第9話「挨拶①」


 ルカーシュは『古い屋敷』と称したが、どう見ても『歴史ある屋敷』といった方が相応しい建築物だ。赤い石造りの壁に、真っ白な柱とバルコニー、夕焼けに負けないくらい輝かしい灯りが窓から溢れている。


 アンブロッシュ公爵――この国の四大貴族のひとつで、資産家でもある名門。立派な屋敷の後ろにはまだ広大な敷地が続き、優雅な庭の先には長男夫婦と子どもたちが住んでいるらしい別邸も見える。その別邸も、ユーベルト子爵家の本邸より大きく立派だ。



(ひぃいいいいっ、やっぱり貧乏子爵家の婿に来ちゃ駄目だって……)



 家格の違いを見せつけられ、再び腰が引ける。

 けれどもルカ―シュは先に馬車から降りて、「父上と母上がお待ちかねだ」とヴィエラに手を差し出した。

 もう逃げることは不可能と言わんばかりの、圧のある笑顔だ。


 でもここまで来たら勢いだ、とヴィエラは彼の手を取って屋敷の中へと踏み込んだ。



「ようこそアンブロッシュ家に来てくれた! 私はルカ―シュの父ヴィクトルだ」

「待っていたわ。わたくしが母のヘルミーナよ」



 美形ルカ―シュの親、ここにあり。

 キラキラと歓迎の笑顔を浮かべる美しい公爵夫妻に出迎えられ、ヴィエラは慌てて敬意を示す礼をする。



「初めまして、ユーベルト家の長子ヴィエラと申します。この度は急なお話にもかかわらず、お会いする時間をくださり感謝申し上げます」

「そんな硬くならないでくれ。これから私たちは家族になるのだから」



 アンブロッシュ公爵はにこやかな笑顔のまま、ヴィエラに友好の握手を求めた。



「ありがとうございます」



 そう言いながら彼女は握手をしようとしたのだが……。



「まぁ! その手はなんなの!?」



 アンブロッシュ夫人が悲鳴をあげて握手を遮り、ヴィエラの手を掴んで持ち上げた。

 掴み上げられた手首には、指痕の形をした紫色の痣が浮かんでいた。先ほどクレメントに強く握られた箇所だ。

 ルカ―シュの正体や、公爵への挨拶などに気を取られ、痛みをすっかり忘れていた。



「まさかルカが、あなたに無理を!?」

「俺じゃない。クレメント・バルテルにやられたんだ。さっき俺が迎えに行ったとき、ヴィエラが彼に絡まれていた」



 どう説明しようか悩んでいる間に、ルカ―シュが明かしてしまう。

 公爵夫妻は揃って眉を顰め、さらなる説明を求める視線をヴィエラ投げかけた。



「実は私が退職することに納得できないようで、彼を怒らせてしまったようです。」

「まさか……バルテル家の跡継ぎは優秀で、先日話したときも好青年だと感じたのだが。ヴィエラさんに対してこのようなことをするとは……可哀想に」



 公爵はまるで身内を案ずるように憤った。



「父上、彼は随分とヴィエラを気に入っていたようですから、他人にとられるのが許せなかったんでしょう」

「ルカ―シュ様、逆ですよ。気に入らない私が仕事をやめて、クレメント様の班の魔法付与に迷惑がかかるから怒ったんですよ」



 ルカ―シュの意見をヴィエラは否定したが、彼は眉間に皺を寄せて短いため息をついた。



「そういうことにしておくか。とりあえず、あいつは我慢のできないわがままな餓鬼ってことだ」

「ルカーシュ様、あまり大事にしないでいただけると」

「……君がそう望むなら、今回はそうする。それにしても、これは酷いな。気付けなくて悪い」



 彼は痛ましそうな目で痣を見たあと、メイドに医者を呼ぶよう手配してくれた。

 幸いにも手首は痣の濃さほど痛みもなく、骨にも異常はなかった。湿布薬を塗って、軽く包帯を巻いて終わりだ。


 診察後すぐに夕食をとることになり、豪華絢爛なコース料理に再びヴィエラは圧倒された。

 何年も前に習ったマナーを必死に思い出し、口にしていくがどれも美味しく、顔を緩ませられずにはいられない。

 舌鼓を打っていると、隣に座っているルカ―シュが少し顔を寄せた。



「美味しそうに食べているようだが、無理してないか?」

「だってルカ―シュ様、本当に美味しんですよ。こんなに素敵なディナーは初めてです。生きてて良かった」

「大げさな」

「事実です」



 嘘ではない。コース料理はデビュタントの晩餐会以来と言っても良いし、そのときはウエストを締め付けるコルセットのせいでまともに食べられなかった。


 ヴィエラが目に力を入れて美味しさの感動を訴えれば、ルカ―シュは口を手で押さえて肩を揺らした。

 それは正面に座る公爵夫妻も同じようで、ヴィエラは顔を赤くさせ俯いた。



(公爵夫妻の前で気を緩め過ぎたわ……料理に夢中になりすぎてしまった。恥ずかしいっ)



 気を悪くしていない様子なのが救いだ。



「ははは、我が家の食事を気に入ってくれたようで、当主として嬉しいよ。ルカ―シュがあなたを気に入る訳がなんとなく分かる」

「恐れ入ります」

「さて、気さくで素敵なお嬢さんだというのは分かるが、ヴィエラさんは跡継ぎとして仕事はできるのかな?」



 大らかな雰囲気から一転、公爵からは値踏みをするような鋭い視線を向けられる。当主として、父親としてルカ―シュを婿入りさせるに値するか見極めるつもりなのだろう。

 ヴィエラは姿勢を正して、向き合った。



「ユーベルト子爵家の子は娘二人です。婿入りする方が困らないよう、父は私と妹に平等に教育を施してくれました。ですからルカ―シュ様にはご負担がかからないよう、若輩者ですがきちんと次期当主として努めるつもりです」



 そして「貧乏なので贅沢は提供できませんが」と、苦笑し付け添えた。



「おや、ルカ―シュには頼らないと。地位に人脈に資産――息子は色々条件が良いぞ?」

「存じております。ですが、私は彼が婿になってくれるだけで救いであり、嬉しいのです。彼は救世主です」



 そう言い切ると、アンブロッシュ公爵と夫人は満足そうに頷いた。

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