第11話 もっともっと近くなって


「だいじょうぶだったあ?」



俺とひなが口をパクパクさせていると、ねむがもう一度尋ねてくる。

……いや、大丈夫じゃない。違う意味で。



「…………」



そんな俺を見て、ねむが少し困ったようにして首を振る。その拍子に反射して、耳についた無数のピアスたちがぎらりと光った。



すす、と後ずさると、かかとに何かが当たり、俺は恐る恐る振り返る。

先程の男だった。屍のようにして倒れて、白目をむいている。



「ひ、ひぃ……」

「怖がらないでほしいなあ」



ねむが一瞬悲しそうな顔をした気がしたが、すぐにいつもの調子に戻り、のんびりと言ってみせる。



怖がらないでって……いやいやいや無理だから! こわいよ!!!



俺が半泣きになって身をすくませていると、校舎の方から駆ける足音が近づいてくる。



「おーいねむー、いきなり駆け出したと思ったら! オレをおいていかんといてや!」

「れおれおだあ」



息を荒らげながらもレオが近づいてきて、ようやく地面に転がった男たちに気付くなり、顔をしかめる。



「ねむ、また派手にやったなあ……」

「そうでもないよお?」



そうでもあるから。てか、その冷静な反応はなぜなんだ? 『また』? もしや、過去に同じようなことがあったとかか?


俺が震えながらも尋ねようと口を開いた時、ひなが俺の胸に飛び込んできたので、慌てて受け止める。



「ごめんなさいカイさん、私のせいで、私のせいでカイさんが……」



ひなの震える声。すうっと体温が下がるのを感じる。


続いて俺は、怒りで体を小刻みに震わせる。もちろん、俺への強い怒り。



――完全に俺のせいだ。


俺がひなと付き合ってなかったら、ひなをこんなことに巻き込むこともなかった。

それに、俺のせいで、こんなにも不安にさせている。



「……本当に、ごめんなさい」

「ひな」



きっと、このような嫌がらせはこれからもあるだろう。今回こそ無事だったが、ひなが危険に陥ることだって十分にある。



「……なんか、すんごい嫌な予感するんやけど」



レオの小さな声と同時に、俺の心に芽生えた事。




――これなら、俺たちは



俺のエゴで、ひなを傷つけるなんてこと、死んでも起こってはならない事だから。



空気が打って変わって冷えるのを感じる。ねむとレオの視線を感じる。



「……ごめん、ひな。俺がひなと付き合ってしまったから、こんな目に合わせてしまった」


「……か、カイさん?」



ひなががばっと顔を上げ、不安げな瞳で俺を見る。少し潤んだその瞳に、俺の顔がぼんやりと映った。



「なにをいきなり……わ、私が悪いんです」

「いや、俺。俺とこのまま付き合い続けたら、ひなを危険にさらしてしまうかもしれない」

「カイさ……」

「今回は助けてもらえたけど……ひなのその綺麗な顔と心に傷がつくなんてこと、俺が許さない」

「カイさん!」

「だから……」



そこまで言って、俺を何かが止めた。



嫌だ、離したくない、ひなが好きだ。

けど、大好きなひなに涙を流して欲しくない。



――他の人が一番。そんな自分が、はじめて躊躇う。


ダメだ、さっさと口に出さないと。また人を傷つけてしまう――



「っ、お、おれたち……別、」




そこまで言った時、




「カイさんのバカーっ!!!!」




――ぱしーんッ!!



高い音とずれて、遅れて鈍い痛みが頬を駆け巡る。

ひなに頬を叩かれたのだということを理解するのに、数秒を要した。



「ひなのちゃん」

「月野さん!?」



ねむとレオが、驚いたような声を上げる。



「……来てください」

「ひ、な」



ひなは、綺麗な銀髪を翻しながらも、しっかりと俺の手を掴んだ。

そのまま校門の外へと歩き出し、俺も引きずられるようにして校門を出た。









「……どおしよお」

「……その前に、この男たちをどうするか考えた方がええかも」



グラウンド。

しいんと静まった校庭で、ねむがぽつりとつぶやく。

ねむとレオの周りに倒れ込んだ男たちを見て、レオが小さくため息をついた。



「とりあえず……運ぶか。茂みでええんかな?」

「んー……いいよ」



誰かが来る前にと、レオとねむで手分けをし、男たちをかつぐ。

人気のないグラウンドをそそくさと出ながらも、不意にねむが抑揚のない声を出す。



「……引かれちゃったかなあ」

「おい、気にしたら負けやで」



他人には絶対に読み取れないような、ねむの繊細な感情。

ねむの苦しさと悲しさを感じ取り、レオはさりげなくフォローする。



「そうかなあ」

「大丈夫やって」

「でもお……前の学校でだって」

「考えすぎるな、ねむの悪い癖や」

「……ん、そうするう」



ねむは明るい金色の髪をなでながらも、控えめに頷いた。ちなみに、男二人を片手で支えてかついでいる。



「でもそれより、カイくんとひなのちゃんが心配なんだ」

「……でも、あれはカイが悪いやろ」



俺は、男を担ぎ直しながらもため息をついた。



「あれ、別れ切り出そうとしとったやろ。なんでもかんでも背負うつもりなんか、あいつ! アホやん!」

「お人好しなんだよお」

「それでも、月野さんやったら、一緒に背負いたい、って思うんちゃう? カイも月野さんも、お互いに大好きなんやろうし」

「そうなのかなぁ」

「そうやろ」



レオは茂みに男たちを転がすと、ふうとため息をつく。



「とにかく、それにカイが気づくかっちゅーとこやな」

「気づくといいけどぉ」

「そうやな……てか、大丈夫やろ。しらんけど」

「んー」



ねむはそう返事するなり、眠そうに目をとろんとさせる。



「じゃあ、カイくんとひなちゃんの後を追いかけるよお」

「せやな」





「……ねむも、ええ加減俺の気持ちに気づいてほしいんやけど」


レオが小さくつぶやいたが、ねむは気づかずに歩き始めていた。









「……おい、ひな」



息を荒くしながらも、俺はひなに引っ張られるがままに走っていた。



「……」



いつも二人で歩く通学路。でも、いつもと見える色が違う。

ひなはしばらくして、ゆっくりとスピードを落とし、やがて立ち止まった。



「ひな」



俺が呼びかけると、背を向けたまま、ひなが呟く。



「……ど、いんです」

「え」

「ひどいんです! カイさんのバカーっ!!」



ひなはそういうなり、勢いよく顔をこちらに向けた。目の周りが真っ赤になっていて、俺は心臓がぎゅっと締め付けられるのを感じる。



「なんで、別れようとするんですか!! バカですか!! 私の……私の、大切な人なのに……カイさんにとって、私はどうでもいいんですか……っ?」

「いいわけない!!」

「なら……っ」

「ひなを、傷つけたくなかったんだよ!!」



俺は思わず声を荒らげる。

そんな俺を、ひなは優しくじっと見つめた。



「もう、誰も傷つけないと誓ったんだ! それを……俺のエゴで誰かを、ひなを、傷つけたくない!! もう嫌だ! 嫌だか……っん?」



急に、強引に唇を塞がれ、俺は目を見開いたまま固まる。



「そこまでですよ」



ひなが背伸びしながらもゆっくり唇を離し、俺の目を至近距離で見つめた。



「私、誰がなんと言おうと、カイさんと別れる気、ありませんからね。例え危険でもいいです。カイさんと一緒なら!」

「ひな……」



呆気にとられたようにする俺を見て、ひなはぷくっと頬を膨らませる。

そして、焦らすようにして俺から少し距離を取った。



「私、傷ついたんですから! そうです、私、傷ついたんです。責任取ってください」



責任……といっても、何を。できることなら何でもするが、俺に償えるだろうか。

すると、ひなが涙が残った瞳を向け、いたずらげに微笑んだ。



「私と別れないこと。それに、勝手に責任感じて突っ走らないこと……これ、約束してください」

「へ……そんなこと」

「カイさんにとっては、最大の罰ゲームみたいなものですね?」



ひなの吐息が唇にかかる。



「……いや、こんなものでいいのか?」

「何言ってるんですか。守らなかったら……お兄ちゃんに言いつけます」

「それはやばい!!」



ひなは、唇が当たるか当たらないか、そんな距離で、いたずらげに笑いかけてくる。



「なら、守ってくださいね……大好きです」



甘く囁き、ひなはますます顔との距離を縮める。



「……カイさんは?」



そして、息を詰め、俺を待つ。


……本当に、俺のかわいすぎる彼女は。



俺はひなに顔を近づけ、キスをする。



「……大好きに決まってるだろ、ばか」



時間を忘れて、お互いに愛を確かめ合う。





「……ばか、ですか」



長い甘い時間が過ぎ、ひなが名残惜しげに唇を離しながらも、俺を見つめた。



「バカ同士って、うまくいきますかね」

「いくに決まってるだろ」

「じょーだんですよ……とにかく、誓いましたからね?」



ひなはもう一度唇を重ね、それからゆっくりと俺から離れ、俺の手をとった。

俺はぎゅっと手を握りながらも、ひなの方を向いた。



「ひな」

「はーい?」

「……ありがとな」



ひなは一瞬ぽかんとし、そして、雨上がりの花のように、ぱあっと笑った。



「どういたしまして」




俺たちは一層近寄りながらも、歩調を進める。



「そういや、あの倒れた男たち、ねむとレオに丸投げしちゃったな」

「……カイさん」

「ん?」



ひなの方を見ると、すねたような顔をしている。

ま、またなにかやらかしたか!? 


……と思ったらひなは、頬を淡いピンクに染め、



「ねむさんのことを、呼び捨てするのはダメです。……私だけ、特別がいいです」



……ん?

今日のひな、気のせいか、余計に嫉妬深くないか?? これまで、誰かの名前の呼び方まで嫉妬されることはなかったが……。


心なしか、いつもよりぽかぽかしているひなの頬。それをつねりながらも、俺は少しもやもやしながらも頷く。



「わ、わかったよ……」

「やったあ」




嬉しそうにほほ笑むひな。



とりあえず、俺はもう一度誓う。

――俺は、ひなを二度と悲しませない、幸せにする。










「仲直りしてよかったわあ……ほんまに」

「ん……」



後ろから観察していた二人――レオとねむは、ほっと息をついた。

特に、レオは号泣中だ。



「なんてええ話や……ぐすっ」

「はいハンカチぃ」

「おおきに……よーし、完璧やな! ねむ、帰るで!!」

「そだねえ」




レオが元気よく歩き出し、ねむも後に続く。


ねむは、もう一度だけ二人の方を振り返り、小さくつぶやいた。






「ひなちゃんだけ名前呼びなのが、ちょっとだけ、羨ましいんだけどねえ」

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