第12話 ねむはねむと呼ばれたい


「へ……風邪?」



――次の日。


朝、ひなから電話がかかってきて、俺は目を丸くした。



『はい……ごめんなさい! 微熱があって……』

「それはやばい、ほんとにやばい」



俺はスマホを取り落としそうになり、慌てて持ち直す。



『あは、そんな大事じゃありません……病院に行ったら、ちょっとした風邪だって言われました、わふっ!?』



がたたん、と大きな音がなり、俺は何もできないのに思わず腰を浮かした。



「し、しゃべるなしゃべるな!! とにかく安静に……そそそうだ、俺、学校休んで看病しに……」

『いやいや大丈夫ですよ! 病院の先生によると、早ければ明日には学校に行けますから。疲労かなにかですよー』

「疲労って……それに、親はいるのか!?」



すると、画面の向こうでごそ、と音がする。



『親はいませんよー、父は海外で、母は働いてますしー。お兄ちゃんは……説得して、無理やり学校に送り出しました』

「いや兄負けないで!?」



きっと、上目遣いで『私、おにいちゃんに、学校行ってほしいな……』とか言われたのだろうか……くそっ、羨ましいのはやまやまだが、かわいさに負けないでほしかったぞ……。



『とにかくカイさんは、学校楽しんできてくださいね!』

「でも……」

『私、カイさんに、学校行ってほしいなあ……』

「いってきまっす!!!!」



甘い声に跳ね上がり、俺は転がり出るようにして家を出た。



「とにかく安静にしとけよ! 学校終わったら、お前の家にすぐ行くから!!」

『へっ、そんな、悪いですよ……』

「病人はおとなしくしてるんだ、待っといて」

『わっ、わかりました!?』



昨日の積極さは何処へ、いつもの純粋なひなに戻っていることに、俺は少し驚く。



「……もしや、昨日のって、熱に浮かされて言ってた?」

『わわっ、本がっ!? ……すっすみません、なんですか?』

「なんでもない!! 気をつけて!」



本が何だろう。少し怖くなるが、俺にはひなの安全を祈ることしかできない。

俺は電話を切るなり、慌てて通学路をダッシュする。



いつもひなと二人で歩いている短く甘い登校時間が、今日は寂しく長く感じた……。




もちろん学校でも、ほぼずっとひなの事を考えていた。

お昼は購買で購入し、一人寂しくベンチに腰かけて食べる。改めて、ひなの存在の大きさを感じるな……。



と、不意にふわ、と甘い香りが鼻をくすぐった。俺はつい振り返ろうとし、



「かいくんやっほお」「カイ、昨日ぶりやなあ」

「わっ、わわ!?」



ねむとレオか……びっくりした!!

二人は笑みを浮かべ、俺を挟むようにしてペンチに座った。



「一緒に飯、食べてええ?」

「ああいいよ」

「よっしゃ!」



レオは嬉しそうにして目を輝かせながらも、早速購買のかつサンドをほおばった。



「そういや今日は月野さんおらんのやな、どうしたん?」

「や……どうやら風邪をひいたらしい」

「風邪かあ、それは大変だねえ……長引きそうなのお?」

「病院行って検査受けたら、大したことないってさ。早くて明日には帰ってこれるって」

「よかったあ」



ねむはうっすらと微笑んだかと思うと、はむっとツナマヨおにぎりにかじりつく。


俺も、買った焼きそばパンにかぶりついた。……うん、購買よりも、ひなのお弁当が一番美味いな(確信)



「……あ、そういや、昨日の男たちはどうなったんだ? 丸投げしてごめん」

「ああ、あいつら? まあ、なんとかしといた、また来るかもしいひんけど」

「その時は、ねむが助けるよお」



ねむが髪を揺らしながらものんびりと答える。



「そっ、それはありがたいんだけど……これ以上迷惑は……」

「迷惑って、もう遅いよお? それにかいくん、見るからに弱そお……いや、そうでもないかなあ?」

「ま、まあ、鍛えてはいるけど……てか失礼だな!」

「鍛えてんの! ムキムキなん!?」



別にそういうわけではないが……と焦りながらも、俺は再び焼きそばパンにかぶりついた。



「でも、頼りにはなりそうかなあ……あっ、そうだあ」



不意にねむが目線を上げ、俺の目をじいっと見つめる。無の瞳に、わずかにいたずらげな色が映った。



「かいくん、これから『ねむ』って呼んでくれなくなっちゃうんだっけぇ」

「んぶっ」

「カイ大丈夫!?」



俺が盛大にむせ、レオがばしばしと背中を叩いてくる。ありがたいが、普通に痛い。

……いやそれどころじゃなく、俺は慌ててレオとねむを交互にみやった。



「まっまさか、昨日の見てたとか……」

「ああ、見とったし聞いとったで! ……あ、まずかった?」

「二人キスしてたあ」

「うがああっ!!」



俺が顔を真っ赤に染めていると、ねむが小首をかしげてみせた。



「それで、聞いちゃったんだあ、ひなのちゃんのことだけだけ呼び捨てする、ってやつぅ。……ねむ、かいくんに『ねむ』って呼ばれるの、嬉しかったんだよお?」

「お、オレだってねむって呼んどるのに……」



制服の上から着た、グレーのパーカーの袖をぱたぱたと動かしながらも、ねむが唇を少し尖らせた。レオもなにか言ってるけど、それどころじゃない。



「いや俺的には、これからもねむ呼びが楽なんだが。というか、ひなはいつもあんなこと言わないし……」



すると、ねむが明確に、小悪魔な笑みを浮かべた。



「かいくんに、苗字は教えなあい!」

「おぶっ」

「つまり、ねむ呼びはずうっとしてもらうんだからね?」

「ぐ、おう……」



俺はむしろそれがいいんだが……ひながなぜいきなりあんなことを言ったのか、普通に不思議なのだ。


すると、同じく不思議そうにして考え込んでいたレオが、ばっと顔をあげる。



「なあなあ、今日、月野さんを看病しにいかへん?! それで、それについて聞けばええやん! それにオレ、普通に心配やし! もちろん、月野さんの体調を考慮してやけど……」

「それいいねえ!」

「おお……」



俺一人で行こうと思っていたが……それもそれでいいか、ひながいいと言ってくれたら。



「ちょっとひなに電話かける。寝てたら凄く申し訳ないけど」



俺が恐る恐る電話をかけると、ワンコールでひなの嬉しそうな声が漏れてきた。



『暇してましたっ、カイさん! カイさん!! 待ってました!!』

「おおお落ち着いて……」


「「ラブラブー」」



二人のにやついた視線を感じながらも、俺はスマホに向かって声を発する。



「まず、調子はどうだ?」

『普通になりました! 朝は36度7分だったんですけど、今は35度6分です! 寝てたので、体調もいい感じです』



「月野さんの朝の体温、俺の平熱なんやけど」



レオがぎょっとしたように言うと、それが聞こえてたらしく、ひなが声をあげる。



『レオさん……? えっと、お兄ちゃんが休めって言ったので、大事をとって休んだんです。あっ、昨日の夕方は、37度8分あったです』

「とにかく……お兄ちゃんって家族想いなんだねえ? 優しいんだあ」



ねむが少し驚いたようにし、でも俺は月野兄に感謝する。

もし今日学校に来ていて、それで症状が悪化したりしたらまずいからな。


そうほっと息をつきながらも、早速本題に移った。



「それでだな、ひな。……ひなさえよければ、学校の後、レオとねむも一緒に看病に」

『来てくれるんですかっ!? いいんですか!!』



「よかったあ」

「せやなあ」



俺を遮り、ひながはしゃいだ声をあげる。ねむとレオも、安堵の息をついた。



「おお……じゃ、学校帰りにお邪魔するな。調子戻ったからって暴れちゃダメだぞ?」

『分かってます!』



その勢いで電話を切ろうとすると、ねむがずいっと一歩を踏み出し、スマホに近づいた。



「ねえひなのちゃん。かいくんがねむのこと、ねむって呼んでも、別にいいよねぇ?」


『……???』


「……?」


『なんのこ……きゃうっ、すまほ!』



がたん、ごろごろっ、ばたん!

そんな騒音とともに電話が切れ、俺たちは顔を見合わせた。



「今のだったんだろぉ?」

「さあ……」



音的に、スマホを落としたのか……ドジかわってやつか……。

と、ねむが小さく息をつき、俺を仰ぎ見た。



「んぅ……まああとで聞けばいっかあ、ねぇかいくん?」

「お、おう」

「……ねむって呼んでくれないのぉ?」

「ね、ねむ」

「あぅっ」



なぜか照れたようにして小さく声をあげるねむ。表情には変化がないが、心なしか頬がほんのり赤いようにも見える。



「おっおいねむ、授業が始まるで、行こや! じゃあなカイ!!」

「れおれおー引っ張らないでぇ」

「おう……またな?」



と、なぜかすねたようにし、レオがねむを引っ張っていってしまい、俺は一人になる。



「……家に入れてもらったら、ひなにおかゆでも作ってやるか」



そんな事を考えながらも、俺は二人に続いて校舎の中へと入った。











「うう……またスマホ落としちゃいました……! ひびはいってるし、ああだめです、電源つかないです!」



月野ひなのは、画面にヒビが入ったスマホを持ち上げるなり、絶望的なため息を付いた。



「前落としちゃって、追い打ちみたいになっちゃったかな……電話も切れちゃいましたし!」



ひなのはスマホをベッドの上に置き、しばらくずーんと落ち込んだ後、髪を整えに鏡に向かう。



「まあいいです、修理に出すか、それに、そろそろ変え時ですし! ……それに、三人がくるとなると、部屋を片付けておかないとです、ああ、髪もぼさぼさです!」



慌てて、くしを綺麗な銀髪に通しながらも、ひなのは先程の電話を思い出す。



「……そういや、ねむさんが、なにか言おうとしてましたっけ……ねむさんを名前呼び? かいさんが?」



ひなのは小さく首を傾げる。







「そんな話、しましたっけ……?」








ひなが昨日の夕方、熱に浮かされて言ったこと、したこと。


それらは熱のせいで、すっぽり忘れ去られていたのだった。

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