第28話 おもちかえり① 「わっ、お、おお下ろしてくださいっ! うわぁーっ?!」


「ふはあぁぁああーっ……」



――新入生歓迎会終了後。


体育館の壁に貼られたお花の飾りを取り外しながらも、俺は大きく息をついていた。



視界に入り込む、桃色や白の花飾り。


俺はそれらを抱え直しながらも、もう一度息を吐きだそうとし……。




「何ため息ついてるのお、キス魔さん?」

「うおっ?!」



むにっ、と背中から腹にかけて、柔らかいものが抱き着いてき、俺は危うくお花を取り落としそうになった。



「だーれだ」

「……ねむか?」



「せーかあいっ」


俺が直感で当てるなり、のんびりと落ち着いた声が耳に届く。


振り返ると案の定、両手に桃色のお花を握りしめ、僅かに悪戯気な顔をしたねむと目が合った。



「びっくりしたあ?」

「……」

「無視はひどいよお、かいかい」



小柄かつ童顔なこともあり、ねむがかわいらしいお花を持つと、花の妖精かなにかに見えてくる。


んー、この容姿と性格だったら、ねむは十分モテそうだが……。



……って待て待て、ねむこいつ、先程なんと!?



「き、キス魔ってなんだ、キス魔って!」

「言葉の通りだけどお?」

「さ、さっきのひなとのは、別に俺からしたわけでは……!!」



俺はねむに言い返そうとし、口を開く。


が、途端、あの恥ずかしさが蘇り……うわああああぁああっ!!!



「……ひなのちゃんとかいかいは、これまでも、ちゅーしたことあるんでしょお? 今更どうしたのお?」



真っ赤になってうずくまる俺に、怪訝げに、でもどこか拗ねたような声音で尋ねてくるねむ。



しかし……あのキスは……。



「し、しょうがないだろ……!」



あのキス……。


後輩の、み、みんなに見られてたじゃないか!!!!!! 恥ずかしい以外の何ものでもないっ!!


ああ、あの時の後輩たちのギョッとした顔……その後の歓声、悲鳴……うあああああっ!!!!



「えぇー?」

「…………」

「かいかい? 顔、真っ赤なんだけどぉ?」



フリーズ状態になった俺に、さらに怪訝げに目の前でぶんぶんと手を振ってくるねむ。



「うーん、ダメかあ。惚気た顔してるう……」

「は、はぁっ?! の、ののの惚気てなんかないし!?」


「嘘だあ! うぅ、ね、ねむだって……」



ねむはその後何かを言いかけたが、頬をほんのり桃色に染めたかと思うと、やがて口を閉ざしてしまう。



「? ねむだって、なんだ?」


「そ、それより! 後輩ちゃんの宣戦布告、聞いたでしょお? た、大変だねえっ」



いつもよりどこか饒舌なねむに違和感を覚えつつも、俺は先程の騒動をもう一度思い返す。




ひなが唇にキスを落としてきた後、ゆいはむうっとあからさまに拗ねた顔をした。


そして、



「先輩! 埋め合わせは、きっとしてもらいますからね!!」



そう、びしっと俺を指しながらも、声高らかに言ったのだった。





「……でもなぁ……埋め合わせ、ってどういうことなんだ?」

「さぁ。デートとか、させられるんじゃなあい?」



ふんわりボブヘアーを指先にくるくると巻きつけながらも、ねむがそうからかいの瞳を向けてくる。



「お前なあ……冗談もほどほどに」

「……ねえ。もしかいかいが、ひなのちゃん以外にデートを申し込まれたら、どうする?」



と、俺の言葉を遮るようにして投げかけられた質問に、俺は思わず眉をひそめた。



「……どうするって……そりゃ、断るけど」

「でも、どうしてもって言われたら?」

「いや、俺はひな以外は……」



ますます怪訝げに思いながらもそう返すと、ねむはぐいっと顔の距離を詰めてくる。


視界がねむの整った可愛らしい顔でいっぱいになり、つい引き気味になってしまう。



「どうしてもって、ぎゅーされて頭を下げられたら?」

「……いや、デートと言っても、程合いによるかな……」



もし、委員会で必要なものを買い出しに行く、とかだったら、それはしょうがないしな……。


首を傾げる俺に、ねむはいきなりぐいっと俺に接近してくる。


そして、桃色の唇を開いたかと思うと、






「……じゃあ、かいかい。ねむとデートして」






そう、ねむにしてははっきりとした声で、そう口にしたのだ。






「…………はぁ??」





は? え? ん?



数秒のち、ようやくその言葉が脳内で組み立てられ、正常に翻訳される。



……ねむが? 俺と、デート?




「ダメかなぁ」

「い、やっ、おおおれ彼女持ちですけど……」



忘れてないよね!? てかついさっきまでその話してたよね!?


てかこんなこと、前にもあったような気が……。


焦る俺に、ねむはパーカーの裾をぎゅうっと掴みながらも、俺をつぶらな瞳で見上げてきた。



「……実は。ねむのペットが、昨日から高熱出しちゃって。親は、働いてるから、いなくって。だから、もしおっけーだったら……夜ご飯のために、一緒に買い物、手伝ってくれない?」



胸の前で人差し指をつんつんしながらも、ねむが俯く。




――対して俺の返事は、



「もちろん!!!!!」



これ一択だった。




だって、友達が困っているのに見過ごすことはできるはずがねぇだろ!!


あー、デートなんて言い方するから、勘違いしてしまったじゃないか……!



「! よかったあ……じゃあ、今週の日曜日、空いてるう?」

「ああ、もちろん。何か持って行った方がいいか? ペットが好きな食べ物とか」

「ううん、大丈夫。ありがとお」



ねむは満足げにほほ笑むなり、たたっと俺のそばから数歩距離を取った。



「じゃあ、れおれおが待ってるから、先帰るねえ。ま、また日曜日ぃ……!」

「ああ。ペットによろしくな」








「……やったあ……デート……かいかいと」




カイに背を向けた後、ねむが小さくガッツポーズをしたのだが、当然カイに見えるはずもなかった。













「はーあああ、ようやく終わった……!」


――数十分後、校門前で、俺は大きく伸びをした。



言いつけられていた部分の片づけはとっくに終わっていたのだが、まだ掃除を頑張っている人をつい手伝ってしまい、長引いてしまった。


ああ、それにしても疲れたな……帰ったらデザートでも食うか……。



「あ……かいさん?」

「!!!?!」



ふらりと校門を出たところで、いきなりたたたたたたっとリズミカルな足音が響いてくる。



「ふぐっ!!」

「わっ……ごめんなさい、ちょっとよろけました!」



そしてデジャヴかなにかか、ねむの時と同じようにバックハグを受け、(しかし威力が数倍で)俺はもうすぐで前に倒れ込みそうになる。



「だ、大丈夫ですかカイさんっ!?」

「あ、ああ大丈夫だ、ひぃっ!?」



身を何とか立て直した時、視界に飛び込んできたのは……ひなの唇!?!


先程の騒動が蘇り、俺は思わず上ずった声を上げてしまった。



「カイさん……」




そして、甘い声で呼ばれる俺の名前。



……お、落ち着け俺! 落ち着くんだ!!!


これまで、ひなとは幾度とキスを交わしてきただろうが!!


今更何も迷うことはない!!!




「……カイさん?」



「……っ、へ?」



ひなからのキスを待ち、ぎゅっと目をつむっていたが……いつまでたっても唇に触れるものはない。


恐々と目を開くと、すでに数センチほど俺から距離を取ったひなと目が合った。



「……どうしたんですか? 急に目なんかつむって」

「あっいや、なんでもないんだ! ははは……」



まずい、脳内ピンクだぞ俺!! 落ち着かねば!!!


くりっとした藤色の瞳が戸惑ったようにしてぱちくりとするのを見ながらも、俺は慌てて話を逸らす。



「そ、そういや、体育館の後片付けの時、なんでいなかったんだ?」


「いやぁー、生徒会長の引継ぎの件や、他にも頼まれごとなどがあり、わたわたしてまして……はは……」



銀髪をふわりと風でたなびかせながらも、ひなは疲れたような笑みを浮かべた。


そうだった、ひなはポンに見えて、実は定期テストでトップを牛耳る秀才だからな……それに、元生徒会長。忙しいに違いないのだ。



俺がその途方もない苦労について深く考え始めた時、ひなが少し不安そうに俺の顔を覗き込んできた。



「……カイさん、どうしたんですか?」

「? え?」



はっと我に返ると、ひなの透き通るような美貌が視界いっぱいに広がる。


不安そうな、まるで親猫が自分から離れるのを怖がる子猫のような瞳。


ついでに、女子らしい甘い香りも漂ってきて……くそっ、かわいすぎるだろ……!!!



あまりの尊さに、俺は思わず頭を抱えてしまう。



「……お、怒ってるんですか……?」

「えっ?」



と、今にも泣きだしそうなひなの声に、俺は唖然として顔を上げた。



「……私が、ゲームのルール、破ったから……?」

「え、いやいや怒ってないって……」

「うぅぅう、カイさんに嫌われるなんて、やだ、やだです……」



腰まで下ろした銀髪の毛先をぎゅうっと掴み、ひなは勝手に俯いて落ち込んでしまう。


な、なんだ?? やけに弱々しいぞ??



「いや、だから……」

「無理やりちゅーなんて、嫌でしたよね……っ! でででも、彼女として、他の女子とのちゅーは受け入れがたくて……し、私欲深くて、ごめんなさい……っ」



うじうじとネガティブモードに入るひな。



……さてはひな……相当疲れてるな……?



少なくとも、こんなに落ち込んだひなを俺は見たことがない。



そうだ、新入生歓迎会だって、進行のほとんどはひなが案を出し、進めていた。


つまり、ひなにとっては相当な負担で……。




――ぽつ。


――ぽつぽつぽつ。




「あ……雨?」



ひなに近寄ろうとした途端、顔に雨粒が触れ、俺は慌てて空を見上げた。



「げっ……あ、雨が降るぞ!? ほら、この上着、頭にかぶれ」

「だ、大丈夫です! このまま走って帰ります!」

「バカ、それじゃひなが風邪ひくだろ!?」

「いいんです! もう、びしょびしょになって帰ります!」

「お、おい! ダメだ、ちゃんと暖かくして……」




――ぽつぽつぽつぽつ。


――ぽつぽつ……ざあ、ざあああああっ!!!




雨は段々激しくなり、とうとうバケツをひっくり返したような雨が降り出した!?


辺りは先程までの天気が嘘のように暗くなる。



「じゃ、じゃあカイさん、また明日······っくしゅっ!」



ひなの制服は水を含んだせいか薄く透け、ボディラインが際立ってしまっていた。


下着だって、視認できてしまうくらいに制服は濡れ、雨が滴り落ちている。


短いスカートから覗いた太ももも、寒さのせいか疲れのせいか、小さく震えている。



「……あ、あのなぁ!」




······精神状態も体の状態も疲れて震えている彼女を、1人で返す彼氏がどこにいる!!



でも、ここからひなの家へは走っても10分くらいかかってしまう。


一方で、俺の家へは走れば2分ほど。



「······ああもう!! ひな、俺の家に来い!」

「ひぇえ······?! はそ、そんな悪いです!」

「そんなこと言ってられない! 早くしないと風邪ひくぞ! 今日は夜まで両親は帰って来ない、ほら遠慮するんじゃない!」

「で、でも······!」



さらにひどく降り続ける雨。

ひなの銀髪からはぼたぼたと銀色に光る雨が流れ落ちる。


そして、その濡れた髪の間から覗いた、不安げな暗い瞳と目が合うなり……俺は覚悟を決め、ひなの太ももに躊躇いもなく手を回した。



「ひゃぅっ?! ど、どこ触って⋯⋯?!」

「······か、彼氏命令だ。俺のかわいい彼女をこれ以上疲れさせないための、な!」



そして俺はそのままひなを、勢いよく背中に乗せる。



「わっ、お、おお下ろしてくださいっ! うわぁーっ?!」




そして問答無用で、俺はひなをおんぶし、ダッシュした――俺の家へ向かって。

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