第16話「確認⑤」


 クレメントが言った通り、奥に進むほど人と会わなくなり、静けさが広がっていた。防犯のためか通路も複雑で、ひとりだったら迷子になっていたかもしれない。


 しばらく歩いていると、賑やかな声が聞こえてくる。複数の男性の声と「キュルル」というグリフォンたちの声だ。

 角を曲がると庭園のように広い場所に出て、そこでは騎士たちがホースを使って、自分たちの相棒であるグリフォンたちに水浴びをさせていた。


 その集団の中ですぐにルカーシュの姿を見つけたのは良いが、ヴィエラは声をかけられずにいた。



「ヴィエラ先輩?」

「わ、私、廊下の陰で待っていようかな」



 水浴びで濡れたせいか、それとも暑いからか、上着やシャツを脱いでいる状態で、神獣騎士全員が上半身に何も着ていなかった。

 もちろんルカーシュも制服のズボンだけ穿いた状態で、アルベルティナにホースで水をかけていた。

 その上、いつも三つ編みをしている長い黒髪も今は解かれ、しっとりと水に濡れていることが遠目からでも分かる。


 これは目の毒だ。目が潰れる。


 ヴィエラは撤退を決めて、気付かれる前にクレメントの袖を摘まんで引き返そうとするがーー



「キュルルー!」



 アルベルティナが、ヴィエラを見て呼び止めるよう強く鳴いた。

 騎士たちの視線が集まる。もちろん、ルカーシュも彼女の来訪に気が付いた。



「ヴィエラ? こんなところまでどうしたんだ?」



 ルカーシュがホースの水を止め、駆け寄ってくる。

 ヴィエラは視線の置き場に迷い、キョロキョロと目を泳がす。


 騎士という職業柄、彼が体は鍛えているのは知っているが想像以上に逞しい。着やせするタイプのようだ。

 無駄な肉が一切ついていないかのように、筋肉の部位ごとに張りのある膨らみがしっかり出ていて、筋の彫りが深い。特に腹筋は、本当に同じ人間なのか不思議なほど綺麗に割れている。

 しかも濡れた黒髪が身体に張り付き、実に色っぽいけしからん姿をしていた。


 目のやり場に困ったヴィエラは、クレメントの後ろにサッと隠れて返事をした。



「え、遠征から戻られた様子だったので、迎えを待たずに私から来た次第です」

「それは嬉しいが……どうしてクレメントまでここに? 結界課のエリアに戻ったと思っていたんだけど、またすぐに会うなんてな」



 ルカーシュの声がぐっと低くなる。

 彼は昨日のクレメントの行動に怒りを示していたことを思い出し、ヴィエラは慌ててフォローのために顔を出す。



「先ほどクレメント様が謝罪しに来てくださり、和解しました。それで、話のついでにここまで案内してくださったのです」

「僕にも思うところがあり、きちんと態度を改めることにしたんです」

「ふーん。随分と切り替えが早いな」



 クレメントが本来はそこまで悪い人ではないと、ルカーシュに安心してもらおうと思ったが、彼の声は不機嫌に低いまま。



「ヴィエラ、いつまでクレメントの後ろに隠れているつもり? それとクレメント、婚約者を連れてきてありがとう。もう戻って良いよ」

「ルカーシュさん、こんな姿の異性ばかりの場所にレディをひとり置いていけません。ヴィエラ先輩だって困惑しているじゃないですか。終わるまで、僕がヴィエラ先輩についているんで、どうぞグリフォンの水浴びを続けてください」



 無表情のルカーシュと、笑みを浮かべるクレメントの間に火花が散る。数秒睨み合った後、ルカーシュが広場に振り返った。



「……お前ら、さっさと服を着ろ! 命令だ!」



 広場にいる部下たちに指示が出される。

 騎士たちは「あの団長が女性に気遣いを!?」「婚約して変わった?」と驚きつつ、慌ててシャツに袖を通していった。


 けれど、まったく問題は解決していない。


 まだルカーシュがヴィエラの目を潰しにかかったままだ。

 それを指摘できずにいると、アルベルティナが嘴に銜えていた大量のバスタオルをルカーシュの上に落とした。



「ティナ? なんだ急に」



 相棒に返事することなく「キュル」と言って、ヴィエラにウィンクが送られる。



(さすが同じ女性のティナ様! 分かっていらっしゃるわ)



 すかさずヴィエラはクレメントの陰から出て、「失礼しますね!」と言いながらルカーシュの肩から包み込むようにバスタオルをかけた。

 肌色の露出面積が減り、無事に目の平和を取り戻した。彼女はアルベルティナと目を合わせると、通じ合ったかのように同時に頷いた。


 ちょうどそのとき広場に風が流れ込んでくる。温かい日だと思っていたが、そろそろ夕方。風が少し肌寒く感じた。

 ヴィエラはもう一枚バスタオルを拾うと、ルカーシュの濡れた頭にかけて軽く拭いてあげる。



「もうっ、早く髪を乾かして、服も着ないと風邪を引くかもしれませんよーー……あ」



 ハッとして手を止めると、タオルの間からぱちりと瞬くブルーグレーの瞳と視線がぶつかった。



(安堵で、気を抜きすぎた……妹の面倒を見るのと同じ要領で髪を拭き始めてしまっていたわ。だって無駄に団長権限使うところとか、こちらの恥じらいに気が付かない無垢なところが子どもっぽく見えたんだもの……なんて言えないし)



 しかも他の騎士も、クレメントもポカーンとした表情でこちらを見ている。

 今更引けない。わしゃわしゃと手を動かしながら言い訳を考えていると、ルカーシュの肩が揺れる。



「くく、誰かにこんな風に世話をやいてもらうのはいつぶりだろうか。成人になってからはヴィエラが初めてかもな」

「し、失礼でしたでしょうか?」

「まさか! ヴィエラなら歓迎だ。このまま最後までやってもらおうかな? 頼める?」

「良いですけれど」



 そうヴィエラが答えれば、ルカーシュは彼女が拭きやすい高さにあわせるよう落ちているタオルの上に座った。

 そして振り向き、爽やかな笑みを浮かべてクレメントを見上げた。



「クレメント、ヴィエラはもう大丈夫みたいだから帰って良いよ。お疲れ様」



 カチン――と、機械でもないのにクレメントから音が聞こえた。表情はニッコリしているが、目が笑っていない。



(ルカーシュ様もどうしてそう挑発的なのよ!? せっかくここまで送ってくれたのに……って私もお礼を言っていなかったわね)



 ヴィエラはタオルから手を離し、クレメントに体を向けた。



「クレメント様、送ってくださりありがとうございました。お陰で迷わず着けました」

「お世話になっているヴィエラ先輩の頼みですから。僕を頼ってくれて嬉しいです。またいつでも言ってくださいね。例えば――」



 クレメントは一度言葉を区切ると、ヴィエラの耳元に顔を近づけ囁いた。



「先ほど言った婚約事情についても」

「――それは」



 気にする心配はないとヴィエラが返事をする前に、クレメントの顔が離れた。



「では、失礼します。またねヴィエラ先輩」



 そう言いながらクレメントはルカーシュを一瞥したものの、挨拶することなく広場から去っていった。

 心配性だなぁ――と思いながらヴィエラがクレメントの背中を見送っていると、制服の裾が引っ張られた。



「ルカーシュ様?」

「あの男は最後なんて言っていたんだ?」

「あぁ、えぇっと、明日からも仕事お願いします的な?」



 偽装婚約の相手をルカーシュからクレメントに乗り換えないか、と提案されたなんて正直に言えない。

 ルカーシュとの約束を破る気もないので、ヴィエラは笑って誤魔化した。



「ふーん。それにしては距離が近かったようだけれど」

「クレメント様は学生時代からいつもあの距離感ですよ」

「……あいつ。ヴィエラ、今後は少し気を付けて。一応君の婚約者は俺なんだから、俺より距離が近いのは周囲に誤解されるかもしれない。例えば二股の疑いとか――」

「ひぃ! そ、そうですよね」



 社交界に疎いヴィエラでも、貴族たちは好き勝手に噂を流すことは知っている。

 ルカーシュを狙っていた令嬢たちが嫉妬し、ヴィエラを落としめるために嘘を吹聴する可能性を失念していた。


 そうなれば自分だけではなく、横恋慕しているとしてクレメントにも悪評が付くし、奪われそうになっているとしてルカーシュの評価も下がる。それは避けたい。

 ヴィエラが眉間に皺を寄せていると、ルカーシュが笑みを浮かべて彼女を見上げた。



「そうならないよう、俺からひとつ提案があるんだが」

「ぜひ、教えてください」

「両想いの婚約者同士らしく、圧倒的に俺と距離を近くすれば問題ないと思うんだ。明らかに俺とクレメントに差があれば、本命は俺、クレメントは懐っこい後輩あるいは同僚だと周囲も納得するかなと」

「確かにそうですね。そうしましょうか――あれ?」



 良いアイディアだと思い反射的に頷いたあとに、重要なことに気が付く。



「距離を近くするって……具体的に何をすれば良いのでしょうか?」

「とりあえず、俺の髪を拭いてくれる? ここは神獣騎士の同僚が多く見ているし、しっかり仲が良さそうなところを見せて、彼らに噂を流してもらおう」

「なるほど。では改めて失礼しますね」



 なんだか誤魔化された気分もしなくもないが、ヴィエラは手を動かした。


 こうしてルカーシュの髪が乾いたあとはふたりでアルベルティナを拭き、馬車まで手を繋いで歩き、アンブロッシュ公爵邸へと向かった。




 そうして平和に過ごしながら数日後、仕事場からルカーシュと一緒に屋敷に帰ると、ヴィエラ宛の手紙がアパートに届いていたと執事から知らされる。

 送り主は実家のユーベルト家からで、彼女は手紙が置かれた私室へと急ぎ入り、封を開けて――固まった。



「嘘でしょう?」



 ヴィエラは顔を青褪めさせ、手紙を持つ手を震わせた。



「ヴィエラ、大丈夫か? 手紙にはなんて――」



 内容によってはすぐに情報を共有するべきだと、そばにいたルカーシュが同席していた。

 彼はふらつく婚約者の華奢な肩を支え、手紙を覗き込んだ。



「愛する娘へ。すまないヴィエラ……先日の魔法速達は嘘……事故だった。私は元気だから、婿探しの件は気にするな――っ!?」



 手紙に書かれていた内容が理解できず、ヴィエラとルカーシュは立ち尽くした。



 婿を探せという魔法速達を受け取って、十日後のことだった。



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