第45話 拒絶
『夜間くんっ』
『同じクラスの⋯⋯⋯⋯です、よろしくね?』
そんな声が、頭にこだました。
まるで海の底に沈んでいくような、そんな感覚。意識がもうろうとする間、俺の脳内にちらつくのは、一人の少女。
『夜間くん』
おろしたこげ茶の髪、顔ははっきりとは見えないが、優しげな声が俺の名前を呼ぶ。
『夜間くん』
少女は、そのままゆっくりと手を伸ばしてきて。
その手は俺の顔を挟み、顔がゆっくりと近づいてきて、そして―――
「―――――っぷぁあ!?!?!」
「いひゃぁうっ!?」
がばっと体を起こした瞬間、ごん、と鈍い音が響き、続いて激痛が額に走った。
「あぐっ……!?」
ぐらんぐらんと揺れる視界、やがてぼやけた無数の点は線を結び、一人の少女を形作る。
「いたいなぁ」
「あれ、ねむ……あ……?」
頭を押さえ、ゆっくりと体を起こす。
そこには茶髪の少女などいなく、ふんわりと栗色の髪を肩の上ではねさせた童顔の少女ーーーねむが、わずかに顔をしかめて俺のことを見下ろしていた。
その細くて白い指はなぜか俺の頬に添えられており、ますますテンパる俺。
「……てか! 何が一体……」
辺りを見回すと、澄み切った空、荒れたコンクリートの地面が見える。そして、遠くに倒れている血だらけの男が倒れているのが見える。なんだありゃ?
俺はそのまま、もうろうとした頭を抱えながらも辺りを見回し、
「っ!?」
「お早いお目覚め、安心したぜェ? もう少しおねんねしてたンなら、一発腹にぶち込んでだぜ」
ねむに続いて、金髪のガラの悪い男が視界を埋め尽くし、俺は恐怖で失禁しかけるのを踏ん張ってこらえた。
このガラの悪い男がシスコン気味のひなの兄だと思い出すのにコンマ一秒、即座に地面にひれ伏す。
「どうかご勘弁をーっ!!」
「まァ、冗談だがな! がはは!! 重症人に変なコトなんざしねぇよ」
「え? あ……」
「頭打って15分くらいが経ってるからなァ。下手に動かすのもなんだってことで、まだこの屋上にいるんだ。まァいい、とりあえずそのまま横になってろ」
ひなの兄を前に怯えながらも、まだ頭がぼんやりとしてて、何が起こったのかあいまいだ。
俺は確か、水族館を抜け出して屋上に出て、そしてねむと話していたのか。そしたら、知らない狂暴な男が来て、ねむが――
「そ、そうだ!! ね―――」
「カイさんっ!!! 目が覚めたんですかっ!?!」
そうだ、男だ! それに、ねむはどうなった?!?!
ようやく思い出し、戦慄が走り口を開いた瞬間。
物凄い足音が響き、可憐な声が近づいてくる。
が、その存在が俺に体当たりする瞬間、
「こォら、仮にもけが人に何するつもりだ?」
「うっ……ごめんなさい……っ」
ひょいっと兄に抱き留められ、しょんぼりする美少女―――紛れもなくそれは俺の彼女、ひなだ。
目がバッチリと合い、お互いの間に歓喜、心配、そして遠慮の色がうつり、結果気まずい時間が流れる。
「それよりひな、通報はしておいたんだろうな? 救急車も呼んだか?」
「う、うん、大丈夫だよ」
「よォし、さすがオレの妹だなァ!!」
兄の相変わらずのシスコンぶりは置いておいて、俺は少しずつ頭がはっきりしていくのを感じる。
「かいかおの無事も確認できたしい、ねむ、もう行くねえ」
その様子を横目にねむが立ち上がり、俺はハッとしてねむを見る。
「? どおしたのぉ?」
ねむはいつも通り、こてんと眠たそうな瞳を俺に向けている。
「ねむ! お前、だいじょ……」
そうだ。ねむは、怪しい男に襲われていたのだ。その男は、ねむが暴力団のリーダーであったことを示唆していた。
その時、ねむの腕がめくられて、それで、その腕は。
一体、なにがどうなっているのか。
「ねむ。あの男が言ってたのって……」
「またねぇ、水族館楽しかったなぁ! お家も泊めてくれてありがとねぇ」
途端、ねむは強引に俺の言葉を遮り、いつも通りのほほんとした雰囲気で屋上の扉へ向かっていった。ーーー腕を庇うようにして胸の前に抱きしめながら。
「! おい、ねむ!」
「ダメですカイさん! 頭を打っているんです。念の為、病院に行ったほうがいいです、動いちゃだめです……! それに、ねむさんは、今」
必死に俺を引き留めようとするひなの手に、俺はふわりと手を重ね、大丈夫だと伝える。
そのまま俺は、扉から出ていこうとするねむに駆け寄った。
「ねむ」
「……なぁに。ねむ、急いでるんだけどお」
焦ってねむの腕を掴む。
途端、これまで聞いたことのないほど低い声がねむの口から漏れた。
「……ぁ」
「今ねむ、虫の居所が悪いんだあ。ーーーだから、たとえ相手がかいかいでも、手加減できないかも」
気づけば俺は地面に崩れ落ちるようにして座り込んでいた。
別になにかされたわけではない。ただ、その密度の高い威圧感に足から力がするりと抜けたのだ。
例えるなら、ジャングルで巨大な牙を向いた虎に出くわしたときのような、そんな、明確な恐怖。
「…………ごめんね」
最後にねむが、涙声で何か言った気がしたが。
ねむはこちらを振り返らないまま、ふわりと階段を一気に飛び降りる。その小柄な背中はあっという間に見えなくなった。
「か、カイさん……っ」
地面に座り込む俺を見て、ひなが急いで駆け寄ってくる。
「……ねむに、なにが」
やっと絞り出したのは、そんな言葉。
ひなはそんな大雑把な投げかけにも、丁寧に答えてくれた。
「先ほど、何があったのかは、詳しくは私達もわかってないです。何か尋ねても、はぐらかされてしまって……でも、今のねむさんからは、危険な雰囲気が漂っています」
ひなはそうささやくような声で言いながらも、俺を横になるように促す。
「カイさん、救急車を呼びましたから、大人しくしていてください」
とにかく頭が割れんばかりに痛い。脳内を誰かがかき乱しているのではないか、というほどに強烈な痛みだ。
「まァ、軽い打撲ではあるんだがな。病院行っといったほうがいいだろなァ」
「…………てか、ひなのお兄さん……は、どうしてここに」
さっきから普通にいるけど、なんで? と、またもや霞んでいく視界の中聞くと、
「たまたまお兄ちゃんが、空港から帰ってきたときだったらしくて。二人を追いかけていた時に会ったんです」
そう無邪気に言い放つひなの後ろで、兄が気まずそうな顔をそらす。
あの様子だと、男の家に泊まったひなが心配で、GPSを頼りに駆けつけてきた、といったところか。
「にしろ、あの嬢ちゃん、相当強そうだったがなァ……どっかで見た気もすんだよなァ……」
「あのあと、かいかいが目を覚ますまでいるって、ねむさんそう言ってて。でも、何を聞いても全く話してくれなくて。しかもねむさんには、目立った外傷がほとんどなかったんです。カイさん、一体何があったんですか!?」
「おいおい、けが人に情報を与え過ぎたらパンクしちまうだろォが。後ででいいだろ、とりあえずは」
「そ、そうだよね……すいません、カイさん」
「……」
まずい、脳が情報量の多さと、先程走ったからか、強烈な痛みが増してくる。
そんな中、ぽんと、頭にあたたかい手が置かれた。
「じっといてくださいね。私は、カイさんのそばにいますから。今は何も考えないで、私にすべてを預けてください」
「あ……」
「それで、元気になったその時……話したいことが、ありますっ」
「…………」
何度も何度も、ひなに優しく頭を撫でられて。
混乱が紐解かれる前に、またもや、意識が暗転した。
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