第六部

 メールに添付されていた文書ファイルがそこで途切れているのに気付いて、私は最初、何かのバグだと思った。悪質なコンピューターウィルスにでもやられて、あるところより後ろの部分が引き千切られるようにデジタルの海に放り捨てられたのではなかろうかと。だが、そんな風に腹が立つほど都合の良い挙動を示すウィルスなどあって欲しくないし、あるはずがない。勿論、「都合が良い」というのは彼にとってだけなので、ウィルスの仕業というより彼自らの所業と考えた方が断然納得は行き易い。何度か添付ファイルを捏ね繰り回してみたり、メール本文の空白を白黒反転させて秘密のリンク先でも書いていないかと探ってみたりしたが、どうにもこうにも続きは望めそうになかった。おいおい、責任持って物語を着地させるって言ったのはどこのどいつだ、と思っていると、計ったようなタイミングで、携帯電話の方に彼からメールが着た。

『つづき、なんとか、たのむ』

 うわあ、酷すぎる。こいつ丸投げしやがった。もう二度と手助けなんてしてやらない。

 そんな決意とは裏腹に、早速続きをこうして執筆してやる偉大なる私は、その名を鈴木泉という。作品中にひょこひょこ顔を出していた天才女流若手映画監督の本名と全く同じであるが、あれは彼の完全な創作で、現実の私とえらくかけ離れた存在に仕上がっている。短編映画を三年半で二八本は無理だろ、とかそんな風に思いながら読んでいたが、私には手の届き得ない夢を叶えたもう一人の自分の姿をそこに見て、少し切なくて不覚にも泣きそうになった。父親が行方不明になって、留学資金の調達が出来なくなり、うだつの上がらないまますごすごと日本に引き下がってきたこちらの私は、『依頼』だって『飽食の修行僧』だって撮っていないし、当然、卒業制作の作品が世界中の評論家の絶賛を浴びたりもしていない。その頃の苗字が黒田だったことは確かだけれど、おかげ様で今現在は四六時中鈴木泉のままで生活を送っている。全く馬鹿馬鹿しい。就職活動は一筋縄では行かなかったし、あんな風に上手いこと編集者のポストを得ることなんて夢のまた夢。長い留学経験でペラペラになった英語を武器に、週三回、近所の子供向け英会話教室でお手伝いをさせてもらうのがやっと。フリーターも同然で、毎日毎日だらだらだらだらだらだらだらだらしている。文学賞の選考委員なんて夢のまた夢のそのまた夢の夢、くらい縁がない話だ。

 幼馴染である彼が、大昔から小説を書いていたのは知っていた。と、いうより、父が編集者ということもあって幼少の頃より本と親しんでいた私の気を引くために、彼はことあるごとに小説を書いては私に見せに来ていたのだ。全く、可愛い奴だ。それは、いかにも子供が一所懸命書きました、という稚拙な内容であったが、同い年の私が読む分には実に良く出来ていたし、無理に背伸びをしようとしない点が微笑ましかった。最後は必ず、主人公とヒロインがキスをするか、探していた宝物が見つかって幕を閉じる。近所の悪ガキの名前が敵役に使われている時は、『○○はきられた。しんだ』と、余計な一文を書き足してまで殺してしまうのはご愛嬌。私はこの頃、彼の作品の唯一の読者兼評論家であった。

 彼の文章には時折、ぞくりとするような表現が混じる。

『あいつの後ろを見てごらんよ。ほうら、あれだ。見えないくせに大きくて毛むくじゃらで、やけにあごの発たつしたけだものがいる。明日になればきっとあのけだものは、あいつのせ中の半分をむしりとるぞ。あさってにはもう半分、その次の日にはさらに半分だ』

 これは忘れもしない、彼が小学校三年の時に書いたものだ。まあ、本当は忘れていて、古い日記の間に挟まっていた奴を押入れの奥のほうから引っ張り出して書き写したんだけど。この『けだもの』は物語の主題でも何でもなくて、『あいつ』にしてもただの通りすがりの人だ。この後物語は一切関係のない方向に進み、この『けだもの』には何にも触れられずに終わる。それが無性に恐ろしくて、私は何だか自分の後ろにも大きくて毛むくじゃらでやけに顎の発達した『けだもの』が張り付いているんじゃないかと思えて、二日間くらい後ろを振り返ってばかりいた。何の意味があって彼が自作にこんな奴を放り込んだのかは未だによくわからない。ただ、薄気味悪い印象だけがやけに背中に残るのだった。

 これくらいのことで、彼のセンスは昔から人並みはずれていたとか、そういう風には一概には言えないけれども、私が当時から彼に非凡なものを感じていたのは間違いのない事実だ。別に彼が後に本当に作家になったから後付けで言っているのではない。うん、本当に。それが証拠に、最初は私の気を引くために彼が執筆をするという構図だったはずなのに、いつの間にやら小説を中心として関係が点対称に入れ替わっており、中学に入る頃には、彼の気を引くために私がせっせと批評をしているような状態だった。全く、可愛くない奴だ。彼の執筆への情熱は尋常でなく、その偏執ぶりを考えるに、たぶん私という緩衝材がなければ中学校でまともな友人など一人も出来なかっただろうと思われる。ありがたく思え。何しろ、本格的に物書きになる決心をしたらしく、放課後は毎日学校の図書館で、熱心に文学の研究をしたりしていたのだ。中学生は中学生らしく部活に勤しんでもらいたいものである。

 ちなみに、この頃の作品はこんな感じだ。

『俺とお前とでは対等な関係になれないのだ。それでも俺に着いて来ると言うのか。それでも俺を選んでくれると言うのか。俺はそれに対して上手く言葉を返せそうにない。言葉がないのならあるいは不幸でなかったのかもしれん。だが違うのだ。俺の中に、お前にかけてやる言葉など星の数ほどにある。俺はそれを口にするのが怖いのだ。俺はお前でない別のものを恐れているのだ。俺が返事をした途端に、何かが俺の前から消えてしまうのでないかと不安なのだ。俺に足りないものが充足された刹那、また別の欠落が俺をおそうというビジョンが、脳ずいの中で俺をカリカリとむしばんでいく』

 古き良き時代の文豪にでも感化されたのだろう。随分と味のある作品に仕上がっていらっしゃる。ちなみにこれ、同性愛をテーマにした話。重いわ。中学生風情が背伸びしてみても高が知れている、とか手厳しく批判していたけれど、実際に私は、昔の作品の方が好きだった。絶対にハッピーエンドになる、予定調和的な部分も含めて。悪役は無惨に殺されても良い、みたいな超然とした割り切りも含めて。根っから単純な奴なので、彼にはどろどろした奥深いテーマを書かせるより、勧善懲悪であるとか、そういったわかりやすいのを書かせた方が光る。そんな中に突然、あの『けだもの』が出て来たりするから面白いのだ。

 中学在学中も、色んな文学賞に応募したりしていたみたいだけど、箸にも棒にもかからなかった。棒、くらいにはかかっていたかもしれないけど。編集者だった父に無理言って読んでもらった時は、「もう二皮くらい剥ければ使い物になるかもしれない」と微妙な発言。娘の友人であると言う色眼鏡がどんな風に作用したかわからなかったから、彼には黙っておいた。実際、使い物になったわけだから、二皮剥けたのね。

 何にしろ私は、中学卒業とともに単身渡米という今思えばとんでもない無茶をやらかすことを密かに決意し、ある時思い切って彼にそれを告げ、次の日熱を出して学校休まれたりした。たったそれだけで鈍る決心。嗚呼青春。だが結局、月並みな言葉で言えば、私は彼よりも夢を選んだ。送別会の日に生まれて初めてキスをした。それは、彼の作品に出て来るようなハッピーエンドと程遠かったけれど、私の初恋の物語に終止符を打つには十分だった。前々から彼に憧れていたとかいう後輩の想いが上手く届くようわざわざお膳立てしてから、出発した。敵に塩どころか砂糖も味噌も送る私。空港まで見送りに来た彼は何も言わず、私に短編作品を手渡した。機内で読んで泣いた。それは、背伸びして文学を意識していなかったし、『けだもの』も出てこなかったし、主人公とヒロインはキスしなかったし、財宝も発見されなかった。空恐ろしくなるほど、これまでの彼の作品から逸脱していた。それが大人になると言うことなのだ、と作中にすら書いてあった。ただ淡々と、故郷を想う若い女の話が展開した。私の代わりに、私の心の叫びを書き起こしたようなそれの、終わり方だけどうも上手く思い出せない。ただ、私は負けてはいけないのだ、という強迫観念にも似た想いが私を支配した。私は彼の作品に力強く背中を押され、一人ぼっちの国の土を踏んだ。

 彼は高校に入ると同時にひょんなことから文壇にデビューしたらしい。それは決して華々しいものではなかったけれど、出てきた当初はその若さも手伝って少しは話題になっていたらしい。どうしても伝聞形になるのは仕方ない。私の身辺も過去に例のないくらいごたごたしていて、言葉の通じない国で新しい生活を軌道に乗せるまで、単純な距離の問題以上に彼との距離は開いていて、リアルタイムでその報告を聞くことは出来なかったのだ。私の画策した通りの相手と付き合い始めた、みたいな知りたくもない情報まで入って来て、完全に自業自得なのにそれを聞いて予想以上に狼狽した自分が実は少し好きだ。どうやら私の役目は終わったな、とか勝手に見切りをつけて、九月から映画の専門学校に通い始め、自分の夢のほうに没頭することにした。その後彼は、ある程度のペースで作品を発表し続けたらしいし、学校でもそのおかげで有名人となり、妙な取り巻きみたいな友人がいっぱい出来たらしいし、全てが無問題、順調に大人への階段を昇っていったらしい。一方で私も、言葉の壁を這いずり攀じ登って不様ながら無事に乗り越え、エミリーとかジョンみたいな名前の友人をいっぱい作り、昼間は映画のお勉強、夜は悪い仲間とクラブに繰り出し、酒も覚える煙草も覚える、あと一歩進めばドラッグにでも手を出しそうな充実のスクールライフを送っていた。大人への階段なんて五段飛ばしくらいで駆け上がり、知り合ったばかりの邦人男性に体を委ねてみたり、ずるずるとその関係を続けてみたり、ノリだけで黒田姓になってみたり、と自分のことながら正気の沙汰とは思えない愚行を重ねて行った。この三年間のことを後悔することはないが、よくもまあ両親はこんな馬鹿娘を温かく見守ってくれたものだな、とは思う。彼も、遠い日本で私のことをいたく心配してくれていたらしいが、そっちはそっちでよろしくやってたんだから別に良いじゃない、とここは最後の女の意地で開き直っておくことにしよう。とはいえ彼のほうも、一通りマスコミでの空騒ぎが収まってからはめっきり人々の口に上がらなくなり、細々と執筆を続ける上で、文壇のごく一部と彼の周辺の狭いコミュニティにだけ評価される存在になっていた。盛者必衰の理である。それでも彼は専業作家に並々ならぬ憧れがあったらしく、高校を卒業すると、就職も進学もせずに執筆活動に専念し始めた。とはいえ実質は、バイトバイト執筆バイト、とローテーション的に外で働いている時間の方が長かったみたいだが。親の仕送りにほぼ完全に依存して留学していた私なんかよりは余程マシだね。

 独断での結婚からあまりの気まずさに正月すら実家に顔を見せなかった私だが、一九の夏に離婚して、その年の暮れに国際電話で彼の両親の死を知らされた時はさすがに慌てて帰国の途に着いた。何やら白昼に起きた殺人事件だったらしい。ご近所で起こった悲劇に私の両親も平常心ではいられなかったようで、空前絶後の馬鹿娘を空港までわざわざ出迎えてくれて、小言の一つも大言の二つもなく、無事で良かった、とそれだけ言った。ただいまも言わずに私は泣いた。その日の夜が通夜だった。喪主を務めていた彼は、立派でもなければ精彩を欠き過ぎてもいない、急に両親を失った青年として実にそれらしい態度で場に臨んでいた。憔悴した様子は見て取れた。私と目が合うと少し驚いたように目を見開いた。さすがにその場では、「このたびはとんだことに……」とか当り障りのないことしか言えず、久々の再会に喜ぶことも、昔話に花を咲かせることも出来なかった。私は三日間だけ懐かしき我が家で過ごし、結局その間、彼との会話の時間を持つことは出来なかった。彼の周囲は昼も夜もマスコミやら警察やら親族やらで埋め尽くされており、そんな中を分け入って行く勇気は流石の私にもなかった。両親の混乱が解けて小言を言われるよりも前に、私は脱兎の如く夢の国アメリカに舞い戻った。既に、夢も希望もあったもんじゃなかったが、とにかくがむしゃらに映画制作に関わっていたかった。それは現実逃避に似ていた。彼の両親は、彼に少なからぬ借金を残して逝った。彼は窮地に立たされた。私はまるで他人事のように、遠く遥か彼方、異国の地でそれを聞いた。

 その二年後、今度は私の父が行方不明になった。北海道の火山取材で消息を絶ったらしい。何を好き好んでそんな危なっかしい噴火中の山になんか出向かねばならんのか、私には理解出来ないのだが、そんなことを言えば、爆発させるためだけに飛行機を一機作ってしまう業界に関わっている私だって、傍から見れば同じように見えるのかもしれない。この頃私は、映像技術を学びながら、ある映画監督の下で臨時スタッフとして働いてもいたから、少しばかりの収入があった。親の仕送りがなくてもやっていけないことはなかったが、結局は日本に戻ることを決意した。母親のことが心配だったし、何より映画にそこまでのめり込む理由を、自分でも不思議なくらい見失っていた。帰りの飛行機でも、彼が六年前にくれた原稿を読んだ。白黒だった紙面が、あの頃と違った色に滲んで見えた。故郷への想い。私も変わった。やっぱりそれが大人になるということかもしれない。

 私が日本に戻ってすぐ、彼が会いに来てくれた。新しく買った携帯電話の番号、アドレスを交換し、近況を報告しあった。彼は今、都内に出て一人暮らしをしているらしい。そうなると直接会うのはなかなか難しいね、と言うと、でも小説は読ませてやれるよ、と笑った。自宅PCのアドレスさえあれば、送ってくれるらしい。もうプロなんだから、著作権とかあるんじゃない、と尋ねたら、編集さんに見せる前にこっそり君の感想を聞きたいんだ、とのこと。答えになってない。彼のペンネームを、実はその日初めて知った。帰り際書店に寄ったら、確かに彼名義の単行本が隅の方にひっそりと並んでいる。売れているようには見えなかったが、純文学作品なんてそんなものかもしれない。三冊購入し、家に帰ってから読んだ。彼の一五歳までの作品の変遷を知る私にとって、実に納得の行く作風が確立されていた。作品世界はそのまま彼の内的世界を反映する。主人公とヒロインはキスをするし、キスまでしかしないし、財宝は見つかったり見つからなかったりで、『けだもの』はその気配だけがちらついている。悪役は勿論無惨に殺される役回りで、何の皮肉かある時には近しい人まで無惨に殺され、それでもただ淡々と、故郷への想いだけは純粋に美しいものとして提示されていた。彼は、大人への階段を確かに意識しながら、まだ青春のただ中にあるのだと思った。やるなあ、こいつ。その日の内に最新作が送られてきた。今度新設されるプロアマ不問の懸賞小説に応募するために書いた全くの未発表作品らしい。まあ、それならば著作権上も問題はなかろう。読んでやった。そして笑ってやった。彼という人間は、ここに来て完全に覚醒したのだと思った。彼の作品はその賞を間違いなく射程圏内に捉えていた。返信のメールで評論を書いた。いくつか手直しするべき点を指摘した。彼はそれに対する礼を短く返して来た。半年ほど後、彼は第一回木谷栄二賞の栄冠に輝いた。私はそれを、英会話教室で知った。AはりんごのA、みたいなどうでも良い歌を歌っていたらメールが着信したのだ。Kは子猫のK、と上の空で歌いながら返信した。おめでとう。何故だか少し寂しくなった。彼に足りないものが充足された刹那、また別の欠落が彼を襲うというビジョンが、脳髄の中で私をカリカリと蝕んでいくようだった。

 さてさて、私が何に蝕まれようと、事実は事実として書かねばならない。皆さんももうお気づきだろうが、この作品を書いていた作者は、作中で登場していた池始という青年に他ならない。原稿を送られた幼馴染の私にとって、それは自明すぎて謎解きなんてするまでもないので、疑う余地はない。しかし、それでは皆さんの方は納得出来ないと思う。そこで、果たして彼がどんな魔法で作中からその真相を言い当てようとしたのか、私の拙い想像の翼を羽ばたかせてみよう。

 彼のやり方を踏襲し、作品内の章立てを、第一部から第五部までの五部構成と見なす。そして、読者への挑戦状だけは番外に独立したものとして捉え、その後私の書いているこの部分を第六部と呼ぶことにする。彼の言を信じれば、この第六部などなくても、作者が池始であることを示すヒントは全篇に散らばっているはずだし、とにかく作者が池始であることに繋がりそうな描写を、作中から出来るだけ多く引きずり出してみたい。

 とはいえ、彼は現実に即しているような書き口で真正面から嘘偽りを書き殴っているし、一体何を信じていいやらわからないのも事実。初めて純文学でない作品に挑戦するのだし、思い切ったことをやってやろうという意気込みは確かに見てとれるのだが。うーん、いきなりメタフィクションはきついんじゃないか?

 だが、愚痴るばかりでは能がないし、とりあえず推理らしいことを始めてみる。

 まず、作者がこれだけ妙な作品を書いたからには、何らかの目的があったはずである。第五部では、「岡本さんの不正を暴くため」だとか「木谷栄二を団体だと思わせるため」だとか、どうにも不可解な動機ばかりが取り上げられていたが、ここはもっと単純に、「作中に出てきている作者の評判を上げるため」と考えてみたらどうだろうか。逆に言えばこれは、「作中で優遇されているキャラクターは誰か」を探すことに通じる。私がぱっと思いつくのは五人。米谷正応、鈴木伊呂波、池始、黒田泉、宵口白文である。大本命は米谷。露骨にヨイショされているのがわかる。日本文学界になくてはならない天才だと絶賛されており、さらに最後には木谷栄二と袂を分かって自分の正義を貫こうとしている偉大な人物として描かれている。また、彼の担当編集者として第四部で登場する鈴木伊呂波も、行方不明になるまで誉められっ放しで終わる。一流の編集者であり、確かな鑑識眼を持つ人物として、読者に好印象を植え付け、時には奔放な娘に困らされる一人の父親としての人間味まで垣間見せている。そして池始。第二部、第三部、第五部で一人称を担当し、ロジックよりマジックを重視する不思議な探偵役を勤め上げている。挙句、文学のセンスも一流であるらしく、米谷正応に認められた旨が書かれている。あー、はいはいよかったですね。四番目は黒田泉で、映画監督として世界中に名を馳せるわ、木谷栄二の正体を見破るわ、第二回木谷栄二賞で短編小説を最終選考に残すわで、その持ち上げ方は不気味の一言に尽きる。最後が宵口白文で、第四部にしか登場しないくせに何故かその才能を認めるような描写だけがしょっちゅう出てきて、やけに気にかかる。「意外な犯人」という点においても、彼を疑った者は多いのではなかろうか。その他の人については、例えば岡本、弓削は木谷栄二関連の悪行が少し目立つのでNG。木谷栄二を一キャラクターとして見ても同様のことが言えるし、町村は最後まであまり目立たない。第二回木谷栄二賞受賞の石油王も人間性はぼろくそに言われていたし、第三回の候補作の作者は第一部以降全然関わって来ない。大手町のとある商社に勤めて三年目になるOLの小川紀久子など、もっての他である。

 さて、優遇されている五人について一人ずつ掘り下げていくと、実は一人だけあからさまにおかしな方法で擁護されている人間がいるのがわかる。それが誰あろう池始だ。よくよく考えてみれば彼、第二部ではそもそも、金で木谷栄二賞の栄光を買ったという経歴の持ち主だった。それなのに、いつの間にやら米谷正応に認められており、文章の実力は確かな人、という風に格上げされている。何だこりゃ。それを支える事実は、第三章で『私』が思い出した、米谷から激励されたという記憶だけだったはず。全くの社交辞令だったかもしれないのに、何でそんなにこの発言を重く受け止めているのか? 第五部ではさんざん「第二部の全てが妄想ではなくて、岡本さんの不正は真実なんだ」とあげつらっている割に、その不正のお相手が、池始ではなく相実建一にすりかえられている始末。作中の池君は中途半端な記憶喪失で、過去の自分について作中に描写されている以上のことを知らないみたいなのに、気がつけば自分の無実だけは確信していて、話し相手の作者もそれを追及することはない。確かに、本当の池始を知っている私としては、彼が大金持ちなんかではないとわかっているので、これも当然のように感じてしまったものだが、この物語の中では、明らかに間違った論証だ。

 さらにさらに、傍証は探せばいくつか出てくる。例えばこの作者、ミステリーを書くのは決して上手くない。ひどいのは第三部での謎解き。作中人物に「これは叙述トリックです」と暴露させるなんて、ミステリーとしてはお粗末にもほどがあるでしょう? 例えば弓削さんだったら明らかにもっと上手くやるはず。とはいえ、ミステリーに詳しくないのかと言えば、どうもそれもなさそう。だって、知識が無ければそもそもこんなミステリーを書こうともしないはずだ。例えば町村さんみたいなミステリー素人が、こんな奇天烈なメタミステリーをいきなりしたためるわけが無い。池始は、その両方に該当している。第二部で嫌と言うほどミステリーの枠組み論を語りまくったから知識は十分だし、受賞後伸び悩み、純文学の新作が書けなかったことで初めて、『今度はミステリーに挑戦する』ことにしていたらしい。時期的にも、質的にもぴたりと一致する。きっと、そうやって彼が初めて挑戦したのが、この作品だということだろう。さらに、第五部。これは、『??』と池始が脚本形式で対話する箇所だけれども、どうしてここは、脚本形式なんだろう? ふと考えれば、この構図、どこかで見覚えがある。この『??』という書き方が特に。そう、なんとこれは、第一部に始まって第三部で真相が明かされた、池始とフェアリーちゃんの一人二役の時に見られたやり方とそっくりそのまま同じなのだ。そのままの構造をここに当てはめると、第五部は池始による一人二役であることが示唆されている、となるわけだ。

 いや、無理かな? どうも、慣れないことをやったせいか、牽強付会に終始している感もある。

 まあ、じたばたしてみたところで始まらない。これを書いたのは池始で間違いないし、それは私が一番良く知っている。これ以上のどんでん返しはさすがにもう無いだろう。彼がどんな形でこの物語を着陸させようとしていたのかはよくわからないが、私に丸投げしてきた以上、これがこの物語の真相である。第一、彼も作品中で言っていた通り、推理小説の内に真の解決を導けるのは中にいる探偵役ではなくて外部にいる作者以外あり得ない。その任を私が受けたのだから、誰にも文句は言わせない。はい、決定。作者は池始。謎は全て解けた。証明終了、と。


 しかし、ちょっと待て。そういえば彼はどうしてこの作品の続きを私に委ねたのだろう?


 彼は腐っても物書きの端くれである。いくら純文学の新作に行き詰まって書き始めたミステリーだからといって、途中で投げ出すようなやり方が許されるはずがない。

 電話をかけてみたが、彼の携帯電話は電波が届かないだか電源が入っていないだかで、繋がらなかった。何だか、もう一生彼とは会えないような嫌な予感に襲われる。

 まさかね。

 そういえば結局、覆面作家木谷栄二が一体何者なのか、私はよく知らない。うちの父親がその正体だとされているのは本当のことだが、実体は誰にもわからない。彼が書いた風に、人殺しも辞さない怪しげな執筆集団であるなどとは私も流石に思わないが、それをモチーフとして物語を書こうと彼が考えるくらいには、何か裏があるのかもしれない。

 だがきっと、大丈夫だろう。

 根拠の無い断定をした次の瞬間、背中に激痛が走り、私はもんどりうって倒れた。何が起こったのか全くわからなかった。体がどんどん軽くなるような不思議な感覚と、背中に広がる生温い不快な感触が混じり合い、私の視界をぼんやり滲ませる。

 きっと、大丈夫だ。

 私の背中の半分が、見えないくせに大きくて毛むくじゃらで、やけにあごの発達したけだものに毟り取られたに違いない。あさってにはもう半分、その次の日にはさらに半分だ。それは私が彼の作品世界に入り込んだ報いなのであり、だとしたらこの事態は恐るるに足らない。私は彼の作品を最も理解していた人間の一人なのであり、最終的にハッピーエンドになるのはわかりきっているのだ。

 電話が鳴っている。ベートーヴェンの『運命』が一六和音で戸を叩いている。

 発信者は誰だ。その名前を見る。池始ではない。アドレス帳には彼の本名が登録されている。その名前がそこにはある。ほら、やっぱり、大丈夫だったんだ。早く電話に出なければ。体が動かないし声も出ないけど、それでも早く。

 ここが自分の家でなくてよかった。自宅でこんな風になっていたら、きっと母親を心配させていた。夫が行方不明になって、ただでさえ参っているというのに、娘までこれでは申し訳ない。ん? じゃあ、ここはどこだ?

 そうだ、事務所だ。ビルの三階の、あの、何かの、そう、とにかく事務所だ。都内の。

 都内? どうしてこんなところにいるのだっけ?

 電話は鳴り続ける。もうたぶん、私には出ることは出来ないけれど。

 人影が、私を見下ろしている。誰だろう? 誰だろうというより、何番だろう?

 まあいい。どうせオチは決まっているのだ。この小説が池始の手になるものである限り、私は安心していて良いのだ。

 財宝が見つかるか、主人公とヒロインがキスするか、そのどちらかで終わるのだから。ハッピーエンド。私を待つ運命。今日まで生きてきた中で、財宝なんて一切出てきてないから、あり得るとするならば主人公とのキスしかない。参ったな。彼がやって来て、おもむろに私の唇を奪うのだろう。で、私ははにかむように笑う。その笑顔は今まで見てきた中で一番魅力的なものだ、とか何とか惚気て、そうやって終わるのだ。この物語は、それ以外で終わることなど許されないのだ。私が許さない。

 身近な人が無惨に死んでいく、とか。あるいは悪役は殺される、とか。

 そんな終わり方は。

 絶対に。

 少なくとも私にはそぐわない。


 薄ぼんやりとした視界の中で、誰かが私の電話をとった。勝手にとった。黒いコートを着て、皮手袋をした誰か。闇が形をとって動き出したかのような暗黒。鋭く、だが渋みのある、落ち着いた声が聞こえる。

「もしもし。私です。一九番はたった今始末しました。もう大丈夫ですよ」

 そうか。今思い出した。

 一九番は私だ。

 この世界は、もう既に狂っているのだ。

 池始は来ない。二〇番はもう来ない。

 そんな、狂って狂ってどうしようもない世界。さようなら、私の物語。

 さようなら、皆さん。

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