第32話「異変②」


 ルカーシュは八歳でグリフォン――アルベルティナの親代わりになってから、世話をするため屋敷からあまり離れられなかった。

 夫人に連れられ、他家のお茶会に参加する機会もごくわずか。



 そしてアルベルティナが成長し、手がかからなくなったから学園に進学しようと考えていたタイミングで、隣国と緊張状態に突入。

 ルカーシュは異例の早さで、神獣騎士に入団せよという王命が下された。


 途中で長期休暇をとって短期で学園に通ったり、午前だけ学園に通う特例入学の案もあったようだが結局戦争が始まり、進学は諦めなければいけなくなった。


 戦争が早く終われば遅めの入学の機会が――とも考えていたようだが、神獣騎士の団長に任命されてしまったために、結局叶わない夢となったらしい。

 年齢的にも、立場的にも学生として自由に生きることは許されない。



「ルカは友人を作る機会がなく、自由に遊ぶ時間もなく、勉強する環境も得られずここまで来てしまったの。信頼できる仲間には恵まれたわ。あの子はそれを誇りに思っている……けれど、その者の前でも求められた英雄の姿で振舞うしかできないのよ。上司に守ってもらうどころか、年上の先輩騎士までも率いなければいけない立場になってしまった」



 酔いが回ってきているのか、夫人の頬がほんのり赤い。



「三兄弟で一番甘えたがりなのに、アンブロッシュ家は公爵位として、息子の気持ちより国の事情を優先したわ。そうしてルカは我儘も言わずずっと優等生を演じているんだもの、あの子が欲しいというものは可能な限り与えたいじゃない?」

「それが私……なのですか?」

「えぇ、もちろん初めは警戒したわ。でも杞憂だった。人付き合いが苦手で警戒心の強いルカが気に入った子なんですもの、当然よね。嬉しかったの……初対面でルカのどこが良いのか聞いたとき、ヴィエラさんはルカのこと可愛いと言ってくれた。あの子が素を出して甘えられる相手だと知って、とても嬉しかったの」

「ヘルミーナ様はルカ様のこと、本当に大切に思われているのですね」



 ふふと、ヘルミーナは笑みを零しグラスをテーブルに置くと、ヴィエラの片手を両手で包み込んだ。



「ヴィエラさんもでしょう? 遠征が始まってから元気がないわ」

「――っ」



 遠征隊を見送るのは初めてではないのに、こんなにも遠征のことが気になるのは初めてだった。

 きちんと寝られているのか、怪我はしていないか、食事は満足にとれているのか……ルカーシュのことが気になって仕方ない。


 心配になりすぎて気を紛らわせようとした結果、仕事に没頭しすぎて逆に暇な時間を作ってしまった。

 今も、何をしているか知りたいと思っている。



「ルカ様のことを信用していないわけじゃないのです。大丈夫だと分かっているのですが、無事かどうか、頑張りすぎていないか心配になります」

「そうね、分かるわ。だからルカが遠征から無事に帰ってきたら、いっぱい褒めて、甘やかしてあげてちょうだい」

「はい。でも、甘やかすってどうすればよいのでしょうか?」



 便利な魔道具、好きそうなお菓子、あるいは新しいリボンを追加で献上するべきなのか。

 ルカーシュが貰って喜びそうなものを聞いてみると、夫人は妖艶で楽しそうな笑みを浮かべた。



「ヴィエラさんから、キスひとつ贈ってあげなさい」

「――へ!? え!? キ、キス!?」



 予想もしてなかったアドバイスに、ヴィエラは目を見開いた。

 聞き間違いかと疑うが、夫人は目を据わらせしっかりと頷きキスを肯定した。


 普通の婚約者同士なら当然かもしれないけれど、ヴィエラとルカーシュは契約関係だ。彼女からキスするなんてこれまで想像していなかったし、彼がそれで喜ぶことも思えないのだが……。



「絶対に喜ぶと思うわ。だってルカったら、最初からヴィエラさんのこと大好きなのが隠しきれてないじゃない。明らかに特別扱いだもの」



 それは演技で――と言いそうになるが、なんとか呑み込む。

 はじめからヴィエラの演技を見抜いた、これだけ人の心理を読むことに長けている夫人が言い切ったのだ。簡単に否定できない。

 ふと、ある可能性にたどり着く。



(自分以外の異性との距離感を忠告したり、領地の家のリフォームにやたらと前向きだったり、周囲にやたらと牽制したりしているのは演技ではなく、ルカ様は私のこと異性として好きと思ってくれているから? 契約以上に? 演技ではなく、もし本心で動いていたとしたら――いつから? 最初は絶対に違うはずだけれど……嘘でしょう⁉)



 混乱を極めたヴィエラの全身は、発火したように熱くなる。頭からは湯気が出ているに違いない。

 恋愛婚約で通していたことも忘れて、「ルカ様がまさか、ありえませんよ」とルカーシュの気持ちまで改めて否定してしまう。

 夫人はクスリと余裕の笑みを浮かべ、ヴィエラに提案をひとつした。



「わたくしと勝負をしましょう。キスをしてみてルカが喜んだら、そう予想したわたくしの勝ち。もしルカが嫌がったら、わたくしの見当違いでヴィエラさんの勝ち。罰はルカの気持ちを読み間違えた方が、詫びとしてルカの願いをひとつ叶えることにしましょう。勝手にわたくしたちの勝負に巻き込まれたルカが可哀想だから、ルカに有益な罰にしましょうね」



 確かにルカーシュは巻き込まれている。その点に関してヴィエラが頷くと、夫人は「ルカの帰還が楽しみね。おやすみ」と言ってサロンルームから先に出て行ってしまった。


 ヴィエラはとりあえずアイスワインではなく、水を飲んだ。少しだけ、頭が冷える。



「どうしてこんなことに……えっと何をすればいいんだっけ?」



 先ほどは混乱し、よく分からないまま勝負を受けてしまった。落ち着いて、改めて勝負内容を思い返して唖然とする。



「え? 結局ルカ様にキスするの!? 私から!?」



 酔いが回っているのだと、これは勘違いなのだと願い、少し離れたところに控えている使用人に視線を投げかけた。

 だが使用人はニッコリと頷きを返した。


 つまり、キスは確定事項。

 ヴィエラの悲鳴がサロンルームから響いた。








「ルカ様が帰ってきたらどうしよう……」


 後日、魔法付与の最終点検をしていたヴィエラは、神獣騎士の装備を納品箱に収めていた手を止め、羞恥で悶える。


 お酒を飲んだ夜の翌朝、夫人に勝負の辞退を申し出たが即却下された。むしろアンブロッシュ公爵まで「勝負が楽しみだな」という始末。完全に逃げ道を失ってしまった。



「あと何日で帰ってくるのかしら」



 遠征からちょうど三週間経った。いつもなら結界を張り終えたという連絡が入り、遠征隊は数日かけて王都に戻ってくるのだが……技術課には、予想外の相談が舞い込んできた。


 倉庫で納品箱にラベルを貼っていたヴィエラのもとに、ドレッセル室長が息を切らしてやってきて彼女に告げたのだ。



「ヴィエラさん、急ぎで来て欲しいところがあるんです!」と。

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