第34話「異変④」※ルカーシュ視点


 臨時の結界装置は、結界石より効果が低い上に、魔法使いが付きっ切りで発動しなければならない。体力と魔力の消耗が大きく、長時間使用できるものではない。

 長引けば魔力枯渇によるリタイア者が出るだろう。

 彼らを守るために神獣騎士や王宮騎士も休めず、怪我人が出るリスクが高まってしまう。

 本当に緊急のときにしか用いることのない手段だ。


 伝令内容に一瞬だけ眉をひそめたものの、ルカーシュはすぐに冷静な表情に戻る。



「承知した。撤退行動に移ると返事を。殿しんがりは副団長ジャクソンに任せる」

「はっ」

「神獣騎士は魔物を境界線から森へと押し込め! 結界装置の設置場所を確保せよ! 王宮騎士は結界課の護衛に専念だ」



 ルカーシュの指揮に従い騎士たちはグリフォンの隊列を変え、守りから攻撃へと転じ、スキアマウスを森の中へと追い立てる。

 結界課の魔法使いによって結界装置が発動すれば、スキアマウスは境界内への突撃を止めた。


 しかし、森の中に逃げ帰ることなく、再び侵入する機会を窺うように佇んでいる。

 監視のために神獣騎士を数名残し、ルカーシュは領館へと一時撤退した。そしてクレメントから報告された内容は、思った以上に悪いものだった。



「結界石の魔法式が書き換えられていました。魔物寄せの式に、結界の魔法式とその保護魔法も混ざった状態で、解除担当でもお手上げ状態です」

「誰がそんなことを……いや、今は犯人よりも解決方法か。クレメントと一班の元班長だったゼン殿でも魔法式は解除できないのか?」

「僕もゼン殿も失敗しました。ふたりがかりで強制的に解除することも考えましたが、石の使用年数を考えると、石への負担が大きすぎて使いものにならなくなる可能性が高いです。交換用に石を運ぶには初期メンテナンスも含めて最短でも王都から二週間、普通なら三週間。その間ずっと結界装置を発動し続けなければなりません」

「魔物寄せの効果が切れても、結界は維持しなければいけない、か。人員も物資も何もかも足りないな。だからといって、早期に動かなければ今後も消耗し続けるだけ。何か方法があれば良いが」



 ルカーシュは遠征歴八年と長いが、今回は初めての事例だ。

 石の交換もいつもなら現役の結界石を発動させた状態で隣に新しい結界石を置いて魔法式を書きこむという、安全が確保された状態で行なわれる。


 重い石碑を運ぶには人員が必要で、すぐに逃げる態勢が取れない。魔物が近づきやすい状態で石碑の交換は非常に危険だ。

 神獣騎士とグリフォンが強いとは言え、可能な限り危険は避けたい。


 ルカーシュとクレメントがため息をついていると、魔法局から派遣されたゼン元班長が重々しく口を開いた。



「開発課あるいは技術課の魔法使いに救援要請を出しましょう。もしかしたら、単独で解除できる魔法使いがいるかもしれません」



 その言葉に、クレメントが顔を強張らせた。

 ルカーシュは背筋に若干の寒気を感じながら、ゼンに問う。



「直接付与法ができる有能集団の結界課の人間でも無理なことを、どうして開発課と技術課ができると?」

「結界課の魔法使いは結界や自分が使う装備の修理など、『決まった魔法』しか取り扱いません。付与するのも、解除するのも、技能的には難易度が高い種類ばかりですが型が限定しているのです。一方で開発課と技術課はあらゆる魔法式を扱い、必要であれば解除作業も行います。今回のような初めて見るイレギュラーな魔法式には、その二つの課のほうが強いかと」

「ちなみにゼン殿の中での該当者は何名ほどいるのだろうか?」

「開発課から二名、技術課から一名でしょうか。本来はもう少しいますが、年齢的に厳しかったり、立場上王宮を離れるのが難しい者です。若い魔法使いから最も解除を得意とする者を、王宮にいる魔法局から送ってもらいましょう」



 解決の糸口が見つかったことは喜ぶべきことなのに、ルカーシュの気分は重いままだ。



(クレメントの反応を見る限り、技術課の一名はきっとヴィエラだ。結界課のエースと言われているクレメントが、教えを乞うほどの技術を彼女は持っている。できれば、開発課から選ばれてほしいところだが) 



 そう思うが、彼に指名する権限はない。領民や班員の安全を考えたら、私情を優先することもできない。

 選ばれた魔法使いは遠征に不慣れな上に、興奮した魔物に襲われるリスクがある。いつもより危険が伴う作業になるだろう。

 ルカーシュはヴィエラが選ばれないことを祈りながら、クレメントに告げる。



「ゼン殿の提案を進めよう。最短でできる解決策だ。成功すれば全体の負担も最低限で済む」


 

 クレメントも、提案が今できる最善だと分かっているため頷いた。



「では僕は魔法局と通信を繋いで、急ぎ選出することを要請します。その魔法使いでも解除できなかった場合は、魔物寄せを無効化することを優先し、結界の魔法式を強制解除し石碑ごと交換しましょう。魔法局には念のためその備えもするよう知らせておきます」

「選出された魔法使いは、留守番組の神獣騎士に運ばせることも伝えてくれ。馬より早いだろう」

「はい」



 その場でクレメントが魔法通信機を使い、魔法局に連絡する。状況を把握した魔法局は提案を受託。向こうからの連絡を待つことになった。

 そして一時間足らずで返事が来た。



《技術課に所属のヴィエラ・ユーベルト殿を現地に派遣することになりました》



 知らせの内容に、ルカーシュは静かに拳を握る。

 同じく予想していただろうクレメントも表面上は冷静な顔だが、奥歯を噛みしめているのが察せられた。


 ヴィエラ本人の承諾は得られ、あと数時間以内に王宮を出発するようだ。神獣グリフォンでの移動のため明後日の昼前には到着できるらしい。

 王宮にいる神獣騎士に注意事項をいくつか伝え、通信を切った。


 あとは結界装置を維持しながら残りの結界石の更新を終わらせつつ、ヴィエラを待つしかない。


 するとクレメントが「くそっ……」と小さく呟いた。テーブルに載せられた拳は固く握られ、小刻みに震えていた。

 ルカーシュはそれを冷めた目で見た。



(自分で魔法式を解除できなかったことが悔しいのか、それともヴィエラが選出されたことに憤っているのか。いや、両方か。自分の不甲斐なさでヴィエラを巻き込んだと思っているのだろうな。魔物の危険性に対して油断しないところは評価するが……) 


 クレメントは魔法使いとして優秀だが、やはりまだ若い。経験の浅さを感じる。

 短くため息をついたルカーシュは、リーダーの背中を強く叩いた。



「冷静を欠くな」

「なっ!? ルカーシュさんは、どうしてそんなに冷静なんですか。来るのは、あなたの婚約者ですよ? 大切じゃな――っ」



 ルカーシュの目を見たクレメントは言葉を詰まらせた。

 普段から冷たいブルーグレーの眼差しが、さらに鋭くなっていた。



「怪我人をひとりも出さずに遠征を成功させたければ、可能な限り感情を排除しろ。感情が乱れ判断が少しでも遅れたら、それこそ失うぞ。五年前の戦争ではそうだった。仲間が大切であればこそ、落ち着くんだ」



 隣国との戦争でルカーシュは功績をあげ、華やかな称号を得たが、影で失ったものも多い。

 もうあんな思いは懲り懲りだ。



「安全の確保は、新たな結界の魔法式の発動の早さにかかっている。ヴィエラが魔法式の解除に集中できるようフォローし、結界課の班員がすぐに新しい結界を発動できるよう尽力しろ。結界の付与は、お前の得意分野だろ?」

「ルカーシュさん……」

「魔物からは、俺たち神獣騎士が必ず守り通す。クレメントはいつも通り、皆の前では堂々と振舞い、冷静かつ迅速に判断を下せ。私情を挟みたいのは、お前だけじゃないんだ」



 最後に一言だけ、声を低くして本音を付け加える。

 けれどもルカーシュの表情は至っていつも通りの冷たさを保っていた。



 遠征に慣れないヴィエラの安全は、そばで行動するだろうクレメントや結界課のサポートにかかっている。自分が近くでフォローできない分、指揮するリーダーにはしっかりして欲しい。


 俺を見本にして、冷静を保て――と傲慢な態度でクレメントを睨みつけた。


 赤髪の青年は驚き目を丸くさせ、数秒後には神妙な顔をして頷いた。経験者の言葉には重みがあった。



「助言ありがとうございます。最善を尽くします。半刻後、残りの結界石の更新をするために出発します」

「承知した。俺は騎士たちと連携について打ち合わせしてくる」



 そう踵を返したルカーシュは宿泊棟の外に出た。

 遠目で、グリフォンが丘の中腹へと降りていくのが見える。結界石と比べたら効果で劣る結界装置を無視して、境界に近づく魔物がいるのだろう。



「必ず守る。ヴィエラも、他も全員――」



 髪を束ねるリボンに触れながら決意を口にし、アルベルティナや仲間のいる厩舎へと向かった。


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