第29話「甘え②」

 

 ルカーシュは神獣騎士の部下たちに何か一言伝えると、真っすぐヴィエラたちのいるテーブルに向かってきた。

 このときの彼はまさに『威厳ある英雄』そのもので、キリッと一切緩みのない冷たい表情を浮かべていた。


 先日、技術課で見たクールな姿以上に冷たい雰囲気を纏っている。

 整った英雄の容姿に見惚れる人も一部いるが、食堂にいるほとんどが畏怖を帯びた眼差しでルカーシュの動向を見守っている。



「ヴィエラが食堂なんて珍しいな。それに同僚の方はともかく、クレメントも同席しているとは」


 感情が込められていない、淡々とした口調だ。そしてちらっと厳しい視線をクレメントに送り、再び感情が読めないブルーグレーの瞳をヴィエラに向けた。

 あの弟っぽい、いつも爽やかな青年とは別人のようで、ドキリとしたヴィエラは無意識に目を逸らした。



「はい。同僚に誘われて、初めてここでランチをすることに。クレメント様とは本当に偶然で、相席を願われてそれで……」



 悪いことは一切していないはずなのに、言い訳のような返事が口から出てしまう。クレメントと一緒に食事をしていることを、なぜか申し訳なくなったのだ。



「初めてか。何を食べていたんだ? 味は?」

「Aセットです。お肉が柔らかくて、とても美味しいです」

「今度俺も頼んでみようかな」



 ルカーシュの声がわずかに柔らかくなった。そっと見上げれば眼差しも少し和らいだものになっている。それでも、いつもよりは冷たいものだが……。



「ルカ様もここで食事をしますか?」



 このテーブルは、あと一席空いている。クレメントと同席させるのは怖いが、婚約者を優先するのが当然だろう。

 同僚ロゼッタは小さく同意の頷きを返しているが、ルカーシュは軽く首を横に振った。



「残念だが食事だけ受け取って、このあと別室で神獣騎士の仲間と昼食を摂りながら打ち合わせすることにしたんだ」

「打ち合わせ……前倒しの遠征ですか?」

「もうヴィエラの耳に入っていたか。ま、情報源はお隣さんってところか」



 そうしてルカーシュはクレメントを見下ろした。

 クレメントは冷たい視線を気にすることなく見返す。



「ルカーシュさん、いつ出発することになったんですか?」

「ちょうど二週間後だ。あとから結界課の室長からも話があると思うが、今回の遠征は結界課一班ではなく、結界課二班――クレメントが遠征のリーダーに任命されることになった」

「――は? どうして……」



 クレメントは目を大きく見開いた。

 彼が驚くのも当然だ。大規模の遠征は、いつもベテランの結界課一班が担当する。他の班が任されることがあっても、リーダー歴が長い班長のグループが選ばれることが通例。


 クレメントは今の地位になってまだ二年も経っていない、班長の中でも一番の若手。魔法の実力はあっても、集団を率いる経験はとても浅い。



「詳しい理由は室長から説明があるだろう。魔法局の上層部からご指名だ。さっさと食べ終え、結界課の事務所に戻ることをおすすめしておく。ということで俺は騎士側をまとめる遠征の副リーダーとしてクレメント班長の補佐に入る。よろしく」



 ルカーシュがクレメントに手のひらを向けた。



「はは……ルカーシュさんが補佐とか、今回の遠征はどうなっているんですか。とにかく任命されたのであれば、責任を持って務めるだけ……か。未熟な点もあるかと思いますが、どうかご助力願います」



 クレメントは席から立ち上がり、ルカーシュと握手を交わした。

 食堂はエリートふたりの結託した関係を見た人たちの高揚感に包まれる。



(仕事ではきちんと信頼し、尊重し合う仲。なのにどうして、他の場面では険悪ムードなのかしら)



 ヴィエラが不思議に思っていると、クレメントと手を解いたルカーシュが、握手していなかった方の手を彼女の耳元に伸ばした。指先で転がすように、イヤリングを揺らす。

 耳に触れられるかも、と思って構えたヴィエラは、恥ずかしくなってわずかに頬を染めた。



「ちゃんと着けているな」

「もちろんです」

「しかし、虫を払うにはまだ力不足のようだ」

「虫ですか?」



 懸念していたような、嫉妬で絡んでくる令嬢は現れていない。十分に虫よけの効果は発揮されているように思う。

 それにピンクダイヤモンドで力不足なんて罰当たりなことも思えず、ヴィエラはルカーシュの言葉の意味が分からなくて、きょとんとした表情を浮かべて彼を見上げた。


 するとルカーシュはじっとヴィエラを見下ろし、イヤリングに触れていない方の手を椅子の背もたれに添えて体重をかけた。腰を曲げ、ヴィエラの耳に顔を寄せる。

 彼女の耳には、何も触れていない。強いて言えば、婚約者の軽い吐息が触れた。


 しかし周囲には、あまりの近さから耳あるいはイヤリングに唇を寄せているように見えるのだろう。

 ざわっと食堂には動揺が走る。

 ヴィエラの視界には、ルカーシュ越しに唖然とするクレメントの顔も見えた。



「ル、ルカ様……!?」



 大勢の人がいる前で何をしているんですか――と文句を言いたくても、一瞬にして熱せられた頭では、彼の名前を発するので精一杯だ。

 相思相愛の演技が必要なのは共通の認識ではあったが、行き過ぎだ。



 端正な顔が本当に触れてしまいそうなほど近くに寄せられてしまったら、さすがの鈍感令嬢ヴィエラでも意識してしまう。

 数秒もせずルカーシュの顔が離れるが、彼は涼しい表情のままだ。いや、若干機嫌が上向きになったように見える。



「これで虫にも忠告が伝わるだろう。とりあえず偶然でも君に会えて良かった。午後からも頑張れそうだ」

「は……はぁ、それは良かったです」

「食事の邪魔をしたな。では失礼」



 そうしてルカーシュはパッと踵を返し、部下を引き連れて食堂から去っていった。


 ヴィエラは半ば放心状態で、もう彼の姿が見えない出入口を眺める。心臓は高鳴ったように鼓動を速め、胸は締め付けられたように痛み、なんだか呼吸が苦しい。


 するとカチャン、と食器の音が耳に届く。

 いつのまにかクレメントが食事を再開させていた。アドバイス通り、すぐに結界課の事務所に戻るつもりなのだろう。噛んでいるかどうか分からない速さで食事を口に運び、あっという間に食べ切った。


 遠征のリーダーに大抜擢されるという名誉なことが分かった直後なのに、ナプキンで口元を整える彼の表情はとても固い。緊張している、という感じでもない。



「クレメント様、具合でも悪いのですか?」

「色々と衝撃が強くて頭が痛いなと。本当に痛いわけではないので、大丈夫ですよ」



 クレメントはパッと表情を明るくさせたが、無理をしているような笑みだ。これ以上踏み込んで来ないで欲しいと、一線引かれたのが分かった。

 だからヴィエラも気付いていないふりをして、明るい笑みを浮かべる。



「遠征成功のためにも必要な魔道具があったら、以前のように遠慮なく注文してくださいね。技術課として、しっかり支援します」

「ヴィエラ先輩の魔道具は一級品ですからね。頼りにしています。では僕もお先に失礼しますね。ロゼッタさんも、ランチご一緒出来て良かったです」



 クレメントは、周囲の女性が「わぁ♡」とため息を漏らすほどの笑みを浮かべてから、食堂をあとにした。



「大丈夫でしょうか……」



 心配な気持ちのままヴィエラが呟くと、ロゼッタが深いため息を吐いた。



「クレメント班長のこと気にかけている場合じゃないわよ。あなたはヘリング卿のことに目を向けた方が良いわ……本当、ヴィエラさんったら、やっぱりタラシ名人ね」

「なんですか、その異名」

「技術課の人間のみならず、どんどん大物を味方につけていくんだから……とにかく先日の技術課で見たあれは幻ではなかったようね。あの他人に無関心で冷徹と評されるヘリング卿が、ねぇ。すでに婚約して安泰のはずなのに全方位に睨みを利かすなんて、すごい独占欲じゃない」

「ど、独占欲……っ」



 再びヴィエラの顔に熱が集まり、「あら、満更でもなさそうな顔ね」とロゼッタに揶揄われてしまった。

 それに反論できないくらいには、たとえ演技だとしても悪くないかも……とヴィエラは思ってしまったのだ。


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