第14話 キスは覚えていてほしかった


「……つまり、あれもこれも、全て!! 全て、記憶がないと言うのか!?!?」

「すみませええぇえんっ!!」



――十分後。


全てを聞き出した俺は、ひなに昨日の記憶が全くない事を知り、驚愕した。


あのあざとさも、あの平手打ちも、名前呼び騒動も、き、キスも……まじで??



「月野さん……ほんまに大丈夫?」

「だ、大丈夫、だと思います……!」



レオがガチのトーンで尋ね、ひなの方が震え上がっている。


と、ねむが瞳に安堵の色を浮かばせながらも、俺が淹れた紅茶に手を伸ばした。



「でも、ひとまずよかったよお。……男たちとの一騒動のことは、覚えてるのぉ?」

「お、男たち……!? ひぇっ!?」

「あー、覚えてないんならいいんだよお。……よかった」



ねむが意味深につぶやき、ティーカップに唇を付けた。即座に、少し眉をひそめる。



「んぅーん……紅茶、ちょっと薄くない?」

「まじで?」

「オレも一口……うお、風味はええけど、たしかに薄いわ……」

「ぐっ……」



ダメ出しを受け軽く落ち込んでいると、ひなが励ますようにして背中を叩いてきた。



「カイさん、元気だしてください!」

「ひな……」

「ほら、私も飲んでみますから! おいしいに決まって……ああ、うん……」

「いや追い打ちかけないで!?」



ひなが微妙な表情を浮かべ、俺はさらに落ち込む。

と、焦ったようにしてひなが顔を近づけてきた。



「ほ、ほら、おかゆもつくってくれたんですよね? カイさん、食べさせてくれますか……?」

「しょうがないなあ」



お盆から、ほかほかあたたまったおかゆの器を持ち、れんげを握る。



「これは当たりやな」

「おいしそうだあ」



半熟の卵に、散りばめられたねぎ。それに、炊きたてのほかほかな米。味見はしてないが、我ながら完璧な自信がある!!



「ほら、あーん」

「あ、あーん!? わ、む、むむーっ!」



なぜかわたわたしていたひなに、俺は首を傾げながらも食べさせる。

と、ひなが一瞬ぽかんとし、そして、みるみる青くなっていく。



「うっ、うえぇ……ええぇ!?」

「ど、どした!?」



ひなが涙目になりながらも、おかゆをなんとかごくんと飲み込み、そして、



「あ、甘ああいっ!!!」



そう、うめくようにして口に出した。……甘い? どういうことだ?? 自分も試してみようと、俺はおかゆをすくう。



「お、俺も一口……げえっ!?!」



口に含んだ瞬間、広がる毒々しい砂糖の甘み。

吐き気を催し、俺は口を抑えて地面に突っ伏した。



「え、ええ、どおしたのお?」

「甘いってなに?」


「うぐぅ……か、カイさん、おいしいです……」

「どこまでも優しすぎるひな、かわいすぎるが……無理するな」



どうやら、塩と砂糖を入れ間違えたようだ。なんてことだ、最悪のミスじゃないか……ぐふっ!!

気持ち悪さがこみ上げ、俺は慌てて近くにあったティーカップに手を伸ばした。



「あぁぁあ……」



中身を口に流し込み、気持ち悪さが落ち着くと、俺はようやく大きな息をついた。



「ああ……助かった」

「そっそれ、か、カイさん……」



顔をあげると、ひなが先程とは打って変わって、ゆでダコのように真っ赤になり、俺を見ている。ん、なんだ??



「そ、そのティーカップ……わ、私が口をつけたやつですよ……!!!」

「あ、ごめん」

「や、そ、そうじゃなくって……」



ひなは頬を両手ではさみ、



「か、間接キス……」

「「「乙女か!!!」」」



あまりの純粋さに、俺たち三人は同時に叫ぶ。いや、かわいすぎるだろ。



「だだだ、だって!! 間接キスですよ……ううあぁ……」



そんな言われると、俺も恥ずかしくなってくる。


今日のひなに、昨日のあざとさを足して二で割ってやりたい。まあ、どっちも最高にかわいいんだが……。



と、レオが呆れたような顔をして息をついた。



「しっかし、昨日いちゃいちゃキスしてたカップルやとは思われへんよなあ……」

「きっ、キスぅう!?!」



ひなが目をまんまるにし、みるみる耳まで真っ赤になる。おいおい……覚えてないとか、言わないよな……頼むよ……。



「ひな、キスしてきた記憶は……」

「あ、あるわけないじゃないですかあぁあ!!!」

「まじでぇ……!?!」



悲しすぎる。俺は、これから忘れることのないほど嬉しかったんだけど……!? しかも、あの後言ってくれた言葉で、物事への考え方が変わったんだけど!!



「うぅうう……私のバカ……なんで忘れちゃったんでしょう……最悪です、最高なのに最悪です……」



うるうると涙目になり、ひながうつむく。


……そして俺は、気づけば口走っていた。



「キス、もう一回してやろうか?」

「ふえっ」



提案し、しまったと思う。


な、なに言ってるんだ俺?!!


確実に引かれたわこれ!! さらに、レオとねむもいるのだ。詰んだこれ……。



「……い、いいんですか?」

「へ?」



しかし、ひなから返ってきた返事は、予想を反するものだった。


い、いいのか……!?



「え、いいの!?」

「いいのってなんですか! 提案してくれたのはカイさんですよ!? それに……もう、絶対に忘れないようにしたくって……んむっ」



それ以上、かわいいセリフで俺を狂わせないように、俺はひなの唇をゆっくりと塞いだ。



「ん……ぅん」



ついでにひなの後頭部に手をやり、さらさらの銀髪を優しくなでると、ひなが瞳をとろんとさせる。




――夢のような甘い時間が過ぎ、俺たちはゆっくりと唇を離す。



途端に、全く見えていなかった世界が色を取り戻し、そして――




「……あのなあ、オレたちがいたこと、忘れとったやろ!!!」

「ばかばか、かいかいのばかあ!!!」



顔を真っ赤に、それはもう火が出るほど真っ赤にして、レオとねむが俺たちを睨んでいた。


水をぶっかけられたようにして、俺たちは冷静に戻る。



「ぅう……ああぁああ、恥ずかしいですっ!!」

「ひなのせいだぞ! かわいすぎるひなのせいで……」



俺たちが責任をなすりつけあっていると、レオがまだ頬を高揚させながらも、今度はねむを睨んだ。



「てかねむっ!! なにちゃっかりカイのこと、かいかいって呼んどるねん!!」

「んー、だって、名前の呼び方は自由でしょお? かいかい、どお?」

「俺は別にいいよ」



と、ひなが頬をぷくっと膨らませ、ねむを羨ましそうに眺める。



「んむーっ、その呼び方、かわいいです! 私も呼びたいです!」

「お、おおお……」

「ねむが考え出したから、著作権はねむにあるんだよおー?」

「えええーっ、ずるいですー! なら私もなにか考えますっ!!」

「ああああ、れおれお呼びは、オレの特権やったのに……」



それぞれがそれぞれの雄叫びをあげる。



「ああぁ……あれ」



俺は我に返り、窓の外へと視線を投げた。もう真っ暗で、星空が広がっている。さすが冬だけあって、真っ暗になるのが早いな……。



「……ずいぶん長居させてもらったな。ごめん、そろそろ帰るな」



そう言うと、ねむも頷く。



「わあほんとだあ、外が真っ暗だあ」

「せやな……じゃ、じゃあ、紅茶、さらえるで」



と、レオがさり気なく、前に置かれたティーカップに手を伸ばした。頬が赤くなっている。


そして、縁に口をつけようとし、



「――へぶしっ!?!」

「レオさあんーっ!?」



レオが物凄いスピードで吹っ飛んでいき、俺たちが唖然として固まる。



「げ、げふっ、ね、ねむ……」



ばさばさっ、どたん!!!

と、せっかく片付けた床をまた乱しながらも、レオが涙目になる。



「ね、ねむ、なんで……」

「だって、私の紅茶が飲まれそうだったからぁ」



と、何事もなかったようにしてティーカップに手を伸ばすねむ。

どうやら、レオはねむの紅茶を飲みそうになったらしい。事故か、わざとかは知らないが……。



「ううお……オレがねむとキスできるのはいつなんや……」

「もう一発殴られたいのぉ?」

「嘘です嘘です嘘ですすみません」


「なんか……ねむさんって、思ったより強いんですね?」

「あ、あははは……そりゃ」



昨日、男たちをボッコボコに吹っ飛ばしてたんだから……と言おうとし、ふとねむの鋭い視線を感じる。恐る恐る顔を向けると、ねむの緊張した顔が映る。



――言わないでほしい。



そんな心情を読み取り、俺は小さく頷いてみせた。理由は分からないが、俺の鍛えられた他人の観察眼が、そう伝えている。


まあ、ねむにもプライベートがある、触れないでおこう。



「そりゃ……なんですか?」

「……いや、なんでもない」



俺は、もう一度ねむを見る。



「……れおれおだいじょうぶう?」

「これ見て大丈夫か聞ける方が、大丈夫か聞きたいわ!!」



ねむは俺を見て一瞬微笑んだかと思うと、絆創膏を取り出し、レオの手当をし始めた。



「それでそれで、カイさん」

「ん?」



と、ひなが恥ずかしそうに俺を見つめる。



「キス。……もう、忘れませんからね?」



そのかわいさに、俺はどきっと心臓を高鳴らせる。



「……ああ、頼むぞ」



それに、万が一忘れてしまう事があっても。

忘れることができないほど、キスを重ねればいい。




「……窓の外、見てください」

「言われなくても見てる」



窓の外には、俺とひなを結んだ満月が浮かんでいた。俺たちをあたたかく包んでいる。


もうこんな時間か……いやもちろん、そこじゃないだろう。





「「月が綺麗ですね」」





同時に言い放ち、俺たちはレオとねむにバレないように、そっと口づけを交わした。


綺麗な月が、どれだけ俺たちに幸せを分け与えただろう……計り知れないな。





――俺たちはその後、ひなの家を出る。



「じゃ、お邪魔しました! 月野兄によろしく」「おじゃましましたあ」「ありがとな!!」


「はいっ、また来てくださいねー!」



銀髪を幻想的に輝かせながらも、ひなが手を振ってくれる。



四人の仲がますます深くなったことに幸せを感じながらも、俺たち三人は家路へついた。




「ねえねえれおれお」

「ん? なんや」



不意に、ねむがレオに声をかけた。

俺もなにげに耳を傾けると、ねむは月を見上げながらも口を開く。



「月が綺麗だねえ」


「へぶっ!?!」



俺は思わず驚愕の音を上げ、口をぱくぱくとさせる。


つ、月が、きれっ……ねむ!?! それ、こ、こくはく……っ!?



そう焦る俺の横で、レオは一言。



「ほんまや、綺麗やな」

「でしょー」


「?!??!??」



俺はさらに口をぱくぱくとさせ、二人をただ見つめる。

と、視線を感じてか、二人が怪訝げに俺を見てくる。



「え、どしたん? カイ」

「どおしたのお、口が鯉みたいにぱくぱくしてるよお?」



いやいや、告白……ん?

…………!!!!



「あ……ああああ、あああ!!!!」

「「ひっ!?」」



ご……誤解、させるなああ!!!!!


俺は、その問いかけにそういう意味がないことを悟った瞬間、叫び声をあげた。



「ロマンチックのかけらもないな二人!! 誤解させるな!!!」

「んえー? なにがあー?」

「そやで、なにがやねん」

「ああああー、とにかくさっさと帰るぞ! ったく、月に謝れ……」

「ええー、なんでえ!」



俺たちは小突き合いながらも、月明かりが照らす夜道を駆け出す。



『あ、あのっ……つ、月が綺麗ですね!』



ひなからの告白が頭の中で反芻し、俺はもう一度大きな息をつく。




「……本当に綺麗だな、月」

「「?」」




こうして俺の隣に友達がいることだって、月がなければ、ひなと出会っていなければ、なかった話だ。




「それより、お腹すいたあー」

「今日の晩御飯、なんやろなあ。オレハンバーグがええわ!」




――月があってよかった。


そうもう一度、心の底から思いながらも、俺たちは三人で家路を辿った。

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