第7話「騎士の正体①」
あれから上司は夕方まで仕事場に戻ってこなかった。
ドレッセル室長も優秀な魔法使いで、消耗した宮殿の建物の魔法付与の修復によく巻き込まれ帰ってこないことがあるので、特に不思議ではない。
(退職日の相談と、結婚相手の報告の続きをしたかったけれど、また後日改めるしかなさそうね。さて、時間通りに終わったわ)
魔力の消費が大きく、疲れはいつも以上だけれど、きっちり定時上がりだ。
ヴィエラは待ち合わせ場所に行く前に休憩室に寄って、髪型と化粧を確認する。ルカ―シュも騎士服のまま今夜の顔合わせをするというので、ヴィエラも技術課の制服のままだ。
結婚相手の両親と会うことに少しばかり緊張するが、ここまで勢いできたのだ。このまま突っ走るしかない。
気合を入れて休憩室を出た。
(そう言えば、ヘリング家の爵位を調べるのを忘れてたわ。同僚にそれとなく聞けばよかった……って、あれ?)
小さな後悔をしながら西棟の回廊を歩いていると、怒りの形相で待ち構えるクレメントがいた。
彼は、ヴィエラに様々な注文をしてくる。ときには納期に間に合わなかったときもあったが、ため息はつかれても怒りを向けてくることはなかった。
ヴィエラの身は勝手にすくみ、本能的に足を一歩後ろに下げた。
「ヴィエラ先輩、結婚するってどういうことですか?」
クレメントの声は、表情に比べて非常に落ち着き払っていた。低く、冷たく、感情を抑えている声色だ。彼はヴィエラに問いながら、長い足を前に出して距離を詰めてくる。
偶然にも回廊にはこのふたりしかおらず、逃げ場もない。
「ド、ドレッセル室長からお聞きになったのでしょう? 本当です」
「伴侶探しはやめたと言っていたではありませんか。夜会のときも、そんな相手はまだいなかったはずです。嘘をつき、隠していたのですか!?」
「嘘はついていません。お相手が見つかったから、探すのをやめただけです。それにどうしてクレメント様に、逐一婚約事情を報告しなければならないのですか!?」
思わず反抗的な言葉が口から飛び出してしまった。
クレメントは面を喰らって瞠目し、わずかに狼狽したような表情を浮かべた。
仕事のみならず、プライベートまでクレメントに支配される覚えはない。どうしてここまで執着されているのか分からない。
一度言ってしまった事実のせいで、今まで我慢していた鬱憤を堰き止めていた壁が崩れる。
「私の存在が気に入らないからと言って、そこまで嫌がらせする理由は何なのですか? もしかして結界課の配属のお誘いを断った腹いせですか?」
「腹いせなんかじゃない!」
「ではストレスの捌け口? 八つ当たり? どっちにしろ、私がクレメント様に好かれていないのは承知しております。ご安心ください。結婚したらすぐに王都から去りますから、もう放っておいてください」
「王都から去る!?」
クレメントはカッと怒りを爆ぜさせ、ヴィエラの両手首を強く掴んだ。遠慮のない力で締め上げられた彼女の手首は熱く痛み、血が止まった指先は急速に冷たくなっていく。
「は、離してくださいっ」
「嫌だ」
「疎ましい人間が消え去るのに、何が不満なのですか!? そこまで私をサンドバッグにしたいの!?」
「違う! ただあなたは、僕の側にいてくれなければ困る!」
彼の意図が理解できない。
(怖い。どうして私を狙うの? こんなことされるほど、悪いことした?)
逃げたくても、強く掴まれた手は振りほどけそうもない。騒ぎにしてまで、叫んで助けを求める勇気もない。
誰かひとり、回廊を通らないかと願う。
そうすれば頭に血が上ったクレメントも正気に戻るはずだと祈ったとき、見知った男がクレメントの背後に姿を現した。
「その手を離せ」
ルカ―シュの登場に、ヴィエラは安堵よりも驚きに支配された。
なぜなら、彼が着ている制服は普通の騎士の制服ではなかったから。
『神獣騎士』と呼ばれる、この国を守護する神獣グリフォンと契約した精鋭騎士のみが着る制服だった。
しかも胸元のメダルを見れば、騎士団長を示すもの。
神獣騎士の団長と言えば、「空の王者」と呼ばれる国最強の剣だ。国王自ら、『王』と認める存在。
状況が飲み込めず、ヴィエラはただ呆け見つめることしかできない。
一方でクレメントはハッとして、彼女の手を握っていた力を緩めた。
「ルカ―シュさんがどうしてこちらに? 遠征について結界課と打ち合わせをしにでも来たのですか?」
「違う。俺は将来の妻となる女性を迎えに来ただけだ」
「――――!? ヴィエラ先輩の婚約相手って」
クレメントが「信じられない」という視線をヴィエラに投げかけるが、ヴィエラ本人も信じられず困惑の表情を浮かべることしかできない。
(私に聞かれても……こっちを見ないで欲しい。思いもよらない大物具合に、ちょっと倒れたいんですけど? 起きたら夢だったことにしたいんだけど!?)
けれどもルカ―シュはヴィエラを将来の妻と断言した。夢ではないので、コクリと頷く。
「そんな――」
「だからその手を離せ、クレメント・バルテル」
ルカ―シュがヴィエラとクレメントの間を割って引き離す。
そしてヴィエラは肩を引き寄せられ、勢いでルカ―シュの胸に飛び込む形になった。
勢いよくぶつかったのに彼は容易く受け止め、クレメントに見せつけるように彼女の腰に手を回した。
クレメントは狼狽し、けれどもまだ信じられないようで「接点なんて、無かったはずなのにどうして」と呟いた。
「君には関係ないだろう? さぁ行こうか、ヴィエラ」
「は、はい」
ルカ―シュはクレメントに冷たい視線だけを残して、ヴィエラを伴って王宮の西棟をあとにした。
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