第14話「確認③」


 エマを見送ったヴィエラは午後、技術課へと出勤した。

 そして終業時刻間際、上司のドレッセル室長から別室へと来るよう呼ばれたのだが――



「ドレッセル室長……やつれました?」

「あぁ、まぁ、うん。退職日について話さないとだよね? アンブロッシュ家からも、よろしくと連絡がきているよ。とりあえずお茶でも飲もうか」


 ドレッセル室長は、ヨロヨロとした危ない手つきでお茶を淹れていく。

 彼は室長に任命されるくらい魔法付与の知識と技術があり、器用な部類の人間のはずだ。そんな彼がここまで弱っているとは、相当疲れが溜まっていることが分かる。



「どうぞ、ヴィエラさん」

「ありがとうございます」



 失礼にならないよう、温かいうちにひと口だけ飲む。ホッと一息ついたタイミングで、ドレッセル室長が重々しく口を開いた。



「結婚に伴い退職する予定だと、アンブロッシュ公爵からの手紙に書いてあったんだが、この仕事を続けることはできないかな?」

「そう仰られましても……父が床に臥せってしまったので、後継者として帰らなければなりません」

「そうだったの?」

「あれ? 言ってませんでしたっけ?」



 目を合わせて一緒に記憶を遡ってみるが、結婚の話の途中でドレッセル室長が退席してしまい、詳しい事情を説明していなかったことを思い出す。

 父が急病で倒れ、ルカーシュを婿にとって帰郷する意思を改めて伝えた。

 ドロッセル室長は顔色を悪くして、額を押さえた。



「色々と聞きたいことはあるけど、子爵位を継ぐために婿養子をとって、領地に帰りたい気持ちは理解したよ」

「緊急案件に該当するため、規定通り一か月後に退職をお願いいしたいのですが」

「……どうにか技術課に残る道はないのかな? 子爵家に王都から医師を送るなり、お父上をこちらに呼んで看病する環境を整えるなど、こちらからしっかりサポートするから」

「領地を放って、長く責任者不在にしておくことはできません。それより、どうしてそんなに引き留めようとしているのですか?」



 ヴィエラはクレメントの依頼で残業三昧ではあるけれど、退職に関しては他の部署と比べたら実にホワイトな職場のはずだ。

 先月も予定より早く定年退職した大先輩だって、緊急ではないのに一か月で引継ぎを完了していた。


 それなのに彼女だけどうして許されないのか、腑に落ちない。サポートの申し出は嬉しいが、それで解決できる問題じゃない。

 ドレッセル室長の目をじっと睨らむと、彼は眉間を指で揉んだ。



「ヴィエラさんが退職したら、技術課で二割の損失が生じる。この損失をカバーできる人材がいない」

「に、二割? 技術課の人間は約三十人もいるんですよ。何かの間違いではありませんか?」



 残業で他の職員より多くの仕事をしていた自覚はあるが、二割は大げさすぎる。

 ヴィエラが受け持てなくなった仕事を三十人で分ければ、依頼を完遂できるはず。そう思って疑問の視線を投げかけるが、ドレッセル室長は首を横に振った。



「付与を失敗した魔法の解除作業の多くをヴィエラさんに任せているだろう? ハッキリ言って、君のようにホイホイ解除できる職員は数人もいない。失敗した素材は廃棄するしかないだろう」



 魔法は魔力をインク代わりにして書いて、道具に付与していく。書き損じた場合、手紙のように廃棄するのが一般的。


 けれど貧乏性のヴィエラは「捨てるなんて勿体ない!」と、仕入れ価格の高い素材のものは魔法式の解除を行い、再利用していたのだった。


 魔法の解除をするためには、直接付与法と同じ要領で魔力を脳に流し、付与されている魔力の主導権を奪って分解していく必要があった。

 技術課に直接付与法ができる人間は少ない。それは、能力の高い魔法使いを結界課と開発課が引き抜いていくからだ。



「それと、君にしかできない魔法付与もいくつかあるんだよね」

「え?」

「結界課の二班のブーツ。式は普通だけれど素材が特殊でね、他の職員では魔法が定着しにくいんだ。できたとしても、今のペースで納品は厳しいなぁ」



 ドレッセル室長は苦笑しながら、「君、隠れエースなんだよ」と天を仰ぎながら教えてくれた。



「室長、他の課から異動してもらうことはできないのですか? 結界課は遠征があるため、体力的な面から他の課の者より引退が早いです。そういった方に来ていただくとかは」

「そうだねぇ、そうやって相談するしかないだろうねぇ。華やかなところから、地味な仕事に変わっても良いと言ってくれる魔法使いがいると良いんだが」

「室長の交渉術に期待しております。では、私の退職を認めてくださいますね?」

「当主の交代関わる重要なことだから、仕方ない。次の魔法局の上層部会議で相談してから退職日を伝えるよ」

「よろしくお願いします!」



 そうして退室しようとするが、ドレッセル室長が待ったをかけた。



「ちなみに、どうやって難攻不落と噂の貴公子ルカーシュ殿を落としたの?」

「う、運命を感じてくださったようで」

「ちなみに君の方は運命を感じたの? ルカーシュ殿に負けないくらい優良物件のクレメント君もいたじゃないか。婚約と聞いて、私はてっきりヴィエラさんは侯爵夫人になり、王都に残ると思って喜んでいたのに……あんまりだ」



 妹エマと同じように、ドレッセル室長まで婚約者候補としてクレメントの名前を出した。


 確かに一緒にいることも多く、学生時代からの馴染みで付き合いは短くないがあり得ない。

 クレメントは、ヴィエラを依頼しやすい便利な存在にしか思っていないはず。

 昨日の横暴な態度を見れば、それは明らかだ。



「室長まで何を仰っているのですか。クレメント様に聞かれたら――なんでこんなヤツと、恋仲を噂されなきゃいけないんだ――と怒られますよ。それに相手は名門バルテル侯爵家の跡継ぎです。次男、三男ならともかく、現侯爵が次期侯爵の妻として貧乏くじの私を受け入れないでしょう」

「うーん、まぁ、人によって見え方が違うということがよく分かったよ。とにかく話は分かった。ちょっと早いけど、もうそろそろ定時だし帰って良いよ」

「はい、失礼いたします」



 ヴィエラは深々と頭を下げ、部屋を出た。

 婿に来てほしいとルカーシュに頼んでおきながら、こちら側の不手際で、タイミングが遅くなるようではいけない。どうにか退職できそうで、ほっと肩の力を抜いた。



「そういえば、いつ帰ってくるのかしら」



 ルカーシュに退職について伝えたいと思ったものの、今日の彼は日帰り遠征で王宮には不在だ。

 婚約者として、同じ屋敷に住む者として一緒に帰るべく遠征から戻る予定時間を聞くべきだったと肩を落とす。



「ヴィエラ先輩」



 聞きなれた声に呼びかけられ、落としていた視線をあげる。

 回廊の先にいる声の主の姿を見たヴィエラは、思わず身を強張らせた。



「クレメント様……どうしてこちらに?」

「遠征が終わって、室長が居れば装備補填の注文の相談をしに。それよりヴィエラ先輩は、これから帰るところですか?」

「えぇ、まぁ……」

「なら僕に少し、時間をくれませんか?」



 そう言って、クレメントは思い詰めたような視線をヴィエラに向けた。

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