第23話「外堀②」
ユーベルト領から王都に帰還し、一日休みを取ってから数日、とても平和な日が続いていた。
技術課の室長に後継者の引継ぎに猶予ができたことを伝えれば泣いて喜ばれ、そのあとに「ルカ様の希望もあるけれど、家の新事業のためにやっぱり早めに領地に帰りたい」と伝えれば室長が号泣しながら凹み、フォローするのが大変だったくらいだ。
一応、ルカーシュの引退と同じタイミングで退職できることになった。
そしていつもなら急に休みを取るとクレメントが理由を聞きに技術課に突撃してくるのだが、ヴィエラの休み明けとすれ違いで、彼が緊急の遠征で魔法局を不在にしているらしい。
とても静かで、珍しさで落ち着かない。
「それにしても結界課が緊急で遠征に行くなんて珍しいですね。しかも野営付き……出発してから今日で五、六日目ですっけ?」
ヴィエラは凝り固まった肩を解しながら、隣で珍しく魔法の付与作業をするドレッセル室長に声をかける。
まもなく大規模な地方遠征を控えている。今のうちに注文を予測し、ある程度在庫を追加したり、溜まっていた失敗作の魔法の付与の解除をしておく必要があった。
時間に余裕があるのに室長自ら作業をするということは、クレメントが今行っている遠征があまり良い内容ではないと察せられる。
ドレッセル室長は眼鏡をはずし、目元をほぐしながらヴィエラの問いに答える。
「なんでも、遠征先の結界石の魔法付与が上手く作動していないらしく、一度解除して、新たに結界の魔法式を書き直さなきゃいけない案件らしいんだ」
「結界が上手く作動しない? 早めに石碑の使用限界時間が来たのでしょうか?」
結界の魔法式は長年使われているもので、『完璧な式』と言われている。一度作動し始めたら、本来であれば自動で約二年は効果を発揮するものだ。
「前回の書き換えから半年しか経っていない結界石らしい。今回は魔法式を解除して書き直すらしいけど、媒体になっている石がハズレだったのかね。同じことがあれば石碑ごと交換かなぁ? 石の予備はあるけど……ヴィエラさん、そうなったときは頼りにしています」
「うっ、石の交換ってなったら結界課の人が大勢で向かう緊急遠征案件……しかもその遠征先は僻地……つまり魔道具の消耗が激しい、さらに発注が増える……技術課は全員徹夜コース確定ですか。室長、そうならないよう祈りましょう」
ヴィエラとドレッセル室長は胸の前で手を組み、一緒に神に祈った。他の席でも、会話を聞いていた同僚が同じポーズを取っている。
そこへちょうどクレメント率いる結界課二班の帰還の知らせが技術課に届いた。結界課の連絡係が室長に簡易報告書を渡した。
「発動異常の結界石はふたつ発見されたが、どちらも無事に書き換えが完了し、正常に作動していることを確認。媒体の石にも異常はないらしい。付与ミスかな」
石を交換せずに済みそうだと知り、技術課の全員で安堵のため息を漏らした。
けれど、ヴィエラだけはそれが許されなかった。ドレッセル室長が彼女の目の前に紙をペラッと見せた。
「ヴィエラさんは、クレメント班長が助力を乞いたいと指名が入ってます。今から結界課に行ってください」
「――え? 用件は?」
「魔法式について質問があるみたいですが、現物が結界課にあるので来てほしいってことみたいですねぇ」
「分かりました」
魔法式についての知識は開発課、付与技術は結界課が得意とするところだ。
ヴィエラは技術課の自分が呼ばれた理由が分からず、疑問を抱きながら結界課へ向かった。
結界課の部屋に入れば、開発課の人間までいた。ますます疑問が膨らんでいく。
「ヴィエラ・ユーベルト、参りました。どういったご用件で?」
すると人だかりが割れ、その輪の中央には太もも部分から義足を付けた壮年の男性が座っていた。
そしてクレメントがその義足を観察していた。
クレメントはヴィエラの姿を視界に入れると、顔をパッと明るくした。
「ヴィエラ先輩、居て良かった。この方の義足の魔法式を解除したいのですが、呼んだ開発課の人間も僕もできなくて。力を貸してくれませんか?」
そう言われ、ヴィエラは輪の中心へ入った。
柔らかい茶色の髪に、緑の瞳を持った壮年の男性が困ったような笑みを浮かべ、軽く頭を下げた。
「初めまして。ユーベルト嬢、レーバン・サルグレッドと言います」
「ヴィエラ先輩、この人は二代前の結界課二班の班長を務めていた大先輩なんです。今回の遠征先の結界石を見守っていたしていた管理者でもあるんですが、班員が結界石の解除の際に近くにいたレーバン殿を巻き込んでしまったようで……フォローするためにお連れしたんです」
「本当にごめんなさい」
クレメントの後ろにいた若い班員が慌てて頭を下げた。
それを制するように、レーバンがにこやかな笑みを浮かべて首を横に振った。
「いえいえ、今の結界課の若い子の活躍を見たくて近づきすぎたのが原因です。そして、ろくに魔法も使えないのに、思わず自分で魔法式を修正しようとして失敗した私が悪いのです」
魔法は体の中を巡る魔力を使う。欠損があれば乱れ、うまく使えなくなることが多い。レーバンが義足ということは、そういうことなのだろう。
でも結界課の班長を務めていたことから、かなり魔法の扱いに長けていたはずだ。そしてまだ現役でも不思議ではない年齢。
どうして義足に――と思いながらヴィエラが見ていると、レーバンが苦笑した。
「五年前の戦争の余波で、そのとき」
「――っ、そうだったのですか」
「まぁ、結界課に在籍し続けられる実力はなくなりましたが、義足を動かす程度の魔力は使えるので普段の生活は問題ありません。けれど、動かないとなると困ったもので……今、義足を動かす魔法式が消えかけている上に、私の失敗した魔法式が上書きされている状態なんですが、見ていただけますか?」
「分かりました。失礼します」
ヴィエラはクレメントの隣に膝をつき、義足を観察する。大部分が木製で、関節部分に魔法が付与された金属と魔法石が使用されている。
「クレメント様、元の魔法式は分かりますか?」
「こちらです。義足の形状では、開発課の記録に残っている製品と同型のはずなんですが、もう式がめちゃくちゃで……解除さえできれば付与することは容易なのですが」
「なるほど」
魔法式が書かれた資料に目を通せば、膝と足首が連動するように複数の式が組まれていた。解除するには魔法式を理解し、魔力を分解していかなければならない。元の魔法式が複雑であればあるほど理解が難しく、解除も難しくなる。
ヴィエラはポケットから直接付与式のペンを取り出した。
「レーバン様、一度魔力を通し、魔法式を読んでみても良いですか?」
「えぇ、どうぞ」
「では、失礼します」
魔力を流し、魔法式を光らせて目を通す。
説明の通り、同じ式が重なっていたり、順番が入れ替わっている。まるで絡まってしまったチェーンのネックレスのようだ。
義足の正しい魔法式だけ残すのは無理だ。しかし――
「全解除で良ければ、今この場でできます」
クレメント以外が、ヴィエラの言葉に驚きの表情を浮かべた。
「さすが、ヴィエラ先輩。全解除で大丈夫です。付与だけなら僕や開発課でできます。お願いできますか? 皆、離れるんだ」
魔法付与が施された装備を多く身に着けている班員は巻き込まれないよう、念のため離れる。
そしてクレメントも離れたのを確認したヴィエラは一度目を瞑り、軽く息を吐いた。
「始めます」
頭を巡る魔力を一気に増やし、目を開け、ペンで、浮かび上がる魔法式をなぞり始めた。
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