第27話「外堀⑥」 ※クレメント視点
名門貴族が集まる王都の一角には、クレメントの生家・バルテル侯爵家の屋敷もあった。
祖母は元王女ということもあり、バルテル家の直系は他家よりも血筋が重要視されている。
特に跡継ぎであるクレメントの妻を選ぶとなると、より審査の目は厳しくなるわけで――
「残念だが……ユーベルト子爵家の令嬢、ヴィエラ嬢のことは諦めた方が良さそうだ」
現当主バルテル侯爵は息子クレメントを執務室に呼び出し、そう告げた。
質の良いソファに腰掛けているクレメントは膝の上に載せている拳に力を込めた。
「父上、お祖母様がそう決断されたのですか? やはりヴィエラ嬢の血は侯爵位には釣り合わないと」
「いや、先日母上はヴィエラ殿を認めたよ。ヴィエラ嬢には魔法使いの才能があり、身分差を無視できるほどの優秀な血を持っているとね……でもきっかけはアンブロッシュ公爵が彼女を認めたからだ。しかも英雄の三男自ら見初めた。あの親子が受け入れるほどの令嬢だったなんて――とため息をついていた」
「そんな」
「諦めた方が良いというのは私の判断だ。アンブロッシュ家は敵に回したくない。クレメントが諦めれば、母上の関心も薄れるだろう」
聞かされた祖母の態度に、クレメントの苛立ちが刺激される。
(何年も前からヴィエラ先輩には才能があると僕から伝えていたのに信じず、他家の評価を信じた上に後悔してるだって!? くそっ)
怒りで机に拳を叩き下ろしたい衝動を耐えるように、手を小刻みに震わせる。
(駄目だ。一度冷静になろう)
クレメントは「頭を冷やしてきます」と父に断りを入れ、退室した。夜風にあたるため、庭園を目指して廊下を大股で突き進む。
(ずっと……ずっとヴィエラ先輩が欲しいと願っていたのに……っ)
彼がヴィエラに惹かれ始めたのは、学生時代のとき。十五歳で魔法学校に首席で入学し、侯爵家の跡継ぎとあって彼は持て囃されていた。鼻は自然と高くなるが実力もあったので誰も指摘しない。
そうして大きな態度で過ごして一年、二年生に進級して入ったゼミで高く伸びた鼻はへし折られた。
「すごい後輩が入ってきたと噂を聞いて心配していたけれど、先輩面できそうで安心したわ」
クレメントが達成できなかった魔法付与の課題を、軽々と手本を見せつけたのがヴィエラ・ユーベルトだった。
基本に忠実な乱れのない魔力抽出に、きっちりと整列した魔法式は、クレメントが理想としている美しい魔法そのものだった。ゼミの担当教師が手本に自分ではなく、ヴィエラを指名したのも納得だ。
自信に満ちていて、けれども少し照れ臭そうに胸を張る小柄な姿も可愛らしく魅力的で――
「クレメント様はバルテル侯爵家の跡継ぎなんですよ。学年が上であっても失礼では?」
「えぇ!? 侯爵家!?」
クレメントの取り巻きに指摘され、ヴィエラは彼を格上の令息だと初めて知った様子だった。
途端に彼女は媚びるのではなく、「じゃあ関わるのはやめよう」と言った様子で苦笑いを浮かべて自分の机に戻ろうとした。
「ヴィエラ先輩、僕に魔法のコツを教えてくれませんか!?」
気が付けばそう声をかけ、ヴィエラを引き留めていた。
「私が? バルテル家のお坊ちゃま相手なら先生たちも個別指導してくれるんじゃないでしょうか?」
ゼミの先生は王宮魔法使いと兼任している人も多く、とても忙しい。ゼミで少人数制の合同指導はやっているが、個別指導はごく稀だ。
クレメントが入ったゼミの先生も該当し、ヴィエラが視線を向けるが首を横に振っている。
「個別指導には、今のクレメント君のレベルでは足りません。ヴィエラさん、私の代わりに勉強熱心な彼の基礎指導をお願いできますか?」
「え……私、たったひとつ上の学生の身で、他にも先輩が……」
「学年関係なく、ゼミで一番の実力者はヴィエラさんですからね。先ほども先輩面していたではありませんか、ふふふ、期待していますよ。では私は結界課の仕事があるので失礼」
「えぇぇぇぇえ!? 浮かれて先輩面したり、調子に乗ってごめんなさい! だから先生――」
先生の背に延ばされたヴィエラの手を、すかさずクレメントは握った。
「ヴィエラ先輩、ご指導のほどよろしくお願いしますね」
過去最高の明るい笑みを浮かべて要求を通せば、ヴィエラは肩を落として頷いた。
それから始まった放課後のレッスンは、とても充実した時間になった。距離を取ろうとしていた割にヴィエラは、真面目にクレメントに魔法のコツ――特に魔力の制御について熱心に教えてくれた。
普段は一線引いた態度だけれど、指導中はぐっと距離が近くなり、苦手な系統の魔法式の付与について親身に相談に乗ってくれる。
侯爵家の跡継ぎとしてではなく他の生徒と変わらない彼女の平等な態度は、クレメントにとって居心地のいい場所になっていった。
取り巻きと違って、無駄に褒めないところもまた良い。むしろ魔法への評価は厳しいくらいだ。
自分は未熟だと初心に返ることができるし、その分実力を伸ばす努力ができる。
ヴィエラの裏表のない好ましい性格に、貧しい領地を想う優しさ、魔法の才能と勤勉さ、浮かべる屈託のない笑みの可愛さにクレメントはあっという間に惹かれていった。
噂に疎くて鈍感という彼女の欠点も、魅力に思うほどに。
「ヴィエラ先輩は、卒業後の進路はどうするつもりですか? 子爵家は娘ふたりと認識しているのですが、姉である先輩が後継者に?」
「まだハッキリ決まってないですね。でも妹のエマが魔力はないけれど賢くてかなり可愛いので、彼女が良い婿を見つけて跡を継ぐような気がします。だから私は王宮魔法使いとして就職して、仕送りをしながら生活しつつ、その後のことはその都度考えます」
「なるほど」
後継者同士で婚姻は結べないし、バルテル家の後継者はすでにクレメントに決まっており辞退は許されない。
けれどヴィエラが子爵にならないのであれば、彼女を妻に迎えるのは不可能ではない。バルテル家の事実上の支配者である、祖母を納得させることができれば……だが。
もちろん簡単ではなく、祖母からは課題が出された。
「爵位が低いのなら、バルテル家の血筋に相応しい才能を何か示しなさい。社交界一の華になるか、商才を発揮して財を築くか、魔法使いの実力を知らしめるか。何かしら価値のある令嬢と分かれば、わたくしも認めるわ」
「魔法の実力ならすでに僕よりも――」
「贔屓目で見ているあなたが認めても駄目なのよ。ユーベルトの娘ひとりで魔法使いとして功績をあげ、周囲の人間も敬うような存在になったらってことにしましょう。若い男女ですもの、それまで間違いがあってはいけないわ。クレメントからは絶対に好意を伝えてはなりませんし、受け入れてはなりません。破れば、即座にわたくしが決めた相手と婚約させます」
「――っ、分かりました」
こうして祖母と取引をしたクレメントは、よりヴィエラにレベルの高い魔法を指導して欲しいと頼むようになった。
そうすれば彼に教えるためにヴィエラが、自身のレベルを上げようと裏で特訓するのを知っていたからだ。
狙い通り、彼女はさらに実力を身に付けた。
そうしてクレメントが王宮魔法使いになり、実力で班長の座を獲得した際は職権を利用してヴィエラの功績が上がるよう、彼女の仕事を増やした。
目の下にできた隈に申し訳なさを感じつつも、ヴィエラを手に入れるためにずっと本心を隠して何年も接してきた。
そうして次第に魔法局の上層部がヴィエラを高く評価し始め、祖母も彼女に興味を持つようになった。
クレメントが特別視していることは噂として流れており、自然とライバルは減った。姉サラはヒール役を買って出て、クレメントが助けに入りやすいようお膳立てしてくれた。
あと少しで――そう思っていたタイミングで、アンブロッシュ公爵家の三男ルカーシュ・ヘリングが横から掻っ攫っていった。
庭園に出たクレメントはベンチに腰を下ろし、大きく舌打ちをした。
「簡単に、諦められるか……こっちは数年も拗らせているんだよ」
正直、現状で打つ手がないのは理解している。でも納得はできない。
特にルカーシュがヴィエラに目を付けた理由が気に入らない。
そしてクレメントの前ではヴィエラを駒だと言った口で、彼女本人の前では本当に愛しい相手に向けるような台詞を紡ぐ。
ヴィエラはすっかりルカーシュを良い人だと信じ切っているようで、サラリと愛称を口にしていた。それがまた悔しい。
「まだ婚約だ……結婚したわけではない。どこかに隙があるはずだ――ヴィエラ先輩、僕を見てくださいっ」
そう呟いたクレメントの言葉は、夜風に乗って消えていった。
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