奴隷を買った話

霞ヶ浦巡

奴隷を買った話

 俺は後悔していた。

 目の前にそびえる山岳地帯を越えた先にある町アグダルを目指して旅をしていたのだが、予想以上に経路上の村が少ないらしい。


”仕方ない、奴隷を買うか”

 徒歩での旅なので、荷物は自分で持てる量に抑えてあったが、次の村が遠ければ食料や水を大目に持たなければならない。金が惜しかったが、荷物を持たせる奴隷が必要だった。


 水筒を空にしてたどり着いた村で市に足を向ける。腹ごしらえをし、食料を買い入れながら、奴隷商を探す。


 奴隷商の他にも、そのあたりで働かされている奴隷や、市に来ている客が連れている奴隷を買ってもよいのだが、仕事を振られている奴隷では高く付くのは当然だ。


 奴隷商は、売れなければ儲からないだけでなく、売れるまで面倒を見なければらないので、奴隷商から買った方が安いのだ。余程気に入った奴隷ならともかく、普通は奴隷商から買った方がいい。


 やっと見つけた奴隷商はしけていた。


「こいつしかいないのか?」

「見りゃ分かるだろ」


 綱でつながれた唯一の奴隷は小さかった。背丈は俺の腰ほどだ。だが、もともと徒歩での一人旅で、荷物運びを手伝わせるだけだ。むしろ都合が良かったが、残念そうな顔を作っておく。その方が安く買える。


 そいつの周りを回って確認する。

 目的地のアグダルまで荷物を運べる体力があることが最低条件だ。アグダルまで健康でいれば、そこで売り飛ばせばいい。


 健康そうではあるものの、ボーとしているというか、俺がねめ回しても、こちらを見返すこともなくじっとしている。

 奴隷として生まれ、もっと小さな時から働かされてきたのかもしれない。生気のとぼしい目をしていた。


「いくらだ?」

「1000だな」

「高すぎる。まともに働けるようになっていればいいが、こんなに小さかったら大した荷物も持たせられない」


 俺は500を主張したが、奴隷商も強気だった。


「子供を産ませりゃあいい。尻を見ろ。直ぐには無理だが、将来は丈夫な子を産めるはずだ」

「そんなに長くこいつを使う予定はない。アグダルまで行ければいいんだ」


 これが失敗だった。

「だったらアグダルまで行き、同じように言って売ればいい」


 結局800まで下げさせ、その奴隷を買った。

 首輪に付けられた綱を引くと、素直に着いてくる。


 荷物を背負わせる背負い籠を買い込み、食料を詰め込んで背負わせても、不満の声一つ上げなかった。少なくとも、反抗的でないのはありがたい。俺には、奴隷を叩く趣味はなかった。


「よし、行くぞ!」


 水だけは自分で持って出発する。この岩と砂ばかりの山岳地帯では、水を持つ者について行かなければ、すぐに干からびて死ぬ。


 村を出て、山道に入ってもその奴隷は黙々と着いてきた。


「しっかり歩けよ」


 試しに、首輪に付けた綱を外しても歩みは変わらなかった。逃げだそうとしたり、立ち止まって休もうとすればどうなるのか分かっているのだろう。綱を引いて歩くのは面倒だ。


 それでも、目を離すことはできないため、俺は奴隷に前を歩かせることにした。一本道なので、道を見誤ることもない。


 後ろに着いて歩くと、確かに奴隷商が言うとおり、いい形の尻をしていた。小さいながらもしっかりした筋肉が付き、太ももに伸びている。確かに、子供を産ませることを考えれば800は悪くない買い物だった。

 ただし、それができるのは大夫先だ。アグダルでのセールストークとして考えただけだ。


 そいつは、歩き出して1時間が過ぎても、全く同じペースで歩き続けていた。

 いい買い物をしたかもしれない。


 そう考えると、名前を付けていなかったことを思い出した。

 だが、どうせアグダルで売るのだ。適当でいい。


「ロバだから、ロバ子でいいだろ。よろしく頼むぜ、ロバ子」


 そう言って尻を撫でると、ロバ子は初めて声を上げて鳴く。岩山の稜線が、モロッコの夕日で赤く染まっていた。

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奴隷を買った話 霞ヶ浦巡 @meguru-kasumigaura

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