第28話「甘え①」
ルカーシュに言われた通り、ヴィエラはピンクダイヤモンドのイヤリングを着けるようになった。
最初の数日は耳から落ちていないか、気になり何度も触れて確かめた。
その動きが、イヤリングを貰って浮かれている仕草に見えたらしい。技術課の同僚から向けられる視線が生暖かくて仕方なかった。
「ねぇ、今日は王宮の中央食堂でランチしない?」
この日、魔道具に使われる部品工場の視察に行ったヴィエラは、一緒に出かけていた同僚の女性ロゼッタに食事に誘われた。
いつもならノルマに追われ、王宮の売店で軽食の持ち帰りで済ましていたが、ルカーシュと婚約して以降そこまで忙しくない。
王宮の中にいくつかある食堂でも、ランクの高い中央食堂でランチをしたことのなかったヴィエラは、惹かれるまま誘いに乗った。
「まるで高級レストラン……しかも、こんな低価格……」
食堂には円卓が等間隔で並んでいた。テーブルクロスは真っ白で、皺もない。そしてカウンターで所属カードを見せて注文をすれば、席までウェイターが料理を運んでくるスタイルだ。
なお、会計は給与天引き方式らしい。
ヴィエラが選んだのは、もちろん一番安いメニューだ。それでもテイクアウトの軽食の二倍の値段はする。
だが、運ばれてきた食事内容を見れば破格の安さに見えた。大振りの肉が入ったブラウンシチューに、オシャレなサラダ、焼き立てのクロワッサンに果物やムースもついている。
ヴィエラはそっとシチューを口に運んで、コスパの良さに感激した。
「お、美味しいっ。大きくてワイルドな見た目なのに、トロリと優しくお肉が溶けました。公爵邸以外でも口にできるなんて……っ」
「でしょう? ヴィエラさんいつもお金を節約している様子だったから誘えなかったけれど、退職する前に食べるべきだと思って」
「誘ってくれてありがとうございます! あと数回は通いたいです」
アンブロッシュ公爵邸に引越したため、来月からは家賃が浮く計算だ。倹約のために毎日は無理でも、月に一度くらいは許されるだろう。
同僚と食事を楽しみながら、マナー違反にならない程度に周囲に目を向ける。先ほどから視線を感じて仕方ないのだ。
案の定、さっと数組は顔を背けた。
(ルカ様の婚約者だと値踏みしているって感じの人たちね。でも意外だわ。もっと嫉妬や不服の視線を向けられるものかと思っていたけれど、視線はどれも探るようなものばかり。害はなさそう。これもイヤリングのお陰なのかしら)
耳で揺れる重々しい石に感謝しながら、食事をすすめる。
「ヴィエラ先輩、ロゼッタさん、相席よろしいですか?」
食事を半分食べたところで、クレメントが声をかけてきた。他にも席が空いているが、同僚ロゼッタが頷いたのでヴィエラもクレメントを受け入れる。
彼は「ありがとうございます」と言ってふたりの間に腰を下ろした。
「ヴィエラ先輩が中央食堂にくるなんて珍しいですね」
「ロゼッタさんが誘ってくれたんです。美味しくて驚きました。お肉が柔らかいんです!」
「僕も同じ物を頼んだのですが、楽しみですね」
そしてすぐに運ばれてきたメニューはヴィエラの倍の量はあった。追加料金で大盛りにしたらしい。
「クレメント様、全部食べるんですか?」
「今日の午前の訓練は魔法ではなく、体を鍛えるものだったのでお腹がペコペコなんですよ。午後からも続きがあるので、しっかり栄養を補給しないと持ちません」
「相変わらず過酷なトレーニングをしているんですね」
「結界課は魔法だけでなく、結界を張るためにどんな悪条件の場所にも足を運ばなければなりませんからね。怪我をしないためにも抜かりなく整えないと」
そう言いながらクレメントはどんどん胃に大量のシチューを収めていく。早いペースで食べているのに上品に見えるあたり、育ちの良さが分かる。
(そういえば、ルカ様もたくさん食べるけれど綺麗な所作よね)
ヴィエラはふと未来の契約婿のことを思い出し、耳に揺れるイヤリングを指先で触れた。
するとクレメントが食事の手を止め、少しだけ体を寄せてイヤリングを見つめた。
「普段アクセサリーを着けない先輩が、そのイヤリングだけは最近つけていますよね。この石……ん? もしかして本物ですか? しかもピンクダイヤモンド?」
「よく分かりましたね。ルカ様がくれたんです」
クレメントの目利きに感心しながらヴィエラが応えると、彼は不機嫌な表情を浮かべた。
正面に座る同僚ロゼッタはルカーシュから贈られたものだと察していたはずなのに、白目をむいて驚いてる。もっと安価な桃色の宝石だと思っていたらしい。
「あのルカーシュさんが、こんな可愛らしいものを? 身内の令嬢大好きなアンブロッシュ夫人が選んだんですよね?」
信じられないのか、クレメントは疑いの目を向ける。
「いえ。たくさんある中から、ルカ様が直接選んでくれたんです」
「それで婚約者の義務で贈られたものを律儀に毎日着けているんですか? ヴィエラ先輩はこういう高価な物、苦手でしょう?」
「うーん、苦手というか慣れないというか……それに義務というより、ルカ様から毎日着けて欲しいってお願いされたら、ね? そのために仕事に邪魔にならないイヤリングにしてもらって――クレメント様?」
よほど信じられないのか、クレメントはヴィエラに寄せていた体を離して、顔を引きつらせていた。
そしてむっと、険しい表情を浮かべた。
(なんで不服そうなの? 貧乏な私にはやっぱり不相応なもので、宝石が勿体ないとか思っているのかな? 確かに私の耳に着けるより、素材として使ってあげた方が良いのかもしれないのは分かる。どれだけ魔力と相性が良いのか試したい気持ちは私にもあるし!)
魔法使いの本能がうずくが、もちろん勝手に素材として使う気はない。
(でもクレメント様ほどの家になると、個人的にピンクダイヤモンドが買えるのでは? 神獣騎士ほどではなくても、結界課の給与は技術課よりもずっと良いし、お金はありそうだけれど)
するとクレメントは短いため息に混ぜて小さな呟きを零した。
「まさか本気に?」
「ん? 今、なんて……?」
「いえ。それよりヴィエラ先輩、実は予定の一か月前倒しで、来月遠征があるという噂を耳にしました。今魔法局の上層部で会議を行っており、ルカーシュさんも急遽呼ばれたみたいです」
毎年恒例の、東の地方に設置している石碑の結界を張り替える遠征が再来月に計画されていた。
東の地方は魔物が多い森に面しており、結界石の数がどこよりも多い。普通は二年更新の結界石も、あえて毎年更新して効力が落ちないようにしていた。
その上、結界石は山や丘の中腹に設置されている場所が多く、そこまで行くのも大変だ。山の上り下りを繰り返し、時には野営をしながら結界を張っていく。
神獣騎士と王宮騎士、結界課が組んで行く、一年で一番大きな規模の遠征だろう。
ルカーシュが「結婚すればもう行かずに済む」と喜んでいた、あの厳しい遠征。
結婚の延期とともに引退が先延ばしになり、遠征も前倒しとなって、結局行くことになってしまったため可哀想に思う。
するとピンクダイヤモンドで意識を飛ばしていたロゼッタが会話に加わった。
「なら交換装備の納品も前倒しになりそうね。ヴィエラさんが退職する前で良かったわ」
「……は、ははは」
ルカーシュに同情している場合ではなかった。
普段はあまり交換しない神獣騎士の装備も、毎年この遠征後に総入れ替えするからだ。点数はそれほど多くないが、魔法式が難しくできる人が少ない。
ヴィエラも過酷な作業日程に巻き込まれることを知り、苦笑する。
一方で渋い表情をしていたクレメントは表情を明るくした。
「そうだ。遠征期間中、珍しい神獣騎士の装備の魔法付与をするなら見学しに行って良いですか? きっといつも通りなら僕は留守番組で、時間に余裕があるので勉強したいのですが。もちろん見返りは用意しますよ」
そう言ってクレメントは、自分の皿からヴィエラの皿に苺をひとつ移した。彼女の一番好きな果物だ。
仕事の邪魔にならず、勉強熱心な後輩の勉強になるのなら……そう思って承諾の返事をしようとしたとき、食堂の空気がピリッと変わった。
ハッとして皆と同じ方を向くと、ルカーシュを先頭に神獣騎士数名が食堂に現れたのだった。
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