹の方が深刻だ。

 世話役に軽食を頼み、ベッドに腰掛けながら到着を待ちわびる。

 扉がノックされた瞬間、「どうぞ!」と元気よく返事をした。


 するとやってきたのは、遠征隊のリーダーを務めるクレメントだった。

 軽食でないことに、ヴィエラはガクッと肩を落とした。



「ヴィエラ先輩……あからさまに残念がられると、さすがに悲しいんですが」

「すみません! ご飯を頼んでいたからそれかと思って」



 同意するように、ヴィエラのお腹から空腹を知らせる音が鳴る。自分が女の子らしいタイプではないと自覚していても、さすがに恥ずかしい。

 彼女は慌ててお腹を押さえて、真っ赤な顔を俯かせた。

 クレメントが肩を揺らして笑った。



「はは、そのようですね。もうすぐ来ると思いますよ。待っている間、今後について軽く説明をしますね」

「お願いします」



 そうして、結界石が順調に作動していることと、翌朝出発することを教えてもらった。すべての任務を終えたため、帰路は神獣騎士と結界課は別行動。

 ヴィエラは神獣騎士とともに帰還となるらしい。

 彼女は、遠征慣れしていない技術課の魔法使い。馬に乗って五、六日かけて移動するより、グリフォンの背に乗って二日間で帰る方が負担にならないと判断したとのことだ。



「ということで、ヴィエラ先輩はルカーシュさんに抱えられて帰還となります」



 頭痛と空腹で思考が鈍り忘れていたが、婚約者の名前を聞いてドキリとした。

 蘇るのは、気を失う直前にルカーシュに抱っこされ、思わず甘えてしまった記憶。


 お守りとして贈った縹色のリボン、良質な声と優しい言葉、太ももに触れていた逞しい腕、近づく端正な顔、覆いかぶさってきたときの光景――と記憶を遡った頭は熱を溜めこみ、機能をそこで停止させた。



(なんで私、担架を選択しなかったの!? ってかルカ様も疲れているはずなのに、わざわざさらに疲れるようなことを、なぜ!?)



 理由を考えようとしたのをきっかけに、『ルカーシュにキスをして本音を探る賭け』まで思い出し、ヴィエラは頭を抱えた。

 今ルカーシュと顔を会わせて、いつも通りにいられる自信がない。



「ヴィエラ先輩、心の負担は魔力や体の回復を遅らせます。希望するのであれば、僕たち結界課と帰還となるように調整することも可能ですよ? 馬にひとりで乗ることが辛ければ誰かと相乗りでもいいですし、荷馬車に座るスペースを開けることも可能です。それとも次の町で馬車を借りましょうか?」



 クレメントが柔らかい笑みを浮かべて、魅力的な提案をしてくれた。

 神獣騎士と別行動をしている間に、色々と整理できるかもしれない。何をどう整理すれば分からないが、時間稼ぎができれば……と疲れた思考は逃げへと傾いていく。


 思わずクレメントの手を取ろうとした時、扉がノックされた。

 クレメントが「惜しい、気付かれましたか」と小さく呟いて苦笑した。何か失敗したらしい。

 気になるが、訪問者を待たせては失礼だ。ヴィエラが返事をすれば、小さなバスケットを持ったルカーシュが現れた。



「ルカ様!」

「ヴィエラ、体調は?」

「お、おお、お腹が空いてるくらいで、だ、大丈夫です!」



 ルカーシュが眩しく見えて、目が潰れそうとは言えない。フォローするように、再びお腹から大きな音が鳴る。

 こんなフォローは望んでない。クレメントに聞かれたとき以上に恥ずかしい。ヴィエラはお腹を押さえて、再び赤い顔を俯かせた。



「こんなに腹を空かせていたとは。ほら」



 ルカーシュは笑うことなく、ヴィエラを気遣った。優しさが染みる。

 そしてヴィエラの視界に入るよう、下から小さなバスケットが差し出された。かけられていたナプキンを外せば、スコーンや果物が入っていた。ジュースの小瓶もついている。



「どうしてルカ様が?」

「それがな……クレメント、軽食を運んできた世話役をわざわざ廊下に待機させるなんて、どういうつもりだ?」



 どうやら世話役から受け取ったらしい。

 ルカーシュの言うことが本当なら、クレメントが憎い。

 ヴィエラは空腹で仕方なかったのだ。頭に栄養が足りなかったせいで、ルカーシュについての思考のコントロールを失っていたのだと決めつけた。



「はは、ヴィエラ先輩まで睨まないでくださいよ。今後の行動計画についてしっかりと伝えるために、配慮をお願いしただけですよ。では僕はお邪魔な様なので失礼します。あ、帰還方法について変更希望があれば、夕刻の五時までにお願いしますね。僕は歓迎しますよ」



 クレメントは悪びれる様子もなく部屋を退室していった。

 部屋にはヴィエラとルカーシュだけが残された。


 どことなく気まずい。そして顔も見れない。


 ヴィエラは「えへへ、いただきます」と自分でもよく分からない誤魔化しの笑いを零し、軽食を食べることにした。

 けれどルカーシュは誤魔化されてくれなかった。



「ヴィエラ、帰還の変更って……俺が抱えていくのは嫌か?」



 そう聞きながらルカーシュは、正面の椅子ではなく、ヴィエラと隣り合うようにベッドに腰掛けてきた。斜め上から、強い視線を感じる。

 抱えられるのは嫌ではない。

 どう心構えをすれば良いのか分からないのだ。



「疲れているルカ様に負担を掛けたくないと思いまして」

「負担なものか。君くらい運べない軟弱者なら、神獣騎士は名乗れない」

「私は魔法局の人間ですし、同じ魔法局の結界課と移動した方が」

「その魔法局からも許可が出ている。むしろ早めに戻ってもらい、問題の魔法式の解除の感想を聞きたいようだ」



 完全に逃げ道は塞がれていた。

 効果の薄い言い訳を並べたせいで、ルカーシュの追及の眼差しが強くなっただけだった。

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