第8話 ギフト

「こんなところにいて、いいんですか?」


 興奮から素にもどって倉坂は涼子に訊いた。


「大丈夫です」


 涼子はにっこりと笑みを浮かべてこたえる。現場での観戦記事は別の記者に代わってもらった。桜木投手の完全試合に立ち会えなかったことは記者として残念だが、いまはフジヤマカーブの秘密を暴くことの方がはるかに重要だ。


「…………」

「…………」

「…………」

「…………」


 話題が途切れて沈黙がわだかまる。こんなときは無理に間を埋めてはいけないと涼子は先輩記者からいわれたことがある。

 矢継ぎ早の質問はかえって相手の口を閉ざす。微妙な空気に耐えかねて相手が喋りだすのを待つのも取材テクニックのひとつだと教わったのだ。


「……しょうがない。じゃあ、ひとつだけサービスしますか」


 倉坂が口を開いた。涼子の無言の催促に根負けしたようだ。


「これは完全にぼくの勘ですが、フジヤマカーブは高鳥にしか投げることができない、天から与えられた特殊能力ギフトのような気がします」


「ギフト……ですか?」


「高鳥は去年、この近くのマンションに住んでいたみたいで、よく、この上の土手道をジョギングしてました」


 倉坂が首を伸ばして斜面の上の土手道を見あげる。


「それで……?」


「ある日、練習終わりの息子のクラブチームが、走っている高鳥を見かけて騒ぎ出しまして……」


「高鳥投手のジョギングの邪魔をして取り囲んだ?」


 無理もない。火のついた相手打線の打ち気を逸らしてゆく投球スタイルは一種の職人技をみるようで、まさしくクールなカッコよさがある。


「なかにはサインをねだる子もいたようです。だけど息子は、一明かずあきは違った。チームメイトを蹴散らして、高鳥にジョギングをつづけさせた。そして次の瞬間——」


「まさかバットで殴りかかった?」


「いやいや、高鳥が背中を向けたところ、持っていたボールを投げつけたんです。

……というのも、ぼくは以前、高鳥から背中にデッドボールをくらったことがありまして、その晩は痛くて寝がえりが打てず、ウーウー唸りながら一夜を明かしました。そんな父親の情けない姿を息子は間近でみてましたからね」


「気の強いお子さんですね。『父の仇!』というわけですか」


「ぼくはまだ死んでませんけどね」


 口端に苦笑めいた笑みを浮かべながら倉坂はつづける。


「そのとき、ぼくは息子を迎えにきてましたから、ちょうどその場面に出くわしました。まさかあいつがそんなことをするとは思わなかった。あっという間の出来事でとめようがなかった」


 涼子はこのとき、倉坂の話に半ば興味を失っていた。フジヤマカーブ秘密解明のヒントでも漏らしてくれるかと期待していたが、息子の武勇伝を嬉しそうに語る親バカのエピソードトークを聞かされるとは……。


「わかりました。息子さんは絶妙なコントロールで高鳥投手の背中を痛撃。将来はピッチャーに……」


「いや、息子の投げたボールは高鳥に当たらなかった」


「え? はずしたんですか?」


「高鳥がつかんだんです。背中を向けたまま、後ろ手で一明のボールをつかみやがった」


「い…意味がわかりません。どういうことですか?!」


「ぼくもそれをみたとき、信じられませんでしたよ。こいつ、背中に目がついてるのかと……」


「それって……」


 まさしく超能力ギフトだ。涼子は倉坂がなにをいいたいのかみえてきた。


「ぼくだけじゃない。当人である息子も、そして周りの子供たちも驚いていました。

 高鳥はぶつけようとした一明に向き直ると、つかんだボールを宙高く放りあげた。

 頭にきて、あさっての方向に捨てたんじゃありません。一明の真上に、捕球練習のフライのように投げあげたんです」


「………だけど、息子さんは捕れなかった」


「そう、なんでもない球を一明は落球した。息子は外野手で4番を打つレギュラーメンバーです。あんな簡単なフライを取り損なうなんてありえません」


「まさか、その球が……」


「それからです。高鳥が試合でフジヤマカーブを投げだしたのは……」


「なんで、高鳥投手は息子さんにフジヤマカーブを投げたのでしょう?」


「わかりません。ちょっとしたサービスかも」


「サービス?」


「あるいは罪滅ぼし。試合で初披露する前に、特別に魔球をみせてやる。だから、恨みは忘れろ……てなところでしょうか」


「わたしは高鳥文吾という人間そのものがわかりません」


 涼子は高鳥に対する正直な感想を漏らした。いったいなにを考えているのか、底のみえない恐ろしさがある。


「それはぼくも同じですよ。だけど、わかってしまったら、高鳥のようなタイプはおしまいのような気がします」


 そういうと、倉坂は腰をあげた。「じゃあ、これで」と短いあいさつを告げてグラウンドの方へ降りてゆく。試合が終わったのだ。


 涼子は夕陽が沈むグラウンドで、息子の肩を嬉しそうにたたく倉坂をみて目を細めた。

 倉坂明という代打専門の選手は明らかに家族のために野球をやっている。

 では、高鳥文吾はなんのために、だれのために野球をやっているのか?

 魔球だけではない、高鳥という人間そのものを暴いて書いてみたい。

 記者魂をかきたてられ、涼子はますます闘志を燃やすのであった。



   第9話につづく



















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