第4話 挑発。
涼子は千葉タウンスタジアムの記者席に腰を下ろすと、10インチミニノートパソコンを開いた。
メールに添付してある竹内教授の考察PDFに目をとおす。
竹内の結論はやはり『風のいたずら』とのことだった。
ここ千葉タウンスタジアムは風の強さもさることながら球場のつくりもいささか特殊である。
バックネット側の球場壁の高さが33.9メートル、バックスクリーン側の球場壁の高さが27.6メートル。この6.3メートルの高低差が風の動きを難しくする。
センターから吹いた風がホーム側の壁にぶつかって上昇気流を巻き起こし、地球重力に引っ張られる力を一時的にせき止めているのではないかということだ。
つまり、下に向かう重力と上に向かう気流の力の均衡がボールを浮遊停止させるのではと教授はみているのだ。
一時的といってもそれは人間の感覚では感知できない60分の一秒の3コマ分、0.04998秒ほどだ。
バッターはいくらプロといってもボールをインパクトの瞬間まで完璧にみているわけではない。平均的な数値としては見てから反応するまで0.17秒、軌道を予測して0.16秒のスイングスピードでバットを振りだす。
タイミングをつかんだと思っても感知できない誤差が空振りを誘う。バッターの目にはボールがすり抜けて見える理由がここにある。ましてや人間の目は上下の動きに弱い。
「でも……」
涼子は口にだしてつぶやく。
竹内は千葉タウンスタジアムで記録されたデータしか見ていない。高鳥は他球場でもフジヤマカーブを投げている。
「ふう……」
わけがわからず、思わずため息が漏れ出た。
「どうしたんですか? ため息なんかついて」
隣の席でカメラマンの丸山が声をかけてきた。
「フジヤマカーブの秘密がイマイチつかめなくて」
涼子は正直に丸山に打ち明けた。
「丸山さんはなにか聞いてない? ヒントみたいなことでもいいから」
失礼だが藁にも縋るとはこのことだ、カメラマンの目を通した見解みたいなものを涼子は期待する。
「そういや……」
「なんかあるの?!」
「顔が近いですよ。もうちょっと離れてください」
ぐぐっと前のめりになった涼子からカメラを庇うかのように丸山が背を向ける。
「なにかつかんでいるのなら教えて」
「……以前、別の記者さんが正捕手の若槻さんにインタビューしたことがありまして」
「質問は自然と高鳥投手のフジヤマカーブの話題になったんですが……」
「それで?」
「まあ、秘密なんかないとはいってましたが、気になることをちょっと……」
「気になること?」
「高鳥投手はときどきサインを無視することがあるそうなんです」
「サインを無視……?」
「そのときは決まってど真ん中にストレートを投げ込んでくるそうです」
「それって……?」
いったい、どういうことなのか涼子にはわからない。なんでわざわざ危険な真似をするのだろう?
「危なっかしいことやめてくださいよ、と若槻捕手が一度高鳥投手に注意したことがあるそうです。そしたら……」
「なんていったの?」
「おれにはオーラが見えるからいいんだと」
「はあ、なにそれ?」
「つまり高鳥投手にはバッターの打ち気のあるなしが見えるらしいんです」
涼子は前のめりになっていた姿勢をもどした。若手の若槻をからかっただけなのかもしれない。
「あっ、お目当てのひとがでてきますよ」
目の前では試合前の公開練習が行われている。エースピッチャーの桜木陽気がマウンドを降り、高鳥文吾がのぼってきた。
マウンドの感触を丹念に確かめている。
高鳥はピッチャープレートを踏みしめると顔をあげ、バックネットをみた。
「ッ‼」
視線が飛んでくる。ボールを握りしめた右手の人差し指がピンと立ち、涼子の方を指し示している。
高鳥は挑発していた。魔球の謎は解けたのか? と。
それが証拠に第一球に投じた球はフジヤマカーブであった。
まさしく投球者の名のごとくそれは翼を広げた鳥のように高く飛び立ち、山の斜面のような軌道を描いて若槻構えるキャッチャーのミットにおさまった。
空中で止まるボール、バットをすり抜ける魔球の謎を解くカギはどこにあるのか?
科学的な解析には限界がある。
(そうか、捕手に訊けばいいんだ)
本人に訊いてもはぐらかされるだけなのは明らかだ。ならば昔から彼を知る捕手に訊けばいい。
涼子はミニノートパソコンを操作すると、高鳥の高校野球時代の仲間を検索した。
第5話につづく
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