第5話 風の街

 翌々日。

 涼子は上越新幹線に飛び乗り、新潟を経由して羽越本線の特急いなほで酒田駅に降り立った。

 風が強い。

 千葉タウンスタジアムがある幕張も風が強いが、ここはそれ以上だ。

 高鳥は風に縁があるのかも……と、涼子はふと思った。


 待ち合わせの相手の名は原島徹はらじま・とおる

 原島は山形の野球強豪校・酒南さかなみ学園高校——通称サカガクで高鳥と3年間バッテリーを組んでいた男だ。

 高校卒業後はプロはもちろんのこと、大学にも進まず県境にある村役場に勤め、現在に至っている。


「お待たせしました」


 5分ほど遅れて駅前のターミナルに原島が現れた。茶色のブルゾンのジッパーを首元まで締め、ポケットに手を突っ込んで寒そうに背中を丸めている。


「おいの知ってる居酒屋でいいスか?」


 庄内弁まじりの言葉で訊いてきた。


「どこでも構いません」


「しぇば、さっそくいきまっしょ」



 駅前の居酒屋に移り、ビールと料理を注文すると、原島はとたんに物欲しげな表情になった。


「取材協力費ゆうんはいかほど、出ますかね?」


「あとで、お渡しするつもりでしたが、いまお支払いします」


 涼子はそういうと茶封筒をテーブルに滑らした。

 原島がそれを受け取り、口を開いてそうっと覗き込む。


「ユキチが2枚スか……」


 少ないといいたげな口調と表情だ。


「取材はこれからも継続しますし、その都度、お支払いします。ユキチがエーイチに変わるまでつづくかもしれません」


「そげですか」


 面白くもない冗談を聞いたとばかり、原島は鼻を鳴らして不承不承うなずいた。どうやら村役場ではたいした給料はもらってないようだ。


「んだば、知りたいんは例のほれ、フジヤマカーブたらゆう魔球のことですよね」


 先回りして原島がいった。以前にも他社のだれかから取材を受けているのだろう、用意していたセリフを口にすべく前のめりになる。


「お聞きしたいのは、高鳥投手がなぜ、生まれた土地の北海道から山形に移ってきたかです」


 そうきたか……といった表情を原島は一瞬浮かべた。


「高鳥さんとは寮でもずっと同部屋だったとか。なにかその辺りの事情を聞いてませんか?」


「ふむ……」


 原島が口をへの字に曲げると囁くような声で切り出す。


「記事にするときは、おいがいったと伏せてもらえんでしょうか?」


「もちろん、そのつもりです」


「んだば……これは本人から直接聞いたことではないですが……」


 噂によると、高鳥の父親は事業に失敗し、遠縁の親戚を頼って札幌からここ酒田に家族を連れて移ってきたらしい。


「おいの親父がその遠縁の親戚と顔見知りの仲やさけ、いろいろと耳にへえってきよりまして……」


 事業に失敗した高鳥の父親は家族を引き連れて移住したものの一向に働こうとせず、昼間から酒を呑んでは暴れてたびたび警察の厄介になったそうだ。

 そんな調子だから一家はその日の食事にも事欠くありさまで、困窮を極めた暮らしに陥っていた。

 そのころ、高鳥本人はまだ小学校から中学にあがったばかりで、中学を卒業したら働く予定だったという。


 だが……

 高鳥は札幌のリトルリーグのクラブではちょっとした有名人であった。小学生にして120キロの速球を投げる将来有望株の投手として知られていた。

 中学野球部の監督も学年主任も高鳥の才能を惜しみ、酒南学園に推薦した。

 高鳥は酒南学園高校のスポーツ特待生としてサカガクに入学し学費免除の待遇で親元を離れ、3年間野球に打ち込むことができたのである。


「高鳥は昔もいまもなんも変わってません。口数少ないというか、やたら寡黙で…。同部屋だったころも個人的なことはいっさい喋らずサインの打ち合わせとか配球とか野球のことばかり。

 高校生なら普通は好きな女の子のこととか…まあ、いろいろあるじゃないですか。部員のなかにはもちろん女の子と付き合うてるやつはいました。

だけんども……」


 それだけ野球に必死に打ち込んでいたということか。極貧のすさんだ家庭に育った彼にとって、そこから這いあがる道は野球しかなかった。余計なものに目を向けている余裕などなかったともいえる。


「そこまで懸命に打ち込んでも、甲子園に出ることはかなわなかったんですよね」


 残酷な質問だと思いながらも、あえて涼子は口にした。




第6話につづく









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