第五部

(池始、目覚める。花畑の中で倒れている。正面に誰かの影。顔はよく見えない)

??:ようやく、気がついたようだね。

池:あなたは一体誰ですか? それに、ここは……?

??:両方とも、君が決めることだ。今私に言えるのはここまでだ。

池:はあ。

??:大体の状況は掴んでもらえたかな。

池:何の話です?

??:君の身に一体何が起こったのか、さ。

池:……ああ、結局、僕の身には何が起こったんですか? 僕は死んでいるんですか? ということは、ここは天国? まさか。だとしたら、神のステレオタイプな発想に幻滅ですよ。小説家の方が空想力で圧倒的に上を行ってます。

??:はは。確かに。天国といわれて、こんなベタなお花畑はないよな。

池:やっぱり、違うんですか。

??:うん。ここは天国ではない。でも、君は死んでいる。

池:え?

??:本来ならば、君が死んだ時点で君の物語は終わりだ。しかし、今回に限って言えば、ここで終わらせるわけにはいかない。何故かわかるかい?

池:わかりません。

??:わからないなら考えたまえ。それが君の役割だろう。

池:あ、その言葉でわかりました。それは僕が、この物語の探偵役で、物語の謎を解明しなければいけないという義務を負っているからですね。

??:そうだ。しかし、君は死んだ。だからこそ、その謎を解き明かすために私がこのような場を用意した。真相解明篇だ。

池:僕には何となく、あなたの正体がわかりました。

??:その話は後だ。まずは、第三回木谷栄二賞を巡って、池始の身に何が起こったか。それを考えてくれたまえ。

池:これまでに与えられた条件があれば、その真相は誰にでもわかる類のものですか?

??:勿論、違う。

池:え?

??:例えば、密室で人が殺されたとする。密室を作るためのギミックが見つかったとする。そしてそのギミックを使う機会のあった人間が容疑者の中で一人しかいなかったとする。与えられたこれだけの条件で、君はその容疑者を犯人と断定できるだろうか?

池:……出来ませんね。

??:どうして?

池:もしかしたら、そのギミックが真犯人によって偽装されたものである証拠が見つかるかもしれないからです。

??:そう。今はただそれが見つかっていないだけかもしれない。その可能性を排除することは誰にも出来ない。

池:小説であれば、その可能性を意図的に削除するのが作者だというわけですね。

??:そう。君の言っていた、推理小説におけるゲーデル問題だ。ここでも同じことが言える。与えられた条件を考えれば、君の死の真相を大体は想像することが出来るだろう。これを推理ともいう。だが、まだ与えられていない条件を考えれば、何とでも言える。可能性は無限大だ。君は、木谷栄二の話なんてまるで関係なく、老衰で死んだのかもしれない。あたかも関係があるように話をしているのが、私の偽装で。

池:詭弁ですよ。そんなことを考えても、何の得にもなりません。

??:だから、私は君の死の真相を順序立てて説明してしまっても良い。君に推理する暇など与えずに。だが、それでは面白くないだろう?

池:僕はそれでも結構です。何せ、いざとなれば「全て思い出した!」と言ってしまえばいいんですから。何せ、推理する対象が他ならぬ僕のことですよ?

??:要するに、答えは大体見当がついているんだね?

池:……ええ。僕は、木谷栄二にとって非常にまずいことをしようとし、その結果、最終選考委員だったメンバーに制裁を受けて殺されたんですね。

??:ほう。どうしてそう思った?

池:まず、座談会の部分を第一部、次に僕が木谷栄二を名乗って大暴れする部分を第二部、岡本さんに主導権を握られてからが第三部、木谷栄二結成の歴史を第四部と章分けしましょう。構成としては、第一部が導入部で、第二部は第一部の謎解きと真相当て、第三部では第二部が叙述トリックであることが暴かれ、第四部でそれまで話題になっていた木谷栄二や他の登場人物についての真相が一気に描かれます。

??:ならば差し詰め、今は第五部というところだな。

池:僕が注目したいのは、第二部と第三部の関係です。これはむしろ、僕と岡本さんの物語の対決であると言い換えが可能です。颯爽と登場し、木谷栄二賞の真相を、作家本人になったつもりで暴き立てていった僕に対し、岡本さんはその全てが妄想であって虚構であるとやり込めます。岡本さんの意見には他の三人も賛同していますし、第四部の冒頭で木谷栄二氏という個人の不在が確定し、第三部、岡本さんの物語が勝利をおさめたわけです。

??:そうまでしなくとも、第三部の終わりでは君の死が判明するわけで、謎を解き切れていないという時点で探偵の負けは明らかだがね。

池:第五部が復讐篇なんでしょう、きっと。ま、そんなことはともかく。勝利を収めた第三部ですが、僕にはどうも納得出来ない点がありました。それは、岡本さんが「独りよがりの真相は妄想・虚構・誤りである」ことを看破するために披露している幾つかのやりとりの中に、明らかな「独りよがりの真相」が混じっていることです。

??:ああ、つまり言い方を変えれば、発言に客観的な証拠がない場合、その信憑性は勝利側の意見でも疑っていくべきだ、ということだな。だが例えば、第一部の座談会が第二部と時間的に繋がっているのではないことを示すために、彼は印刷された座談会の原稿を物的証拠として提出した。これは、確かなものと言えるわけだ。

池:ええ、それは正しいと言えるでしょう。でも次の、座談会での電話が米谷さんの訃報を告げるものであったことについてはどうでしょう。さらに、彼が不正の事実を問い質された時に言った、「全て冗談だよ」という発言の信憑性は? これらと、僕が第二部で振り回した「独りよがりの真相」とどれほどの差異があるでしょうか?

??:まあ、君の語ったものが幽霊やら作中作者やら小説の時制表現の限界やら、随分突飛な話だったというのはどうしても否めない。やはり、受け付け易いという意味で、信憑性は第三部のほうが高いだろうね。どんでん返しが続くと、一方的に後の方の真相だけが正しいと思い込んでしまう節があるのは確かだが。

池:確かに第二部で語られた真相は、思い込みが多く、いささか荒唐無稽な展開でした。でも別に、その全てが嘘偽りでなく、幾つかの真実が混ざっていてもおかしくないでしょう? だって、幽霊も作中作者も時制の話もなしで推理している部分もあるんですよ? その部分についてまで、どうして虚構だとか妄想だと断じられるんですか? 僕は、第二部にも真実は混ざっているし、第三部にも虚偽、虚構は混ざっていると確信しています。その根拠が、第二部を打ち負かした第三部における根拠の無さ、なんですよ。

??:なるほど、逆説的だね。まあ、身も蓋もないことを言ってしまえば、そんなに小難しい理屈をこねなくても誰でもそう思うはずだよ。「そうでなくては話にならない」からね。たったそれだけの理屈で足りるし、厳密性を追求するなら君の意見ではいささか曖昧すぎる。条件が少なすぎるからね。あと、君の言葉に出てくる虚構と妄想と誤りという三つは、決して同列におくべきでない。さらに、虚偽という言葉も。混乱するからね。もっと簡単で良い。

池:……探偵役というのはそういうものではないんですか?

??:さてね。論理の穴が大き過ぎて鬱陶しいという点で君の右に出る探偵役はお目にかかれないと思うがね。

池:ミステリーではなく、ファンタジーだと思って我慢して下さい。

??:ロジックではなく、マジックだというわけだね。

池:そんなところです。第二部にも真実があるとするなら、それは一体どこか。僕自身が言うのもなんですが、一つは池始が最終選考の候補作を四作品しか読まずに選考に加わった、という点でしょう。第三部で明らかにされるように、池始はフェアリーちゃんという小細工を利用して、まともに選考に参加するというより、独特なポジションの確立を狙っていたようです。誤魔化したかったんでしょうね、四作しか読んでいないことを。

??:そうだろうね。でも彼は別に原稿を読んでいる途中に死んでしまったわけではない。選考に参加した時は生きていたわけだからね。では、どうして四作しか読まなかったのか。

池:彼は、というか、僕は、気付いてしまったんでしょう。四作目を読み終わった時点で、どうせ『キエナイキズアト』が受賞するのだということに。つまり、僕は選考自体がやらせで終わることにふてくされてしまったわけです。これは、第二部で語られたもう一つの話から明らかです。岡本さんは木谷栄二賞で不正を行っていたんです。つまり、お金で名誉を売っていたわけです。『キエナイキズアト』の作者が大金持ちだと気付いた瞬間、僕は、岡本さんがまた不正を行うと思ったことでしょう。自己弁護にはなるが、残りをまともに読むのがバカらしくなったとしても不思議ではありません。

??:岡本さんは第二部で、第一回、第二回と異なり今回は不正はなかったと反論しているが、これも巧みな心理操作だと言えなくもない。自首という形で話し始め、大筋で罪を認めつつ、一部分だけ否定するというやり方は、実に説得力があるからな。

池:それでいて、第三部では全てが冗談だったと水に流そうとしている。解せませんよ。

??:実際は、事実かどうかより池君が岡本さんの不正を確信したことが問題なわけだな。

池:まあ、そうとも言えますね。そもそも、僕が木谷栄二賞を受賞した後どのような足取りを辿ったかもう一度整理してみます。第二部で岡本さんは、殆ど本当のことしか言っていなかったらしい。そこで、池始について語っている部分を参考にすることが出来ます。

??:おいおい、その部分が虚偽でない保証はどこにあるんだ。

池:そんなものはどこにもありませんよ。ロジカルよりマジカルです。

??:誰もが納得すると思うなよ。

池:岡本さんによると、僕は受賞後に伸び悩んでいて新作を書くことが出来ず、投稿時のストックを加筆修正して発表していたらしい。さらに、木谷栄二賞の返上を仄めかし、不正の件を盾に岡本さんを脅すようにして最終選考委員になるよう自らを売り込んでいます。ですが、ここで引っ掛かって来るのが第四部における木谷栄二の真相です。複数からなる執筆集団のような体裁をとる木谷栄二ですが、木谷栄二賞の受賞者は、一体どんな位置付けに置かれるのでしょうか。全く別名義で木谷栄二と一切関わりなく活動するとは考えられません。当然、木谷栄二の一員に迎えられるでしょう。これについては、傍証があります。第四部の冒頭で、木谷栄二は二〇人ばかりからなる集団だと書かれていますが、黒田泉の背番号は一九番。彼女の後に少なくとも誰かが加入していなければ話が合いません。作品の発表自体はもう行っていないという段階で新しいメンバーが加わるとすれば、時を同じくして設立された木谷栄二賞の受賞者が最も自然でしょう。

??:木谷栄二の五番、伊勢は町村加入後に死亡しているため、一九番の黒田が加入して最高でも一八人。『二〇人ばかり』になるためには最低でも二人の加入が必要だな。木谷栄二賞は今年で三回目。去年までの受賞者、池、相実の二人が加わると考えれば、数字の上では一致する。

池:そして、池が木谷栄二のメンバーであったとすれば、『木谷栄二賞の返上』という言葉はおそらく、『木谷栄二からの脱退』を意味していたと考えて良いと思います。僕は特に、新作が一つも書けず、自分のストックを加筆修正して使い回すほど追い詰められていた。これでは子猫を木谷栄二に送るどころの騒ぎではないですからね。木谷栄二の活動に何ら携わることが出来ないわけで、その一員でいることが非常に心苦しかったのでしょう。木谷栄二内の評論家や作家が様々なバックアップをしてくれるのに、自分は何一つ貢献出来ないのですからね。潔く身を引こうかと考えた。しかし、木谷栄二のメンバーにとってみれば、池始の脱退などもっての外です。何故なら、池始は木谷作品に何ら携わることなく木谷栄二の秘密を知っている、「共犯関係にない」人物だったわけですから。事実を公開されてしまう恐れがありました。岡本さんによる度重なる説得も、それを防ぐためでしょう。おそらく、僕本人には木谷栄二の真相を暴露するようなつもりはなかったはずです。けれども、他のメンバーにどう見えたかが、問題でした。

??:口封じが、池始殺害の動機となったわけだ。

池:ええ、でもそれは一つに過ぎません。直接の引き鉄は、第三回木谷栄二賞の最終選考です。四作しか読んでいないのにそこに加わった、なんて明らかに文学に対する冒涜ですよね? 第四部を読んでわかる通り、木谷栄二は文学界を支えるためという崇高な目的で動いています。さらに、邪魔立てする者には容赦しません。木谷栄二にとって今や敵となってしまった池始は、憐れ殺害される憂き目にあったというわけです。

??:殺害が行われたのは、第二部の直前だろう。最終選考の次の日、事務所に集まった選考委員は、そこで池君を問い詰めた。候補作を全部読んだかどうか。

池:どうしてそれが最終選考直後でなく次の日なのかと言えば、それは僕本人が選考過程を書き付けたものを持ってきたからです。他の選考委員は、それを読んで初めて、池始が候補作を四作しか読んでないことに気付いたのです。当日は、余程上手く立ち回ったのでしょうね。

??:殺害時の状況は想像するしかないが、池君を含めた全員がコートに黒手袋、という格好から、幾つかのことが言える。この格好はおそらく木谷栄二における制服のようなものだったのだろう。背番号制を導入してみたり、彼らは仲間意識を強化することを好んでいたからね。だが、屋内でするにはどうも暑苦しい格好だし、不自然だ。池君以外の四人については、返り血を防ぐ目的での着用という真っ当な理由が考えられるが、池君は殺される側だ。他の四人が室内でいきなりそんなものを着込み始めたら、自分も一緒に着るというよりもまず、理由を尋ねるだろう。もしかしたら逃げ出すかもしれない。拳銃はコートの内ポケットに入っていたようだしね。では、どうして池君もコートと手袋を着用しているのか。第一部の携帯電話のエピソードによると、今は厚着する季節らしい。冬か秋だ。とすれば、外に出る際にコートを着ること自体はおかしくない。ならば、池君が事務所にやって来たところを四人で待ち伏せして殺したのか。これは勿論違う。何故なら、彼ら四人は池君の書いた原稿を見て初めて彼の殺害を決めるわけだし、この原稿は紙媒体で、その日池君が持ってきたものだ。となると、流れは自動的に決まる。原稿を見た誰かが池君の不正に気付く。理由をつけて池君を外に買出しにでも行かせる。これは何でも良い。煙草でも買って来てもらったのかもしれない。池君はコートと手袋をして外に出て行く。その間に、四人は話し合って殺害を決める。コートと手袋を着て待機。戻って来た池君を問い詰め、拳銃で心臓を撃って殺害。

池:そして、死体の始末をどうするのか、その話し合いをしていたところ、死んだはずの池始の体が突然起き上がり、喋り始めたのです。「私は木谷栄二です」とね。第二部の冒頭で、四人が驚愕しているのはつまりそういうことです。僕が幽霊というのはあながち間違いでもなかったわけですね。

??:死体が起き上がった理由は、勿論論理的には説明など出来ない。ゾンビか幽霊か、作者の身勝手な干渉か、とにかく魔法的に納得するしかない。

池:即死したと見せかけて実は生きていて、最期の言葉として瀕死の中であれだけ喋った、というのは?

??:キョンシーの方がまだ説得力あるよ。

池:まあ、死んですらなお訴えたかった現世への未練が僕にあったことは間違いないでしょう。それは僕が、どうして殺されることになったのかを考えれば明らかです。第三部からわかるように、僕は第一部を含めた第三回木谷栄二賞の誌上掲載用原稿を無理言って執筆させてもらっています。つまり、自分があたかも全候補作に目を通しているかのように偽装しようと思えば出来たわけです。しかし、僕はそれをしようとしていない。さらに言えば、僕自身が第二部で言及している通り、やたらと候補作の作者に触れ、木谷栄二賞がこれまでの二回とも富豪に与えられていることと、岡本さんが今回も富豪の作品を推していること、さらにそれをフェアリーちゃんで牽制している様子まで書いています。これら全てで僕がやりたかったことは明らかです。

??:岡本さんの不正を糾弾しようとしたわけだ。

池:そう、真相は第二部で語られている通りなんですよ。ただ、岡本さんは、死後復活後の僕からそれを指摘される前に、自ら戯れに犯人役に踊り出ました。これによりその真相が、「予定調和という名の牽強付会によって池始に導かれたもの」であるよう偽装したのです。僕の口から先にそれが出るより、そちらの方が冗談にしやすいですからね。そして、この説をとるならば、僕が殺される真相が少し変わってきます。つまり、「岡本さんは木谷栄二全体の意思に反して授賞に際する不正をしており、その事実を隠すために、出来る限り早く僕の口をふさぐ必要があった」ということで、これは木谷栄二への明らかな裏切りです。にも関わらず、殺されたのは僕。もうお分かりですよね?

??:ここに、木谷栄二という組織レベルでの池始殺害に乗じた、黒幕岡本さんの単独犯罪という構図が立ち現れるわけだね。

池:ええ、ミステリーにお決まりの、どんでん返しです。ですが、そのためには、「岡本さんの不正というのが、本当に木谷栄二の意思に反していたのか」という点を吟味しておかねばなりません。

??:つまり、木谷栄二賞を巡る金銭の授受は、木谷栄二全体に納得ずくの謀略なのではないか、という可能性だね。何せ、組織にとって邪魔になる者を全員で謀殺することを厭わない連中だ。文学の発展のために必要という名目でなら、金を受け取ってしまうこともあるかもしれない。だとすると、岡本さんは木谷栄二を裏切っているわけではないことになる。

池:まあ、第四部を読む限りそれは無さそうです。あんまりお金に執着している連中には見えませんからね。あり得るならば、木谷栄二賞の設置目的に合致した理由でしょう。彼らは木谷栄二の後継になり得る新たな新人を求めていた。そして、新人にとって重要なこととは何でしょう? これはつまり、最低限作家に求められることでもあります。そう、書くことですよ。何を馬鹿な、と思われるかもしれませんが、作家はほんの一握りを除いて、そんなに儲かる職業ではないわけです。新人ならば特に。せっかく才能があっても、執筆の時間を他の生業に潰されるなどで確保出来ずコンスタントに書けない、などのケースは多々あります。木谷栄二賞作家としては、これでは困る。専業作家になるための金銭的バックアップもするでしょうが、なにぶん木谷栄二としての活動はストップしているわけで、木谷栄二の収入は当然減るでしょう。受賞者が、金銭的に困窮していないに越したことはない。そういう意味で、最終候補に残るほどの実力を持った作品の中から、金で受賞作を選ぶ、ということならあり得るわけですよ。本当に金のやりとりがあったかどうかに関わらず、ね。

??:最終選考に残ったら後は運、と言われるほど、このくらいになると実力は拮抗している。文壇に必要なのは一発屋でなく、コンスタントに作品を発表出来る人間であるから、経済面を考慮するというのも文学に殉ずると言えなくもない。強引だが、木谷栄二ならそう考えても不思議ではない、というわけだな。

池:ええ。しかし、ここまで力説しておいて何ですが、僕個人としてはやはり、岡本さんの単独犯説の方が可能性が高いと思っています。

??:ほう。理由を聞こうか。

池:第一の理由は、先に挙げた、自ら犯人役になった時の岡本さんの言動です。木谷栄二全体が関わっているなら、彼がこんな風にしてまで、不正の事実を全て冗談にする理由がありません。他の三人も共犯なのですから、偽装工作の必要などないのです。事実、不正の件を岡本さんがカミングアウトした瞬間、他の三人は皆一様に驚いた顔をしています。冗談だとわかった時の安心した様子から考えても、彼らは何も知らなかったと見て良いでしょう。第二に、三回も続けて最終選考に大金持ちが残る、というのが不自然だという点です。偶然というにはあまりに出来すぎています。確かに、第一回の池始にしてみれば、貧乏文学少年のもとにひょっこり遺産が転がり込んできただけで、選考でも受賞がすんなり決まったようですし、実力もあったのでしょう。しかし、第二回は石油王が手遊びに書いたと豪語しているらしい作品が大荒れの選考の末に受賞しています。まあ、その作品が絶対に名作でないとは言いませんが、どうにも違和感がありますよね。でもここで、その応募作に前もって岡本さんの手が入っていたと仮定したらどうでしょう? そしてその段階で、金銭の授受が発生していたとしたら。第四部からわかる、米谷の没作品を木谷栄二作品に昇華させ、名作として数多く世に送り出した岡本さんの卓越した手腕を思えば、ある程度の佳作を最終候補に載せるほどの作品に化けさせることも可能だと思いませんか? もしも相実作品にそのような工作があったとすれば、これは文学のために真の才能を発掘しようとしている木谷栄二の総意であるとは到底考えられません。そして第三に、岡本さんには前科があるという点です。第四部に出てきた、木谷栄二の稼ぎの中からゴシップライターに一〇万円渡して追い払ったというエピソードがそれです。使い込みの件は結局、その大半は伊勢が車を買ったためだと見なされ、彼が死ぬことで決着するわけですが、僕にはどうしても納得できません。何故かと言うと、この岡本さんの発言を裏付けているのは鈴木の証言だけであって、それすらも尾行が消えたようだという曖昧なものに過ぎず、第一、接近してくるゴシップライターにお金を払って遠ざけるというやり方自体が有効とは思えないからです。そんなことをすれば、そのこと自体を記事にされるか、何か裏があると思われて執拗に追及されるか、恐喝のような形でさらに金をせびられるか、そんな結果になるのは目に見えています。岡本さんはそう考えなかっただけかもしれない、ということもありえません。何故なら、町村さんが木谷栄二に加入する時、似たような問題が生じており、ジャーナリストに金銭での懐柔は難しいという結論が得られているからです。少なくとも、一〇万円などというはした金では無理でしょう。というより、この一〇万円という金額も嘘でしょう。伊勢が車に幾らつぎ込んだのか明言されていませんでしたが、おそらく横領された金額よりもだいぶ少なかったはずです。岡本さんがもっと多く着服していたはずですからね。だからこそ、彼は一刻も早く伊勢を始末する必要があった。伊勢が口を割るより前に。後述の事務所の立地条件を考えるに、その日の内に駐車場に停まっていた伊勢の車に誰にも見られず何らかの仕掛けを施すのは容易だったでしょう。岡本さんが既に木谷栄二を裏切っていながら、文学を守るためという綺麗なお題目を掲げて木谷栄二を好き勝手操っているとしたら、このように全てに説明がつけられるわけです。

??:全て、状況証拠とも言えないような脆弱な論旨だな。

池:そうですか?

??:そうだとも。君の論理は全てこじつけに過ぎない。その証拠として私は、岡本さんの単独犯説に反駁して、木谷栄二全体による陰謀説を支持してみよう。第一の理由として挙げられていた、岡本さんの不正偽装工作について。全員が共犯なら、仲間である他の三人に対して不正を隠す必要はないというのが君の意見であったが、では、こうは考えられないだろうか。「彼が不正を隠匿しようとしていたのは、誰あろう君に対してだった」とね。通常の物語ならば、探偵役に真相を見抜かれたら犯人はお終いだ。今回に限って言えば、謎解き役である君は死から復活したばかりで錯乱していて、状況をよく掴めていない。これならば、上手くやれば木谷栄二全体が悪として断罪されるより先に、全てが冗談として片付けられるかもしれない。そう思ったからこそ、岡本さんは不正の事実を妄想に貶めるための手を打った。「私が犯人です」と自ら言い出し、後に全て否定してみせることでね。万が一君がそれに納得しなかったとしても、その時今度は、まさに君の立てたように、岡本さんの単独犯説が有力になる。二重のスケープゴート役を彼は自ら買って出たのさ。

池:それこそ、ゲーデル問題ですよ!

??:さらに君の挙げた第二の理由、木谷栄二賞の最終選考に毎回都合良く大富豪が現れる不自然さについて。これは別にそれほど不自然ではないんじゃないかな? 金銭的、時間的に余裕があるからこそ小説を書いてみることにした、という人間は、少なくはないはずだ。そして、大金持ちが一人でも最終選考に残っていれば、それだけで、木谷栄二全体による陰謀説は支持されることになる。君の言った「執筆を続けるための十分な金」を持っているか否かによる選別、という理由でね。こちらの方がよほどスマートじゃないか? 何しろ、君の言った相実建一への岡本さんの手直しの話は、全く想像の域を出ていないからね。仮説の上に仮説を重ねて、一見論理的に見えるがただ複雑にしているだけだ。オッカムの剃刀という言葉を知っているかい? 無駄な仮説は削ってしまって、出来るだけシンプルにした方が良い。岡本さんの単独犯説であったとしても、「大した作品でなかった石油王の作品を選考でごり押しして受賞させた」という話の方が余程納得出来る。

池:いえ、それでは駄目です。何故なら第一部で、町村さんが『作者の人間性はともかく、話は面白かった』と認めています。選考の時点で、ある程度の作品であったことは間違いありません。だからこその、事前の手直し説なのです。

??:だったらなおさら、「富豪が手遊びながら俄然面白い話を書いた」とした方がわかりやすいと思うがね?

池:それは……。三年連続で大金持ちが最終選考に残るのがどれくらい奇妙か、という漠然とした話にもなってきますし、一概には言えませんよ。

??:確率で物を言うのもナンセンスだしな。とりあえず第三の理由、岡本さんの前科について。これも、君の意見は物的証拠に欠ける。状況証拠としても極めて弱い。何故なら、ゴシップライターに一〇万円払うことは、やり方としてそれほど不自然とは言えないからだ。確かに、余計に穿鑿される恐れはあるが、木谷栄二は、いざとなれば相手を殺すことも辞さない連中だ。死にたくなければこれ以上関わるな、と脅しつけて一〇万円で手を引かせる。そう不自然に思えないが。

池:ですが、町村さんの加入の時はそれを排したわけで……。

??:その結果一騒動起こったから、別の方針を選んだ、とも考えられる。また、全然別の仮説になるが、もしかすると岡本さんは一時期、探偵でも雇って鈴木の周辺を探らせていたのかもしれない。町村さんの前例があるし、他に彼を調べようとしている者がいないか確かめようとしてもおかしくない。あるいは、本職の探偵に鈴木を調べさせた時に、木谷栄二の真相にどこまで肉薄されるか試していたということも考えられる。そして、正直にそれを言うのも気が引けるので、ゴシップライターを追い払ったと嘘をついたわけだ。一〇万円が嘘か本当かはわからないね。期間にもよるが、探偵料だとしたら絶妙な線だ。

池:しかし、だとすると伊勢の殺害を急いだ理由がわかりません。

??:急いだ? それはそもそも何を根拠に言っているんだい。伊勢が次の日にはもう死んでいたことかな?

池:そうです。これは、もしも岡本が申告より多くの金を横領していたのだとしたら、一刻も早く伊勢の口を封じる必要がある、ということで説明出来ます。

??:逃げられる前に木谷栄二全体の意思で始末した、とも説明出来るし、第一これが殺人である証拠も無い。使い込みが発覚して焦った伊勢が、ハンドルを切り損ねた結果の事故なのかもしれない。

池:それは……そうですが。では、木谷栄二の陰謀説が真相なのですか?

??:いや、そうは言っていない。可能性の話だ。私の説も証拠は一つも無い。

池:そんな! 可能性を論じるだけなら誰にでも出来ます。真実を明らかにするのがここでの目的ではなかったんですか?

??:そうだね。確かに私は、岡本さんの単独犯説よりは、木谷栄二全体の陰謀説を真実として発表してしまいたい。傍証も幾つかある。一つ目。第一部によると、君は木谷栄二賞の選考に、第三次選考に加わっていない。実はこれがそもそもおかしい。一次、二次は仮に下読みの人が担当するとしても、三次からは木谷栄二のメンバーが担当したと予想される。最終選考委員が三次選考の無記名投票にも加わっているらしい描写があったからね。池君は、木谷栄二賞の公正な審査を熱望していたのだから、最終選考に加われなくても、せめて三次選考には、と考えるのが普通じゃないか? では、どうして参加しなかったのか? 普通に考えれば、君は、参加しなかったのではなく、「参加したくても出来なかったのだ」ということになる。どんな事情が考えられるか? 最も簡単なのは、三次選考の時点で既に君の木谷栄二内での待遇は非常に悪くなっており、弾き物にされていた、ということだ。これは、岡本さんの独断であるとはなかなか考えにくい。彼は、有力者ではあるが、独裁者ではないからね。つまり、第三回木谷栄二賞の選考の頃には既に、木谷栄二全体が、君を排斥する方向に動き始めていたんだ。そう考えると、前日になって急に為された最終選考への無茶な誘いも、容易に説明出来る。つまり、これは悪質な嫌がらせだったんだ。座談会で弓削君が言ったこのセリフ。「よく読んだの? 池君」こうやって、恥をかかせたかったんじゃないかな。

池:そんな……。

??:二つ目。米谷正応の不審な動き。第三回木谷栄二賞の三次選考直後に行方不明となり、最終選考当日に都内で交通事故にあったという話だが、彼の身に一体何が起こったのだろうか? ここで考えなければならないのは、果たして米谷が木谷栄二のことを快く思っていたのか、という点だ。発起人でもある彼のことだ、最初は、木谷栄二を自らの『子猫』を救ってくれる存在としてありがたく受け入れていたが、徐々に本来のあり方から逸脱していくその姿を見て、徐々に眩暈のような不快に襲われるようになったに違いない。実際、第四部の後半に、彼が執筆ペースを落とし、故意に木谷栄二との関係を希薄にしようとしている文脈がある。そもそも米谷は純文学畑の人間で娯楽小説への志向はないようだし、木谷栄二の後期の方向性とは全くと言って良いほど一致しない。そして決定的なのが、池始に対してかけられた激励の言葉。「米谷正応賞が設立されたら、今度は君が審査を頼むよ」これは意味深だ。少なくとも、同じ純文学の書き手として、米谷が池君に期待を寄せていたことは間違いない。だが、木谷栄二内には、自分名義での創作は止めてしまったが、実力は確かな宵口白文という作家がいるのだ。同じ木谷栄二のメンバーであることを考えれば、社交辞令であるとしても、宵口を一足飛びに踏み越えて池君だけに期待を寄せるのは少し妙だ。この発言に、米谷の心情が滲み出ているように感じるのは、私の邪推ではなかろう。彼は、木谷栄二全体にどうしようもない不信感を覚えていた。乃至は既に諦観してしまっていたのだ。だからこそ、まだそこに染まっていない池君に希望を託した。そう考えると、「米谷正応賞が設立されたら」という文句にも裏がありそうだ。何せ、木谷栄二賞が設立されたのは、鈴木の行方不明が原因なのだから。つまり彼はこの時点で、自分の身に何かが起こることを既に予感していたのではないだろうか。

池:……米谷は、近い内に木谷栄二に消される可能性があった。木谷栄二に対して、反旗を翻す気でいたということですか?

??:おそらく、その通りだろう。例えば第二回の木谷栄二賞の選考が大荒れだったのは、米谷が相実への授賞を拒んで揉めたからなのではないかと予想出来る。彼は、出来れば純文学作品に受賞させたかったはずだからね。木谷栄二内において、発起人として岡本さんと並ぶ地位にある米谷は、まずは内部から体質を改善することを望んだのだ。しかし、それは叶わなかった。木谷栄二は、米谷一人の力ではどうしようもないくらい歪んでしまっていた。そこでとうとう第三回では、更なる強攻策に出ようとした。木谷栄二は、作品の発表が不可能であるため表向き活動はない。話題になるのは年一回、木谷栄二賞の発表時だけだ。だから、その時に合わせて行動を起こそうとしていたわけだ。彼は、まさに君と同じように不正を暴露しようとしたのかもしれないし、そもそも木谷栄二の真相を公表しようとしたのかもしれない。勿論、ゲリラ的にやらねば自分が始末されてしまうから、何らかの工作もあったことだろう。だが、詳細はよくわからない。既に目をつけられていたのか密告があったのか、何にせよ米谷は先手を打たれ、三次選考後に捕縛されてしまったのだから。

池:挙句に、交通事故を装って殺されたということですか? ……確かに、木谷栄二ならやりかねないようにも思えますね。それに、最終選考当日にその選考委員である米谷さんが死ぬという話になればマスコミも黙っていないでしょうし、木谷栄二賞の話題性を高めるのに一役も二役も買ってくれるでしょうし。

??:そして、米谷が殺されたのだとすれば、岡本さんのみが不正を行っていたという君の考え方はそぐわないことがわかる。もしも岡本さん個人が木谷栄二を裏切っていたのなら、同じ地位にいた米谷は岡本さんを排斥して独裁的な立場に立ち、軌道修正を計るはずだからだ。そうしなかったのは、木谷栄二賞の授賞のやり口は木谷栄二全体の総意であり、米谷一人では太刀打ち出来なかったからでしかあり得ない。

池:……確かに、説得力はありますね。ですが……それは違うと思います。

??:ほう、何故だね。

池:全ては文壇のために、という木谷栄二の金科玉条を考えれば、自明です。あの米谷正応を木谷栄二が謀殺することはありえません。彼は、明らかに日本の文壇に必要な才能です。

??:だったら、池始を殺害することは納得出来るのか? 木谷栄二にとっては邪魔者かもしれないが、君の純文学の才能は米谷正応も認めるほど、間違いのないものだったのだろう?

池:だからこそ、岡本さんの単独犯説なのです。伊勢の死も僕の死も、木谷栄二の信念に背いたためであったと見えるよう、岡本さんに巧みに誘導されているのです。殺したがっているのは、岡本さんだけなんですよ。米谷正応の事故についても、同じかもしれない。米谷は、岡本さんの不正に気付いたが、友人である彼を安々と売るような真似は出来ず、何とか説得しようとしたんですよ、きっと。しかし、岡本さんは聞く耳を持たず、彼を殺害することに決めてしまった。これなら話も通るでしょう。

??:君が三次選考に加わっていない理由は?

池:岡本さんの妨害があったのかもしれません。「木谷栄二に作品を一切提供していない彼に、選考を任せることは出来ない」という提言でもして、皆を納得させていたとは考えられませんか?

??:……やはり、恣意的に選び出した前提から推理できるのはこれくらいで、結局双方決め手に欠くわけか。最後の真相は藪の中、では全く解決篇の体をなしていないぞ。

池:岡本さんが黒幕だろうがそうでなかろうが、僕が「木谷栄二に殺された」という点では一致しています。もう、それで良いのではないですか? だって、考えてみて下さいよ。彼らは第三部で、手慣れた様子で拳銃を扱っているんですよ? 岡本さん云々以前に、明らかに正しい文芸集団ではあり得ません。彼らが一体どのような経緯でそんな物騒なものに手を出したのかはわかりませんが。

??:いや、彼らが持っていた拳銃は全くの偽物で、ライターか何かだという可能性もあるぞ。実際に撃たれたシーンはなかったわけだし、あたかも弾痕のように思える君のコートの胸に開いた傷も、別の凶器による怪我かもしれない。そうなると、君は「射殺された」という犯人の誤誘導に嵌っているだけということだ。

池:勘弁してくださいよ。どんな理由をこじつけてもいいですから、彼らは本物の拳銃を手に入れていて、僕を射殺したのだということにしておいて下さい。こんな謎解きは、もうこりごりです。

??:しかし実際、拳銃についてはどうも腑に落ちない点が多い。これまでは交通事故に偽装していたのに、どうして君の時だけ凶行に及んだのだろう。そこだけ安っぽい「裏組織」のような設定に堕したためか、第三部における彼らは話の中で極端に浮いている。

池:……ああ、もう。やればいいんでしょ、やれば。まずは、今やどうでも良い陳腐な謎解きになりますが、池始射殺の実行犯について。これは、意外なことに岡本さんではありません。

??:ほう、根拠は。

池:第三部のラストで、僕はこのように述懐しています。『記憶の中で、押し殺された間抜けな銃声が反響を繰り返す』これが、池始の撃たれた際の記憶であるとするならば、この「押し殺された」銃声というのが無視出来ないポイントで、ご存知の通り、通常発砲の際には、それが小さな短銃であっても結構派手な炸裂音がするものです。「押し殺された」とわざわざ記されたからには、これはサイレンサーが用いられていたのではないかと推察されるわけです。で、岡本さん、町村さん、黒田さんの三人は、同じような銃身の短い拳銃を構えていたらしい記述があります。サイレンサーは銃口の先端に取り付けるものですから、一目見て銃身が短いと断じられるような銃に接続されているとは思えません。そして、僕の後ろから銃を突きつけていた弓削さんだけが、異なるタイプの銃を持っていました。彼が銃を下ろした時に僕は、『不気味に黒く輝く細長い銃身が自己主張している』のを見ています。そして、その先端部分を彼が弄っているのも。サイレンサーが付いているとすれば、これしか考えられません。よって、実行犯は弓削さんであるとわかります。とは言っても、これが岡本さんの単独犯説を覆す証拠というわけではありません。岡本さんが巧みに木谷栄二の方向性を操っていた、というのがこの単独犯説の大枠ですから、弓削さんが汚れ役を任されていてもおかしくはないのです。何も全て岡本さんが手を下す必要はなく、思惑通りに邪魔者が消せればよいわけですしね。

??:なるほど。

池:そして、選考委員が陳腐な「裏組織」に成り下がった第三部と、その陳腐な「裏組織」こそが、覆面作家集団『木谷栄二』だと暴露する第四部を合わせて浮かび上がってくる構図は何でしょう? これはもう明らかです。「」あるいは「」のどちらかでしかありません。要するにこれが、作者……つまり、あなたの意図するところだったわけです。

??:ほう。私がこの物語の作者であることはあえて否定するまい。しかし、私の意図について、君の口からじっくり聞かせてもらおうか。

池:……その手にはのりませんよ。順序良く追い詰めていっても、あなたは幾らでも言い逃れが出来るから、こちらから先に回りこんで逃げ道を塞がせてもらいます。一足飛びでね。僕には全て見えているんですから。……この作品は先に言ったように、突き詰めると「木谷栄二という集団に対する誹謗中傷」か「内部告発」であるとしか思えなくて、だからこそそれが作者の意図であると勘違いさせるために、この僕が配されている。違いますか?

??:…………。

池:池始殺害の実行犯が弓削さんであるとわかるように書かれている理由は、ただ一つ、選考での不正の疑いのある岡本さん以外にも、ここには間違いなく悪人がいるのだということを示すためです。わざとらしく全員が同じ格好をして、拳銃まで持たされていたのも、彼らが悪い仲間であることをわかりやすくする演出だったと言えるでしょう。明らかに過剰でしたがね。そこに加えて、あからさまに怪しげなその人間達を一括りにする狂信文芸集団『木谷栄二』が登場します。すると、これを読んでいる者はどう思うでしょうか。見せ付けられていた「悪」に通底していたものが何あろう『木谷栄二』であったことを認識させられるのです。岡本さんや弓削さんなど、それまで散見していた「悪」が、「木谷栄二に所属しているから」という理由付けを与えられて収束し、さらにそこで逆ベクトルが加えられ、「木谷栄二に所属しているから」という条件だけで町村さんや黒田さん、米谷、鈴木、伊勢、宵口にも発散し、飛び火します。帰納法と演繹法が上手い具合に折衷されて用いられるのです。少なくとも、木谷栄二を正当な作家であると判断する者は誰一人いなくなるでしょう。要するに、第三部の印象を正しく第四部に持ち運んで読み解いてみると、木谷栄二を「文学に殉ずる」などと美辞麗句を使って本文中で擁護していること自体が痛烈な皮肉であり、蓋を開けてみれば誰も彼もロクでもない奴らなのだ、と訴えているのがわかるわけです。何せ、第三部で僕はこいつらに殺されているわけですからね。一方で、第四部だけ見れば、文壇のために良いことなのか悪いことなのか悩みながらも木谷栄二が少しずつ道を踏み外す様子が描かれており、一概に悪意のみから書かれたものとも思えません。組織のために消されたと思われる人たちも、あくまで不運な事故、と曖昧に描写されていますし、第三部さえなければ、木谷栄二を一方的に「悪」と決め付ける様なことも無いでしょう。ですから、そういう意味で、最後の判断は読者に任せるという意思を残した「内部告発」であると解釈することも出来るわけです。しかし、では一体、この期に及んで誰が、「木谷栄二という集団」を中傷したり告発したりするのでしょうか?

??:それは、なんとも言えないだろう。話の流れからして米谷正応かもしれないし、宵口白文が正義感に目覚めた可能性だってある。誰あろう君だって機会さえあればやっていたのではないかね?

池:まあ、それは否定しません。僕だって一歩間違えれば、あなたを米谷正応であると断じていたかもしれないですし。ですが、そう考えると一つ、決定的に奇妙な点があるのです。

??:奇妙な点?

池:ええ。もしもこの作品が、本当に「木谷栄二という集団」に対する告発なのだとしたら、決定的に奇妙なのです。例えば第二部では、僕が自分のことを作者である木谷栄二だと勘違いしてとんでもない謎解きを披露するわけですが、何故か、「木谷栄二は複数人からなる執筆集団で、我々がそのメンバーだろう」と指摘する者は現れません。まあ、百歩譲ってこれは、その場の僕のノリに合わせたおふざけだったと仮定しましょう。もしかしたら、僕が幽霊か何かに乗っ取られていると思われていて、外部の人間には秘密を明かせないという判断が下されていたのかもしれませんしね。しかし、第三部になって、彼らは明らかに僕を池始と見なして応対しています。さすがに、僕を殺した、とは言いませんでしたが、その場の状況や座談会当時のことを、逐一説明してくれています。にも関わらずここでもやはり、木谷栄二が彼ら自身からなる集団であることは説明されていません。第四部冒頭で初めて、それが明かされるのです。本当に木谷栄二を告発したいのならば、どうして早い段階で、それが団体であることを明らかにしなかったのでしょうか? この真実が隠されているからこそ、第一部から第三部まで話は見当違いの方を向いてしまっており、第四部が来るまで意図がわからないのです。むしろ、本当に中傷や告発が目的なら、第四部だけで構いません。それで十二分に、木谷栄二の悪行を指摘出来ています。第一部から第三部までは蛇足と言えるでしょう。

??:では、君の言ったように、岡本さんの不正を暴露するためだったとしたら? 彼の単独犯説が正しいかどうかは元より、作者はそれを確信していたとも考えられる。

池:その作者が、他ならぬあなただから、それはありえませんね。木谷栄二全体の陰謀説を推したのはあなたです。真相解明篇であると言ったからには、ここで僕が岡本さんの不正単独犯説を出した時点で、あなたは納得するべきなんです。そうでないのだから逆に、岡本さんの不正をうやむやにするのが目的だと言われた方がまだ説得力があります。ここでの会話はただ僕を攪乱するためにあって、とにかく木谷栄二という集団に全ての責任を転嫁することが作者の目的だった、とされた方がね。ですが、それもやはりおかしい。仮にそうだとすると、わざわざ疑惑の種を自らで持ち出す理由が説明できません。だってそうでしょう? 「私には不正の疑いがあるんだ、まあ全てがうやむやで大局的に見れば全部、木谷栄二という集団が悪いんだけど」と主張することに何のメリットがあるんですか? 不正の疑いが取り沙汰されない限り、それを持ち出さない方が良いに決まっています。墓穴を掘るだけですからね。

??:では一体、何が目的だと?

池:誤誘導ですよ。極めて見苦しいやり方ですけどね。第一部から第三部まで描かれた内容を、第四部、木谷栄二という集団の歴史を語ることで裏付ける。このような構図を期待したことこそが、誤りの元なのです。先にも言った通り、第一部から第三部まで、木谷栄二が個人ではなく集団であったことを示す伏線は一つも張られていません。第四部を読むまで、それを考え得た者はまず皆無と言って良いでしょう。この展開はあまりにも唐突です。そしてその唐突さにこそ、作者の真意が隠されているのです。つまり作者は、のです。この作品は、まず第一部が提示され、続く第二部でそこに張り巡らされた謎を解明し、さらに第三部でそれまでに仕掛けられた文章上のギミックを見破り、第四部で執筆集団・木谷栄二の歴史を語っています。冷静に読めば、それだけなのです。第四部まで含めた解釈は、この第五部でこれまで存分にやって来たつもりなので、もう詳細には触れません。どうせ全部虚構なのだからこの際どうでも良い、という開き直りも問題外であるとしましょう。この第五部は本来、「木谷栄二の異常性が、池始を死に追いやった」という真相で決着していたはずですね。しかし仮に、木谷栄二が集団であるというのが作者の急造の設定に過ぎず、全く偽りだとすると、どういうことになると考えられますか? それはつまり、第四部の信憑性が皆無になる、ということであり、第三部までの謎解きを殆ど手掛かり無しで行わなければならない、ということであり、真相を解明するのは不可能に近い、ということになります。わかりますか? 言い換えるなら、こうです。「この第五部を真相解明篇として位置付けるためには、木谷栄二が集団であるという大前提を絶対に受け入れなければならない」これこそが、作者、つまりあなたの本当の狙いだったのです! 作品を作品として成り立たせるための基本的な骨格部分に、木谷栄二は個人ではなくグループであるという設定を滑り込ませ、それを厳然たる事実であるかのように見せかけようとした。もうおわかりですね? この作品を通してあなたがやろうとした本当のこと、それは、『』ことだったのです!

??:……だとしたら、私は一体誰だと?

池:集団でない木谷栄二の正体を隠し通したいと思う作家なんて、この世界にたった一人しかいないじゃないですか。勿論、木谷栄二自身ですよ! よく考えれば、第三部の時点で気付いても良かったんです。僕が、木谷栄二ではなく池始だったと岡本さん達に言い含められた時に、『裏切られた』と感じています。つまり、作者が書いている時点では、第二部の僕はまさに、作者の化身として作品世界の謎解きのために遣わされた、完全無欠の探偵役だったのです。その証拠に、そこでの僕は池始では知り得ない事実を幾つか持ち出していましたし、全知全能の如き縦横無尽な活躍を見せています。当初の予定ではこのまま全てが上手くいくはずだったのに、いつの間にか僕は池始として、メタフィクション構造の中で一キャラクターに堕とされていた。だからこそ、『裏切られた』のです。誰がどう見ても、最初から作者は木谷栄二でした。あの、第四部さえなければ。それに気付いた時、作者は第四部を書くことで、自分が木谷栄二であるという疑いを根本的に消そうとしていたのだとわかりました。何せ第四部の始まり方は『木谷栄二なる筆名を持つ人間は、最初からこの世に存在しない』ですからね。あまりといえばあんまりだ。もしもこれがアンフェアだと指摘されれば、あなたは、「この世」というのはこののことであり、現実世界のことではない、と言い張るつもりだったに違いありません。だからこそ、見苦しい、と言ったわけですが。

??:ははは。なかなか手厳しいな。

池:キーポイントは第二部にあったのです。第二部の全てが妄想なのではない、と考えた時点で、気付いてしかるべきでした。奇しくも僕は、自分が木谷栄二のつもりだった時に真相を喋っています。これは『からくりシリーズの第四弾なんです』とね。正解は最初から、目の前に書いてあったのですよ。

??:なるほどなるほど。なかなか興味深い考察だった。相変わらず論理的というよりも魔法的に近いが、だからこそ可能なその血沸き肉踊る展開に、時が経つのも忘れて没頭させられたよ。ありがとう、と言いたいくらいだ。楽しませてもらったお礼に、私から最後に一つ助言を。

池:どうぞ。

??:ゲーデル問題に終わりは無い。

池:どういう意味ですか?

??:君が捻り出したその解決こそが、私の演出したミスリードの結果だということさ。二重三重のどんでん返しは当たり前なんだろう?

池:そんな!

??:簡単な話、私は木谷栄二ではないよ。

池:じゃあ、一体あなたは誰なんですか!

(池始の悲鳴のような声とともに暗転)

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