第8話「騎士の正体②」


 無言で回廊を足早に抜け、西棟の停車場に用意されていた馬車に乗り込む。

 外装に刻印された『アンブロッシュ公爵家』の紋章と、クッションが効いた内装のソファを見て「あ、夢じゃない」とヴィエラは意識を飛ばしそうになる。

 混乱の中、エスコートされた彼女はソファに腰掛け、恐る恐る口を開いた。



「ルカ―シュ様、まさか神獣騎士の団長でいらっしゃいますか? そしてアンブロッシュ家の方……」

「そうだ」



 見間違いや勘違いだったという、一縷の望みは打ち砕かれた。


 この国では神獣騎士に選ばれること自体が難しく、名誉ある職種だ。

 神獣騎士になったものは騎士爵を得て、新たな家名を名乗ることを国王から認められる。アンブロッシュ公爵家の三男でありながら、ルカ―シュがヘリングという姓を名乗っているのはそのためだ。


 騎士爵は一代限りの爵位のため、貴族名鑑には記載されない。尚且つヴィエラは貴族の情勢に疎いため気付けなかったのだ。



(五年前の戦争でワイバーンを神獣とする敵国の騎士団の奇襲を防ぎ、これまで大陸の空の王と呼ばれた敵国のエースを撃墜した英雄じゃないのよ。どうして、そんなお方の名前をど忘れしていたのかしら。しかもナンパするとか……やってしまったわ!)



 自分のやらかし具合に、頭が痛くなる。

 けれどもルカ―シュも、そのことを隠していた節があったことが不思議だ。



「どうして単なる騎士の振りをしたのですか?」

「俺の役職を知ったら、恐れ多いと君は逃げ出すタイプだと思っていたから伏せていた。そうだろう?」

「うっ……ヘリング卿、あのですね」

「今更呼び方を変えて、距離を取るつもりか? 婚約を無効にするなんて認めないからな?」



 にっこりと爽やかな笑顔で彼に釘を刺されるが、ヴィエラはまだ現実を受け入れられない。



「だって、あなた様は生まれも育ちも高貴な方で、国一番の英雄ではありませんか。私ではその名誉に似合う贅沢な暮らしを提供できません。ルカ―シュ様はこれまでのような優雅な暮らしができなくなるんですよ? 良いんですか?」

「自分の贅沢は退職金と騎士年金があるから、君の負担にならないように生活する。先の戦争での報奨金も使わずに貯金してある」

「堅実ですね……でもお金もありますけれど、再度言いますが、子爵領はとーっても田舎なんです。街も小さいからルカ―シュ様の欲しいものがすぐに手に入らず、ご不便をかけてしまうかもしれません」



 お金を持っている貴族は流行を追い、贅を尽くすのが基本だ。

 ルカ―シュの家格や本人の地位を考えれば、初めは良くてもそのうち領地での生活が嫌になるに違いないと予想したのだ。国のために頑張った英雄にそんな不便な思いを、できればさせたくなかった。



「君は俺にお金があると分かっていてもあてにせず、心配するところはそんなことなんだな」

「だって、そういう約束でしょう? 私はお金ではなく、領地まで来てくれる婿が必要なんです。婿にお金があって喜ぶとしたら、私は飢えても婿は飢える心配がなくて良かったなということくらいでしょうか」

「飢え……そんなに厳しいのか」

「いえいえ! さすがに食糧不足で困るほどではありませんが、コース料理とは無縁の食事の水準です。王宮の食堂と同じか、それより低いかもしれません。平民と変わらないと思った方が良いです」



 ヴィエラは眉を下げて、弱々しく笑ってみせた。きっとここまで不自由な生活だと知れば、諦めるかもしれないと。

 けれどもルカ―シュはホッと短い安堵のため息をついただけだった。



「その程度なら問題ないじゃないか。戦時中や結界の遠征のときの野営生活レベルを知らないな? 寝床は地面に敷物一枚。場所によっては温かいものは食べられず、固いパンばかり。肉はカラカラの干し肉で、新鮮な野菜とは無縁。プライベートも皆無。屋根と風船ベッドと平民レベルの食事があるだけで大歓迎だ!」

「な、なるほど」



 ルカ―シュが抱いている領地生活への評価が思いのほか高く、ヴィエラは圧倒される。

 立派な神獣騎士を務めるには、戦闘以外にも相当厳しい訓練を重ねる必要があったらしい。

 言われてみれば、決して寝心地が良いとは言えない風船ベッドに感動し、素人の低価格パスタを美味しそうに平らげていた昨夜を思い出す。



(この人は貧乏な私よりも厳しい生活に耐えられる下地があるのね。本人の心配は無用……でも周囲の方たちはどうかしら)



 おずおずと彼を窺う。



「ユーベルト家の台所事情を知ってもなお、ご両親や国王陛下はあなたのような英雄を貧乏子爵家に送り出してくれるでしょうか? こんなに貧乏なんて知らないのでは?」

「いや、知っているよ。神獣騎士の遠征訓練より、良い生活が送れそうだなと両親は歓迎している。国王陛下も、俺と神獣がこの国に留まる確固たる理由ができたから、一応認めてくれた。十年規定の任期もすでに終えている」



 神獣騎士はグリフォンと契約できる貴重な戦力として、騎士になってから十年の勤労が義務付けられている。厳しい訓練に重い責任を背負う代わりに、きちんと十年勤めれば好きなタイミングで引退できるという規定だ。


 ルカ―シュは十五歳の時に史上最年少で神獣騎士になり、半年前にちょうど義務の十年を終えていたらしい。



「そんな若いころから騎士だったんですね。だから勉強がしたいと」



 人間は神獣グリフォンの指名を拒否できない。グリフォンに選ばれたときから、契約者は国に進路を管理される。

 十五歳から騎士ということは青春を全て訓練と使命に費やし、学園にも通えなかったということだ。



「まさに俺にとってヴィエラの求婚は、望むすべての条件が揃った天啓に等しかった。打ち合わせ内容に関係なく、運命だと思ったよ。この機会を……君を逃すつもりはない」

「――っ」



 ルカ―シュは不敵な笑みを浮かべ、獲物を狙うような眼差しでヴィエラを見つめた。

 ロマンチック無縁の出会いと利害一致の契約婚であり。ここに恋情は存在しない。そう分かっていても彼の『ヴィエラを求める言葉』に彼女の心臓が飛び跳ねた。イケメンは油断できない。

 そわそわしてしまう気持ちをグッと抑え込む。



「で、ではこのまま計画を進めて本当に良いんですね?」

「もちろん。おっと、着いたな」



 ちょうど馬車が停まり、すぐに扉が開けられた。



「――こ、これがご実家ですか?」

「あぁ、少々古い屋敷だけどな」

「これが古い……さすがアンブロッシュ公爵家」



 ヴィエラは扉の向こうに見える、荘厳で視界に入りきらないほど大きい屋敷に息を呑んだ。


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