第18話「空の旅②」


 妹エマに事情を説明する手紙をしたためて迎えた翌朝、ヴィエラはルカーシュとともにアルベルティナに乗ることになったのだが……



「きゃぁぁぁああああ!」



 公爵邸の上空、ヴィエラはルカーシュの背中にしがみつき絶叫していた。


 数秒前、彼に「ティナは力が強いから安定して飛べる。安心しろ」「空は景色が良いぞ」と軽い感じで言われ信じ、背中とはいえ異性に密着することにドキドキしていたのだが、一瞬にして消え去った。


 ルカーシュとアルベルティナの両方とベルトで体を繋げているものの、手を離せば落ちそうなほど座り心地は安定していないし、初めての高さはやはり怖くて景色を楽しむ余裕は生まれないし、ルカーシュの後ろにいるのに受ける風圧がとんでもなく強い。

 ヴィエラは必死に彼にくっつくことしかできない。



「ヴィエラ、一度降りるか?」

「い、いい、いえ! 時間もないので、ここここここのままで!」



 時間は限られている。自分の不甲斐なさで時間を浪費し、父親と会うという目的が達成できないようなことがあってはいけない。

 そんな覚悟をもとに、口を震わせながら応えた。



「ではとりあえず、休憩時間を多くとれるよう飛ばすか。ティナ!」

「キュル!」

「と、飛ば――△〇×◇!?」



 もう声も出せない。ヴィエラはルカーシュに回した腕に、できる限りの力を込めた。


 そのうち力が入らなくなったころ、安定した気流を掴んだのか飛行も穏やかになる。するとヴィエラにも余裕が生まれて、なんとか最初の休憩ポイントまで無事に着くことができた。


 森の中、ルカーシュに支えられながアルベルティナの背を下り、木を背もたれにして力尽きたように腰を下ろした。



「ヴィエラ大丈夫か?」

「なんとか……あの空を平然と乗れる神獣騎士は、本当に凄いですね。」



 戦いとなれば旋回もするし、片手には剣も握っているはずだ。

 乗るだけで精一杯のヴィエラとしては、尊敬の気持ちでいっぱいになる。神獣騎士の存在が重宝され、崇拝されるのも当然だ。



「そのようだな。乗り慣れてしまい、一般人には厳しいことをすっかり忘れていた。すまない」



 ルカーシュの眉が悲しそうに下がる。

 どこまでも優しい婚約者に、ヴィエラも申し訳ない気持ちが増していく。



「いえ! 今のでだいぶ慣れたので、もう大丈夫だと思います!」

「そんな顔色で言われてもな。そうだ、次は俺の前に乗るのはどうだろうか? 片腕だけでも君の体を支えれば、姿勢も安定できるはずだ。受ける風は強くなるかもしれないが……」



 さらっと抱き締める発言が出てドキンと胸が高鳴るが、風が強くなると聞いて萎んだ。



(姿勢の安定を取って風圧に耐えるか、風圧の軽減を取って姿勢の不安定さに耐えるか……とりあえず、経験してみないことには比べようがないわよね)



 ヴィエラは腹を括り、ルカーシュの提案に乗ることにした。


 そして再びアルベルティナに騎乗すると、彼の腕がお腹の前に回された。わずかに空いていた隙間を埋めるように引き寄せられ、ヴィエラの背中とルカーシュの胸元が密着する。そして横にずれないように彼は脚も狭め、彼女の太ももを外側から支えた。

 想像以上の密着具合に、姿勢と反比例して心の安定度は急低下する。



「じゃあ、次はもう少し長く飛ぶぞ」



 緊張に追い打ちをかけるように、耳元で良い声が響く。

 この選択は間違ったのでは――そう後悔する前に、再び空の世界へと戻っていった。空に投げ出されるような強い浮遊感に怯み、先ほどのように何かに頼りたくて手を伸ばそうにもルカーシュの背中はない。



「ひぃっ」



 情けない声が口から漏れる。するとヴィエラのお腹に回されたルカーシュの腕に力が入った。



「絶対に落とさない。あと少し高度をあげれば、安定する。十秒だけ我慢だ」

「はいぃぃぃぃ」

「ゆっくり数えろ」



 言われた通り心の中で十秒を数え、気を紛らわす。

 一、二、三ーーそうして十を数え終えたタイミングで、アルベルティナは翼の動きをゆったりしたものへと変えた。紙飛行機のように、流れるように空を飛ぶ。


 受ける風は説明通り強い。ゴーグルをつけていなければ目を開けていられないほどだが、ルカーシュが包み込むように体を支えてくれているので、もう不安感はさほどない。

 ほっと、体の力が抜ける。



「よく頑張った。前と後ろだと、どうだ?」

「今の方がずっと良いです!」



 相手が聞き取りやすいように顔だけ振り向くが、思った以上に顔が近かった。

 慌てて正面を向き直す。



「では、今後の移動はヴィエラが前で決まりだな」



 また振り向くのがなんだか恥ずかしく、ヴィエラは代わりに大きく頷くことで返事をした。


 飛行の恐怖が薄れたのは良いが、余裕が生まれた思考は別のことを考えさせようとしてくる。

 お腹の前を通る逞しい腕、脇腹に添えられた大きな手、背中全体を支える広い胸板、太ももに密着する引き締まった長い脚、ついでに鼓膜を甘く痺れさせる良質な声……恐怖ではなく、緊張で心臓が太鼓を鳴らしたように煩く鼓動する。



(駄目だ……勝手に心がときめこうとする! 私、単純すぎでは? 婚約は契約なんだから、余計な感情は排除しないと!)



 そう思うが空の上では逃げ場はない。

 これ以上ルカーシュが腕の力を込めて密着しないよう、大人しく景色を眺めて意識を逸らすことに専念した。



「今日の移動はここまでにしよう。ティナの体力も減っているし、ヴィエラも休んだ方が良い」



 夕方目前の時間帯を迎えた四回目の休憩時、ルカーシュがヴィエラに告げた。場所は森のど真ん中、ここで野営するということだ。



「ルカーシュ様の方こそ休んでください。それかティナ様を労わってあげてください。野営の準備はお任せを」

「分かった。難しくなったら、手伝うから言ってくれ」

「はい!」



 そうしてヴィエラは公爵夫人ヘルミーナと相談して準備した荷物を広げ、夕飯の準備を始める。

 焚火セットを取り出し、着火の魔道具を使って火をつける。網を敷き、事前に切っておいた材料を入れた鍋を置いた。


 鍋の具材を煮込んでいる間に、野営エリアを囲むように魔法石付きのステッキを四本、しっかりと地面に突き刺した。魔法石に魔力を充填し、結界を張る。防御力はさほどないが、野生の動物や盗賊が狙ってきたら逃げるくらいの時間は稼げるだろう。

 ルカーシュとアルベルティナがいれば心配はないが、彼らが可能なかぎり気を抜いて休めるようにしておく。


 あとは木の間にロープを張って簡易屋根を作り、その下で風船ベッドを膨らませ、虫よけの振動装置――虫にしか聞こえない嫌な音がする魔道具を起動させ、それをベッドのそばに置けば寝床の完成だ。


 ちょうどスープも出来上がり、近くの沢でアルベルティナの給水に付き合っていたルカーシュを呼んで夕飯にする。

 彼はスープとパンを口にして顔を緩ませながら、小さな野営地を見渡した。



「あまり時間がかかってないのにご飯は美味しいし、寝床も結界も完璧……見事な手際だな。どこかで訓練を?」

「ユーベルト領から王都まで、普通は馬車で一週間かかりますからね、僻地で宿もないので野営は必須です。そのため妹と一緒に、小さい頃からお父様に教わりながら毎年サバイバルキャンプをしていたんです。貧乏だったので、いかに少ない道具で一夜を乗り切るか……的な」

「領地経営学に、野営術、それに王都の魔法学園にも合格できる教育か。子爵家を侮ってはいけなさそうだ」

「ふふ、大したことではないですよ。とにかく夜の見張りも経験済みです。どこかで交代しましょう。前半と後半のどちらが良いですか?」

「実に頼もしいな。では後半の見張りをしようかな。俺の方が長めに担当するから、交代は早めでかまわない。前半は頼んだ」

「はい、任されました」



 こうして夜の方針を決め、食事を再開させた。ルカーシュの食べっぷりは気持ちよく、作った側としては嬉しい限りだ。

 明日の朝の分を気にしてか、「おかわりしても良いか?」と、少し上目遣いで聞いてくるところなんかは年上なのに可愛く見え、長女心をくすぐられた。



(ルカーシュ様ってすごい方だけど、なんだかんだ末っ子よね。どうしてか世話をやきたくなっちゃう)



 そうやって彼を完全な身内――弟と思うように意識すると、昼間から引きずっていたドキドキ感も和らいだ。


 そしてヴィエラは、わずかに不満をにじませる視線に気づかないまま、月がのぼる時間を迎えた。

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