第8話 冷たい太陽






 時限爆弾の配線を切り間違えた気分だった。

 映画でよく見るシーン。

 大抵は残り1秒で2本ある配線の正しい方を切って、爆弾が止まるというのが王道なのだが、僕が主演のこの映画は違う。残り時間は5分もある上、2本あるうちのどちらを切るか答えがでているのだが、何故か逆を切ってしまう救いようのないお話。

 時間がギリギリの緊張感もなく、進み続けるカウントダウンを見てその場から逃げればいいものの、ただただ呆然としている。その場に立ち尽くし運命を待つ。

 そうか。死を目の前にして人は呆然とせざるをえないのか。

 

 彼女の目を見て放ったその言葉は、僕の目線と共に地に落ちる。それと同時に、渋いドアをゆっくり開けた時のキィーに近い声が、僕の胸で暴れた。

 彼女は助手席のドアを開けたまま立って、こちらを見ているのがわかる。今どんな顔をしてこちらを見ているのだろうか。

 何も返事がない彼女に対して、恐る恐るベージュ色のコートを舐めるように、お腹辺りにあった目線を顔に移す。コートのボタンを一つ一つ登っていき順調な足取りだった、が。

 顔を覗く事はできなかった。目線が胸元まで上がった時だ。バンッとドアが閉まる音と同時に僕の足取りは止まる。ベージュ色のコートから、グレーのドアの内装へと変化した。

 慌てて顔を上げ、窓越しに彼女を目で追う。

 彼女は助手席から車の前を通りすぎ、アパートの部屋の方に歩いていった。


久遠くおんさん!すみませんでした!待ってください!」


 僕の前を通り過ぎる彼女を呆然と見ていたが、雪を踏み鳴らす微かな音で我に返り、運転席から降りて彼女の後を追いながら謝罪した。


「忘れ物をしただけだから」


 彼女はその一言を僕に残し、アパートの中に入っていった。

 その言葉に僕の高い胸の鼓動は、徐々に弱まっていくのを感じる。

 本当に忘れ物なのか?怒ってはー、いない、の、かな?

 雪の上に残してある、こちらに歩いてきた足跡と、車から立ち去る足跡を、意味はないが眺め、空に浮かぶ春に向かって白い息を吐いた。これから暖かくなるであろう空には、冷たげな太陽がこちらを見下ろしている。見下ろされた地上には、春が遠ざかった雪の跡だけが出しゃばっていた。

 身体はでしゃばる雪の冷たさと、春の寒さを完全に拒否しているのだが、恥ずかしさからか焦りからか、厚着をした僕の肌には、じわりと嫌な汗をかいている。

 

 

 僕は彼女が戻ってくるのを待つ事しかできないのだが、なかなかアパートからでてこない。

 やっぱり怒っているのだろうか。嘘をついた挙句、謝り方の悪い例とも言える謝り方をしたわけだ。きっと怒っているに違いない。あぁぁ、どうしよう。

 焦る気持ちが募る中、落ち着かせる為にタバコに火をつける。

 これはある意味で深呼吸の一種だ。

 近くでは犬がタバコの臭いに反応したのか、元気良く吠え出した。住宅を挟んだ国道では、相変わらずタイヤのチェーンの音が鳴り止まない。チェーンの音がなかなか遠ざからない事から、おそらく除雪車であろう。真冬なら夜中の内に除雪車が動いているのだが、誰もが予想をしていなかった大雪だ。少し遅めの除雪作業をしている。

 ため息混じりの煙が風に揺られ舞い乱れる。僕の心境を表してるようだった。


 僕がタバコを吸い終わると同時に、待ってましたと言わんとばかりにアパートの扉が開いた。僕は開いた方に目を向けると、そこには扉に鍵を掛けている彼女の姿があった。


「お待たせ」


 5分くらい経ったであろうか。彼女は手にのような物を持ってこちらに歩いてきた。


「すみませんでした!あれは言い間違いというかぁ、冗談というかぁ」


 僕は必死に言い訳を口にするが、これと言ったセリフが出てこない。自分のボキャブラリーの少なさにため息が出そうだった。

 彼女は不思議そうに首を少し傾げて、僕を見つめる。


「あぁ、エイプリルフールの事ね。別に怒ってないけどぉ、怒った方がいい?」


「怒らない方が良いかと僕は願います」


「あらそう。なら願いを叶えましょう」


 なんとかなったみたいだ。こんな小さな願いでも叶ってよかった。危うく爆発寸前だった。

 でも何故だろう。怒っていてもおかしくない謝罪だった。いや、謝罪と言えるものではなかった。あれは、からかったような言葉だから。彼女が怒るような言葉を考えてしまった、数分前の自分の思考を止めたい。

 ただ、彼女は怒っていないようだ。怒っているように見えてもそうではなかった。意外と沸点は高いのかな。

 僕は一安心したが、もう一つの疑問だけが残った。

 取りに行った忘れ物がなんなのかだ。


「そういえば、何忘れたんですか?」


 僕は彼女が持っている手帳のような物を見ながら、答えはそこにあるが何かは分からない物に付いて質問をした。


「あぁこれは」


 

 それは雪が降った春。桜よりも満開に雪が積もった春。

 昨日で終わり、今日から始まる、死に損ないの人生。

 そんな花のない僕に手を振るように揺れる桜の木。

 見下ろす太陽も対等に僕に向き合いだしたような春。

 

 彼女は白い息をこぼし、手に持つ手帳を見た後で僕の目を見てこう言った。




「これからの君が、描く物だよ」








 

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