第32話 おもちかえり⑤ 「私は……カイさんと、おふろ、入りたいです……」


《ごめん実は俺、風邪ひいちゃったんだ》


《熱も出て、上手くベッドから降りられないくらいで……ごめん、買い出しに付き合えない……本当にごめん!》





――あの後。



あの後、スマホを片手に顔面蒼白になって固まる俺。


その沈黙にいたたまれなくなったのか、それとも先程の出来事で気まずさを感じたのか、



「あっあのー、私、ちょっと準備がありますので、ではー!」



と上ずった声で言うなり、そそくさと部屋を出て行ってしまったのだ。




……ちなみに俺はと言うと、スマホを覗き込み、数十分は謝罪の言葉を練りに練り(のせいで頭が回らなかったのもある)今、ようやく誠意が一番伝わる言葉を送信し終えたところだったのだ。



「よし……送信、っと」

「何をですかー?」

「っ!?」



ねむへの謝罪のメールを送り終えた直後、リビングからいつの間にか戻ってきたひなが、ひょこっと部屋に現れ、俺は危うくスマホを取り落としそうになった。



「あっ、さっきのメール、の返信ですか?」



ひなはそう言った後、どこか照れたようにして、ふいっと視線をそらしてしまう。


別に悪い事はしていないのに、どこか罪悪感がうまれ、さらに気まずさで、俺はとっさにスマホを手放す。



「あ、ああ、まあそういったところだ、な」

「そうですか……」



……。


…………。


………………。


……気まずい!!!



参ったな……と俺は、頬を赤らめながらも視線を逸らす。



あの直後は、すぐにひなが部屋から立ち去ったからいいものの……こうやっていざ顔を合わせると、気まずい以外の何でもない。


もう、目の前に隕石でもなんでも降ってきてほしい。とにかく、何か平和に話が続く話題はないか!?



「……ははは……はは……」



とりあえず気まずさを誤魔化すため、俺は顔面に笑みを張り付けた。


ごめんひな、こんな空気を作ってしまって本当にごめん……!!



と、そんな俺を見て、いくらか心配そうな表情になりながらも、ひなが俺に近づいてくる。



「それって、カイさんのご両親だったりはしますか? なら、お礼を言っておかないと……!」

「あっ、いやあ、そういうわけでは……」



ここで事情を話したとして、だ。



『カイさん、ねむさんとデート、するつもりだったんですか……?』


なんて思われてしまったら……ただでさえ、精神状態がまだ不安定なひなだ、その後どうなるか分からない。


誤解された時、きっと今のひななら俺の言い分すら聞いてくれないだろう。



結果、『ねむとの約束の事は隠す!』が最善の手だと思えたわけだ。



「……そう、ですか……?」



しばらくひなは、じいいっと俺を見つめていたが……やがて、なぜかいきなり頬を真っ赤に染めてしまった。戸惑う俺。



「え、えっとー……あ、あの、ところでカイさん! お、お、おふっ……!」

「?」



まるで推しに対面したファンのような言葉に、俺は首を傾げる。


照れ隠しかぎゅううっとTシャツの裾を握るひな。

声はなぜか震え、唇も緊張でか、小さく震えている。



「えっと……どうした? 落ち着け?」

「あ、あの、ですね……っ」



やがて、とうとう腹を決めたのか、ひなは消え入りそうな声になるなり、



「だから、その……お、おふろが沸いたと……い、言ってるんですうーっ!!! カイさんのばかあーっ!!」

「いやなんで!? 痛い! 痛い!! 俺病人!」



と、急に耐えられなくなったのか、ベッドに乗り込んできて、ぽかぽかと俺を叩いてくるひな。なんで叩いてくるのか訳が分からないぞ?!



「~~~~~っ」

「?」



その後、なぜか押し黙って俯いてしまうひなを怪訝に思いながらも、俺はベッドからそろそろと足をおろした。



「よいしょ……っと。沸かしてくれて本当にありがとな。ひなから入ってくる?」

「カイさんと、いっし……っっうぁあ! か、カイさんから入ってきてくださいーっ! ばかああ!!」

「えぇえ!?」



と、なぜかもう一度ぺしぺしと叩かれながらも、俺はパジャマを持って部屋を追い出されてしまった。







「……ゆ、勇気を出すんです、月野ひなの……っ!」






その後、カイの部屋でひとり、そう意気込む声があった。
















「……ふうう……」



脱衣所に入り、病み上がりのせいか少しくらっとする体を支えながらも、俺は服を脱ぎ、タオルを腰に巻く。



……なんか、この家にひながいるというだけで、そわそわしてしまう……っ!!


ひながいる空間で裸になることが、どこか緊張してしまう。



……って俺、何考えて!!!



俺はいそいそとお風呂場に入り、湯を体にかけ、先にお湯につかることにした。




「……っ、ふうううあ……いい湯だ……」



ざばあ、とお湯が溢れ出す音を聞きながらも、俺は肩までお湯につかり、一息ついた。


やはり人間、お風呂に入っているときが一番ほっとするのではないだろうか?


心地よさに、体中の細胞が喜んでいるのを感じる。




「……あれ、そういや俺、昨日お風呂に……入らなかったんだよな?」



しばらくお湯につかっていた後、ふとそんな回想が思い起こされる。



「んで、意識が戻った時、俺はパジャマ姿になってた……んだよな」




て、ことは、だ。


俺から濡れた制服を脱がせ、パジャマにかえてくれた人がいる、と。



「そっ、そういうこと!?」



そんなことをしてくれる人なんて、一人しかいない。



……待てよ、俺、下着はどうだった!?


もし、かえられていたのだとすれば……っ……すぅ、よし、この妄想はやめようか。



今日着ていた下着を確認しないと心に決めながらも、俺は大きく一息ついた。




「……」




……そういや昨日は、ひながここに入っていたんだっけ?


そうか、うーん、そうなのか……。



「……あああもう、バカか俺は!」



ついバスタオル姿のひなを妄想してしまい、俺はがしがしと頭をかいた。


あああ、病み上がりだからか?! さっきから、変なコトばっか考えてしまう!!




「……カイさん?」




ほら、ひなの幻聴が聞こえる! ぎいいって、風呂の扉が開く幻聴まで!!


さらに、お風呂場にバスタオル姿のひなが入ってきた幻覚が見えるぞ!?


おぉ、美肌! 足細! 幻覚でもひなはめちゃくちゃにかわいい……。



え?????




「っっっっっ?!!!! !?!? っ!?!??!」



「わ、だっ、大丈夫ですかっ?!」




ばっちゃああん!! 


と盛大な水しぶきを上げながらも、俺は風呂の中で盛大にひっくり返った。



しばらく訳が分からず俺は、目の前に立つバスタオル姿のひなを、ただ唖然と見つめる。



「お、おーい、です」

「っっ……一応聞くが、だ。……幻覚じゃ、ないんだよな?」



あつさのせいか熱のせいか、思考がはっきりとしない頭でそう尋ねる。



「っ、は、はい……っ!!」



と、真っ赤に火照った頬を覆いながらも、ひなはこくっと頷く。



……はああぁぁあああああ!?!?!?



戸惑いのあまり硬直状態に陥る俺に、裸足のままひなはぺたぺたと俺に近づいてき、風呂の縁に両手をついた?!


あまりの近さに、慌てて風呂の中で小さくなる俺。



「ば、ばか、さすがにこれは」

「お、落とし物!!」



と、恥ずかしさを吹っ切るようにして、ひなが大きな声を出す。



「あ、あのぉっ! 別にっ、こここ混浴とかではなくて! お、落し物!! 昨日、ここにピンを置いてきちゃったんです!!」



ひなは、ゆるくお団子に結った髪をいじりながらも、早口でまくし立てる。



「で、でも、なんでバスタオル姿?」

「あうっ!! か、カイさんが出たあと、すぐに入ろうとしてたんですよ!」


「し、しかも、ピンを探すなら、俺が出たた後でもよかったんじゃ……」

「も、もう出たと思ってたんです!」


「いや、服とか音とか電気とかでわかったんじゃ?」

「~~~っ、か、カイさんが病み上がりだから、溺れてないか心配になったんです、そのついでです!!」



そこまで言うなり、ひなはバスタオルの胸元をぎゅうっとたくし上げながらも、ぷいっと視線を逸らしてしまった。


どうやら拗ねてしまったらしい。



「ふんーっ、別にいーですよ! カイさんは私とお風呂に入りたくないんですね! そーなんですね!! かわいい彼女との入浴は拒むというのですね!」


「え、えっと……俺は、その、ひなと一緒に、入りたいけど……てか、はぁ?! 入浴?! 一緒に?!?」



ピンを探しに来たんじゃ?!


はっとすると、ひなは『しまった』という顔になり、冷や汗をだらだらとかく。



「えぇえっと、そのー……」

「…………」

「か、彼女だからいいじゃないですか!! お風呂に一緒に入るって、少女漫画では普通のことなんですよ!?」



だとしたらひなは、少女漫画という名のエロ本を読んでいる。


ひなの恋愛知識が少し不安になっていると、ひなはずいっと俺に身を寄せてきた。



「で、でも! カイさんも、一緒に入りたいんですよねー?」

「……っ」

「なら! 入りましょうよ! せっかくのチャンスですよ?」

「……っ!!」



まずい……本能が……ッ、制御出来ない……!



い、いやダメだ、先程学んだじゃないか!


もしこんな不祥事、ひなの兄にバレたら……俺はもうひなの隣に立てない!



「私は……カイさんと、おふろ、入りたいです……」



と純白のバスタオルから伸ばした、細くなめらかな手を頬に当てるひな。


つぶらな瞳。湯気で火照った頬。普段は見られない、露出が極端に多いバスタオル姿。まとめた麗しい銀髪から覗くうなじ。



「くっ……!!」



どうするんだ、どうするんだ俺!!!!


俺は、1パーセント残った理性で思考を巡らせ――





ぴろぴろりーん、ぴろぴろりーん!!





「またですか?!!」



途端、俺の思考を妨げるようにして、家のインターフォンがけたたましい音楽を奏でた。



「なんなんですか!! 私たち、何かに呪わてるんですかね?!」

「誰だ……?」



ぎゅっとバスタオルの裾を掴んで嘆くひなを横目に、おれはお風呂場についている窓の外に視線を向けた。


外は台風で変わらず大嵐。雨がごうごうと吹き荒れ、今は午後五時ごろだというのに、空は闇に包まれている。



当然、郵便は止まってるだろうし……こんな時に一体誰だ?



「も、もう! 私、見てきます!」



ひなはあからさまにむすっと頬を膨らませ、バスタオル姿のままお風呂場を飛び出していく。



「ちょ、おい、その格好は……」



が、その声は既にひなには届かない。





――やがて。





「「きゃああああ??!!!」」





玄関あたりで、ひなと何者かの悲鳴が響き渡った。



「おい?! 大丈夫か?!!」



もしや、不審者!? ひなを襲った!?!


俺はテンパりながらも腰にバスタオルを巻き、上半身裸のまま、転びそうになりながらも猛スピードで脱衣所を飛び出した。





……そして、玄関前に駆けつけた時。





「カイさぁん……これは、どういう事ですかあ……??」




バスタオルから肌が透けた大胆な格好で、びしっと玄関を指さし俺を睨んでくるひな。

頬はハムスターのようにぷくっと膨れ、ひなが何かに怒っていることが一目瞭然だ。



俺は、ひなが差した指の方、すなわち玄関の方に、恐る恐る視線をずらす。


そして――、





「かいかいのお見舞いに来たんだけどぉ……これは、どういうこと、なのかなあ??」





亜麻色のボブヘアーから雨水を滴らせ、レインコートをびしょびしょに濡らして玄関前に立つ、同級生――



――ねむの姿が、視界に入ってきた。




バスタオル一枚腰に巻き付け、真っ青になり固まる俺。



二人は同時に俺を指さし、そして同時に口を開いた。





「「どういう事か、説明してくださいっ!!!」」

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