第6話 死が近い朝





 僕は家のソファで天井を眺めていた。

 いつもと変わらない天井。表情すら変えない天井。

 ただただ、天井を眺めていた。


 貴方の事を書かせてほしい。


 彼女は僕にそう言った。僕はその言葉に何も返せないまま、彼女は梨のつぶてだと思ったのであろう。その後に続けて「また明日」と一言添え、アパートの部屋へと歩いて行った。

 その時の僕は、ポカンとした顔になっていただろう。

 

 僕の事を書く。それがどういう意味か天井を眺めながら、考えている最中だった。でも実際は天井の方を見ているだけであって、意識して天井を見ているわけではない。


「どういう意味なんだ。僕を書くって。似顔絵か?」


 そんな事を1人で呟いて、答えは明日彼女に聞くしかないという結論しか出てこなかった。


「明日、会った時に聞くかぁ」


 考えるより、聞くのが1番手っ取り早い。それは彼女しかわからない答えだからだ。でも考えてしまう。


「ダメだダメだ、明日に備えて寝よ」


 今日はもうクタクタだ。いろいろありすぎた。

 部屋の灯りを常夜灯に切り替え、ソファに掛けてあった布団を身体に掛けて眠る事にした。

 僕の睡眠のほとんどはソファだ。ベッドで寝る事はこの2年間一度も無かったと思う。

 どちらかというとソファで寝落ちするから、ほとんどがソファで寝ているのだが…1人になった今、ダブルベッドは僕には広すぎる。

 



 目を閉じると、暗闇が広がっていく。

 僕は死について考えてしまった。

 あの時死んでいたら、この暗闇が永遠に続いていたのだろうか。冷たさも感じなくなり、手足を動かすこともできなかったのであろうか。

 その先に光は無く、暗闇だけが続く。それっきり目が開く事は無く、誰かに見つけられ、葬られ、そしたら僕は夏音かのんの元へと行けたのだろうか。

 もし行けなかったらどうなったのだろうか。

 次の人生は来るのだろうか。


 僕にはもう、あのような事は二度とできないだろう。

 

 今は眠ろう。眠ったら明日が来る。何も考えずに…




 

 「聞こえる」

 

 一面に広がる海。風は優しく僕を撫で、聴こえてくるのは波の音。真夏の陽光が、肌を焦がす様に降り注ぐ。

 砂浜には『砂像』と呼ばれる、砂を固めて作られた像が何個もあり、1番大きな砂像の前には、砂でできたステージがある。

 ステージの前では、主役の登場を待っていた、ただ1人の観客が立っている。

 

 炎天下の下、額から流れ出る汗を腕で拭いながら、煮えたぎる砂浜の上に立っている。

 すると、主役はステージ横から上がってきた。

 空色のワンピースに身を包み、長い髪が優しく揺れ、元気よく行進する小さな身体は、僕の目には眩しすぎる。

 主役はステージのセンターに立ち、手を後ろの方で組んでただ1人の観客を見つめている。

 

 眩しさに目を細めていると、主役はステージの上から観客に向かって微笑みかける。

 尊くも眩しいその笑顔を見ていたら、自然とその観客も微笑んでしまった。

 いつもの笑顔だ。ただの懐かしい笑顔だ。

 

 真夏の海に響きわたる波の音と、観客の胸の鼓動。

 辛い事も、悲しい事も忘れさせてくれるその主役には、届いているだろうか。

 観客はそっと手を伸ばす。

 主役は微笑みながら、口元を動かす。

 



 何度も観る夢。夢はここで幕を引く。

 

 

 

 ただ今日は、主役は微笑みながら泣いていた。

 

 




 静かな朝、冷え切った空気にアラームが響きわたる。

 僕は目を覚まし、ケータイのアラームを止めて時間を確認する。朝の7時だ。

 閉めたカーテンの隙間からは、僕めがけて日が射し込む。

 

 昨夜、何かの夢を観た気がする。何か心に引っかかる夢。思い出したくても、思い出せない。

 悪い夢こそ覚えている気がする。大事な夢こそ忘れてしまう。

 大事な夢である気がするが、アラームに叩き起こされて、視界が霞む中、僕の思考をも霞ませる。

 僕はソファに横になったまま、ぼんやりと目を開けていた。

 薄暗い部屋をかすかに照らしてくれる春の陽射し。光の中には、塵が宙を舞ってキラキラと輝いて見える。


 今日が始まる。僕にも今週が来た。これからまた、毎日が始まる。これからの毎日は、どんな気持ちで過ごしていこうか。

 昨日から、考えても無駄な事を、何度も考えている気がする。ただそれは、今までの僕には無かった行動。あの死の境から、思ったこと全てを考えるようになった。

 でもそれは、答えが見つからない物ばかり。漠然と、目の前に表れた疑問に問い掛けるだけ。自分の力では解答は出さない。

 それでもいい。今はわからずとも、必ず答えが現れる。

 それが僕にとっての探し物なのかもしれない。

 彼女が与えてくれた探し物。

 

「こりゃ、探し物は数えきれんな。」


 詩織しおりさんにも、また花束とか言っちゃったけど、後回しになっちゃったな。後で謝らないと。あ、でも、車の納車で花束渡すから、嘘にはなってないか。



 僕は布団をどかし、勢いよくソファから立ち上がり、ストーブをつけた。

 ストーブをつけ終わると、その場で今日の予定を頭の中で確認した。

 まず久遠くおんさんを迎えにいく。

 迎えにいったら海まで行き、バイクを取りに行く。

 そしたら、新しい靴を隣り町に買いに行く。ついでにカフェに寄ってコーヒーを買い足そう。

 あ、久遠さんに聞く事があった。

 昨日の最後の言葉の真相、それを聞いてぇ…

 腕組みをしながらストーブの前から離れ、カーテンの方まで考えながら歩いた。


「何か他にも、聞こうとしたことがあったようなぁ…」


 僕は独り言を話しながら、日が射し込むカーテンを開けた。


「ん?」


 昨夜、早めに眠った芽吹きそうな緑が背伸びをして、家の前ではスズメとカラスがいつもの挨拶を交わし、国道からは車が走るタイヤの音が聞こえ、僕の心は春って最高と、いつも通りの低めのテンションで舞い上がる。


 のはずだ。


「え、嘘だろ」


 昨夜、早めに眠った芽吹きそうな緑は見えない。家の前での挨拶も聞こえない。乾いたタイヤの音だって、チェーンが巻かれたタイヤの音しか聞こえない。僕の心は千鳥足。

 

 一面に広がる雪化粧。綺麗だなぁ。

 いやいやいや、今はそんな見惚れてる場合ではない。


 昨日の会話を思い出す。

 

「こっちでは毎年降りますよ。と言っても積もった事は無いのでご安心してください。明日は大丈夫だと思います」


 終わった。変な胸騒ぎがする。これは死ぬより怖い。

 あんなに啖呵を切っといて、積もりましたやん。

 あーぁ、ヤバいじゃん。

 なんて言われるだろう。

 あなた、嘘ついたわね?3万。って言ってくるでしょうに。

 目に見えてわかる。目に見えてなくてもわかる、彼女の鋭い眼差し。


 彼女が起きませんように!と、強く願った僕の千鳥足の心とは裏腹に、一本の電話が背筋を凍らす。


 ケータイの画面には、橘久遠。

 言い訳を考える前に電話が掛かってきてしまった。

 まだ朝の7時過ぎですよ!?

 応答のマークと、拒否のマークが僕を揺さぶる。


「これも定めか…」


 僕は諦めて、緑色の応答のマークを押して一言。


「すみませんでした!」


 少しの間合いの後、


「死にたがってる人ってあなただよね?」


 予想以上、この上ないその言葉に僕の心は絶叫した。

 あぁ、昨日命を救ってくれた人に、今度は命を奪われるんだぁ。

 

 僕は生きて帰れるのであろうか。



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