第29話 おもちかえり② 「おふろ……お先にいただきました……」


「おふろ……お先にいただきました……」



――数十分後。



窓の外は大嵐で、雨粒が窓に激しく打ち付けている。


また、魔王の咆哮だと言われても信じてしまう程、重く鳴り響く風の音。


空は夜のごとく闇に包まれていて、このままだと今夜はずっとこの状況が続くだろう。



「あぁ、湯加減はどうだっ……ふおうっ!?」




俺は、先程からそわそわといじっていたスマホから顔を上げるなり……思わず気の抜けた声を出してしまった。



ほんのりと色づいた頬。湿って濡れたさらさらな銀髪は、男子心を強引に動かしてくる破壊力がある。


そして、一番特筆すべきは、男子なら誰しも妄想したことがある夢……。



「あの……カイさんの服、借りちゃってすみません」



……そう、『彼シャツ』だ!!!



あの後、ダッシュして帰ったものの、俺の家に着くころにはお互いずぶ濡れになってしまった。


風邪をひかせてしまっては本末転倒なため、ひなにはすぐにお風呂に入ってもらうことにした。


しかしここで、最難関「着替えをどうするか問題」に直撃してしまったのだ。




『お風呂は沸いてる。あと、こ、この服、数回しか着てないから! 安心して着替えてくれ』



悩んだ結果、俺がまだ数回しか着たことのないパーカーを貸そうとした、のだが……。


そのパーカーを手渡そうとすると、ひなはもじもじと指を突合せながらも、



『……私、カイさんがいつも着てるパジャマを着たいです』



そう、真っ赤な顔をしておねだりしてきたのだ。



そんなかわいい彼女のおねだりを……断れるわけがないだろう!?


別に、しし下心とかそんなのではなく!! しょうがなくだ、彼女のお願いを叶えてあげることが彼氏の務め!!




……てなわけで、俺が毎晩着ているホワイトのパジャマをひなが今着ている、というわけだ。ここに異論は認めるまい。



「……ぶかぶかです」



「……っっ!!」



おぉーっと危ない、抱きしめそうになった!!


俺が貸したロンTの袖をぱたぱたとするひな……それ以外の情報はほとんど頭に入ってこない。



「……これが伝説の『彼シャツ』か……」

「か、カイさん?」



おっっと、またもや見惚れてしまった……!! まずい、彼シャツの効果、恐るべしだ。



「感想を教えてください、カイさん」



あまり見ないようにと顔を逸らしていると、俺の視界に入ろうとしてか、ひながとてとてと近寄ってくる。



「っ……かわいい、です……っ」



だぼっと着た、比較的薄めの生地のパジャマ。


女性らしいふくらみやくびれがそのまま浮き出ていて、目のやり場に困るほど魅惑的だ。


下は何も履いておらず、透き通るほど綺麗で細い足が、太ももから指先まで視認できてしまう。


肌は毛穴ひとつ見つからないほどなめらかで、触ったらさぞもちもちすべすべしていそうだ……っと、またもや魔術にかかるところだった!



「……くっそお……パジャマのやつ……っ!!」



あー、パジャマと切実に入れ替わりたい!

ひなの体に触れられるなんてっ……俺のパジャマに先を越されてしまったっ!



「カイさん、褒める時は目を見て、です」



なんて脳内で格闘していると、ふに、と何の前触れもなく、俺の両頬に、ひなの細く暖かい指が添えられる。


そして、ぐい、と強引に顔を動かされ、ひなの顔が視界いっぱいに映る。



「……っ!!」

「もう一回、かわいいって、言ってみて、くらさい」

「かわ……って、あれ? ひな?」



どこかおかしい……と思った時、ひなはくらりとよろけたかと思うと、俺の胸に顔をうずめてきた。



「だから……かわいいってえ、ゆって、くれないとお……ちゅーう、しますよお?」

「!!! 待てひな」



俺に抱き着いたままじいっと見上げてくるひなの顔を見て、俺ははっと何かを悟った。



とろんとした瞳に、ほわほわとした顔。そして、赤く染まった頬。


お風呂から上がった直後とはいえ、ここまで顔が火照るものか!?



「それはー、カイさんが、かっこいいからー……って、うわう!? カイさんからちゅー!?」



俺は、羅列が回らなくなってきているひなの華奢な肩を掴む。

そして、顔をぐいっと近づけるなり……こつんと額をひなの額に合わせた。



「うーん……熱があるなこれ」

「んんぅー……って、ちゅーしてくれないんですか? そんなあ」



どこか言動がおかしいと思ったら……これは、熱があるぞ!?



「と、とにかくソファーに転がってろ! すぐに体温計とか布団とか持ってくるから!」

「えー! てことは、私、今日はここに泊まっていくってことですかー?」

「と、泊ま……っ!?」



ばっと窓の方を見ると、先程よりも激しく雨が降り続いているように見える。



動揺を隠すため、とりあえずひなに市販の熱冷ましシートや毛布、体温計やカーディガンなどを手渡した後、俺は窓辺に近寄ってみた。



「ひっ?!」



額を冷えた窓にくっつけながらも外を覗き込むと、地面は大洪水という有様だ。


俺は慌ててリモコンを握りニュースを付ける。



「……大雨警報……洪水……台風……外出を控えること……」



たまたまついたニュース番組では、外での有様が映っていた。大雨で、外出は控えた方がよいとの事。

どうやら台風が接近しているらしく、この嵐は二日ほど続くらしい。



「今日は金曜日だから……どうにか学校には行けるか……?」

「あの……私、泊っていっても、いいってことですか?」



と、いつの間にか俺の横にぺたんと座り込んでいたひなが、くい、と俺の制服を引っ張ってくる。



「……あれ、カイさんの服……びしょびしょですよ?」



そこでようやく、家に帰ってきた後、まだお風呂に入っていなかったことを思い出す。



「はっくしょいっ!!」



ぶるっと寒気がし、特大のくしゃみをかます。

う……どこか頭も痛い気がしてくる……。



そこで嫌な予感に行き当たり、俺はぴきっと身を硬直させた。



「……もしや、長時間冷えていたから……風邪を?!」



しかし、ここで俺が風邪をひいてしまったら、ひなが危ない、のに……。



ふらっとよろけかける俺を見て、ひなは慌てて俺をぐいぐいとお風呂場へと押し出す。



「カイさん、早くお風呂に入らないと、体が冷えちゃいます! あっ、それかー……私が体、洗ってあげましょうか?」


「へっ……」



その後、冗談ですよー、とけらけらと笑うひな。


……心臓がやられる! ちょっといいなとか思っちまったじゃないか!!



「とにかくっ、早くお風呂、入ってきてください! 私、おとなしく待ってますからー」

「おとなしく、か……お前にできるのか?」

「バカにしないでくださいよー、できますー! なんなら、夜ご飯を作っとくことだってできます!」

「それはやめておけ、おとなしく横になってろ」


「はぁーい」



思ったより元気なひなにどこか安心しながらも、俺はお風呂場へと一歩を踏み出した。


が……足の感覚がない。



「え」


「かっ、カイさん?!」



続いて、ぐるんっ、と世界がひっくり返った。




「カイさーんっ?!」




終いに、ごんっ、と鈍い衝撃が脳に響き、それを最後に俺の意識は遠のいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る