第四部

 木谷栄二なる筆名を持つ人間は、最初からこの世に存在しない。少なくとも、木谷栄二氏、と呼ばれるような個人については。そのからくりを今から暴こう。

 『業火に続く森』と『城』で有名になった木谷栄二は、そもそも一個人の作家ではなく、そういう名前の執筆集団なのだ。誰にも正体を明かさない覆面作家は、天才文学小学生でもなければ、最近メタミステリーに興味を持ち始めた六〇歳過ぎの老年作家でもない。主に出版界に携わる人間二〇人ばかりからなる団体である。著書の後ろに載っている木谷栄二のプロフィールは勿論全くの偽りであり、覆面作家という謎めいた人物像を利用してカモフラージュしていたのは、複数人による創作という事実そのものだったのだ。

 では、木谷栄二結成から現在に至るまでの歴史を綴る。

 事の起こりは二二年前。西の米谷こと米谷正応が、処女作『虚言癖』を引っさげて華麗に文壇デビューを果たしたことから全てが始まる。米谷は、大手出版社で編集者として働いていた大学時代の同輩を頼って原稿を持ち込んだ。そして、大御所が原稿を落とした際に穴埋めとして文芸誌に掲載されたのがかのデビュー作だった。予想以上の反響に、出版社はすぐさま米谷に次の作品の執筆を依頼した。以降、怒涛のように執筆を続けた彼は、立て続けに高水準の作品を上梓し、すぐさま文壇の寵児として注目を浴びることとなる。中でも、長編としては二作目である『前衛油紙男』は、強烈なタイトルと語り口の斬新さから、文壇のみならず一般大衆の間でも話題となり、純文学としては異例のベストセラーとなった上、映画化されて一大ブームを巻き起こした。『前衛油紙男』に触発されて、実際に何百枚もの色とりどりの油紙で着飾り、町を我が物顔で闊歩する者まで現れる始末で、原宿を中心に一年半ほど活動した彼らは、『油紙族』として日本の現代文化史を語る上で外すことの出来ない大きな要素となっている。

 さて、そんな米谷の大学の同輩であり、最初にその才能を見出したとも言える編集者は、名を鈴木伊呂波という。彼は以降、時に担当編集者として、また時に友人として、米谷を殆ど二人三脚の形で支えていくことになる。当時既に妻と幼い娘のいた鈴木であったが、米谷が原稿を仕上げる度すぐさま彼の家に駆けつけ、その内容について熱い議論を交わしていた。夜も昼もなく行われるものだから、近隣住民から苦情が入ることもしばしばで、他人に迷惑をかけているという自覚のない米谷に代わり、いつも鈴木が頭を下げることになるのだった。速筆であったが乱筆でもあった米谷の作品に対して、鈴木の指摘はいつも冷静かつ的確である。全てを破棄することもあれば、場合によっては一切の手直しなしで通すこともある。改稿の指示は最低限、しかしいつも最大の効果を生むのだった。米谷の作品が発表される度文壇で高い評価を得るのは、鈴木の研ぎ澄まされた鑑定眼の賜物であると言っても過言でない。米谷もそれを自覚していたらしく、他の作家と飲んだ際には決まって「俺には伊呂波がついてるからな」と惚気話のような体で自慢し、愚痴一つ溢すこともなく、まさに絶対の信頼を寄せている様であった。

 さて、そんな鈴木だったが、家庭を省みずに米谷に尽くしていたことがたたって、何度か離婚の危機に陥り、挙句ストレスで胃に穴を開けて吐血し、ついには一ヶ月入院する憂き目に合った。それに至ってようやく、どうもこのままではまずい、と方向転換の道を模索し始めた。時は米谷のデビューから三年。彼の執筆のスピードは全く衰えず、むしろいや増している。鈴木の言葉を借りれば、「自分のチェックするより、米谷の書くほうが早い」と言うほどの恐るべき速筆ぶりであった。このままでは身が持たない、という切実な問題を抱えた鈴木の元に、救世主は現れた。

 忍び寄るように彼ら二人に接近したのは、岡本鉄兵。元々は超心理学や疑似科学ブームに乗じて登場して、あくまでも正当なスタンスから現代の誤った科学信奉主義の否定を唱えた思想家として名を上げ、そこから文芸評論家に転身した変り種である。最初は胡散臭い目で見られていたものの、「有識者にしか理解出来ない小難しい評論こそが文学の可能性を狭めている」と過激な論調で飛ばし、むしろ一般読者層に訴えることによって文壇内で独自の地位を確立して行った男である。そんな彼が、デビュー以来怒涛の勢いで良作を量産する米谷に目をつけないはずはない。その才能を高く評価し、何度も評論で取り上げていたし、雑誌の企画で本人と対談を行ったこともある。岡本と鈴木とは、岡本が思想家として本を物していた時期から付き合いがあり、ちょくちょく一緒に飲みに行く程度の仲ではあった。そしてある日、鈴木が米谷を持て余し気味になっていることを知り、岡本は大いに慌てたのだった。米谷は、鈴木の出版社が独占的に作品を発表する稀有な形の作家である。それは、鈴木以外の編集者を通して作品を世に出すことを米谷が頑なに拒んでいるためだ。鈴木あっての米谷なのである。その鈴木が倒れれば、米谷も共倒れ、ひいては米谷人気に支えられている日本の文学界の先行きも怪しくなってしまう。岡本は一計を案じた。すぐさま鈴木と共に米谷の家に向かい、その計略を披露した。

 彼が考えたのは要するに、鈴木の負担を減らすために、手が回らない分の米谷の作品を岡本が引き受け、若干の改稿を加えて別の名義で発表してしまおうということだった。鈴木の出版社に対する恩義もある米谷は、最初、とんでもないことだと突っぱねたものの、親友である鈴木の事情も鑑み、さらには岡本の、「何なら君のこれまで没になった作品だって出版出来るかもしれない」という説得に心を動かされた。多作家であったが、米谷の自作品への思い入れは人一倍強かった。世に出ることなく消えていった数多くの作品。それが存在したという痕跡をどうにかしてこの世に残したいという思いは確かにあった。彼はよく、こんなことを言った。イントネーションには、独特の関西訛りがあった。

「昔、俺の家では猫を飼ってた。家族は殆ど放任主義だったが、俺は随分可愛がった。ある時、その猫に子供が生まれたんだが、どうも親猫の様子がおかしくてな。床下の、人が手を出せんようなところで出産しちまうんだよ。その上で、子供をほっぽってどっかに遊びに行く。実に入念な育児放棄だ。俺は床下に潜り込んでね、どうにかこうにか七匹の子供を見つけ出したが、うち四匹は結局、ほんのすぐに死んじまった。生き残った三匹は、それぞれ別々の家に貰われていった。きっと愛くるしい名前でも付けられて可愛がられたことだろうさ。もし死んじまっても、飼い主には思い出が残ったろう。だが、幼くして俺の家の床下で死んだ四匹はどうだ。名前も何にも残っちゃいない。ただ、死んでしまったという事実だけがここにある。虚しいよなあ、これは。実に虚しい。感傷的かもしれんが、俺にとってどんな作品も飼い猫と同じ。子猫の内に死なすのは忍びないのよ」

 こうして利害関係の一致した三人は、米谷正応とは別名義の覆面作家をでっち上げることにしたのだった。米谷の独特な筆致は印象的なので、岡本が巧みにその癖を消して行った。米谷は、自分の作品が妙な改稿を受けることには露骨に眉をひそめたが、未発表のまま終わるよりは、何らかの形で世に出た方がましだと割り切りを決めた。何せ、米谷名義の作品ではないのだ。全く別の作品であった方がそれらしいと言える。

 最初の作品『業火に続く森』は、鈴木を通すことで雑誌掲載にこぎつけた。ペンネームはすぐに決まった。米谷にとって「子猫の時期」で死にそうだった作品群であることから、それを無理矢理英訳して、Kitten Age。ほぼ発音の通りに日本語にすると、「きたにえいじ」である。執筆集団木谷栄二結成の瞬間だった。

 当然、原案執筆者が米谷であるので、いかに元没作品とは言え、内容的にはそこそこの出来だ。何より、評論家である岡本自身が手を加えている。八百長めいてはいるが、岡本はこの木谷作品を手放しで絶賛した。彼の影響力は文壇でも無視出来ないため、それに追随する形で、幾人もの評論家が木谷栄二に注目した。こうなれば、軌道に乗せるのは簡単だった。鈴木は横のパイプを利用して他社にも木谷作品を売り込み、岡本がその作品の出来栄えを褒める。時にはわざと難色を示しもする。どの出版社に対しても、鈴木が窓口となって対応し、木谷の正体は巧みに隠し続ける。米谷は相変わらず凄まじい勢いで書き散らし、鈴木を介した珠玉の一作を自身の名義で発表し、残りを岡本に回す。米谷・鈴木・岡本の三人がこうして巧みに動き回り、謎の覆面作家木谷栄二は文壇に浸透していった。『西の米谷・東の木谷』。要するにこれは、真相を知る者からしてみれば、米谷正応という人間がどれほど文学において天才的だったかを表す言葉だった。いつの日か木谷の正体を世間に公開する時、どれほどの衝撃を与えるのだろうか。米谷は、先生に悪戯をしかけた小学生のような気分で、それを考えるのだった。

 順風満帆に進んでいた木谷栄二計画であったが、ある時そこに小さな波紋が生じた。弓削網太郎の登場である。彼は、新進気鋭の本格推理作家であり、デビュー長編『猿人類の殺人』に端を発する「考古学シリーズ」は目の肥えた本格ファンをも唸らせる名作揃いで、一般にも広く名が知れていた。二時間ドラマ化された際、主人公の黄桜大和役に抜擢された若手俳優はそれを機に一気にブレイクを果たし、今では高額納税者番付の芸能人部門の常連にまで登りつめているほどだ。さて、このような逸話からも分かるとおり、ミステリーである弓削作品は所謂大衆文学に属し、純文学畑を歩いていた米谷、木谷やその周りの評論家達とさほど接点があったわけではない。しかし、この弓削網太郎という人物はまさに本の虫であり、彼の生活は本を読むか書くかのどちらかだけで構成されているような始末で、一読者として、米谷、木谷両作品を耽読しており、これがまさかの事態を招くのである。簡単に言ってしまえば弓削は、米谷の作品と岡本の評論、木谷の作品全てに目を通した結果、そのからくりに気付いたのである。といっても、何の証拠があるわけでもないし、単に奇抜なアイデアを思い付いて、それを真実と確信したと言うべきか。これは、彼の作品に見られるような明確な論理展開で説明付けられるようなものではなく、むしろ神懸り的な直観力の賜物であった。彼は、探偵小説家としての自負から木谷の正体を暴いてやろうなどと微塵も思っていなかったので、米谷や岡本を問い詰めることはしなかった。ただ、短編のネタにでもなるかと思い、依頼も無いのに『覆面作家の消失』という作品を一気呵成に書き上げ、知り合いの編集者に見せてみることにした。木谷栄二にとって幸運だったことに、この編集者というのが、鈴木だった。鈴木は、まるで見てきたかのように木谷栄二の結成の様子を描いているその作品に仰天した。黙っていて欲しくば金をくれ、と脅迫でもされているのかと思った。それとなく弓削に真意を確かめると、彼はまさしく、木谷作品は米谷作品を手直ししたものではないか、という着想から執筆に及んだとのことだったが、どうも脅しをかけている様子ではない。鈴木は米谷と岡本にその旨を報告し、今後の方針を決める必要に迫られた。世間に対して事実を公表するか、それとも弓削に黙っておいてもらうか……。

 結果的に、彼らは事実の隠蔽を決定する。いずれ公開しなければいけないことでもあり、頑なに隠匿する必要はないのだろうが、まだその時でないと岡本が言い張った。岡本は、木谷作品への八百長評論とも言える行為があるため、もう時効だと笑える日が来るまで、つまり出来るだけ遅くまで、この事実を隠蔽しておきたいのだ。鈴木にとっても、木谷栄二作品の原稿料や印税のお零れに預かっているので、このまま木谷栄二を続けていくのは吝かでない。米谷にとっても大事な子猫を殺すことは避けたいに決まっている。そこで彼らは、『覆面作家の消失』の発表見合わせを弓削に依頼し、真相を説明した上で金での口止めを計った。ところが意外なことに、弓削はむしろ、木谷栄二について好意的な見解を示し、良ければ仲間に加えてくれないか、と言った。弓削にも昔、純文学を志していた時期があり、その時に書いた作品は様々な賞に投稿したが、箸にも棒にもかからなかったのだ。推理作家として成功を掴んだが、その頃の作品にも勿論愛着はある。しかし、新人賞に落選したような拙作を今更自分の手で直したところで高が知れていると諦めていた。木谷栄二を利用すれば、あるいは世に出せるのではないか、と考えたわけだ。岡本は当然、難色を示した。木谷作品に形を変える米谷の原稿は、鈴木の手が回らない二軍レベルのものだとは言え、その才能に裏打ちされた佳作が揃っている。アマチュア時代の弓削が書いた作品では。手を加えてもどうにもならないのではないか、という懸念があったのだ。作風が変わって違和感を覚えられる可能性もある。しかし、弓削には弱みを握られているようなものだ。岡本は首を縦に振るしかなく、ここに木谷栄二四番目のメンバーが誕生する。

 岡本の心配するほど、弓削の作品の出来は悪くなかった。というより、文章の粗さを除けば大きな問題は無く、秀作と言って良かった。そして、文章の拙さを直すだけなら、岡本の得意とするところだった。そうして発表された『在りし日の街並み』は、驚くほど木谷栄二らしい作品となり、皮肉なことに木谷栄二初期作品の中で三本の指に入る傑作と呼ばれるほど高評を仰いだ。弓削は増長するでもなく、純粋に嬉しそうに岡本に電話をよこした。岡本も、「おめでとう」と言ってやった。四人は集まって、木谷栄二作品が稼ぎ出した金を使い、高級クラブでしこたま酒を飲んだ。「子猫を助けてやる」という大義名分で悪いことをやっているのか、「金儲けのための装置」という偽悪的な仮面の下で良いことをやっているのか、四人にはよくわからなくなった。ただ、文壇が木谷栄二を求めていた。

 一方、米谷の作品の方も相変わらず評判は上々だったが、それが嵩じて、求められる品質のハードルが上がっている感が否めなかった。傑作でなければ米谷正応作品と認めない、という文壇の姿勢は、米谷と鈴木を追い詰めていった。木谷栄二作品は、基本的に元が没作品であるだけに、出色の出来の物は多くない。けれど、量産される作品のそれぞれの質は決して低くはなく、小さく纏まったそれらの中に、時折きらりと光るものを感じる。それくらいの絶妙のポジションを維持していた。評論家としての岡本が、上手くその辺りをコントロールしていたのだ。一方、米谷作品は、全てがこれ名作。何の妥協もない。落ち目ではないからけなすわけに行かないし、伸び悩んでいるというにも質が高すぎる。かといって絶賛するだけでは能が無い。米谷は米谷という次元でしか評価出来ない。どうにも皮肉なことに、評価する側が米谷を持て余し始めてしまったのだ。鈴木と米谷は思い切って、商業的に多作から寡作へと切り替えることを決断した。米谷はピーク時ほどではないにしろ、相変わらずの速筆であった。鈴木は、完成した作品の中で、発表するものをこれまで以上に厳選することにしたのだ。傑作が求められているのなら、傑作を上梓すればよい。それだけのことだ。

 そうなると、木谷栄二作品のストックはどんどん増えて行く。今度は、岡本による改稿が間に合わなくなり始める。何せ、時折弓削が、推理小説の筆休めに書いたとのたまって新作を持ち込んでも来るのだ。本業の評論の仕事も増えてきた。そのためには本を読む時間も必要だ。手が回るわけはない。これまで上手くいっていたのが奇跡的だったのだ。

 岡本はそんな中で、木谷栄二の参加者をもっと増やさないかと提案した。秘密を知る者が増えれば、それだけ漏洩する可能性も増えるのであるが、背に腹は変えられない。今や日本の文壇は木谷栄二(突き詰めれば米谷正応)にかかっているのだ。それを裏切ることは出来ない。どんな形態であれ、彼らは、一度始めた木谷栄二を維持し続けていかねばならない。その義務があった。

 皆、一も二も無く賛成した。おそらくこの辺りから、彼らの狂信は始まったのだ。

 時は今より一〇年前。米谷正応が傑作『散財』を上梓した二ヵ月後、木谷栄二は後に初期と中期の転換点とされる作品『白日の下に眠りを捧げ』を発表する。これは、米谷の原作に、伊勢という評論家が手を加えたものである。当然伊勢は絶賛したが、大勢を見極めるに、そこまで評価の高いものではないようである。この後立て続けに発表される木谷栄二作品は、原作として子猫を提供する者が四人、手直しする者が五人もいた(掛け持ちしているものもいた)ため、一応木谷栄二作品らしく体裁は調えられたものの、作品ごとに落ち着きが無く、混迷を極めることとなる。ただし、何故か凡作や駄作は少ないというのが不思議だ。小奇麗に上手く纏まっている。とはいえ、筆致に迷いが見られるとか、これこそが木谷の表現したいものだとか、通底する真の観念を見極めることを読者に求めているだとか、評論家にはあることないこと好き勝手言われ、文壇に賛否両論の大旋風を巻き起こすことになった。その、混迷の中期のきっかけとして重要な作品であるため、『白日の下に眠りを捧げ』は、日本文学史上においても名を残すであろう。

 米谷の方はまさに作戦通り。出版ペースを落とし、これまでの何倍も推敲、改稿を行って、鈴木が唸るまで書き直しを続ける。最初から妥協もしていないところを、更に念には念を入れるのだ。凡作で収まるわけは無く、全国民が目を見張るばかりの快作を連発。評論家も迷うことなく絶賛し、文壇での地位を不動のものとした。

 木谷栄二の内部においては、この頃から背番号制が採用され始めた。半ば冗談のように始まった企画であったが、メンバーそれぞれに番号を振ることで、仲間意識を高めようというその単純な発想は、予想外に歓迎された。我々が文壇を支えているのだ、と本気で思っていたし、実際そういう面もあった。彼らは、日本の純文学を救う仲間であり、同時に、八百長による話題作りの共犯であったのだ。ちなみに栄光の一番は鈴木だった。何故なら、対外的に木谷栄二として外界とのパイプ役を担っているのは鈴木であり、彼無しではこの計画は立ち行かないからだ。そこから、二番米谷、三番岡本、四番弓削、五番伊勢……と続いて行く。おい四の字、と言われて弓削が振り向くようになった時、木谷栄二という狂気は本格的に転がり始めたのだ。

 そして六年前、木谷栄二存続の最大の障害が現れた。町村清子である。町村は、そもそも差別問題を中心に取り扱うフリーのジャーナリストであった。しかし、お堅い社会問題を取り上げているばかりでは飯は食えず、結果、現在のジャーナリズムのあり方自体に問題を感じるようになる。憤りの矛先は自然と自身の真上に向かい、そんな単純な動機から、彼女は出版界における不正を暴くべく奔走を始めていた。一見無謀なだけにも見えたが、しかし彼女は馬鹿ではない。自分の立ち位置を危うくしながらも、ぎりぎりの細い綱を渡り続け、権謀術数渦巻く出版業界に大きな波紋を呼んでいった。その彼女が、どうやら木谷栄二の正体を嗅ぎ回っているというのだ。どこか、その存在に不自然なものを感じたのかもしれない。

 木谷栄二は焦りに焦った。何せ、相手がジャーナリストというのは実に分が悪い。出版関係者相手なら、金を積むなり仲間に引き込むなりどうにかやりようもあるが、ジャーナリストは彼らの懐柔の姿勢そのものすら糾弾の的とするだろう。だが一方で、もう引き返せないところまで来てしまっているのだ。開き直って真実を公開する時、これ即ち日本の文壇が破綻する時である。木谷栄二の重要性は、今や誰もが認めるところだった。

 町村が鈴木に取材を申し込んで来た時、彼らは全員、もう駄目だ、と全ての破滅を覚悟した。鈴木はそれでも最後の足掻きとばかりに町村から逃げ回り、数日間は何やかやと理由をつけて近寄らせなかったが、しかし結局は勤務時間外に自宅前で待ち伏せされて掴まった。開口一番、町村はこう訊いた。

「あなたが、木谷栄二ですね? 米谷正応の担当編集者というのは世を忍ぶ仮の姿。しかしてその実体は、というやつです。聞きましたよ。あなた、木谷栄二とのパイプ役を勤められているんですってね。でも、本物の木谷栄二と直接会ったことのある他社の編集者はいなかった。覆面作家は数あれど、編集者にまで姿を現さないなんてやりすぎです。そんなことをするメリットがないですからね。そうなると自然、考えられるのは、あなた自身が木谷栄二であるということだけ。もしも違うというのなら、木谷栄二氏について、その人となりを教えてくださいよ。ね。オフレコにしときますから」

 助かった。鈴木は、その安堵を顔に出さないようにするので精一杯だった。町村はどうやら根本的に勘違いしているようだった。鈴木が木谷栄二であるという点はある意味では正解だが、米谷の没作品を岡本が手直ししたものが木谷栄二作品だったのだ、というジャーナリズムにとって肝心な部分を見落としている。そもそも町村が木谷栄二へ接近した理由は、「文壇で注目の覆面作家だから、その正体に辿り着けば話題になるだろう」という程度のものであり、木谷栄二の歪な構造に見当がついて取材の必要性を感じたというわけではなかったのだ。まさしく木谷栄二は九死に一生を得た。

 その場は、鈴木が「違いますよ。木谷と私とは別人です」と頑なに強調して振り切った。だが、町村は追及の手を緩めない。何日も何日も鈴木の元に足を運び、後を付け回し、どうにか尻尾を掴もうと躍起になっている。困り果てた鈴木は、弓削と岡本に連絡を取り、町村の応対を完全に委託した。弓削と岡本は忙しい中一晩かけて策を練り、次の日の朝、鈴木の自宅脇で張っていた町村を半ば強制的に車に乗せ、最寄りの喫茶店まで連行した。町村はいたく憤慨していたが、木谷栄二について説明すると言ったら途端に態度を翻し、満面の笑みでモーニングセットを頼んだ。

 弓削と岡本は、木谷栄二が複数の人間からなる執筆集団であることを町村に伝えた。ただ、この時、米谷の関与は意図的に隠し、弓削他幾人かの作家が書いた純文学作品を持ち寄って、本人達で推敲して発表しているのだと説明した。無論、何人かの評論家が手直しに加わっていて、作品を自画自賛することにより高評を博している事実も伏せた。覆面作家とした理由は、後見人である岡本が、弓削達からその企画を聞いた際、「なにぶん前例がないことであるし、予断を含めずに評価を仰ぐには、身分を隠した方が良い」と配慮したからである、ということになった。そして出来ればその意向を汲んで、公言しないで欲しい、と土下座せんばかりの勢いで二人して頭を下げた。町村は、文壇での地位を得た今になってどうしてまだ隠し立てする必要があるのか、随分と怪訝そうにしていたが、条件付きで、公表を控えることを約束してくれた。

 そしてその条件というのがまた皮肉なことに、木谷栄二に自分も参加させて欲しい、ということなのだった。私もジャーナリストになる前は作家を目指していたの、と笑顔で言う町村を、二人は複雑な表情で見つめていた。町村は木谷栄二を健全な団体であると信じているから参加を希望しているのであって、その内実を知れば反旗を翻す可能性もある。だが勿論、一度共犯関係を結んでしまえばどうにでもなるという考え方も出来る。文字通り死活問題であったが、立場的に条件を飲むしかないのが苦しい。決断を下したのは弓削だった。わかりました。早いうちに短編を一作、僕に見せてください。町村の顔が輝いた。

 こうして、背番号一〇番、初の女性団員町村が誕生した。とはいえ、町村には米谷や評論家連中のことは伏せておかねばならない。弓削達としては、とりあえず一刻も早く町村の作品を発表してしまって、彼女としても完全に木谷栄二の仲間として、引くに引けない状態になってから真相を暴露する予定であった。けれども、この町村嬢、本当に一筋縄では行かない。彼女の持ってきた作品が残念なことに、壊滅的な出来栄えだったのである。キャラクターに魅力がない、ストーリーは独創性に欠ける、文章がどうにも硬質過ぎて内容にそぐわない、など考え得る限りの問題点を抱え、中でも最も致命的だったのは、「純文学ではない」という点だった。これをどうすれば、木谷栄二作品として発表できるのか。弓削は頭を抱えた。鈴木も様子を見に来てくれたが、流石に匙を投げた。とりあえず町村に、「これは一週間僕が預かる。少し手を入れてみるから、君は自分の仕事をしていて下さい」と告げ、弓削は秘密裏に、町村の原稿を木谷栄二メンバーの評論家全員に回した。評価は惨憺たるもので、中でも岡本は、その原稿を手直ししてまともな純文学に仕立て上げるのは、黄桜大和の前で完全犯罪を遂行するよりも難しいぞ、と弓削の小説の名探偵を使って上手いことを言ってのけた。弓削も、どうにか手直しを試みたが、そんなことをするくらいなら明らかに最初から書き直した方が早い。

 町村を何とか説得しよう、などという意見も出る中、革命的な打開案を提示したのは米谷だった。彼は、鈴木からその話のあらすじと書き味を説明されると、笑いながらこう言った。

「それなら、文章の順番を最初から最後まで全く逆向きにしてしまえば面白いんじゃないか? つまり、最後の文章から一文一文、逆さまに最初の方まで戻っていくようにするんだ。全く小細工なしにね。究極の倒叙小説というわけよ。ストーリーがありがちで、キャラクターも凡庸なら、それでも話の筋は大体わかるだろう? 細かいところの文章を直せば、それだけで『大問題作』の出来上がりだ。木谷栄二ならやってもおかしくなかろう?」

 すぐさま連絡は、鈴木から弓削、弓削から岡本に伝わった。岡本は笑いながら、町村の許可を取れればすぐさま始めた方が良い、とだけ言った。予想通り、町村は快諾した。弓削は、手の空いていたメンバーの一人に文章の並べ替えを依頼した。推敲とは程遠い単純作業に、その団員は「二度とやりたくない」とぼやいた。

 こうした紆余曲折を経て発表された木谷栄二の短編『娯楽小説』は予想通り、数多くの評論家に取り沙汰され、大激論を呼んだ。人を食ったようなタイトルと、『だからこそ、もう二度と取り返せない日々なのだ』で始まり、『小川紀久子は、大手町のとある商社に勤めて三年目になるOLである』という一文で終わるという大胆不敵な構成は、読んだ者全てに、何か一言言わねば気がすまないと思わせるだけの力があった。勿論、読者を馬鹿にしている、単なる駄作だ、と罵倒する者も多かったが、実験小説としての姿勢を評価する声も少なくなかった。何しろ、岡本ら親・木谷栄二派の評論家から確実な後押しを受けられるわけで、擁護の手段には事欠かない。少なくとも、文壇から干されるような最悪の事態だけは避けられた。文学史的には、木谷栄二の中期から後期の転換点として外せない一作でもある。

 待望の町村原稿の発表は為された。弓削達は、『娯楽小説』の掲載された文芸誌を町村に手渡し、そして隠してきた木谷栄二の真相を口にした。町村は唖然とし、一瞬だけ正義感を持ち出して非難しようとしかけたが、すぐに諦めたように苦笑した。それで皆が救われるなら良いんじゃない。乗りかかった船だもの、私も、やるなら徹底的にやるわ。こうして町村は、正式に木谷栄二の仲間として彼らに迎えられた。彼女の選択は、非常に賢明だった。弓削は真相を話す間ずっと、コートの内ポケットの中で、無粋な麻縄を握り締めていたのだ。人一人の命に代えてでも、守らねばならないものもある。

 町村は、口封じのために仲間にしたようなものだから、木谷栄二としての創作活動においては何の戦力にもならないと思われた。しかし、彼女は徹底的にやると言っただけあり、その行動力を活かして木谷栄二に多大な恩恵をもたらした。都内に事務所を立ち上げ、これまで杜撰だった木谷栄二名義での収入の管理を買って出たのである。木谷栄二のメンバーは全員に生業があるので、これまで木谷作品によって生じたお金は、無くならない程度に皆で好きに使っていたというのだから、管理の杜撰さも知れるというものだ。一応、金を使った者は、何に幾らつぎ込んだのか申告するルールがあったようだが、町村が本格的に調べた結果、どうも数百万円の単位で計算が合わない。無断で横領をした者がいるらしいとわかり、流石にこれは問題になって、犯人捜しが行われた。勿論、お金が減ったことが問題なのではない。純文学の未来のためでなく、金目当てという浅ましいだけの目的で木谷栄二という組織を利用している人間が団員の中にいることが問題なのだ。弓削は、全員を事務所に集め、犯人に名乗り出るよう促した。米谷と岡本が手を上げた。まず米谷が、五五万円もする稀覯本の購入資金として無断借用したことを白状した。彼は実際にそれを証拠として持って来ており、木谷栄二作品の資料としても非常に有意義な代物であったことから、彼は許された。次に岡本が、木谷栄二の正体に迫ろうとしていたゴシップライターに、口封じのため独断で一〇万円渡して遠ざけたことを告白した。これは、一時期誰かに後を尾けられていたのが最近いなくなった、という鈴木の証言が決め手となり、勿論許された。だが、この二人だけでは帳尻が全然合わない。弓削が言った。

「ところで伊勢さん。随分と乗り心地の良さそうなお車でおいででしたが、あれは一体どのくらいのお値段なんでしょうか? ぼくも車には多少興味があるので、是非ともお教え願いたい」

 伊勢は顔を真っ青にして震えていた。ちなみに弓削は免許を持っていない。その場はそれで解散となり、次の日、伊勢が死亡したという連絡が入った。帰り道で事故にあったらしい。ちなみにその年の暮れに弓削網太郎が発表した傑作ミステリー『いつかの三叉路』は、自動車事故での怪死を巡り、二人の探偵が自殺説と事故説を戦わせた後、読者にだけ殺人説を匂わせて幕を下ろすという示唆的な展開となっている。

 さて、町村の加入から一年、木谷栄二は文学界維持のため容赦の無い活動を続けていた。メンバーは、ある者は作家、ある者は評論家、ある者は編集者、ある者はフリージャーナリストとして、自分の仕事も精力的にこなしているため、一見すると片手間で木谷栄二に携わっているようにも見える。しかし、彼らには崇高なる使命がある。強烈な目的意識、仲間意識によって結束を固め、並外れた熱意と意欲を糧にして、おそらく不眠不休ででも活動を続けるだろう。その鬼気迫る様子を目にしてなお、片手間であると断じる者がいるのなら、その者には実際に文学界の救世主となってみて欲しい。詳細は省くが、この年だけで木谷栄二に深く関わろうとした記者やライター、あるいは編集者が、四人ほど不運な事故で亡くなっているのだ。木谷栄二のメンバーも六人ほど増え、名作量産に向けての盤石な体制が組み上がった。

 とは言え、『娯楽小説』以降、木谷栄二は純文学よりむしろ娯楽小説、一般小説方向にシフトして行った、と文壇では評されている。これは必ずしも適切とは言えないが、実験小説の趣のある前衛的な作品が、評論家を始めとする一流の論客よりも、話題性を好む一般の民衆の方にこそ受けてしまったことは動かし難い事実である。特に、白雪姫をモチーフに真実の愛と性のあり方を模索していく『すのうほわいと』や、三行ごとに語り手が変わり地球規模で一つの事件を記述する究極の群像劇『集中線』、乳児の泣き声を梵字で表現し、若い母親が辞書と首っ引きでコミュニケーションをとるシーンが象徴的な『私の息子』などは、その特異性からマスコミにも取り上げられ、大きく売り上げを伸ばした。後にからくりシリーズと題される作品の第一弾『遺漏物体』の発表もこの頃で、作中作を用いた倒錯的な内容はミステリー仕立てになっており、推理小説のファンにも好評を博した。

 米谷正応はと言うと、彼の辞書にスランプという言葉は無いらしく、相変わらず傑作を上梓し続けた。ただ、この頃から、木谷栄二に子猫を提供する優秀な書き手が増えてきたため、米谷の送った子猫が発表されず仕舞いになる可能性が生じてきたことを懸念して、執筆ペースをやや落としている。そういう意味では、木谷栄二との関わり合いは希薄になっていた。永久機関を熱心に作ろうとしているが、自分が不老不死であることには気付いていない不思議な少年の日常を淡々と描く名作『永久永久機関』は、実は元々、木谷栄二に送っていたものだった。いつまで経っても発表されないことに業を煮やした米谷が、取り返してきて推敲を重ね、思い切って発表したのである。この作品は、二年後に早くも高校の国語の教科書に載ることが決定したが、もしも木谷作品となっていた場合はどうなったか、想像してみるとなかなかに趣き深い。

 木谷栄二のシステムにおける不気味な歪みに苦しめられる人もいた。例えば、木谷栄二のメンバーである若手純文学作家、宵口白文においては、本人名義の作品よりも本人の子猫を改稿した木谷作品の方が圧倒的に評判が良い。宵口と、彼の担当編集者(勿論木谷栄二の一員だ)はほぞを噛んで悔しがったが、あくまで実力主義のこの世界で、その責任を負うのは誰あろう自分達しかいない。二、三作ほどそういったことが続くと、宵口はすっかりふてくされてしまった。そして、自分名義で作品を出すことはもう金輪際しないと言い切って、木谷栄二の裏方に徹する決意を固めたのだった。本末が転倒しているようでもあり、文学に殉じているようでもあり、随分とメンバーも悩んだのが、結局は宵口の意見を呑むことになった。一部に熱狂的な支持を受けていた若き鬼才は、あっという間に表舞台から姿を消し、結果、後の世ではさらにカルト的な人気を誇ることになる。裏では木谷作品として、新作を改稿して堂々と発表していたが、宵口作品とはあまりにも毛色が異なったため、誰一人としてそれに気付く者はいなかった。

 そしてついに、その時が来る。三年前、木谷栄二とは別口の用件で北海道へ出張していた『一番』鈴木伊呂波が、どうやら火山の噴火に巻き込まれたらしく、近隣の自然公園内で行方をくらませたのだ。行方不明というのが裏目に出た。死亡という情報が早い段階で得られていれば、他の木谷栄二所属の編集者を巧みに使って出版界とのライフラインを確保したであろうが、対応について協議している内に、先を越された。どこから流れたものか、複数の週刊誌に立て続けに『行方不明になった編集者は覆面作家木谷栄二!』とのスクープ記事が載り、それを裏付けるような証言も現れ出した。報道を否定するためには、真相を暴露する必要がある。皆は当然二の足を踏んだ。しかしこのままでは、連載中の『虚ろの花』は未完のまま中絶される。手元には既に、宵口の手になる最終回までの原稿があるだけに、不本意な終了は悔やまれる。連日、事務所では侃侃諤諤の議論が交わされた。

 ある者は、今こそ木谷栄二のからくりを世間に暴露すべきだと唱える。そうした上で、これまで通り執筆を続けていけばよい、と。しかし、彼らの思想が一般の民衆に受け入れられるかどうかはわからない。客観的に見れば木谷栄二は如何わしいやり方に見えるという自覚を持つ団員もいて、彼らは声高に、「木谷栄二の真実を公表することは、文壇内における自らの立場を危うくするだけに留まらず、世間における文壇自体の立場を危うくするに足る衝撃をもたらす」と徹底的に反対した。文学に命を捧げるが故に、穢れを自覚してなお果敢に突き進むことを良しとしたのだ。

 そこで彼らは、敢えて鈴木=木谷説を否定することなしに執筆を続け、発表の際に別の名義を使うことを提案した。文壇に新たなる時代の寵児を覆面で登場させようというのである。しかしこれには、編集者の肩書きを持つ団員からの猛反発が加わった。彼らは、ある者は出版社付き、ある者はフリーで活動していたが、鈴木のような独自の立ち位置では無かったため、これまでの木谷のような完全な覆面性を絶対に維持出来ないと主張した。ならば、覆面でなく、誰か全く別の作家のゴーストとして働けば良いという意見は、早々に却下された。それでは、ことが発覚した時に何の言い訳も出来ない、完全な不正になるからだ。木谷栄二という作者名には何の実体もなく、あくまでも「子猫の時代」という符丁だけが意味をもち、だからこそその下で、複数の人間が並列的に執筆、推敲、改稿に関わることが出来た。それが木谷栄二を木谷栄二たらしめているものの正体であり、米谷達が目指したものは、ゴーストライターとは全くの別物だ。『木谷栄二』でなくてはならない。そこに意味があるのだった。

 鈴木=木谷説を世間に定着させて、一旦、木谷栄二名義での作品発表を中断する。再開時期は未定。結局、岡本が出した結論はそれだった。悔しさのあまり涙を滲ませる団員もいた。町村は、もしかしたら鈴木がひょっこり戻ってくるかもしれない、と明るく言った。そうしたら、大手を振って作品を発表してやれば良いじゃない。仮にそうなると、完全に鈴木=木谷説で固まってしまうことになるが、最早誰も異を唱えるものはいなかった。少なくとも、木谷は鈴木の失跡と共に姿を消したのだ。それは事実。文豪木谷栄二はこのまま、多くの謎を残しながら、本の虫達の間で伝説として語り継がれていくのではなかろうか。極めて美しい幕引きと言える。会議はそれで解散になった。木谷栄二も解散になるのだと、誰もが思った。皆、喉に骨が引っ掛かったような、もどかしげな顔をして帰って行った。

 しかし次の日、町村がなんとなしに事務所に顔を覗かせると、先客が居た。宵口が原稿を書いていたのだ。彼は、いつものように伊達眼鏡を神経質そうに触りながら、「だって、発表しないというだけであって、執筆は自由でしょう? 放っておいても猫は産まれて来ますからね」とぎこちなく笑った。続けて、弓削が自ら原稿を持ってやって来た。「とっておきの可愛い子猫がいるんだけど、預かってもらおうと思って。放っておくとどうしても気になって、殺人事件が起こらないんだ」さらに、続々とメンバーが顔を出した。外回りの途中で立ち寄っただけ、という編集者も多かったが、皆一様に、「何だ、やっぱり」という泣き笑いのような顔になった。最後に顔を出したのは、米谷と岡本だった。一人の、若い女性を連れていた。

 鈴木伊呂波は、木谷栄二にとってのライフラインである以前に、米谷正応の専属担当編集者であり、親友であった。木谷栄二存続の問題だけでなく、米谷作品の発表や出版の問題も残っていた。米谷は、鈴木の出版社の編集長や、長年良きアドバイザーを務めてもらっていた岡本と話し合いを重ねた。二〇年近く二人三脚体制で書き続け、今や片翼をもがれた形の米谷はだいぶ落ち込んでおり、断筆という選択肢も本気で考えていたが、そこに現れた一人の女性の存在が、彼を再び机に向かわせた。彼女の名前は鈴木泉。鈴木伊呂波の一人娘だった。中学卒業と共に単身渡米しており、今回父親の失跡を聞いて日本に戻ってきたという。米谷が会うのはおよそ七年ぶりだったが、一時期ニュースで騒がれていたため、顔はよく知っていた。彼女は、アメリカの映画専門学校在学中の一七歳で作った短編映画が世界的に評価され、天才若手女性映画監督として一躍時の人となった。さらに、卒業後は世界各地を飛び回って撮影地域の文化的背景を生かした短編を数多く製作。その数は三年半で二八本という驚異的なペースだった。日本を舞台にした作品としては、日本的な幽霊観を逆手にとった結末で評論家を唸らせた『依頼』と、神社仏閣における精進料理にスポットを当てた異色のドキュメンタリー『飽食の修行僧』がある。とはいえ、父親である鈴木が、全世界を股にかける娘の活躍を手放しで喜んでいたかと言うとそうでもなく、泉は専門学校在学中に現地で出会った一一歳年上の日本人商社マンとスピード結婚し、両親への報告を事後承諾で済ませるという暴挙で関係者を絶句させ、挙句に卒業と同時に離婚して一〇代で早くもバツイチとなった。その話を聞いた時、鈴木夫妻は卒倒したという。しかも離婚の理由が、「彼が仕事の都合でL・Aから動けなくて、世界各地に撮影に行きたい私を止めるから」という破天荒な代物で、鈴木は一度酒の席で、岡本と米谷に「親子の縁を切ろうかと思った」と半ば本気とも言える口調で愚痴っていた。映画監督をする時だけ、一作目と名義を変えないために離婚後も前夫の姓を名乗っているので、彼女は一般に『黒田泉』として知られる。本人は全く気にしていなかったが、父親としては、直接会ったことのない娘婿の影がいつも付き纏っているわけで、良い気はしなかったろう。

 とはいえ、米谷の前に現れた黒田泉嬢は、天衣無縫な印象と異なり、落ち着いた女性に見えた。二二歳という実年齢よりも、シックな雰囲気で三、四歳は上に見える。だが、口を開けばそこには父親を困らせた無鉄砲さがあった。「私を、父の代わりに米谷さんの担当編集者にしてください! お願いします」父親が行方不明で居ても立ってもいられず、これまでの不孝をどうにかして取り返そうとしているらしかった。無理だ、と米谷は思った。いくら鈴木の血を引いているからといって、また、芸術的才能にも秀でているからといって、編集者は一朝一夕で務まるものではない。まして、鈴木のような一流の編集者の代わりなど。それほど甘い業界ではない。ところが、岡本に相談したところ、こんな返事が返ってきた。

「面白いじゃないですか。私からも、そうしてくれるよう、あなたにお願いしたいくらいです。編集者が優秀な作家を育てる一方で、作家が優秀な編集者を育てるのです。これまで鈴木さんがあなたにしてくれたことの恩返しだと思って、彼女を担当にしてあげればどうですか。未熟な編集者と共に仕事をすることで、あなたにも得るものはあるはずですよ。それに、彼女の才能には非凡なものがある。この機会に、映画界から出版界に引きずり込んで下さい」

 最後の言葉は半分冗談にしても、岡本の意見にも一理ある。米谷は早速、黒田を担当編集者として迎えることを了承した。黒田は、猛烈に感動した様子で感謝の意を示し、そしてさらにこんなことを言った。「父が木谷栄二だという噂が流れているようですが、あれ、嘘でしょう? あのデビュー作、米谷さんの作品ですよね? 私、ずっと黙ってましたけど、小学生の時、父の書斎に忍び込んで、『業火に続く森』の元原稿を読んだことがあるんです。それが後で、別の人の名前で、別の書き口で発表されてたんで、不思議に思っていたんです。どんな事情があるのかはよくわかりませんが、要するに、木谷栄二も米谷さんなんでしょ?」米谷は絶句した。木谷栄二のデビュー当時、黒田は七歳かそこらである。普通の子供ならば、漢字どころか平仮名片仮名の読み書きさえ危うい年頃だ。にもかかわらず、振り仮名など振ってあるわけのない米谷の原稿を、読みこなしたというのか。なんと末恐ろしい娘であることよ。神童という言葉が米谷の脳裡をよぎった。

 米谷の対応は早かった。岡本に連絡を取り、短く話し合った結果、全ての事情を話すために事務所まで連れて行くことに決めた。何故わざわざ事務所まで行くのかと言えば、百聞は一見に如かずの諺通り、木谷栄二に関する物品が多く集まっているから、というのが表向きの理由。そして、万が一の時、表沙汰にならない内に黒田を処理出来るから、というのが真の理由だった。木谷栄二の事務所は、そう言った意味で立地条件が良い。小さなビルディングの三階に位置し、それ以外の階は、巧みにカモフラージュされているが実は全くテナントが入っていない。ビルの入り口は、人通りのそこそこ多い片側二車線の国道に面しており、オフィス街が近いこともあって、人の出入りがあってもごく自然に映る。その一方、殆ど人目につかないような場所に裏口が開けており、裏口から出たところにすぐ、猫の額ほどの専用駐車場があった。まさに、何をするにも絶好のロケーションだ。

 黒田の対応は静かだった。事務所で八人の人間に囲まれ、一国の文壇の裏事情、ないしは長年彼らが積み重ねてきた罪の全てを聞かされても、幾度か真剣な顔で頷くのみだった。道義上正しいかどうか、一切口にすることなく、黒田は不思議そうに尋ねた。

「どうして、後継者を捜そうとしないんですか?」

 黒田の主張はこうである。木谷栄二は、そもそもは作家の没作品を生まれ変わらせて発表する集団だが、そのネームバリューが文壇で浸透し始めた辺りから、変質を始めている。例えば宵口の存在などを見る限り、それは明らかである。皆が木谷栄二という存在を維持することで守ってきたのは「作家にとっての子猫を世に出すこと」というよりむしろ、「日本の文壇に名作を送り出すこと」だったはずだ。ならば、木谷栄二の行方不明による断筆を受けて始めるべきは、後継者の発掘である。「西の米谷・東の木谷」と言われた文壇内の地位を考えれば、それに憧れる新人や作家の卵も多いだろう。現在は未熟でもいずれ米谷に比肩し得るような、強烈な個性を持つ作家「ポスト木谷」を捜し出すべきである。今すぐにでも。その方法も簡単だ、と彼女は続けた。

「懸賞小説ですよ。プロアマ不問。ジャンルも不問。我こそはポスト木谷栄二に相応しいと思う意欲ある人間求む。賞金も出しましょう。木谷栄二賞、と冠して大々的に宣伝してやれば、候補は幾らでも集まるでしょう。最初の何段階かは下読みの人に任せて、最終審査は本当の木谷栄二のメンバーでやれば良い。何か、問題ありますか?」

 岡本はすぐさま鈴木の出版社にかけあって、木谷栄二賞の設置を懇願した。名目は「木谷栄二と関係の深かった出版関係者による次世代文学の担い手の発掘」であり、弓削や米谷などそうそうたる関係者の顔ぶれと、世間での木谷栄二の騒がれ方を考慮し、出版社側は一も二も無く了解し、スポンサーも引き受けてくれた。

 こうして、黒田泉は一九番として木谷栄二に迎え入れられ、時を同じくして、木谷栄二賞が設立された。

 第一回木谷栄二賞。応募総数七六三作品。一次通過一一二作品。二次通過二二作品。最終選考五作品。厳正なる選考の結果、受賞作は正統派純文学作品である、池始『橋』に決定した。大都市と寒村を隔てる大きな川に誰もが通行可能な丈夫な橋をかけたが、最初は行われていた交流が次第に絶えて行き、結局は誰も通らなくなるまでの過程を寒村の子供の視点から情緒豊かに描いた作品で、選考委員全員の意見が綺麗に一致した。ちなみに次点の『諧謔日和』は、宵口白文が別名義で投稿した作品であると選考後に判明。卒なく最終選考に残ってくるあたりは流石といったところか。

 第二回木谷栄二賞。応募総数九一五作品。一次通過一〇五作品。二次通過二三作品。最終選考七作品。厳正なる選考の結果、受賞作はハードボイルド作品である、相実建一『呪言を待ち続ける男』に決定した。何をやっても上手く行ってしまう男が、自ら死地を求めて逆境の中に飛び込んでいき、その悉くを「残念ながら」切り抜けてしまう皮肉を、独自の人間観と絡めて疾走感溢れる筆致で綴った作品で、選考自体は大きく荒れた。純文学系の短編『あなたに足りない全て』を推す声も強かったが、この作品が選考委員の一人、黒田泉の手になるものだと判明し、本人がその場で受賞を辞退したことでさらに波乱を呼んだのだ。結局、次回からは、最終選考委員を担当する者は作品の応募をしないという決まりごとが作られた。

 そして、第三回――

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