第38話 おもちかえり⑪ 「……は、はじめてだったんです」


「……」


「……」



朝、目が開く。


途端、俺の部屋ではない天井が視界に入る――ああ、そうだ、昨日は両親の部屋で寝たのか。



ん? なんだか頭がぼんやりする。


なんで俺は、この部屋で寝てるんだ?



「……ふぁあ……おはようございますぅ……」



急に横から天使の美声が届き、意識がだんだんと覚醒する。



「あれ、なんで、カイさんが、よこに?」


「……あぁ、一緒に寝たんだっけ……」



首を横に回すと、そこにはうとうとと眠そうなひなの姿が。……すがた、が。



「ひ、ひな」


「はい……?」


「……お前、服、どこやった」



ひなはきょとんとして、胸元に手をやる。が、服がない。


すす、と肌と肌がこすれる音がする。


ちらり、と布団の隙間から、豊満な胸が見える。ノーバリア。



自分の手に意識がいくと、何かを掴んでいるのに気づく。


恐る恐る視線をそちらに向けると、ひなが昨日の夜まで着ていた服を、なぜか手が握っていた。



「あれ……」



つまるところ。


ひなは、裸だった。



「っ!?! っっ!?!!!!」



途端、真っ赤になり、布団の中に隠れてしまうひな。


嫌な予感に、俺も布団の中をのぞき、自分の姿を確認して、



「……っ!?!」



一糸まとわぬ自分の姿に、声にならない悲鳴を上げたのだった。











「おはよお……かいかい、起きたらいなかったけどお、どこにいたのお?」



――数十分後、リビングで。



無言で朝ご飯を作っていた俺たちの背後から急に声がかかり、俺たちは同時にびくっと肩をはねさせた。



振り返ると、寝癖をぴょんと立てた、まだ眠そうなねむの姿があった。


目をこすりながらも、まだぼんやりとした目で俺たちのことを見ている。



気まずくなって、目を泳がせながらも、俺はなんとか言い訳を考える。



「そ、それは、ねむより俺が早く起きただけで……」


「ふぅん? ……それに、ひなのちゃん」


「はいっ!!」



おろした銀髪が、ぴょん! と跳ねる。先ほどから全く目を合わせてもらえないが、横顔はずっと、耳まで真っ赤だ。



あの後、意味が分かっていないままお互い服を着たが、ひなはそれ以降口を開くことなく、視線すら交錯しない。



俺からすると、早く昨日何があったのか、いち早く知りたいところだ。


……誤解なら、誤解だと、早く分かりたいのだ。



「ひなのちゃん……昨日、ちゃんと、ルール守ったあ?」


「あ、そ、それは、もちろん、はい……」



こくこくこくと歯切れ悪そうに頷くひな。何のルールだろうか。


わからないが、聞くことさえなぜか気まずい。



「ふーん。……あと、二人ともお」


「「はいっ!!」」



お互いに目を合わせないまま、直立不動、声をそろえる俺たち。


はぁ、とねむの小さなため息が聞こえ、



「なーんか、ぎこちなくなあい?」



ねむの言葉に、ぎくり、二人で肩を震わせる。



朝起きたら、二人して裸。夜の記憶は、ベッドに二人で入った以降、ない。


お酒なんてもちろん飲んでいないのに、ここまで記憶がないのはおかしい。



……まるで、ベタなエロ本の導入シーンだ。


って、俺、何を!??!



「本当に、どういうことだ……」


「それはねむが聞きたいよお」


「……だよな……あ、あのだな、ひな」


「!!! わ、私はなんにも知りませんっ!!!」



ひなの謎の慌てように、無理やり嫌な予感を打ち消す。


一応病み上がりだったから、熱のせいで記憶がないんだろう。なるほど。


それに、寝るとき暑かったから、服を脱いだだけ。そうそう。それそれ。


もうすぐ夏だし。そういうことも、あるある。



勝手に納得するが、やはりぬぐい切れない疑い。



……俺たちは、昨日、いったい、何を????



「あっ! ほら、おいしいパンケーキが焼けますよ! ……きゃっ?!!」



無我夢中で手を動かしていたからすっかり忘れていたが、どうやら俺たちはパンケーキを作っていたらしい。


と、動揺からか、ひなが盛大に転びかけ、危うくフライパンの上のパンケーキがお陀仏になるところだった。



「あ、危ねー」



すんでのところでひなを後ろから抱きしめ、支える。



「~~~~~~~っっ!!!」



途端、ひなは過剰なほどに体をびくんと震わせた。


フライパンの上で、パンケーキもひなと一緒に跳ねる。


細い肩が、ひなの荒い息遣いを表している。



「ひなのちゃん、いつもに増して危なっかしいよお?」


「……は、はじめてだったんです」


「? パンケーキを作るのが?」


「…………っ」



そう尋ねられた途端、ぴたりと押し黙るひな。



ぎゅっとTシャツの裾を掴む姿が可愛いが。


……ひなは、昨日何があったのか、知っているのだろうか。



―――『カイさん……全部、好きです』



「……っ?!?!!」



途端、聞いたこともないようなひなの甘えた声が脳内再生され、俺は鋭く息を呑んだ。


覚えにないひなの声。


こんなかわいい声、一度聴いたら忘れないのに……なんだったんだ、今の!?!



「――かいかい、ねえ、かいかいってばあ」


「!!」



はっと意識を取り戻すと、きょとんとした顔をするねむが俺の顔を覗き込んでいた。



「かいかい、バターってどこにあるのお? あとメープルシロップあるう?」


「あ……えっと、れ、冷蔵庫の中に。両方、ある」


「ありがとお」



お礼を言いつつも、ねむは寝癖を揺らし、じいっと俺とひなを訝しげに眺めている。



「かいかいまで、どおしたのお? ぼーっとして」


「い、いや……」



分からないが、気まずさに負けて、結局俺は目をそらしてテーブルを拭きにキッチンを離れた。



「ひなのちゃん、どうしたのお、パンケーキ焦げてるよお?」


「ひっ、わわっ!! 本当ですっ」



ハプニングがありつつも、どうにかパンケーキが六枚焼けると、二枚ずつお皿に乗せ、メープルシロップとバターを乗せる。


食卓には甘いパンケーキの香りが漂う。



「いただきまあすっ!」



俺の隣にねむ、斜め前にひなが距離を開けて座る。


一番元気なのはねむで、はむっとパンケーキをほおばるなり、途端、幸せそうな顔になる。



「おいしい! ひなのちゃんにしてはうまいんじゃない、料理い?」


「あ……あ、ありがとう、ございます」


「……」



先ほどからひなは、つんつんとフォークでパンケーキをつついていて、一口も口に入れていない。


俺と目が合いそうにあると、大げさなほどに赤くなり、伏せてしまう現状だ。



「かいかい、あーん」


「もぐ」



その影響でか、いつもなら一瞬戸惑う、ねむの予想外な行動にも、今日は抵抗なく俺も従ってしまう。


口内に広がる、パンケーキのバターの風味。うん、うまい。



「―――も、もお!!! 二人ともお、今日はでかけよお!!!」



「へ……?」


「き、急にどうしたんだ?」



だんっ! といきなりテーブルを叩いて立ち上がるねむに、俺は目をぱちくりとさせた。


ねむは頬を膨らませびしっと俺を指す。



「もともとお、ねむとかいかい、出かける予定だったでしょお? どたきゃんした罪を、償ってもらうときが来たんだよお」


「う、それは申し訳ないと思ってるが……」


「ひなのちゃん、ひなのちゃんは、行きたいところ、あるのお」



名前を呼ばれたことに、ひなはぴくっと体を強張らせ、しばらく俯く。


やがて、永遠とも思える数秒が経ったかと思うと、





「………………すいぞくかん、いきたい、です」





消え入りそうな声に、ねむが、はぁ、といかにも面倒見のよい母親のような顔をして頷いた。



外は、曇り空。



雨は止んでいて、外出規制は既に解けているようだった。





「よおし、それじゃあ今からあ、水族館に行こお! ほらほら、着替えてきてえ!」

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