第19話「空の旅③」※ルカーシュ視点


 夜の見張り番は交代制と決め、夜中から朝方の担当になったルカーシュは先に寝る態勢に入った。

 彼が風船ベッドに寝そべると、アルベルティナがベッドの隣にピッタリと寄り添い、あごだけベッドの上に載せた。子どもを守る親鳥のような姿だ。

 実際の育ての親の立場はルカーシュだが、アルベルティナの健気さが可愛くて柔らかい羽毛が生えている頭を撫でた。



「キュルル」

「ティナ、明日も頼むな」

「キュルー」

「ヴィエラも、きちんと時間になったら俺を起こしてくれ。君も無理はするなよ」



 焚火の火力を調整している、もうひとりの旅の相棒にも声をかける。



「はい。では約束通り四時間後に声を掛けますね。おやすみなさい、ルカーシュ様」

「おやすみ」



 就寝の挨拶を返すと、ヴィエラは背を向けて腰を下ろし、本を読み始めた。

 ルカーシュは彼女の後姿を眺めながら寝転がり、昼間のことを振り返る。



(彼女の肩幅はあんなに狭いのか……いや、確かに小柄だった。そして見た目以上に細かった。女性とはあんなに華奢な生き物だったんだな)



 片腕に残るヴィエラの抱き心地を思い出す。

 負担が少ない飛び方を模索し提案したものだったが、彼女が腕の中にすっぽり収まるほど小さいことに驚いた。片腕で支えられるほど体は軽く、本当に風で飛んで行ってしまいそうで、腕も脚にも力が入ってしまった。



(どうして俺は、最初から前に乗ることを提案できなかったのか。新人騎士が飛行に慣れるための訓練と同じように、後ろに乗せたなんて馬鹿だった。あの細腕では背中にしがみつくのも、姿勢を保つのも大変だったはずなのに)



 これまで寄ってきたのは計算高い令嬢が多く、それで芽生えた苦手意識により女性を避けてきた。そのツケが、今になって回ってきたことを感じる。

 これまで女性との関わりが少なくて扱いに疎いとはいえ、あまりにも気が回らなさ過ぎていた。

 後悔の念が、心に鉛を落とす。



(今更だが、先日広場で俺は服を着ずに近づいてしまった。ヴィエラはアパートでも俺を泊めさせるくらいだから、平気だと思っていた。しかし彼女も年頃の女性……配慮に欠けていた。失望した様子がないのが幸いだが、それも複雑だな)



 ヴィエラには長女気質があるのは分かっており、隙を見せれば世話をやいてくる面がある。使用人とも違い、一切媚を感じさせない彼女の甘やかすような行動はどうも心地よい。


 でも、その行動理由が『弟』として見られているからだと、何となく察してしまったあと若干モヤっとするのも事実。



(ヴィエラにはもう格好悪いところを見せたくないな)



 最近の目まぐるしく変わる環境のように、気持ちも形をどんどん変えていく。

 面白い女から利害が一致した契約者に、それから気さくな友人へ、さらに姉弟のような親しい関係に感じ、今は――と思ったところで、思考を止める。


 考え始めたら、寝られなくなる案件だと直感が告げる。


 明日もヴィエラが不安にならないようしっかり支えて飛行するためには、休息が大切だ。姿勢を変え、アルベルティナにくっつくように眠りについた。




 そして真夜中、約束通りに交代の時間を迎えた。

 ルカーシュが風船ベッドを明け渡すと、目を擦りながらヴィエラが寝転がる。「おやすみ」と声をかければ小さな頷きが返ってきて、あっという間に彼女は夢の世界へと旅立っていった。


 体を丸めている姿は小動物のようで、寝顔は非常に穏やかだ。



(まったく俺を警戒している様子がない……いや、初めての飛行で終始緊張していたから疲れているのか。もっと俺が余裕を持ってリードしないと)



 神獣騎士の団長として常に冷静でいる訓練をし、前団長が認めるくらいには習得したはずなのに、再びモヤッとした未熟な気持ちが顔を出した。

 ヴィエラに対してはどうしても子どもっぽくなってしまう。


 酔っていたとき、依存しない自立した女性が良いと主張したが、ヴィエラだけは例外で嫌な気はしない。今回の帰郷も、自ら協力を名乗り出るくらいには頼られたいと思った。

 彼女が見せた弱さは、守りたいと素直に感じた。



(こんな小さな体で、当主の責任を背負おうとしているのか。よく見れば顔も小さいし、鼻も、唇も……爪まで小さいとは……なんでも小さくて、それを感じさせないくらい大胆かつ元気いっぱいで――本当に可愛い人だ。見ていて飽きないし、共にいて楽しいし、それに……)



 さらに言えば「触ってみたい」という欲求すら生まれてくる。

 ここまでハッキリとした感情があれば、さすがに自覚する。ルカーシュは小さく苦笑を漏らした。



(なるほど、これが惹かれているという感情か。たった十日ほどで、俺はヴィエラに惚れたらしい。直感が当たることは多いが、クレメントが妙に気に入らないのも、ヴィエラの視線を独り占めしたいと思ってしまったのも、こういうことだったのか。欲しいなぁ、彼女を全部)



 そっと手を伸ばし、風船ベッドに広がるイエローブロンドの髪を軽く指先で撫でた。すると――



「キュルルゥ」



 声量は小さいが、アルベルティナに「寝ているレディに勝手に触るんじゃないわよ!」としっかり叱られてしまった。

 相棒のグリフォンは気高く、なかなか他人を懐に入れないが、ヴィエラは例外らしい。

 神獣契約によってルカーシュと精神を繋げることもあるので、そのときに本人よりも先に本質を見抜いていたのかもしれない。



「悪い。気を付ける」



 肩をすくめ相棒に謝ったルカーシュは背を向け、焚火の前に座った。



(俺から離縁を申し出なければずっと一緒にいられるが、契約関係では満足できない。クレメントには渡さないのは当然で、ヴィエラに振り向いてもらう努力をしないと。彼女に対しては肩書どころか、案外お金もあまり武器にならない。さてどうしようか)



 本物の、両想い同士の婚約者になりたい。自然と、真っ先に求められる存在になりたい。

 目の前の焚火のように、彼の心に火が灯った。





 日の出時間、ヴィエラはルカーシュに起こされる前に目覚めた。



「おはようございます――って、いたたた」



 ヴィエラが自身を抱き締めるように両腕を押さえた。

 ルカーシュは素早く駆け寄り、肩に手を回して彼女が体を起こすのを手伝う。



「大丈夫か?」

「はい。ただの筋肉痛です。寝る前に覚悟はしていたんですが、寝ぼけてて痛みにビックリしちゃいました。でも移動には支障のない程度ですので、大丈夫です!」

「なら良いが」

「それより、試したい魔道具を昨夜作ったんです!」



 ルカーシュの心配をよそにヴィエラは軽い足取りでベッドから降りて、積み荷から緑の石が付いたブローチをふたつ取り出した。



「受ける風圧を相殺する、いえ、気流を逸らすと言った方が良いのかな。いわゆる風よけの魔道具です。ティナ様が飛びにくいということがなければ、手綱に装着して試したいのですが、良いでしょうか?」

「風が軽減できれば俺も嬉しいが、これを昨夜の見張りの時間で? すごいな」

「その風船ベッドでも使われている魔法式をアレンジしただけですよ。自動起動ではなく、手動ですし」



 ヴィエラは「大したことではない」と笑い飛ばすが、ルカーシュは鵜呑みにはしない。


 魔道具の開発は、そう簡単にできるものではない。魔法式の内容だけではなく、付与する道具の材質や魔力の親和性も考慮し、バランスよく魔法式を刻んでいかなければならない。

 センスも技術も、経験も高いレベルを持っていないと難しい。


 ヴィエラの才能に感心しながら、出発前にルカーシュは手綱に風よけの魔道具を付けた。

 そして昨日と同じように腕に閉じ込めるように婚約者を前に乗せ、空へと舞い上がった。慣れてきたのか、ヴィエラは絶叫することなく前を真っすぐ見ている。いや、どちらかと言えば技術者の、仕事の顔をしていた。


 凛々しい表情の彼女を見るのは初めてで、鋭くなった彼女の薄桃色の瞳に視線が引きつけられた。



「魔道具を起動させます。異変を感じたら教えてください。停止させます」

「分かった」



 そうしてヴィエラが風よけの魔道具に魔力を与えると、一瞬にして受ける風が半減した。

 暴風とそよ風ほどの差がある。呼吸はしやすくなり、姿勢を保つ力も随分と軽くなった。アルベルティナに確認すると、わずかに抵抗を感じスピードが落ちる感覚はあるが、普通に飛ぶだけなら問題はないらしい。

 そう感想を伝えれば、ヴィエラは安堵したように顔を綻ばせた。



「及第点には届いたようで良かったです。これでルカーシュ様の負担を減らせますね」

「負担?」

「だって鍛えているとは言っても、何時間も人ひとりを支えて飛ぶなんて絶対に大変ですもん。ただでさえ私はルカーシュ様におんぶに抱っこ状態なので、少しでも苦労を軽くできればと思っただけです」



 ヴィエラを支えることを全く負担に感じてはいないが、彼女の純粋な優しさは素直に嬉しい。

 最強の騎士、名門貴族の子息であるルカーシュにとって、媚や下心が含まれない気遣いは非常に貴重だ。

 腕の中に収まってしまっている小さな存在が頼もしく、より大切に感じた。



「ヴィエラ、この風よけ俺がこのまま貰って良いか?」



 ルカーシュはグリフォンとの契約により、魔力が使えない。魔法石に貯めてある魔力には限りがあり、魔道具も常時使えるわけではない。

 だが、欲しいと思った。


「試作品で良ければどうぞ」

「ありがとう」



 自分のために作ってくれた、初めての物だ。ヴィエラ自身とともに大切にしようと、ルカーシュは彼女の故郷がある先を見つめた。

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