第30話 おもちかえり③ 「私も大好きー、の、ちゅー!」


「……てください、朝ですよー!」



朧な意識の中、耳元で甘い声がする。



「うぅん、あと五分……いや、十分寝かせてくれ……」



寝ぼけながらも小さく息を吸い込むと、みそ汁のような、食欲をくすぐる香りが鼻に届く。



「んあ……?」



ああそうか、母さんが帰ってきたのか……いやでも、母さんが毎日作る朝ご飯は、トーストにヨーグルト。朝にみそ汁なんて、何年ぶりだろう?



……そういや昨日の記憶がない。


昨日俺は家に帰ってきて、お風呂に入……ん??



「早くしないと、お味噌汁が冷めちゃいますよー?」



脳が働き始める前に、ちょんちょん、とわき腹をつつかれる感覚が走る。


続いて、ごそごそと何者かがベッドに入り込んでくる音。



「ぐっすりですね……ならば、大胆になっても……いいですよね?」



……この声は……ひな?!!



「!?!?!!」


「わっ!? かかカイさん!? 違いますっ、これは違って!!」



目をかっと見開いた途端、まず飛び込んできたのは、ひなの胸元で揺れる二つの丘。



「!?!!」


「あっ、わ、うわあぁ!?」



俺が目を覚ましたことを知ったからか、ひなはわたわたと俺から離れようとし、どてんと盛大にしりもちをついてしまった。



「!?! ど、な、なんでひなが家に……」



驚愕でしばらく声を失った後、ようやく口からかすれた声が出た。



「? なんでって……私をカイさんの家に連れ帰ったのは、カイさんですよ!?」



あぁ……昨日は嵐で、ひなを連れ帰ったのか。



そこで、昨日の記憶がゆっくりと回想される。



ああそうだ、ひなが風呂に入った後、俺も風呂に入ろうとし……その後、気を失った……んだったか?



「痛っ……!」



それを思い出した途端、ずきんと頭の奥が痛み、俺はベッドの上で小さくうめき声を上げた。



「ダメですよー、微熱があるんですから、ゆっくりしてないと!」

「え?」



と、いつの間にか体制を戻していたひなが、ベッドに座り込みながらも人差し指を左右に揺らした。



「俺、熱あるの?」

「ありますよー、37度8分あります!!」

「まじで?!」



やはり、昨日、濡れた状態でいたからか……と反省しつつ、昨日はひなも熱があったことを思い出す。



「ひ、ひなは大丈夫なのか!? ほら昨日、熱があっただろ?」



心配で声が大きくなる俺に、ひなはにこっと無邪気な笑みを向けてきた。



「カイさんが昨日くれた、熱冷ましシートとかを使わせてもらったので、元気いっぱいです! ちなみに熱はー……」



ひなは言葉を途切れさせたかと思うと、どこからか温度計を取り出し、表示された体温を見せてくる。



「……36度9分……か」

「はい! 実は私、頭がいっぱいになると、体温が上昇する傾向にあるようで……昨日はご迷惑をおかけしてすみませんでした……」



そう申し訳なさそうに言うなり、ぺこっと頭を下げてくるひな。



そういや今日は、高い位置でツインテールをしていて、控えめに言って可愛すぎるな……。人気アイドルでさえもびっくりな可愛さだ。


それに、昨日貸したパジャマを今も着てくれている! だぼっと着崩したところが最高に愛おしい。今すぐにでも抱き寄せたい。



……って、俺は何か、大事なことを忘れているような……。



「ではでは、朝ご飯が冷めちゃいますよ! カイさん、立てますか?」

「え? あぁ……」



ひなの声で我に返るなり、俺はベッドから降りようとする。



「……っ!」

「わっ、危ない!」



足を地面に付けようとし、途端にめまいを感じて俺はベッドに倒れ込んだ。



「うーん……相当な重症ですねー……今日は安静にしましょう」

「はい……」



ひなの手を借り、ベッドにもう一度潜り込む。



ぶー、ぶー、とかすかなバイブ音が聞こえたのは、その時だ。



「……俺のスマホか?」

「私ですかね」



ひなは布団の上に手を巡らせはじめ、



「わっ」

「ひゃっ、す、すみません……っ!」



途中に、布団越しに俺の足に触れ、少しぎこちない空気が流れる。



俺たちは、まだキス止まりだからな……って俺、何言って?!



と、頬を赤らめたひながようやくスマホを探り当てた。



……てか、なんでひなのスマホが俺のベッドの上に?


なんて疑問に思っている間に、ひなはスマホを覗き込み……真っ青になった。



「……えっ、着信130件!? お、お兄ちゃん?!」



そこで俺も、ようやく気が付く。



――ひなが俺の家に泊まることを、お互いの親に連絡してなかった!!!



「ま、まずいのでは」

「と、とりあえず、お兄ちゃんに電話します!」



さああああっと真っ青になる俺。



俺の親は、今日の昼までは仕事で絶対帰ってこないため、いいのだが……ひなの親に連絡せずして、一晩が経ってしまった!


年頃の娘を男子の家に泊まらせるなんてこと、ばれたら最悪退学じゃないか?! まずい、どうすれば……!!



ひなも同じことを考えていたらしく、真っ青な顔でスマホを操作し、耳に当てる。



「ま、任せてくださいカイさん! ああ見えて、お兄ちゃんはちょろいです」


「説得力ねぇー……」



ぐっと親指を立ててくるひな。

正直、不安しかない。



緊迫した空気の中、ひなはしばらく操作し、やがて緊張した面持ちでスマホを耳に当てた。



「ん……あ、もしもしお兄ちゃん? え? 今どこにいるって? あー、実は今、彼氏……こほん、か、カイさんのおうちに泊めてもらっ……い、いや、遊びに来てて! えっ、違う、違うよ! 今さっき来たの! え!? GPS……一晩中ついたまま!? ひいー!!」



……ほら、言ったじゃないかぁー!!!!



どうやら誤魔化すことは不可能だったようで、ひなはスマホを耳から離し、半泣きになって俺を見る。



「……お兄ちゃんが、カイさんに代われって……」



俺氏終了のお知らせ。


俺に拒否権はなく、がくがくと震える手でスマホを手に取った。



「すぅ……っ、も、もしもし」


『よォ、昨日はひなが随分とお世話になったようだなァ?!?』



途端、音割れするほど圧のかかった、凄んだ声が鼓膜を直撃した!?



「ひぃっ……お久しぶりですお兄さん! あ、あのですね、それには事情が……」


『事情なんて聞いてねェんだよ。それより……ひなに何もしてないだろうなァ!!?』



怖い怖い怖い!! 怖いんですけど!?



「ま、まさか、するわけないですよ……はは……」


『……本当だろうな』


「もちろんですよ……」



これ、熱下がったわ絶対。


代わりにふぅっと意識が遠のきそうになり、慌てたようにしてひなが受け止めてくれる。



「お、お兄ちゃんっ、違うの! 昨日は大雨だったから、優しいカイさんが、家に上げてくれたの!」



しーん、と静まるひなの兄。


やがて、ひなの助け舟あってか、ひなの兄の気配がぐんと和らいだ、気がした。



『ハハハ、ならいいんだ!! 疑って悪かったなァ、彼氏さんよ。ひなを助けてくれて助かった!!!!』


「あはは……いえいえ……」



冷や汗をだらだらかきながらも、俺は愛想笑いを浮かべ電話に応じる。


危ねぇ、ここでひなの力がなかったら、海外から駆けつけ拳が飛んできてただろうよ……。



『……ところで、折り入ってお願いがあるんだが』


「はっははあ、何なりとお申し付けください!」



頭を下げかねない勢いで返事をすると、ひなの兄のためらうような声が届く。



『実は、だな……今、父は海外、母は出張で、家に誰もいないんだ。さらに俺も、バスケの試合があって、今日本にいない』


「はぁ……?!」



そんなの……危ないじゃないか!!


思わず相槌を打ってしまいながらも、俺はひなの兄の言葉に耳を傾ける。



『さらに、台風の接近で、土日の間は外出を控えるよう促されてる。……つまり、だな』



そこでひなの兄は言葉に詰まる。


そして、なにかを決心したようにして、大きく息を吸った。




『……ひなを、土日の間、お前の家に泊めてやってくれねェか?』




「「!?!?!」」



突然のお願いに、俺は思わずスマホを取り落としそうにる。


まさかの家族公認!? ひなが、俺の家に泊まることを!?!



「えっ、いいのいいの?! いいのお兄ちゃん?!」



ツインテールをぴょんと跳ねさせながらも、ひなが俺の手にあるスマホに体を近づける。



「……っひなぁ?!」



その際に、ひなの胸がむにっと手に当たるが……そんなこと、ひなはお構い無しだ。



『もちろん、無理を言っていることは認めている。お前の家族もいるだろうしよ。だから、もし引き受けてくれるならば、きちんとお礼はするつもりだ』


「えっと……」



これは、俺の親に聞いた方がいいな……まぁ、百パーセント了承すると思うが。



にしても……ひなとお泊まり、か……!!


はやる気持ちを押え、スマホを手に取ると、ちょうど通知音が鳴った。



画面に視線を落とすと、母さんからメッセージのようだ。



《ごめーん、カイ、台風で土日の間、パパとママ、家に帰れないかもー》


《地下にカップラーメンとかあるから、それ食べて生き延びといてね》



最後に、てへぺろ♡ と舌を出したうさぎのスタンプで締められたチャット。



「……はい、大丈夫、みたいです」


『本当か? お前の家族に迷惑をかけて、本当にすまない』



……本当は、俺とひなの二人きりなんだがな……?!?!



でも! こんな大嵐の中、ひなを一人で返すわけには到底いかないし!!


これだって、可愛い彼女を守るために仕方の無いこと! うん、そういうことだ!!



『じゃあ、ひなをよろしく頼んだ。……まあ、お前の家族がいるなら、ひなに手を出すことは無理だろうしよォ』


「はは……もちろん出しませんって……」


『じゃ、バスケの試合があるから、またな。本当に申し訳ないが、ひなを頼んだぞ』



そこで電話が切れ、大きく深呼吸をした。


俺はすました顔をし、ひなに向き直る。



「……と、いうことだ。泊まっていくことになるっぽいが、大丈夫か? 嫌なら、他に手を考えよう」



――内心。



……よっしゃあああああ!!!!!

ひなとお家デート!!! 夢のお泊まりデート!!!

なんだこれ、夢か?! 俺はまだ夢を見てるのか?!

こんなにかわいい彼女と、48時間一緒だなんて、幸せすぎか!!



で、でも一応、本人の了承は得ないとな……?


そう思い、ちらり、とひなの様子を伺うなり、



「……!!!!」



目をきらっきらと輝かせ、しっぽが生えていたならばぶんぶんと振る勢いで、ひなは俺に抱きついてきたっ?!



「げふっ……おいひな、俺は熱が」

「カイさんと、お泊まり……こんなの、幸せですっ!」

「お前、まだ熱あるんじゃっ……ぐっ、苦しい!」

「ないですよっ!! 夢が叶って、本当に嬉しいんです!」

「俺も嬉しいが……あの、苦しいです……」


「えへへ、カイさんといっぱい一緒にいれるのは、幸せです!」



そう言いながらも、さらに強く抱きついてくるひな。



いつか、ひなが熱を出した騒動があったが……あの時みたいに、暴走しなかったらいいが?!



「では、朝ごはん、持ってきますね! あーん、してあげます!」



ひなはそう言うなり、ツインテールを跳ねさせながらも、はだけたパジャマの胸元を整え、ベッドから降りようとする。



「よいしょ……うきゃっ?!」

「ひなぁ?!」



が、ベッドから降りる工程で踏み外したのか、どてんと地面に尻もちをついてしまった。



「大丈夫かひな?! 怪我してないか?!」

「ったー……カイさん、慰めてくださいー……」

「好きだぞ」

「もっと!」

「だ、大好きだ」

「えへへへっ」



それを聞くなり、ひなは嬉しそうに立ち上がり……そしてなぜかベッドにもう一度乗ってくる?!



「ひな、どうした……うわっ?!」



ひなはずりずりと布団の上を這いながらも俺に近づき、俺の足に布団越しに触れるほど、ぎゅっと身を寄せてくる。


そして、



「私も大好きー、の、ちゅー!」


「~~~~~~!!」



そう言い、かわいらしい美貌を俺の顔に重ね――唇をちゅ、と重ねてきた。




「じゃー、待っててくださいね! すぐ朝ごはん、運んできますから!」




その後、頬を真っ赤に染めたまま、一目散に部屋から出ていくひな。








……俺の心臓、明後日までもたないかもしれない。

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