第7話 4月1日の翌朝





 死の宣告をつい先程、7時08分にされた。

 僕の残すところの寿命はわずかなのかもしれない。

 口から白い息と、魂が飛んで行く。あぁ。

 

 昨日、初めて会った人に命を救われた。

 今日、その人に命を狙われる。

 人生波瀾万丈と言える2日間だ。


「何はともあれ、バイクは取りに行くことになったんだ。お詫びにお昼ご飯でもご馳走しよう。」


 できるだけ、平和にいきたい。お昼ご飯をご馳走したら、お先真っ暗な未来も変わるかもしれない。


 今日は例年にない4月の大雪日和。どうりで家の中でも、白い息が出てくる訳だ。

 春はどこへ行ったのだろうか。冬の名残りが出しゃばり過ぎたのか、お陰で僕の町と心は銀世界だ。

 自然には勝てん。


 彼女のアパートにいく時間は9時。今は7時20分。

 ゆっくりもしていられないので、朝食を食べて準備をする事にした。


 トースターに食パンを2枚置いて、3分焼く。焼いている間にケトルに水を入れてそれを沸かし、フライパンを温め、油を敷く。油でコーティングされたフライパンに溶いた卵を入れて卵焼きを作る。

 パンが焼ける匂いと、卵焼きの匂いが僕を両側から挟みこむ。

 洗い物は増やしたくないので、大きめの皿に卵焼きを乗せ、焼かれたパンを2枚、半分重ねるように乗せてマーガリンを塗る。

 朝の食欲を唆る皿をテーブルへと運び、沸かし終わったお湯を使ってコーヒーを淹れる。

 

「あ、久遠くおんさんにコーヒーの淹れ方聞くんだった」


 今朝、思い出せなかった事を思い出せてモヤモヤが晴れた。僕が今淹れたばかりのコーヒーは、昨日彼女が淹れてくれたコーヒーの香りとは程遠い。

 

 小さな楽しみが増える事は今の僕には良い事だ。おそらくこの2年間の間、楽しい事を楽しく感じていたのか、当時の僕に聞きたい。


「いただきます」


 いただきますに反応するかの様に、キシッと家鳴りがする。

 外では相変わらず、チェーンを巻かれたトラックが走る音がしている。

 少し寝坊したのか、スズメとカラスが朝の挨拶を交わしながら、雪をくちばしでつついている。寝坊というよりは、あまりの寒さに出てこれなかったのだろうと、自分で自分に突っ込みを入れる。挨拶だって、本当に話しているのかわからない。でも不思議とスズメとカラスは、間隔は開けているが、同じスペースを共有している様にも見える。

 

 だいぶ前、僕が車を買ってすぐの事だ。車で前に勤めていた会社に向かう際、反対車線の真ん中にスズメが仰向けで倒れていた。

 倒れていたが、死んではいない。

 仰向けになったまま羽をバタつかせていた。おそらく走っていた車にぶつかったのだろう。

 驚いたのはその後だ。

 羽をバタつかせていたスズメを、近くにいたカラスが車がこないか確認した後、ピョンピョン跳ねながらスズメに近づいたと思えば、そのまま咥えて歩道へ移動させたのだ。

 僕は初めて見るその光景に釘付けとなったが、こちらも車を走らせていたので、見えたのはそこまで。カラスはスズメを助けたのか、それとも単に捕食する為に移動させたのかまでは、目にする事は出来なかった。

 僕はできれば前者である事を祈って、それからというものスズメとカラスは仲が良いとは言えないかもしれないが、助け合う仲であると認識している。

 

 スズメはまるで今の僕だ。スズメである僕は、カラスに命を助けられ、かと思えば捕食されそうになっている。

 この例えを話したら、それこそ捕食される可能性があるが、好奇心からか話してみたい気分になった。人というものは誤った行動から学ぶ物だ。


 綺麗になった皿を手に取り、歩きながらコーヒーを飲みきる。食べ終えた食器を台所へと持っていき、冷たい水で洗う。

 真冬に比べればましだが、この時期の水はまだまだ冷たい。それにこの大雪だ。だがお湯を使うと、手の角質が落ちて、手が荒れてしまうので水を使っている。皮膚が弱いのは僕にはどうしようもない。

 皿に残ったパン屑と、コーヒーカップの黒ずみが流れ落ち、そこへスポンジで撫でる。あまりにも台所が寒いのと、水が冷たいせいで、冷たい水に痛覚を刺激される。

 洗い終えると一目散にストーブの前に走り、手を温める。あまり近づけると、それこそ手が荒れてしまうので、いくらか遠ざけて手に熱を伝える。


「あったけぇ」


 つい言葉が出てしまうほど、僕の冷たい手を温めてくれた。寒い時期のストーブは、どんな物より神様に見える。両手を合わせ、擦り合わせながらストーブを崇める事にした。

 ストーブの上にあるヤカンが、冷たい水を沸騰させようと全力稼働中。ヤカンの注ぎ口から、湯気が舞い上がる。


 僕はかじかむ手を暖め終えると、心の中でストーブに一礼した後、でかける準備をした。



 居間はすっかり暖まり、ヤカンの水も沸いてきたようだ。静かであるはずのこの部屋は、石油ストーブのジージーという音と、ヤカンのクツクツクツという音だけが響いている。

 僕は寒さを凌ぐストーブを止め、ジャンバーを羽織った。朝日に照らされて舞っている埃がキラキラと雪のように輝き、ジャンバーを羽織った事で周りの空気に流れが生まれると、急激にその軌道を変える。埃は決していい物ではないが、朝日に漂う埃だけは綺麗に感じてしまう。

 その中を僕は玄関に向かって進む。

 僕が歩くと埃も一緒になって就いてくる。それを背に、大きすぎる温度差を遮る戸を、暖まった手で開けた。


 揃えられたまだ少し濡れている靴を履いて、靴棚に置かれた薔薇に目を向ける。薔薇は酷く疲れている様子だった。こんなにも寒い中ずっと玄関に置いてあったのだ。さすがに萎れてしまっている。

 花瓶はあったのだが、不甲斐ない事に忘れていた。


「ドライフラワーにするしかないか」


 念のため玄関から、居間の戸を開けて薔薇を床に置いた。色気のない居間に不自然と置かれる薔薇の花が、少し可哀想に見えたがこうする他なかった。

 きっと僕の帰りを待ってくれる。そう信じて、足早に玄関を開けて外に出る。

 

 わかってはいたが雪が一面に積もっている。今は降ってはいないので陽光が溶かしてくれるだろうが、今日は一日降り積もったままであろう。

 車に向かう為、鳥の足跡だけが残る新雪に足を入れる。ギュッギュッと少し濡れている雪を踏みしめながら足跡を付けて別の車の元へ歩く。


 バイクを乗ってくる事はできないが、運ぶ事はできる。彼女のSR400であれば軽トラックでも運べるのだが、また雪が降らないとも限らないので、車の中に入れて運ぶのが安心だ。その為の車、実際には違う用途に使っているのだが、バイクも運んだりしているので問題はない。

 ベージュ色のハイエースが見えてきた。こいつにバイクを運んでもらう。

 僕はエンジンをかけ、暖房の風向きをデフロスターへと変えた後、車に積もった雪をどかす。

 朝日で少し溶かされた雪はかなりの重さを感じる。それに加え、この車は高さがあるので、173cmの僕には屋根の雪を下ろすのに背伸びをしなくてはならないので一苦労である。

 一通り雪を下ろし終えると、バイクを積む為のラダーと踏み台、積んだ後に倒れないように固定するロープを用意して、車に積む。


「準備完了だな」


 そんな事を言い待ち合わせまで15分はあるので、車の隣でタバコに火をつける。車内からは「県内でも異例の4月上旬の大雪」とラジオから音が漏れている。降り積もったのは夜中のようで、今日から晴れの日が続くので今週中には溶けるらしい。ありがたいのだが、それなら降らないでほしかった。お陰様で人生最大の危機とまでは行き過ぎだが、そう表現したいくらいの危機に直面している。

 まぁ本当に僕の命を奪う事はしないだろうが、力強く感じる彼女の言葉は本気に聞こえるので恐い。

 お昼ご飯をご馳走するだけで許してもらえるか心配だが、そうする事でしかお詫びができない。というもののお昼までは時間があるので町の道案内も提案してみよう。


 僕はタバコを吸い終え、車の灰皿へ捨てるとシートベルトを閉め、彼女の待つアパートへと向かう。


 少し曇った窓の外を覗くと、この町はすっかり銀世界のようだ。こりゃスキー場は大喜びであろう。

 国道の前まで来ると車がこないか確認する。周りは田んぼなので見渡しはいいのだが、防雪柵があるお陰でかなり見えずらい。右を見て左を見ると、一匹の猫が道路を横断していた。幸いにも車はきてなかったので猫は無事に道路を渡り切る事ができ、それを見て安心した後、僕も国道を横断する。


 僕は見慣れた道を、彼女へどのように謝罪するか頭の中でいくつか考えたが、怒らせる言葉なら思いつくが、なかなか謝罪の言葉がみつからなかった。素直にごめんなさいというしかないのであろう。

 

 そんな事を考えてる内に彼女のアパートに着き、部屋の番号までは聞かなかったので電話をして彼女を呼ぶ。

 耳に押し当てた携帯電話は冷たく、陽光を車内の助手席の方に反射させている。

 数回のコールの後コール音が途絶えると、押し当てたられた冷たい携帯電話から彼女の声が聞こえてきた。


「今行く」


 そういうと電話は切られ、すぐにアパートの部屋の扉が開く。彼女は鍵をかけると道路の方を見渡していた。

 僕は昨日と違う車なので窓を開けて手を振り合図する。

 

 彼女がゆっくりと歩いてくる。雪を踏む音がだんだんと近づき彼女は助手席の方へ回りドアを開ける。


「おはようございます。昨日はそのぉ」


 僕は彼女に直ぐに謝ろうとした。そうしないといけない気がしていたから。いろいろ考えた謝罪の言葉を無視して、ありのままを謝罪する。









「エイプリルフールです」




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