宰相殿と
「ディエス殿、少しお時間頂けますか?」
忙しなく動いていたところ、ようやく一区切りついたのだが、そこにアドガルムの王太子が声を掛けてくる。
王太子とその婚約者、後ろには従者や護衛騎士がついていた。
「私、ですか?」
これまで接点があまりなかったエリックに名指しされ、ディエスは警戒した。
何を話すのだろう。
「えぇ。ご令嬢についてお話ししたいことがありまして」
エリックは鋭い目でディエスを見ている。
「ミューズの事で?何でしょう」
そういえば先程から姿を見ていない事に気づく。
「彼女はとある令嬢方の策略で呪いをかけられました」
「なっ?!」
大声を出してしまい、慌てて口を塞ぐ。
ディエスの行動を見ていた者だけがこちらを不思議そうに見たが、あとの者は気にした素振りもない。
「声をかけた時点で防音の魔法を使っています。俺達の声は周囲に聞こえないので安心して下さい」
エリックは少しだけ口の端を上げた。
「内密の話なので。ではミューズ嬢の話に戻りましょうか。彼女は今アドガルムの者が保護しています、呪いを解くために」
「どちらにいるのですか?」
突然の事で、まだ理解するに至らない。
呪いとはどういう事か。
「今頃はアドガルムに向かう馬車の中でしょう。解呪の術師は王城にいますので」
「娘を攫ったのか?!」
許可もなく連れて行くとは。
「興奮をお抑えください。攫ったとは人聞きが悪いな、緊急措置ですよ。そもそもミューズ嬢に呪いをかけたのはリンドールの令嬢方ですから。呪いにかかったミューズ嬢を見つけ、助けざるを得ない状況となっていた。こちらも巻き込まれた側です」
少し不機嫌そうにエリックは反論した。
助ける義理はアドガルム側にはなかったのだから。
「…申し訳ありません」
それに気づいたディエスは、冷静さを失っていた事を詫びる。
エリックは隣国の王太子だ。
ミューズがあちらの手の内にいるとなれば、迂闊な行動をしてはいけないだろう。
王太子は非道と聞くし、機嫌を損ねたらどうなるか。
「心配な気持ちはわかりますがね。ディエス殿の大事な一人娘ですし。婚約者候補のユミル殿もさぞ心配しているでしょう」
噂の真相を直接問い質してみた。
巷でまことしやかに流れる噂のせいで、ミューズは被害にあったのだ。
今後の計画のため、ディエスがどう思ってるのか心配だった。
「その噂には辟易していますが、ユミル殿は娘の婚約者候補ではありません。それよりもミューズは元気なのですか?今はどんな状態なのですか?呪いとは、どのようなものなのですか?」
ユミルとは何もないようで、エリックは安堵する。
「婚約者候補ではなかったのですね、これは失礼。ミューズ嬢は呪いにより、体に影響が出ています。このままでは普通の生活も送れない、ひどい呪いです」
「そんな…」
エリックは直接見ていないが、小さくなったミューズは、このままでは日常生活を送る事すら難しいだろう。
こんな広いところで、人の多いところで、ディエスの元まで来ることも無理だったはずだ。
そこをティタンが見つけたのは、本当に運の良い事だと思っていた。
あらぬものに拐かされていた可能性も充分にある。
「そこで提案なのですが、ミューズ嬢と弟の婚約を取り決めて頂けませんか?」
「はっ?」
唐突な提案だった。
「俺は弟の婚姻相手を常々探していたのですが、ディエス殿のところなら最適だと考えていました。あなたは有能で仕事も出来る、ミューズ嬢も可憐で優しい。ユミル殿との噂もあったため、打診を躊躇していましたが、それもないならぜひ押し進めたいのです」
呪いの話から婚約者の話。
ディエスは振り幅のある話に混乱している。
「それは本人の意志もあるし、私だけでは決められません。それにミューズがティタン様と婚約とは、きっとしないでしょう」
ディエスは否定の言葉を述べる。
「そうでしょうか?剣術の交流試合などで、お互いを目にする事は多かったと思います」
ミューズは祖父シグルドがいるから剣術大会には毎回来ていた。
ティタンも毎回交流試合には参加していたし、毎回優秀な成績を修めてシグルドとの手合わせもしている。
必ず目にしているはずだ。
「それにティタンはいずれ臣籍降下する予定、婿としてあなたの一人娘と一緒になれば、家を離れる事にもなりませんよ」
ディエスのところが跡継ぎ問題に揺れているのも把握している。
「それに、緊急措置とはいえ、未婚の女性をアドガルムへと招いたのです。これがティタンの婚約者であれば、変な醜聞はお互いに立たないのではないのでしょうか?ディエス殿、どう思います?」
「ふむ…」
現状ミューズはここにいない。
いない事に気づいた者から、またミューズに関して良からぬ噂が増えることは予想される。
呪いの事など知らない者からしたら、ミューズは婚約者でもない男のところへ行くような、軽い女性として見られてしまうだろう。
「ティタンとミューズ嬢がお互いに好いておらねば、瑕疵とはなりますが婚約解消といたしましょう。どのみち呪いを解けるものは少ない、アドガルムへと連れて行く必要があったので、婚約者として、もらえれば都合がいい。こちらも仕方なく行なってますので、条件を飲んで頂ければそれでいいです」
少しだけ嘘をついた。
もしも呪いを受けたものがミューズでなかったのなら、アドガルムへ連れて行くなどしなかった。
正式にリンドールの要請を受ければ、解呪の出来るサミュエルを派遣したかもしれないが、貴重な術師をただでリンドールに寄越すことはしない。
あくまでエリックはミューズに価値を見出していたからの提案だった。
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