第7話 レコードストッパー
5月になった。
涼子はターゲットを変えた。
目指す人物はいま、土手の斜面に腰を下ろし、足下のグラウンドで熱戦を繰り広げる少年野球を眺めていた。
「倉坂さん」
そっと背中に呼びかける。
倉坂明はゆっくりと振り向いた。
「えーと、あなたは……」
「東亜スポーツの神尾です」
「ああ、思いだした。去年の秋季キャンプのとき、取材にきてたひとだ。あのキャンプリポートは読みごたえがありましたよ」
倉坂は丁寧な口調であいさつを返してきた。
倉坂明。
14年前、山形大会の決勝で高鳥の夏を打ち砕いた男だ。
倉坂は高校卒業後、東京の大学野球部に進み、関東リーグでは打点王に輝くなどして注目を集め、ドラフト1位でプロ入りした逸材であった。
最初の球団はセ・リーグの神南スカイヤーズ、その後パ・リーグ2球団を渡り歩き、いまは埼京ランサーズに拾われて代打の切り札として打席に立っている。
「お子さんの試合ですか?」
倉坂明は子煩悩で典型的なマイホームパパである。試合がナイトゲームで、昼間時間があるときは必ず息子の野球観戦に繰り出すことは前情報としてつかんでいた。
「そうです。早いもんで小6になりました。来年、軟式の中学野球に進ませるか、硬式のリトルシニアにするか迷っているところです」
甲子園、そしてその向こうのプロを目指しているのなら硬球に慣れさせておくのは大事なところだが、リトルシニアやボーイズリーグなどのクラブチームに進んだ場合、土日祝日はほぼ潰れる。
年端もいかないころから野球漬けにして子供の将来を限定させたくないと倉坂は考えているようだ。
「ここで会ったのは、たまたま偶然というわけではないですよね」
倉坂が警戒感をにじませていった。口調は穏やかだが、球団広報部を通していない取材はお断りだと顔に書いてある。
「高鳥投手のフジヤマカーブの秘密を探っているんです」
涼子は言葉を飾らず正直に打ち明ける。ここは直球勝負でゆくしかない。
「それで……」
半ば倉坂も予期していたようだ。表情を崩さずつづきを促す。
「倉坂さんは…いや、ランサーズはフジヤマカーブの秘密というか原理をつかんでいるのではないでしょうか?」
「…………」
ずばり訊いたが倉坂のポーカーフェイスに変化はない。
野球に関しては素人同然の涼子がフジヤマカーブの秘密の一端を解明することができたのだ。ましてや現在のプロ球団は一種のハイテク企業である。緻密なデータ解析はすでに終了して、いまは具体的な攻略の段階に進んでいるに違いない。
「さあ、どうでしょう? 知っていたとしてもいえるもんでもないでしょう」
予想通りのこたえが返ってきた。だが、それはフジヤマカーブがただの山なりの超スローボールではないことを認めた形になる。
その一言が涼子は欲しかった。
「倉坂さんは山形時代から高鳥投手とはよきライバル関係にあったと聞きました。二人っきりであってなにか話をすることとかありましたか?」
「なんですか、それ? 気持ち悪い」
グラウンド外での付き合いなんかいっさいないと倉坂は否定する。
「じゃ…じゃあ、高鳥投手に対する印象を教えてください」
「天才ですね」
間髪入れずこたえが返ってきた。
「で、天才というのはみんな変人でしょう?」
倉坂は手元のスマホに視線を落とし、他球場の途中経過を検索しながらいう。
「は…はあ」
「率直にいってあいつはとっつきにくい。他人を拒否するようなところがある。自分の世界の奥深くに没入して、そこからなにかを取り出してくるようなイメージがある。いわゆるイチロータイプでしょうか。ピッチャーですけどね」
「なんとなくわかる気がします」
涼子はうなずく。ただ、高鳥にはイチローのような孤高を貫く……というよりかは破壊衝動のようなものを感じる。他人を拒否するのではなく世界そのものを破壊したいと思っているのではないだろうか? 野球という武器を使って。
「ところで倉坂さんはご自分をどう位置づけてます?」
「少なくとも、高鳥のような天才タイプではないですね」
自嘲を伴った声ではっきりという。
ドラ1でスカイヤーズに入団したもののケガやスランプに苦しみ、5年で放出。セ・リーグからパ・リーグの各球団を渡り歩くジプシー選手の憂き目を味わってきている。
現在32歳。それでも現役をつづけられていけるのは、ある異名のおかげでもある。
その異名とは——
『レコードストッパー』
例えば完全試合とかノーヒットノーラン、奪三振記録や連続セーブなど、投手にまつわる大記録をことごとく、その達成直前で文字通り打ち砕いてきたからだ。
記録を阻止するもの——レコードストッパー。また、ある記者は夢を砕くもの——ドリームクラッシャーと呼称して倉坂の特異な立ち位置を面白おかしく描写している。
「レコードストッパーと呼ばれていることに関しては?」
「名誉なことだと思ってます。そう簡単に記録を達成されたんじゃ、ぼくたちは単なる素人の集まりに過ぎなくなってくる。意地と意地のぶつかりあいがプロの醍醐味のひとつでしょう」
さかのぼってみれば、あの山形大会の決勝戦。ノーヒットゲームで優勝といった高鳥の大会初の記録を打ち砕いたのが倉坂であった。彼の異名はそこからはじまっているのだ。
「うおっ、マジか?!」
突然、倉坂がすっとんきょうな声を出した。
息子がホームランを打ったのではない。
手に持ったスマホの画面に釘付けになっている。
「なにかニュースでも?」
涼子が倉坂の手元を覗き込む。
「え? ウソーッ?!」
涼子も思わず声をあげた。
千葉マリナーズの桜木陽気選手がホームタウンで完全試合を達成したのだ。
第8話につづく
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