第10話 馬車部品メーカー『アーキテクト・エネミー』準備
商談の内容にほとんど触れない商談報告書を作り終えると同時に、正午のチャイムが鳴ってしまいました。
これで良かったのでしょうか?
とてもモヤモヤします。
モヤモヤしながら昼休憩を済ませたところで、アイザック課長がトテトテ席までいらっしゃっいました。
ぴょんと机に靴で乗る。あら、お行儀が悪い小人さん。
「やあ、ファビオちゃん、アーキテクト・エネミー訪問の準備は進んでいるかね?」
「フォーラムの案内とデモですよね? 大丈夫だと思います」
「行く前にちょっと見せてくれたまえ」
午前中から人と話してばっかりですね。
そうして、昨日ぶりにSXスタンダードモデルの前に立ちます。
デモは、あらかじめ起動等の準備を済ませて、商談の流れの中でスムーズにスタートするものらしいので、その通りに。
「では、初回デモを始めていきます」
「よろしく」
手を動かしながら、朧げな丸暗記の原稿を空で唱えていきます。
--このように、ブラスの音色を作成することができました。
--先ほど作成したストリングスの音色も切り替えながら、試行錯誤して魔法の設計を進めることができます。
--ピッチベンドを使用することで、より本物の楽器の演奏に近づけることができます。これにより、プロの魔法使いとの精密儀式を行う前に、より正確なシミュレーションを行うことができます。
一通りのデモを終えて、アイザック課長が一言。
「これは酷い」
そんなに!?
アイザック課長は小さな椅子に座ったまま、広げたノートにペンを小刻みにつつき始めました。
怖い。
「ただ操作を覚えただけの状態に近いな。原稿も覚えきってない」
確かにその通り。
っていうか、まともに練習時間が取れていないので。
しょうがないんじゃないでしょうか?
「しかし、正直言って暗記は別にどうでも良い」
え? じゃあ何が酷いんでしょう?
「問題なのは--」
アイザック課長が片手で脇にあったSXを弾く。
ノイズの効いた、自然界に存在しない音色です。
曲は『wings of destiny』。
ものに翼を授ける魔法です。
資料が浮きました。
空中で器用にめくられていきます。
ホビット族でここまで性格な風の制御ができるのは珍しいはずです。
彼らは土の種族ですから。
資料のとあるページで止まります。
ちょうどわたしがデモを行った箇所の一部。
操作の説明が絵で描いてあるのと、原稿が添えられています。
「問題なのは、お客さんに見せる、という意識だ」
資料がパタっとテーブルに落ちました。
「同じ原稿、同じ商品でも、このように見せ方次第で印象はガラッと変わるんだ」
確かに、今の課長の魔法は目が離せませんでした。
「SXをゆっくり操作すれば直感的な操作性が伝わる。素速く操作すれば、成熟したときのリードタイム向上の感覚が伝わる」
直感的な操作性といてば、SXの売りの一つです。
確かにそれを伝えた方が良い。
あ、でもリードタイム向上は導入の主目的のはず。
どちらも大事ですね。
しかし、
「私のやった操作が速すぎるってことですか?」
感覚的には逆でした。
もたつきが多い気がするのですが。
一方で、アイザック課長の見解は違うようだ。
「単純にまだ操作に慣れていない部分はもたついている。見てて心配になる。逆に慣れているところは速い。操作の熟練度そのものをアピールしているようにみえる」
うわ、そうかもしれません。
アイザック課長は続けます。
「ライブじゃないんだ。演奏技術を魅せる必要はない」
恥ずかしい。
心臓のあたりがざわざわと熱くて汗が吹き出しました。
「というわけで、客先でのデモは--」
あ、中止ですかね、かこれ?
悔しいような、ホッとするような。
「--がんばってね」
やるんかい。
っていうか、本当にやるんですか?
「わたしのデモ、さっきめちゃめちゃ怒られましたけど」
「怒ったわけじゃないよ。アドバイス」
そう、だったんですか?
本当に?
「お客さんに怒られたりするんじゃ?」
「怒られちゃえばいいじゃん」
とんでもないことを言いますね。
「ところで--」
アイザック課長が、わざわざまた鍵盤を鳴らして話を切った。
「フォーラムの案内の準備は進んでる?」
やっべ。
「うわはは! フォーラム案内の準備、何もしてないのか!」
アイザック課長は笑いながら手を叩き、スポーツ観戦でもしてるかのように楽しそうでした。
「なんでそうなったのか分析した方がいいけど、時間ないな」
アイザック課長は相変わらず笑いながら腕を組んで……いや、だんだん笑顔が消えてきました。
こわいこわい。
「ファビオちゃん自身は、どうしようとしてる?」
どう、って?
何を答えたら良いんでしょう?
なんか、またこのパターン多くないですか?
新人……というかこの会社のルールを知らないわたしみたいなやつに、そんな意地の悪い尋問するなんて。
最初から「こうしろ」「ああしろ」言えばいいものを。
「ほらほら、何もないってことはないでしょ。早くしないと出発だよ」
アイザック課長が促してきます。
「えっと、フォーラムの準備は馬車の中でやります」
「馬車の中でどういうことをするの?」
「フォーラム案内の原稿を暗記します」
そう。
昨日のコルピクラウニでのフォーラム案内が微妙だったのは、案内の原稿をうろ覚えだったからです。
と思っています。
だからちゃんと暗記すれば大丈夫なはず。
そうですよね?
「なんで暗記に取り組むの?」
また『なぜ』ですか。
しかも聞かれたくないというか、自信がないところを。
不正解なら、不正解って言って欲しいのですが。
時間もないし。
「そんなに難しく考えないで、ほら、なんで?」
アイザック課長がしつこいです。
なんかムカついてきました。
クイズでもあるまいし、何がしたいんですか、このホビットは。
「時間ないので、正解教えてくれませんか?」
言ってしまった瞬間、アイザック課長の表情が『無』になった。
一秒置いて、爆笑し始めた。
なに? こわっ。
「はっはっはっはっは! ファビオちゃんは思ったことが顔に出やすいね。それを素直に疑問にできるところも良い」
なんかフォローされてる?
いや、これ皮肉?
アイザック課長の大袈裟な笑いが怖すぎて、肝臓のあたりに振動が来るみたいです。
アイザック課長が突然笑いを止めた。
「僕だったらこうやる、っていうのはいくつかある」
なんだ、あるんじゃないですか、正解。
「でもそれが正解かどうかは分からない」
へ? どゆこと?
「そもそも、この仕事の進め方に正解なんてない。どうすればより良いかを考えるのも、ファビオちゃんの仕事なんだよ」
つまり、自分で考えろってことですか。
だったら、さっき言った『暗記します』で良いじゃないですか。
アイザック課長は続けます。
「そして、僕らの仕事は売る技術の追求。ただ考えるだけじゃなくて、考えを深めていかないと、追求はできない。レビューってのはそういう場なんだよ」
「仕事は……追求?」
よく分かりません。
製品を売ってお金を稼ぐ、それが営業なんじゃないのでしょうか?
わたしの顔を見て、アイザック課長が繰り返します。
わたし、いかにも分かってなさそうな顔をしてるっぽいですね。
「ただモノを売るだけの営業も、世の中にはある。でも僕らが目指すのはそれじゃない。僕らは技術者。シンセサイザーの価値を作り、売り方を作り、魔法産業の進化を作る。そのための技術を追求する営業エンジニアだ」
営業エンジニア。
そんな考え方があるのですか。
いや、ちょっと分からないんですが。
「だから、さっきも言った通り、売る技術、仕事を進める技術を追求する。そのために、レビューっていうのは僕のやり方を指示するでもなく、ファビオくんの言うことを鵜呑みにするでもない」
あ、これ話が一周したんですか。
正解は教えてくれませんし、「暗記する」って案にも指摘が入ります。
「というわけで、ファビオちゃんの売る技術を追求できるような議論をするために、『暗記する』のが良いと思う根拠を聞いたんだけど、どう?」
結局『なぜ』に答えなきゃいけないらしいです。
「と、聞きたいところだけど、本当に時間がなくなったね」
やった。
助かった。
アイザック課長は資料を片付けながら、最後にこう締めます。
「馬車の中では僕もやることあるし、フォーラム案内も潔く失敗しよっか」
やっば。
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