アリエス家の日常

月島文香

第1話 お嬢様のお出かけ

異世界レイミアの境界国オデロ国の大通りより

少し離れた大きな路地に、アリエス家は面している。

早朝。まだ寝静まる夜に等しい時間に、アリエス家の一人目の住人は目覚める。

彼…おっと失礼。彼女の名前はマーサ。

このアリエス家お屋敷の唯一のメイドである。

得意なことは掃除と料理。

この屋敷にいるもう一人の執事と交代制で家事やらなにやら全般を務めており、

何でもこなせるメイドにしては優秀すぎる少女だ。彼女の部屋は遠い。

他の住人の居住スペースからは離れていてもちろん共用スペースからも離れている。そんな彼女の寝起きは大変良い。ほんの少し寝癖を直して、髪を一つに結い上げる。手早く着替えを済ませ、起きてからわずか十分ほどで彼女の支度は終わる。

彼女が自分の部屋から共用スペースの方へ向かう際に間の廊下を掃除するのも

もはや手癖となっている。朝食を作りに、住民を起こさないよう彼女は動く。

二人目の住民が起きるのは、それから一時間がたったくらいのことである。

彼の名はカイト。この屋敷にいる唯一の男性であり、執事である。

彼もマーサと同様にこの屋敷のことを何でも扱い、基本的に優秀な使用人だ。

彼の部屋は緊急時に主人を守れるように、主人の部屋から近いところにある。

眼鏡をかけている彼は寝起きと風呂以外に外すことはないらしいが、

ちょくちょくほかの人に面白がられて恥ずかしがっている。

男なのにいじられキャラとは情けない。

そんな彼はいつも通り寝癖を直すのに少しばかり時間をかけ、

身支度の最後にネクタイを締めると、すぐに食堂へ向かい始める。

食堂に入れば今日の朝食は和食らしい、味噌汁のにおいがふんわりと香ってくる。

眩しい朝日の中にいる親の面影を持つ女性…この屋敷で一番早起きな、マーサだ。

「おはよう、カイト。今日はいつもより遅かったわね…

 最近は寒くて風邪ひきやすいから気を付けるのよ?」

「心配ありがとうございます、マーサ。今日は味噌汁ですか?

 久しぶりに食べる気がします。」

「ええ、そうね。最近はコーンスープとかばかり作っていたから。

 私は味噌汁のほうが好きなんだけれど。」

「んん…おはよ~二人とも…zZ」

機械的な、まるで英語を直訳したみたいな会話をしていると、

アリエス家三人目の住人は起きてくる。

眠そうに、実際も眠いのだろう、目をこすりながら二人に挨拶し、

持っている魔導書を手にずっと燃え続けている暖炉の前のロッキングチェアに

座り込む。彼女の名前はマリア。この家に住む魔女で、

この世界では珍しい火、水、風、闇、光の五属性すべてを持つ。

また、魔道具に対する特許を取っており、何をしなくてもお金が入ってくる

究極のニートもどきである。ニートというほど働いていないわけではない。

そんなうとうとと微睡んでいれば、そんな彼女にマグカップを渡す。

「片手間で作ったものですが…ココアです。温かいうちにどうぞ。」

「わ、ありがと~」

魔導書を近くのサイドテーブルにおき、のどが渇いていたらしく、

猫舌にも関わらずくいくいと飲み始める。

それを見届けてから、マーサがカイトに主人を起こしてきてと指示を出され、

彼は食堂から出ていく。

ふう、と一回息をつくとともに、マリアに袖を引っ張られる。

「おかわり、ほしいなあ…?ちょうだい、マーサ!」

「はいはい、少し時間かかりますから待ってください。」

甘いココアの香りも漂い始め、いよいよ冬も間近なんだなと自覚し始めた冬の朝。

魔導書のページをめくる音と、コトコトと鍋の中身の煮える音、

この家のご主人が来るまで二人は各々の時間を過ごしながら待つのだ。


一方場所が変わり,二階の廊下。

食堂やキッチンは三階にあるのだが、住人の部屋は二階にある。

その中でも一番奥の角部屋に位置するのが、この家の家主の部屋である。

少し差し込み始めた日光とその影を交互にうけながら、

カイトは木製の扉の前で止まった。

「お嬢様、朝です。起きていらっしゃいますか?」

返事はない。誘拐だとかいう悪い可能性はこの家に限って一切ないので、

異性である自分が入ることにちょっと躊躇いながら、

ノックをしたのちに音をたてないように開けた。

入ってすぐに見える小さな家主にあわない大きなベット。

奥に見えるバルコニーはカーテンも窓もきっちりしまっている。

左に見えるタンス、鏡台、椅子、テーブル。

どれを売っても数年は遊べる程度のお金が手に入るだろう。

まあ、自分はそんなことしないが。まずベットを無視してバルコニーへ進む。

暖房の空気が熱すぎてむしろ鬱陶しい。

カーテンを開け、先ほど浴びた日差しに目を細めながら、窓を開ける。

真っ先に外の凍えそうな空気に触れた鼻は、息を吸うと体が一気に冷えていく。

さて、と方向転換をして寝ている主人のもとへ向かう。

布団をかぶってミノムシのようになっている彼女の布団を引きはがし、声をかける。

「おはようございます、お嬢様。もう朝ですから起きてください。」

「…おはよ。まだ寝てちゃダメ?」

「朝ごはんができてしまうのでだめですね。」

「はーい…着替えるから待ってて。」

「では、外で待ってますね。」

「えー…?わざわざ寒い外で待たなくても…」

「俺は男です。」

「…気にしないけどなぁ。」

「ちょっとは気にしてくださいよ!!」

半端やけに部屋から出て、ドアの前で待つ。

こう言うところがあるから朝起こすのは無理なのだ。理性が持たない。

「カイトー、行こうー!」

「はい、行きましょうお嬢様。」

トコトコと2人で歩く。身長差だけで言うなら本当に危ないのだが、

実際の年齢差は一歳しかない。当たり前のように誰かが隣にいて、

いろんなことを喋る。それが、セーラの朝だった。

「マーサ、マリアおはよう!」

「あ、おはよ〜!」

「おはようございます。朝食、できてますよ。」

4人が座るには少し狭いテーブル。4人分の朝食。

今日はご飯と味噌汁と卵焼きと焼き鮭らしい。

「「「「いただきます。」」」」

4人で揃って食べるのも、この家では当たり前だ。昔は、もっと不自由だった。

1人で冷めた料理を食べるのは、とても寂しくて、味も感じなかった。でも、今は。横を見ても、前を見ても、斜めを見たって。誰かがいる。

セーラにとっては、もう手放すことのできない、大切な日常だった。


ある日の事。今日はやけに、誰にも構ってもらえなかった。

せっかく、特別な日だと言うのに、普段から忙しないマーサはともかく、

自分を1番優先してくれるカイト、

なんだかんだ話し相手になってくれるマリアまで、今日は相手をしてくれなかった。そんな3人に、セーラは少し不満になる。

「…どうしようかな。護衛、つけないと怒られるよね。」

腐っても伯爵家なのだ。こう言う時、実家の肩書きが嫌になる。

たまには1人で出かけたいとは常々思っている。

もしかしたら今日、叶うんじゃないか。

「魔道具で変装して…あと、スキルも、使おうかな。」

スキル。それは、1人1つのもの。

世界樹レトそしてこの世界の守護神、ラミアからもらう特殊技能だ。

マーサが模倣コピー、カイトが創造クリエイト

マリアが形状変化チェンジであるように、

セーラは隠蔽ハイドを持っている。

多少の制約…例えば、新月の日には使えないとか、魔力を消費するだとか、

1日これだけしか使えないとか。とにかく、ちゃんと気をつければ扱える代物。

セーラのスキルは、そのまんまである。透明人間にでもなれるとか、

人と関わっても印象を思い出せなくなるような、そんなもの。

狙われやすいセーラにとって、便利なものであった。

「んー…まあこんな感じかなぁ。」

元々ガラス玉に絵の具を一滴垂らしたように赤が入っていた瞳は、黒く染まる。

途端に墨のように真っ黒になった瞳は、変わらず鏡を見つめている。

質素な服とボロいローブ。庶民と見られるには、十分ではないか。

楽しそうに話している3人を横目に、

自分だけ仲間外れだとさらにむぎゅっとほおを膨らませる。

「…っ、いいもんいいもん!

 1人で出かけてやるんだから!

 マーサ達がいなくたって…

 私1人でなんとかなるもん…」

半端やけに、ガチャリと玄関のドアを開けて走り出す。

大通りに着いた頃には、息は切れていた。

「なに、しよーかなー?」

そこそこの人通りと屋台の並ぶ広場。昼時でおいしそうなにおいが漂う中、

セーラの腹の虫がきゅうと鳴った。

「お嬢ちゃん、お腹すいてるの?」

「あっいえ、これは…」

「遠慮しなくていいんだよ。この肉まん一つどうだい?」

「わ、おいしそう…えっと、いくらですか?」

「銅貨一枚さ。お嬢ちゃん、お小遣いは持ってるかい?」

「はい、えっと…これ、ですよね?」

少しお金を少なくした布袋の中、そこに入っている銅貨をとりだす。

「はい、毎度あり。熱いから気をつけて食べるんだよ。」

「ありがとうございます、素敵なおば様。」

「どういたしまして。」

広場の端にあるベンチに座り、

まだできたてであろう肉まんをやけどしないように気を付けてほおばる。

「おいしい!これ銅貨一枚って安いなぁ。」

肉まんを食べ終わった頃、すっかりと太陽は日差しを届け、

人通りも少し多くなってきた。

「せっかくだから、三人のお土産買ってこうかな?」

広場を抜けた少し先に、市場がある。

雑貨や消耗品、新鮮な果物やお菓子まで、いろんなものが売っている場所だ。

少し波に押されそうになりながらも、店を見て回る。

たくさんの本に、普段は見ないアンティークもの。

あまり屋敷から自由に出れないセーラにとっては、

全部が宝石のようにキラキラと輝いて見えた。

「…これ、綺麗…」

「嬢ちゃんお使いか?これ、綺麗だろ。

 南の方から仕入れてきたんだけどなあ、手ごろでプレゼントにぴったりなんだ。

 気に入ったものがあれば一個くらい小遣いの余りで買えるんじゃあねぇか?」

セーラが足を止めたのは小さなアクセサリーを売っているお店。

日の光の眩しさが、ガラスで作られたアクセサリーを一層綺麗に見せた。

「これ…マリアに似合いそう。」

そう言って手に取ったのは

透明な紫と青のガラスがはめられているひし形のネックレス。

「うん、これにしよう。おじさん、これください。」

「おう、いいぞ。これはおつりな。また来いよ!」

店先のおじさんにお礼を言って、またセーラは歩き始める。

カイトとマーサの分もそれぞれ買った頃には、

太陽が少し傾きかけてしまっていた。

「もう、帰らなきゃ…」

あの三人は今頃私がいなくても楽しく過ごしているのだろう。

そう思うと少し悲しくなってしまう。

「なぁ、そこの嬢ちゃん。」

「私、ですか?」

「ああ、そうだよ。ちょっと俺達につきあってくれねぇか?」

「…もう日も傾いていますし、そういうことでしたらごめんなさい。」

「ああ、お嬢ちゃんに用はないさ。その袋にある金全部出したら帰っていいぜ?」

「っ!」

街が栄えていれば、当然影はつきものだ。

迂闊だった。年齢を下に見られやすいうえ、身なりもみずほらしく見えている。

そんな人間がお金をたくさん持っていれば、いいカモだろう。

「っ、隠蔽ハイド!!」

「あ、消えやがった!!まだこの周辺にいるはずだ、探せ!!」

とにかく逃げる。彼らのいない方向へ、大通りの方へ。

とにかく人に会えば保護してもらえる。

息も絶え絶えに走り、大通りにつく。

「あのっ…!私、襲われてっ!」

声には誰も反応しない。それどころか、聞こえていないようにも見える。

「あの、誰か…なんで…」

誰も答えてはくれない。セーラの声は、届いていない。

「スキルの、使い過ぎ…?」

このままでは誰にも見つけてもらえない。

家に帰ったって、誰も「おかえり」とは言ってくれない。

「なんで、今っ…」

誰か、誰か、誰か。

誰でもいい。私に気づいて。

マリア、マーサ、カイト。叫んだって、誰も気づいてくれない。

「っ、、お願い、だから。誰か、気づいて…」

日が沈む。夜になっていく。

明るかったはずの町に、明かりが灯って影がセーラに落ちる。

「やっっと、見つけた…!」

不意に響いた声。よく知るそれは、彼の声。

「マーサ、いました!!ここにいます!!」

「かい、と…?」

「まったく、こんな夜まで無断で外出なんて。」

「カイトだぁ…!」

「ちょ、お嬢様!急に抱き着かないで下さい!」

「ごめんなさい…、ふぇ、ひっく、」

「来たわよカイト…って何をしてるの?」

「いやマーサ、これは誤解が…」

「誤解も何もないんじゃない~?とりあえず三人とも帰ってきなよ~。」

「そうですね、町のど真ん中で抱き合ってるこの二人と

 一緒にされてもいやですし。」

「マーサも、しないの?」

「したくないわけzy…失礼、今はまず家に帰りましょう?」

「そうだぞ~。マリアは早くご飯を食べたいのだ~!」

さ、帰りますよとマーサが歩き始める。

慌てて置いていかれないように、駆け足でついていった。


普段よりも所狭しと並ぶ料理。ご飯の間は、珍しく静かだった。

「マーサ、その…」

「説教はご飯の後です。」

「はい…」

やっぱりおいしいな、と思っているところに不意にトマトの食感がした。

「なんで、トマト…」

「さあ、どうしてでしょうね?」

無言の食事を終え、ちょこんと椅子に座ったセーラに使用人たちは問い詰める。

「お嬢様、常々言っておりますがなぜ護衛をつけなかったんです?」

「三人とも、忙しそうだったから…」

「何も言わずに出ていったのは?」

「三人で、話してたから…」

「なんで私たちがこんなに怒っているか、わかりますか?」

「え…?」

「私たちの知らないところで何かあったら困るんですよ。

 今回はスキルの暴走だけで済みましたが、

 もしかしたら誘拐や強姦もあったかもしれないんです。」

「俺たちが気付ける範囲ならまだしも、

 お嬢様一人でというのは許可できないですよ。

 普段からほとんど言いつけを守ってたお嬢様が、

 なんでこんなことしたんですか。」

「私がいなくても…三人とも、楽しそうだったし…

 じゃあいっそ、ひとりでお出かけしようかなって…」

「楽しそう~?もしかして、お昼の時のこと~?」

「そうだよ。」

「あれは…でも、」

「…お嬢様、見ていたんですね。

 あれは…お嬢様の誕生日をどう祝うか、計画を立てていたんです。

 それで、去年のお嬢様の驚きっぷりに話し込んでしまって。」

「そっか~、セーラは寂しかったんだ~?」

「そんなこと…むむ、私も悪いし…」

「全員!謝る!!解決!!じゃない~?」

「ええ、そうですね。お嬢様、少しでも寂しくさせたことを謝らせていただきます。

 ですが、お嬢様のことは常に大事ですから。

 今回のような行動は控えてほしいです。」

「カイト…うん、気を付けるね。」

「お嬢様、大変心苦しいですが

 今回のようなことがあればトマトを料理に加えますので。

 ええ、でも本当にすみません。

 カイトはお嬢様のものです、ちゃんとわかっております。

「ま、マーサ…?そういうことじゃなくて…トマトはやめてほしいな…?」

「マリアは好きだからいいけどな~?」

「な、なんで?あの味も食感も好きになれないよ…」

話題がトマトに切り替わる。この何気ない会話が、アリエス家の日常。

まだまだ終わることのない、セーラの幸せだ。




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