第3話 誓いのキス
「あいつが……」
「許さねえ……月野さんが彼女だとお……」
「冗談に決まってるよね? あんな陰キャ、名前も知らないし! ね!?」
「今日ってエイプリルフールだっけ? うんそうだ、そうに違いないッ!!」
「私、月野さんにもう一回聞いてくるから!!」
――昼。
頼むから、みんな、落ち着いてくれ……!!
集会後、学校中は、お祭り騒ぎになった。
いや、お祭りはお祭りでも、血祭りだ。
名も知られていない、陰キャ「夜間カイ」の正体が突き止められるまでにはそうかからず、『2年1組の冴えない野郎だ』と噂は爆発的に広がった。
おかげさまで、ミステリー小説に出てきそうな、殺人予告まがいの手紙を何通も頂いた……まじで冗談じゃなさそうだから怖い。
ちなみに、このことは先生の間でも大きな話題になったらしく、先生とすれ違うたびに視線を受けまくる。内申が下がらないことを祈ることしかできない。
……それより。
なんであの夜、何も考えず簡単に答えてしまったんだ!!! 俺はバカか!!!
俺は机に拳を叩きつけ、がばっと突っ伏した。
長休みに、俺を狙う集団を避けながらもパソコン室に駆け込み、『月が綺麗ですね』について調べた。
「……は?」
出てきたのは、『告白の言葉』という不可解な単語。
驚愕しながらも詳しく調べると、どうやら、夏目漱石が翻訳した言葉らしい。なにしてくれてんだ、夏目漱石ッ!!!
とにかく、告白であったことには変わりなく、俺は『綺麗だな』『死んでもいい』的なことをのうのうと述べてしまったのだ……あああ!
さらに。
「……月野のやつ、最悪な手段を取りやがって……っ!」
月野が全校集会であんなことを言うせいで、曖昧だった状況ははっきりと答を出してしまう。
俺たちがなんと言おうと、生徒たちにとっては、俺たちが付き合ったという事を『事実』だと認識してしまう。
これで、口に戸は立てられないというように、俺がどれだけ弁解しても、どうにもならない。他の選択肢はぶっ壊された。
つまり、これから俺は月野の彼氏として、月野は俺の彼女として、過ごすことになる。
……いや無理だろ!!!
「月野さん、やっぱ本当だって言ってるよお!! どういうこと!?」
「ねえ夜間くん、説明してよ!!」
休み時間のたびに、人気スターのサイン会か!! と突っ込みたくなるくらい、大量の人に囲まれ続けてる俺。
昼休みになった今も、話したこともないようなクラスメートたちに囲まれた。
俺はそんな状況ながらも、どこか月野のことが心配になってしまう。
……月野の方は、きっともっと大変だろうな……大丈夫だろうか。
それに、クラスメイトたちを心配させて申し訳ないとさえも思い始めた。先生方にも迷惑をかけっぱなしだ。
「……ごめん」
「え? なに?」
口からこぼれた謝罪に、クラスメイトたちが怪訝な顔を向けてくる。
お人好しは、やっぱりいいことはない。自分のことを一番大切にできない。
――と、昨日の夜みたいに、軽やかな足音が遠くから響いた。
それは自分の方へと近づいてきていて。
「カイさん!! お昼、一緒に食べませんかっ?」
がらら、と扉が開かれ、頬を赤く高揚させながらも月野が現れた。
突然のゲストにクラス中がざわつき、そして殺気を込めて俺を睨んでくる。
ちなみに俺と月野は、全校集会以降一言も言葉を交わしておらず、(というか会えず)事後初めての面会だ。
俺はここぞとばかりに身を乗り出した。
「おい、月野。その前に、この誤解を解いてくれ!」
「誤解? なにがですか?」
「だから、俺たちが付き合ってるってやつだよ……!!」
まだ俺たちの中では、曖昧な状況なのだ。それなのに、偽事実をつくられてしまった俺からしたら、とんでもないことだ。
と、ばしばしと背中を叩いてくる月野。
「もう、男らしくないなあ。私の勇気を踏みにじらないでくださいよー」
「みなさん、俺らは付き合ってません。これはその、事故のようなもので、まだお互い話し合えてないんです」
「も、もー! おんなじ流ればっかでつまんないです!」
全く取り合ってくれない月野。俺は死んだ魚のような目になる。
「それより、ごはん食べに行きましょう! お腹すきました!」
「うわわっ、ちょ……!!」
俺は、ますます増えた殺気を感じながらも、ずりずりと教室から引っ張り出され、学校の外に連れて行かれる。
そして、そこにあったベンチに強制的に座らされた。
「おい、どういう……」
「じゃじゃーん、今日は頑張って朝早く起きて、お弁当を作ってきたんです! お口に合うと嬉しいのですが……」
「なあ、それより」
「はい、あーん!」
反論しようとすると、無理やりアスパラガスの肉巻きを口に入れられ、俺はとりあえず味わうことにする。……うん、うまい。
きっと、俺のために、何時間もかけて作ってくれたのだと思うと、急に申し訳なくてどうしようもなくなる。
「どうですか?」
「……おいしい」
「よかったあ!!」
と、ひまわりのような笑顔を浮かべる月野。眩しくてつい、目をつむってしまう。
「私、昨日から幸せばっかり続いて、嬉しいですっ! ……あとは、カイさんに認めてもらうだけなんですけど」
「……はあ」
俺はとうとう諦めて、大きく息をついた。
俺はこう冴えない陰キャに見えて、した約束は必ず守りたい男なのだ。
今回は、自覚なしの約束を結んだ。俺にはこの約束を守る義理はない、はずだ。
……まあ普通に考えて、そりゃそうだろう!!!
しかしこうして、月野を傷つけ続けるのは、俺には無理だ。俺が俺を許さない。
それに、今の月野の気持ちを考えるだけでも、胸が締め付けられる。
――『誰かを傷つけるくらいなら、俺は死んでもいいと思うくらい』
――俺はもう、誰も傷つけない。全員、幸せにするんだ。
あの日から、俺はそう固く誓ったのだ。
俺は小さく息を吸い、不安げに暗む、月野のすみれ色の瞳を見つめた。
「……わかった。認めるよ」
「えっ」
銀髪を跳ねさせながらも、月野が唖然とした瞳を向けてくる。
俺は恥ずかしくなり、頬をかく。
「月野と、その……付き合う、ってやつ」
「ほ、ほんとですか!!」
極限まで瞳を見開き、そして、月野は俺に飛びかかってきた。
反動で、ベンチがぎしっと音を立てる。
「こ、これで、堂々とらぶらぶできるんですね……嬉しくて、もうダメになりそうです」
こんなに心配させてたのか……自分が憎い……!!
しかし、胸を痛めながらも俺は、月野にどうしても言っておかなければならないことを口に出す。
「だが、月野。……俺は、月野のことはかわいいと思うが……これから月野を恋愛として見れるかどうかは、別だ」
と、至近距離で月野が俺を見上げ、そして自信ありげに笑ってみせた。
「大丈夫です、私がきっと好きにしてみせます!」
「お、おう……!?」
心臓の音、月野に聞こえてないか!? と心配になるほど、心臓が跳ねる。
どうしたんだ俺! らしくないぞ……!?
と、月野はもっと甘えたげに目を閉じてみせた。
「私、ずっとカイさんを幸せにしたかったんです!」
「はあ……?」
怪訝げに声を出すと、月野は、ますます俺を強く抱きしめた。
思わず俺は月野を抱きしめ返す。
月野は、甘い声で続けた。
「だって、カイさん、いつも他人ばっかりを大事にしてるの見てて、知ってるんですから! ……私がその分、カイさんを大事にするんです!!」
「つき……んっ!?」
ぐいっとネクタイを引かれ、次に、唇に柔らかい、あたたかな感覚が伝わる。
すぐそばに、ピントが合わないくらい近くに、震えるほど綺麗な月野の顔。
ああ綺麗だ。
場違いに、俺はその顔に、瞳に、吸い込まれそうになる。
ほんの一瞬、いや何時間にも感じた時間が過ぎ、月野は耳まで真っ赤にしながらも、慌てたようにして俺から離れた。
俺の脳も、慌てて仕事を始める。
ん?
い、いま、なにが?
「これは、誓いのキス……です!」
……??
………………!?!?!?
俺は、全てを悟った瞬間口を抑え、ベンチから転げ落ちた。
「い、いま、き、き……っ?!?!」
と、ますます顔をゆでダコのように真っ赤にし、月野はばたばたと手を振る。
「はっ、恥ずかしいので、忘れてくださいっ……んきゃっ!?」
慌てすぎたのか、勢いよく地面に尻餅をつき、月野はかわいらしい声を上げる。
俺は慌てて立ち上がると、ぶるぶると揺れる手で、月野へと手を差し伸べた。
「だ、大丈夫か」
「ひゃい……」
……危なっかしくて、見てられない。それに破天荒で、行動を読めない。
まるで、この俺の性格を弄ぶようなやつ。
「ほ、ほら、とりあえず立て」
「あっ、ありがとうございます……」
――こんなの。
こんなの、俺を引き止める要素以外に、なにもないじゃないか……くそ。
「ごめんなさい、急に!! わああぁっ、は、恥ずかしいです……!」
「つ、付き合ってるんだったら、ふつうのコトじゃないか?」
見栄を張ってみせると、月野は照れたようにして頷いてみせた。
「そそそっ、そうですね! 付き合ってるんですもんね、そうですよね!! ……んわあ……幸せです……」
どんな価値があるものとも、きっと比べられないくらい素敵な笑顔で、俺は、小さく心の中で呟く。
「俺が、守ってやりたい」
「か、カイさん……」
「あのー、それで、カイさん」
いいムードが流れる中、月野は、ふと不安げに俺を見上げる。
「? なんだ?」
「あのですねー……このままサボっちゃってもいいんですけど……授業、どうします?」
「……?!?!」
そういやき、ききキスをしている間、遠くでチャイムが鳴っていたような……?
や、やべえええっ!!!!
俺たちは慌てながらも、それとなく手を伸ばし、そしてぎこちなく手を繋ぐ。
「い、行きましょうっ」
「ああヤバい、絶対怒られる!!!」
そのまま俺は、転びかける月野をアシストしながらも、ダッシュで教室へと向かったのだった。
――何はともあれ、俺は月野と共に、新たな世界へ踏み出してしまったのだ。
……踏み出してしまったのだが。
これが、俺の波乱な青春時代の始まりだったことに、この時の俺はまだ気づかなかったのだった。
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